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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
第六章 常闇の巨龍 編(上)
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 人は脳に支配されているという話を聞いたことがあるだろうか?五感を司るものは脳であり、何かを思考するのは脳である。要は脳に作用する仮想現実空間へと取り込まれた場合、人は現実世界と変わらぬ感覚で生活出来るという訳である。


 そもそもが脳の司令を伝達する微弱な電気信号というのは非常に繊細なもので、一説には糖尿病に罹った患者が多重人格であった場合、人格によって糖尿病の症状が出ないことさえあるという。


 そのくらい脳は全てに直結しながらも繊細であり、影響を受け易いものでもあった。


 光の中で眩しさに瞼を閉じ、気付けば睡眠に近しい状態にあったリュシカは微睡む思考を絹を裂くような女性の叫び声によって叩き起こされた。


 転がされた剥き出しのコンクリートは冷たく、格子の付いた窓から差し込む光は鈍い。起き上がり手足を動かし拳を握れば、体に一切の問題は無いようだ。


 しかし、目の前の光景は異常そのものである。


 希望を失い瞳から光を失った見目麗しい女性達が虚ろに虚空を眺めている。酷い傷を負いながらも助けを求めないのは回復しても、また同じ目に合うと知っているからだ。


 リュシカはこの光景を知っている。この血とカビが混じった酷い臭いも、そして、このような地獄を作り上げた一人の凶悪犯の存在もーー。


 体が震え、痛みが走る。しかし、あの時は持っていなかった曲刀を握り、二度三度と深い呼吸を繰り返せば、それは嘘のように消えていった。カビの原因となっている配管からの水漏れが作った水溜まりを覗き込めば、十八となった自分の姿が映し出され、やはり、あの時とは違うと気付かされるのだ。


(全く。状況まで再現するとは趣味が悪いなんてレベルではないな)


 一瞬でもドSな親友と重ねた自分が恥ずかしい。彼女は確かに歪んでいるが人の精神を抉り破壊するような真似は好まない。


 このようにトラウマを突き付けて乗り越えてみろ?等と人によってはフラッシュバックで精神崩壊しかねない状況を作り出そうとは思わないだろう。


 彼女は意を決して進み始めた。試験終了の基準は解らないが一つだけ明確なゴールは解っている。それはトラウマの原因となっている存在を倒すことである。


 そうと決まれば話は早い。確かに相対したい相手ではないが、こんな場所は長く居るべきではない。それこそ、ここに長く留まるだけで気が触れて試験終了となってしまいかねない。


 奴がいるであろう場所へと恐る恐るながら足を踏み出し始めた彼女は新たな被害者となり得る女性の恐怖に染まった声を聞いて、走り出した。


「嫌!!嫌だ嫌だ!!嫌だ!!止めて!!助けて!!お母さん!!お母さぁんーー」


 現実では助けることが出来なかった。いや、最終的には助け出されたのだが精神的に壊れてしまっていた。あまりの恐怖に母を呼んでいるが、今の自分とさして変わらない年齢の女性だった筈だ。


 被害者の中でも最年少だった自分は年上の女性達が狂い少女のように泣き叫ぶ中を耳を塞ぎ、瞳を閉じて、丸くなって震える他無かったのだ。


 この装置を作った奴は本当の下衆に違いないと彼女は階段を駆け上がり曲刀を抜いた。突き当りを右に曲り道沿いに進んで直角に曲がった左角を曲がる。


 そして、炎を纏い眼前に迫る半開きの扉を蹴り開ける。そうだ。この部屋が奴の部屋だ。数多の女性を破壊し続け、それを正義と宣う、どうしようもないクズが凶行に走り悦に浸る為に存在する地獄のような悍しい部屋ーー。


 ドンッ!!と大きな音を立て蹴り壊された扉が宙を待った。音に驚き、今正に凶行に走らんと血に濡れたナイフを持った悍しい怪物がこちらへと驚愕の表情を向けた。


「......レディキラー......」


 隙を見た女性が驚愕の表情を向けるレディキラーを突き飛ばし涙ながらに礼を言いながらリュシカの横を走り抜けていった。彼女は助けてあげたかったという願望を持っていたんだな、と胸を痛めた後に「助けてあげられなくて、ごめんなさい」とだけ呟いてレディキラーへと曲刀を向けた。


