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咆哮が岩山全体に鳴り響く。驚いた動物は疎か一帯を我が物顔で歩いていた大型の魔物ですら死を感じて逃げ出した。アルドゼイレンの一声が聞こえた範囲全てからエルフレッドとアルドゼイレン以外の全ての生物が姿を消した。
大剣を構え相対するエルフレッドは全身を震わせるような圧をビリビリと感じながら傲慢な風を身に纏う。
恐ろしくも美しき巨龍はそんな彼を見下ろすように眺めては動き出しの一手を探っているようだった。互いに無言、互いに不動ーー互いの思考の中で相手を倒す為の道筋が何度となく組まれては消えていく。魔力同士のぶつかり合いさえ拮抗していては互いを動かすには至らない。
イメージの中に存在する互いが互いに対して牽制を繰り返しては意味がない動きだと否定する状態ーー初めの一手に窮する程に拮抗する実力が現在の互いの行動を制限し縫い付けている。自然に巻き起こった風が二人の間を三度程、穏やかにゆっくりと往復していった。
埒は明かないが無駄な一手を選べるような余裕がない。こんな静寂な戦いが未だ嘗てあっただろうか?生物の息吹はなく風の音が響くのみーーしかし互いの思考の中は苛烈な戦いが繰り広げられていた。
そんな静寂を終わらせる一手を先に打ったのはエルフレッドの方だった。大剣を持つ手の重心を変えるフェイントーーアルドゼイレンはピクリと反応を示し、防御の様相を強めたが二手目を繰り出される前に翼を震わせるようにして、それを止めた。
エルフレッドが二手目を諦めて一瞬防御の姿勢を取った隙にアルドゼイレンが少し間合いを詰める。虎が密林の中で動きを気取られぬようにジワリと近ずくような素ぶりで極僅かにだが確実に距離を詰めたのだ。大剣を持ち体躯にも恵まれたエルフレッドを以ってしても巨龍の方がリーチは遥かに長い、この微妙な間合いの詰め方であっても有利不利の天秤はアルドゼイレンに傾き始めるのだ。
ならばとエルフレッドは放出されている魔力を増やし、陣取り合戦での有利を取りに掛かる。相手の魔力を押し込めるようにすれば相手に微量ながら負荷を与えることが出来る。間合いを詰められた分をイーブンにーーより上手く操れば微量ながら、こちらの有利に持っていく事さえ出来るだろう。
魔力の負荷が強まり戦いの場に風の魔力が満ち始めた頃、遂に両者の間に大きな動きが出始めた。
最初に大きく動いたのはアルドゼイレンの方であった。間合いを十分に詰めたと判断して自身の部位の中で最もリーチが長い尾を振り回す。地を削り迫り来る大きな一撃をエルフレッドは風の魔力で後ろに飛ぶようにして回避、着地と共に大剣を振って風の刃を飛ばす。
アルドゼイレンは飛来し襲いくる風を自身が纏う雷の魔力だけで防げば、更なる攻勢に出ようとするエルフレッドへ息吹を伴った咆哮を吹き付けた。音と風圧が確かな攻撃力となって襲い掛かってくるのに対してエルフレッドは風の膜を張ってやり過ごし、一気にには距離を詰めに掛かる。
瞬間、ブォンと強い電磁波を放つ家電製品が鳴らすような微かな音と共にアルドゼイレンの目の前に高温の火柱が立ち上がった。
分子を高速振動させて起こす炎ーー人族の秘術は化学であると語ったアルドゼイレンらしい攻撃であり、そして、プラズマの一種ながらもエルフレッドには操れない苦手属性に当たるそれは風の膜を突き破らんとし、間合いを詰めていた彼を後退させるのに十分な攻撃であった。
そして、攻勢の一手を失った彼とは反対にアルドゼイレンは攻勢のチャンスを得る。風よりも早く動く電撃を放ち後退するエルフレッドに追い討ちを掛けながら、バサリと力強く羽ばいて飛翔ーーエルフレッドとの距離を一気に詰めてギラリと輝く牙を剥いた。
