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アルドゼイレンは考えることさえしなかった。こうもなっては端から答えなど決まっているのである。
「我はイムジャンヌに惹かれている。死の可能性を考えて手痛く断ったが、それは偏に彼女を思っての事だ。それさえも彼女には許せなかったようだが、もし許されるならば番として迎えたいと考えているーーただ一点問題があるのだ」
ここに来て問題か?と皆は思った。巨龍に嫁ぐ以上の問題が存在するのかと皆は思った。アルドゼイレンはチラリとイムジャンヌを見て「この問題はイムジャンヌの夢に関わる事なのだ」と言ってーー。
「我は神の使いになった故に定住地を聖国とせねばならなくなったのだ。故に我と番になるということはアードヤードで騎士になる夢が絶たれる事と同意義なのだ。故に何方かを選んで貰わねばならん」
確かにそれは問題であった。イムジャンヌの夢は騎士になること。そして、最近では王妃殿下の覚えも良く、このまま何の問題も無く卒業が出来れば夢は叶うだろうと考えられた。しかし、アルドゼイレンとの縁談を進めるならばアードヤードで騎士になることは出来ない。夢が絶たれてしまう。
だが、意外にもイムジャンヌの表情は悩ましいものではなかった。特に考えている様子でもなく困っている風にも見えない。彼女は「多分、そうなる気がしてたから先輩に連絡入れてる。だから心配しなくていい」と笑うとアルドゼイレンの方を向いてハッキリ告げるのである。
「私はアルドゼイレンと共に生きる。それにアードヤードで騎士になれないのは残念だけど聖国で騎士になるつもりだから......一緒に居て」
アルドゼイレンは穏やかな笑みを浮かべて答えるのだった。
「そなたがそれを望むなら、我は其方が最後の時を迎えるまで共にいると誓おう」
家族に見守られる中で一人の少女と巨龍の物語は共に歩む未来を選ぶ結果となった。最も困難と思われた組合せの成熟を知って、周りの友人達が驚くも喜び祝う未来が来るのはそう遠くない未来の話である。
「それでお話に戻るけど」
「なん......だと......?」
○●○●
王都アイゼンシュタット、ブルーローズ宮殿ーー。
その日、護衛で有りながらも後輩の立場としてお茶に誘われたルシエルは戸惑いを隠せずも王妃の待つ部屋へと向かった。表面上は回復を見せているもののすっかり心が弱ってしまっているクリスタニアを心配に思う気持ちはあれど、イベント毎でも無い限り、公私を分けるべきだと彼女は思っていたし、何より今は護衛として勤務をしている時間帯でもある。仕事として呼ばれるならば未だしも、こうしてドレスに着替えさせられてというのはーー。
「王妃殿下、ルシエル様が来られました」
「通して頂戴」
「かしこまりました」
王妃殿下付きとして付き合いの長い侍女長が去り際に「王妃殿下をお願いします」と悲痛な表情を浮かべて去っていった。どうにも思っていた以上に事態はよろしくないようだ。
「王妃殿下。王妃近衛隊隊長ルシエルが参りました」
と告げれば王妃はとても悲しそうな表情を浮かべて「今日は後輩として相手して頂戴。貴女にまでそんな対応をされてしまったら私は......今はアーニャちゃんも側に居ないのだから......」と弱り切った表情をした。
「......先輩。どうしたのですか?辛い気持ちは解りますけど職務中にお茶に呼ぶなんて......」
困った様子でルシエルが告げれば「ごめんなさい......今は一人で居られないの......あまりに辛くて......何かあった訳ではないのよ?イムジャンヌちゃんの件は残念だけど......」と要領を得ない答えが返ってきた。内心、溜息を漏らしたルシエルであったものの何となくクリスタニアの心情は察していた。