「後悔はこれからも続くかもしれんが震えて耐えるだけの日々は終わりだ。行くぞ!!レディキラー!!」













○●○●













 魔法石が作り出した半透明の球状結界の中で胎児のように体を丸めて眠るリュシカを見ながら蛇は楽しげに口角を上げた。本体であればまだしも、この分霊のような姿では確かにあの球状結界の中の彼女に手を出すことは出来ない。


 しかしである。態々、結界に手を出して危険に身を晒さずとも剥き出しのまま効果だけを発揮している魔法石を弄る事は可能だ。無論、弄れば何らかの警報がなることは目に見えているのでタイミングは重要だが、この存在が窮地に陥ったタイミングーーもしくはこちらに戻っててこようとしたタイミングで装置に細工をすれば面白いことになると蛇は思うのだ。


 トラウマを解消されることを回避出来れば上々だが、そのまま精神的に破壊することが出来れば最高である。そして、その最高の事態を迎えることが出来れば、あの快楽を貪るだけの手駒を生かしておく必要もない。


 神の目的は潰える。その後は人の世を混沌に陥れ、散々楽しんだ挙げ句、破壊し続ければ自身を地の底に落とし二度と姿を見せることをしなかった愛しき神さえ自身の元を訪れる他ないだろう。


 その時に確りと教えて差し上げなくてはならない。


 貴方の寵愛を受けるに相応しいのはこのように脆く壊し合うことしか出来ぬ貴方の作りし偽物達ではない。


 古くから共に有り、及ばずとも隣に居るに相応しき力を持ったこの自身であるとーー。













○●○●













 五感が訴えてくるもの全てが目の前の存在を本物だと認識している中で、ナイフを上手く使い曲刀を捌くレディキラーに違和感を覚える。


 リュシカの炎を闇の魔力で掻き消して血濡れたナイフを振り翳すレディキラーとの距離を前蹴りで保ちながら彼女は曲刀を構え直した。


(強いな。しかし、それ故にーー)


 怖気が走り抜け、恐怖を感じ、体の多くを痛みが走った。思い出したくもない過去が頭を過り、一時は体を硬くした。しかし、今ではそのどれもない。恐怖に打ち勝ったと思いたいが、そうではないという事実は既に自身が導き出している。


(コイツがこれ程強い訳がない。コイツはやはり偽物だ)


 子供の時の記憶を辿り、エルフレッドと対立した話を聞けば解る事だ。このレディキラーという存在は異常な凶悪犯ではあるが特段強い訳ではない。転移にも似た奇怪な特殊能力を使うという点と、その偏った正義思想とそれに則った犯行を実際に起こす異常性が危険視される存在ではあるが、基本的には一切の教育を受けずにいた孤児のような存在だ。


 何らかの薬物で異常発達した両腕を駄々っ子のように振り回し、気に入らない物を投げ捨て、踏みつけ、蹴飛ばすーー。その行動の全てに技術的なものは一切無い。こと戦闘においては恐怖の対象でも何でも無いのである。


 試験であるが故に本物が出てくる訳がないがここまで精巧に再現されているならば、感覚上は本物がと間違うような相手が出て来てもおかしくないと思っていた。


「......慣れる。という一点においては丁度良いかもしれんな」


 リュシカはそう呟くと体に黒の炎を纏わせた。幾ら偽物と理解したとはいえ五感から伝わってくるものは本物と全く一緒だ。その嫌悪感に堪えなくては勝ち得ないのは何も変わりはない。


 クルンクルンとメビウスの輪を描く軌道で曲刀を振り回せば黒炎は軌道をなぞるように燃え上がった。


「行くぞ‼奴を模った偽物よ‼」


 リュシカは自身から距離を詰めてレディキラーへと斬りかかる。二、三と閃いた曲刀が黒の炎を巻き上げて相対する敵目掛けて襲い掛かった。

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