追い討ちの電撃を風を纏った大剣にて打ち払った彼は牙を剥き噛み付かんとするアルドゼイレンの攻撃を避けながら隙を探す。受け止めたり、流したりするには余りにも力の差が有り過ぎる巨龍の攻撃が次々と繰り出される中で彼は右前足の攻撃の後に出来る僅かな癖に目を付けた。
威力を出す為か振り上げが多少大きくなっているそれは振り下ろされた後に若干重心が前に掛かる癖だ。他の攻撃に比べて返りが遅い事もあって威力を伴った攻撃をするには足りないものの、何らかの攻撃を当てるだけならば十分な隙だと感じた。
彼は牙や頭突きでの攻撃を避けながら右前足での爪撃が飛んでくるのを待つ。頭、牙、牙、左ーー。
グッと踏み込み高く振り上がった右前足を見ながらエルフレッドは自身の狙い通りの攻撃だと確信した。振り下ろされた右前足を右足分だけ後ろに下がりながら避ける。それと同時に振り上げた大剣をアルドゼイレンの肩口目掛けて振り下ろした。
ガインッと障壁を打つ音がして弾かれたがアルドゼイレンは驚いたような表情を浮かべた。今のタイミングで攻撃が当てられるという想定が無かったのだろう。
尾を回して薙ぎ払い、無理矢理距離を作ったアルドゼイレンは好戦的な笑みを浮かべながらーー。
「我の癖をついたか!!どういう戦い方をするかと思えば余程目が良いようだな!!」
大剣を構え直しウインドフェザーを唱えた彼は「目の良さは確かに自信があるな」と笑って風の魔力を纏った。呼応するかのように放たれたアルドゼイレンの雷の魔力とぶつかり合い戦いの場に再度緊張が走る。
一度止まれば静寂の状態に戻ってしまい兼ねないとエルフレッドはウインドフェザーの万を超える羽根を一斉掃射ーー牽制と呼ぶには高威力なそれを隠れ蓑に使い風となって間合いを詰めた。
傲慢な風を纏いし大剣がアルドゼイレンの体を包み込むようにして襲いかかった。上手く障壁で防げなかった物がアルドゼイレンの稲光色をした鱗に傷をつける。もう一撃と大剣を振り上げたエルフレッドは地面に縫いつけられたように動かない足に驚き、足元を確かめれば凍り付き張り付いている。
今の攻防の間に分子の活動を緩やかにして氷結させたようだった。溶かす間もなく襲い来る雷光を障壁で受けて足元を中心に広がるように風の魔力を循環させることで氷結を剥し、牽制と共に距離を取ったエルフレッドに対してアルドゼイレンは追い打ちだと言わんばかり雷光を放った。
激しい音を鳴らしながら大気を破裂させて突き進む雷の槍を弾きながら余波に巻き込まれ痺れを覚えたエルフレッドは顔を顰めながら回復魔法を唱える。
そして、アルドゼイレンがもう一撃を放たんと放電している隙を見て打ち付ける神の鎚を唱える。圧縮され質量を持った風がアルドゼイレンへとのしかからんとした。一瞬の判断で雷撃を止めて羽ばたき後方へと距離を取った巨龍が足場にしていた柱のような岩山が風に押し潰されていく様を見て巨龍は器用にも口笛を鳴らす。
「恐ろしい威力だ!!当たればひとたまりもない!!」
そんな様を鼻で笑うように短い音を鳴らして「戯言を」と彼は大剣を肩に担ぎーー。
「この程度でやられてくれるのならば俺も苦労はしないのだがな。当たる気も無ければ喰らう気もない癖によく言う」
アルドゼイレンは「ノリが悪いな!!我が友よ!!」と大笑いした上でーー。
「確かにあの程度でやられるならば最強の巨龍は返上せねばなるまいな」
ニヤリと口角を上げる巨龍を見てエルフレッドは溜息を漏らした。何時もの訓練を思わせる軽口の応酬だが二人の間には明確な殺意があった。
二人の間に漂うピリピリと張り詰めた空気がこの戦いが遊びではないと告げている。互いの何方かが命を落とすであろう戦いは、まだまだ始まったばかりである。