何かあった訳ではないと言ったがクリスタニアはイムジャンヌの事を相当気に入っていた。そのイムジャンヌが将来的に聖国を行きを選んだ事は間違いなくショックだったのだろう。これが平常時ならば良かったのだが表面上は上手く取り繕っていても彼女の精神は間違いなく弱っている。普段ならば問題なく耐えられることも耐えられなくなり、信頼の置ける誰かを側に置いておきたくなった、といったところかーー。
そして、その相手の中でも特に呼びつけ易いのが自分だったというだけの話である。例えばクリスタニアの先輩に当たる三代公爵家の夫人方は確かに信頼の置ける人々だがクリスタニアとしては気を使う相手でもあった。そして、半ば依存関係にあるアーニャは寝返りを打つようになったレーベンの横に居ることが増えた。いつ起きるかもしれないから、と虚ろだった瞳に光が差し始めたのを見てしまっては辛いからと呼びつけること自体を躇ってしまうのも解る気がした。
最も良いのはリュードベックが共に居ることなのだろうが、それを望むのは難しい。彼自身は愛妻家で有り、支えたいと考えているだろうが同時に国王としての責務を抱えている。レーベンへと引継ぎ始めていた仕事もこなさねばならず婚約式以降は他国との連携の為に外交や会談が毎日のように入っている状態だ。王妃が寝るよりも遅く寝て、王妃が起きるよりも早く起きているのだから時間を作ることなど出来る訳がない。
「確かにイムジャンヌ嬢の件は残念ですね。最近の武闘大会ではかなり良い成績を残していました。それに騎士道の精神を持ち合わせていましたからね」
最初こそ王妃のお気に入りということで目を掛けていたルシエルも徐々にその荒々しくも芯の通った刀術を気に入り始めていた。何なら今年入隊が決まっているイムリアと共に将来は姉妹で二枚看板も有り得ると考えるくらいには楽しみな存在であった。
「そうなのよ......でも、あのアルドゼイレンとの縁談を引き裂く訳にはいかないから......残念だけど諦めるしかないわ.....」
大抵の相手なら交渉の余地があったが聖国の巨龍アルドゼイレンである。既に神託にて神の使いになった旨は各国に通達済みーー創世神で有り、嘗ては愛の神でもあったユーネ=マリア神の使いの恋慕を引き裂くなんて罰当たりな事が出来ようが無かった。
「あの婚約式から、どんどん周りが居なくなっていくわ。嘗ての友人で騎士団長だったハーヴェイ。お気に入りの騎士候補イムジャンヌ。そして、息子のレーベン......何でこんなことになってしまったのでしょう」
更にはレーベンに付きっきりのアーニャに王の勤めが忙しく姿を見せないリュードベックと、単純に会い辛い状況の者を含めれば彼女は一気に孤独になったような気分になってしまっているのだろう。
「ーーきっとエルフレッド君もこういう気持ちなのでしょう。英雄に報いるばかりか私達の都合に巻き込んでしまって......そう考えると当然の報いなのでしょうか......」
ルシエルは何も答えることが出来なかった。王族は何に置いても優先されし者であるし、エルフレッドの状況が鮮明になってからは出来る限りの配慮をした。しかし、如何に英雄とはいえ十七歳の青年に様々なものを強いねばならない自分達が果たして大人としての責任を果たしているかと言われれば甚だ疑問なのである。
自分が十七の時などは希望溢れる未来にただ夢を目指して邁進していた。悩みが無かった訳ではなかろうが今思えばあの年齢の者達ならば一度は悩むであろう極一般的な悩みであった。
少なくとも周りの大人の都合に巻き込まれ我慢せざるを得ない状況など、ありはしなかったのである。ルシエルはエルフレッドの件に関しては何も答えることが出来なかった。
だから、ただーー。
「私は先輩の側から消えたりはしませんよ。公私共に今のままでありたいと思っています」
自身で出来て自身が答えられる答えだけを告げるのである。そんな自分に大人になってしまったものだと少しばかりの嫌気を感じながらーー。




