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何方かが逃げられればいい。最悪、何方ともやられても世界政府に連絡が行けばいい。それだけの事がこれ程難しいのかと二人は思わざるを得なかった。ビリビリと襲い来る圧倒的な威圧感がウロボロスから放たれている。武器を構えながら後退れば、そこは壁だ。道が無くなってしまった。空間が歪曲して逃げ道を塞がれただけでなく大きな巨龍を以てして動きやすい様な形に変化している。
逃げ場を塞がれ前門に龍ーー考えうる中で最悪の状況であった。
「影がやられたタイミングが良かったようだ。人族よ。もう少し時間が掛かるようで有れば逃げられてしまうところだった」
タイミングが良いとはあくまでも巨龍にとっての話だろう。二人にとっては逃げるタイミングを失ったという意味であり完全に挑発である。ニタニタと笑う巨龍の様には嫌悪感しか湧かなかった。
「はん!そうかよ!まあ、でも何方にしてもお前の住処は知れるだろうさ!こちとら優秀な参謀を外に残して来た!数時間も連絡が取れなけりゃあ仲間と探しに来るはずだ」
エドガーの言葉は全てが本当という訳ではない。確かに連絡は入るだろうが直ぐに仲間が到着するかと言えば、そうではない。世界政府からの援軍となれば最悪一日は掛かる。一番近くてギルド隊が何処まで到達しているかだがーー先程の爆発の音を思えば間に合うかは微妙だった。
「ほう?そうか?ならばお前達をさっさと始末して別の場所に居を移さなくてはな。元々、その予定であったが人族は群れると厄介だ」
居竜の首周りから襟巻き蜥蜴を思わせる器官がバサリと開く。闇の魔力を纏い、禍々しい力で威圧してくる様に二人は武器を構える手に力が入るのを感じていた。
「如何に巨龍でも俺達が集まる事には厄介さを覚えるらしいな?そりゃあ良いことを聞いた。俺達は極力長く生きれば良いってこった。何なら猫を噛む鼠にでもなってやらぁ!」
ニヤリと口角を上げて啖呵を切ったエドガーに対して「やれるものならやってみるがいい!俺はお前達が知っている巨龍とは一味も二味も違うぞ!」とウロボロスは嘲笑するように笑うのだった。
「......すまねぇ。ミレイユ。極力お前は帰れるようにしてやるつもりだが、こうも道が塞がれると難しいかもしれねぇ」
それは前を向いたままのエドガーがミレイユにだけ聞こえるように言った言葉だった。彼とて自身と巨龍の実力差は肌で感じているのだ。そこにAランク相当の強さを持つミレイユが加わったからといって、どれ程の戦力になるというのだろう。悲しいことに二人が生還出来る確率は零に等しく、一人であってもーー。
「ーー何を言うかと思えば......私のは隊長に助けてもらわなけりゃ、あそこで終わってたかもしれない命さ。ここで尽きたって惜しくはない。ただ諦めるのだけはやめてくれよ?最後の最後まで足掻いたら、何かが見えて来るかもしれないだろう?」
思い出されるのはレディキラーへの復讐を考え始め、冒険者となった頃の自身だ。何も知らない無垢な自分はならず者と変わらない冒険者崩れにとっては良い鴨だったのだろう。喋り方だって女の子らしいものだった。自己防衛の仕方も解らない少女が身の丈に合わないハルバードを持ってフラフラ歩いていたのだから、今思えば狙われても仕方がない。無論、悪いのは狙う男であり、年端もいかない少女を食い物にする屑なのだが、ライオンの前を子鹿が歩いているようなものだ。無用心にも程があった。
少し良い人間の振りをして近付き、手解きをしながら警戒を解く。その後、信頼が見え始めた頃に捕まえれば丁度良い慰み者が出来る寸法だ。嘗てのミレイユはそういう輩に捕まった。そして、行為に走ろうと興奮しきった男達に路地裏に連れて行かれたところをエドガーに助けられたのだ。もし、出会いのタイミングが違えば恋心さえあったかもしれない。しかし、実際は信じていた者達に裏切られたせいで極度の男性不信に陥った後、彼等にそのような感情が芽生えることは無かった。
だが、助けられた恩を返す為とSWDに入った後に共闘していく内に友情が出来上がり、今のような関係になってミレイユはエドガーに対する尊敬と感謝の念を募らせていった。そして、あの時、助けがなければ自身がどのような末路を送っていたかなどは考えるまでもない。
ミレイユの言葉を聞いたエドガーはチラリと彼女の方を見て口角を上げた。そして、刀を抜くと下段に構える。
「そうだな。俺とした事が......初めから負けることしか考えてなかったわ。お前の言う通りだ。最後まで足掻いたら何か見えてくるかもしれねぇ」
ミレイユは頷くとハルバードをグルグルと回すと自身の収まりが良い位置で構えてーー。
「ああ、そうさ。それに巨龍相手に生き延びたらSWDの入隊希望者が増えそうな気がしないかい?それに隊長だってウエイトレスちゃんに安心して告れるじゃないか。巨龍相手に生き延びたんだから。人間相手じゃ死にやしないってね?」
魔力を高めて笑う彼女に「良い未来ばっかだな!こりゃあ死ねなくなってきた!」とエドガーは巨龍に刀を突き付けるのだった。
「つうこったウロボロスさんよ?ここは俺達の明るい未来の為に踏み台になってもらうぜ!」
Sランク最速の速さを持つエドガーが雷属性の魔力を使って駆ける。その後ろをフォローするように火属性の魔力を足に纏ったミレイユがウロボロスに向けて猛進した。
「おお、面白いことを言う!人族風情が!長く生きれると思うなよ!」
迎え討つように身を起こしたウロボロスは馬鹿にするように高々と笑い、牙を剥いた。迸る魔力が威嚇するような音を立てながらウロボロスの体の周りを駆け巡った。
「狼犬流抜刀術ーー駆狼!」
瞬間、エドガーの姿が消えた。否、消えたような速さで爆進している。雷属性の魔力による磁力と刀術の歩法を掛け合わせたこの技は速さは勿論のこと、上下左右の動きにて敵の死角に紛れ込む仕掛けを持つ。故に敵からは消えたように見える。その上で速い。
一瞬、トリックに騙されて姿を見失ったウロボロスはエドガーの探知には闇の魔力を使用ーー目くらまし同然ながら強力な一撃を加えようとしているミレイユへと備えて障壁を張った。
「はあああ!火龍爆砕っ!」
振り上げられたハルバードが赤々と燃える炎を纏った。圧縮された高火力の炎がハルバードの穂先の斧を包み込み、敵を燃やさんとするタイミングを今か今かと待ち構えている。業火、そして、叩きつけの威力が乗った豪快な技である。
ウロボロスの障壁に叩きつけられたハルバードが破裂音と共に大爆発を起こし、もくもくとした煙を巻き起こした。障壁で受けた巨龍は全くの無傷だったものの、視界が一気に悪くなり視覚上では完全に二人を見失った。
「狼犬流抜刀術ーー」
キンッと音を立てた刀が煙の中で光る。駆狼による撹乱のスピードもそのままに数多のエドガーの残像がウロボロスの周りを取り囲んだ。
「狼彩!」
計六の残像がウロボロスを六方向から襲った。突き立てられた刀が障壁を襲い、対応出来なかった部分の鱗を削ぐようにして削っていった。
「ーー小賢しい動きをする駄犬だ!」
鱗を傷付けられながらも相変わらず馬鹿にするような態度を崩さないウロボロス。噛み付かんと口を開いた所に赤々と輝いたミレイユのハルバードが入り込んだ。




