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機会があればと言いながらアルドゼイレンの瞳は未来を見ていなかった。可能性、夢といった希望に満ちた言葉を使いながらもあくまでも願うのは終焉ということなのだろう。
「イムジャンヌに聞こえていたかは解らないが俺は最善を尽くすと約束した。それに俺とて友人との死別など望んではいない。ーーそれに強い想いや未来を知ってしまった。それでもお前は止まらないというのか?アルドゼイレン」
イムジャンヌの最後の一撃は頚動脈を狙った突きで有り、エルフレッドの一撃は鳩尾を打つものだった。選択肢を誤れば死さえ見えたその一撃ーー勝敗を分けたのはエルフレッドが最後の一撃を放つ前に隠し打ったホールドユグドラシルに対する傲慢な風の一撃であった。
エルフレッドに刀が届く刹那の瞬間に傲慢な風がホールドユグドラシルを破壊した。一気に力を失ったイムジャンヌの一撃は彼の首を傷付ける程度に終わり、彼は予定通りイムジャンヌの意識を奪う一撃を与えた。
「......エルフレッド......アルドゼイレンを......」
殺さないで、と口を動かし意識を失った彼女に「最善を尽くす」と告げたエルフレッドの胸中は彼女のそれと然程差が無いのである。
エルフレッドの問いかけにアルドゼイレンは溜息と共に達観したような笑みを浮かべると「未来も希望も戦いの後にあるものだ。エルフレッド」と諭すような声で告げた。
「我とて未来のことは解らん。しかし、このまま巨龍として生き、何れは意味を失ってしまう生にしがみつきたい訳では無い。死に方を選べるのは今だけなのだ。互いに死力を尽くし、最後に生き残ってしまったのが我であるならば、その時は全ての責任を取ろうではないか。今はそれだけしか言いようがないな」
あくまでも戦いの決着が着いた後でしか未来は無いと語る巨龍に「それで納得しろというのか?」と静かなる怒りを感じさせるエルフレッドの声が問う。
「納得するも何も......もう我等には戦う他道はないのだ。エルフレッド。ここで友がアードヤードに戻るならば我はアードヤードに向かわねばならん。取りたくはない手段ではあるがな。我が友とて解っているであろう?我にとっても大切な友人達ーー傷付けたくはない」
言外に戦わずして逃げるならば相応の手段を取ると語るアルドゼイレンにエルフレッドは強い怒りを覚えながらも、しかし、説得は不可能だと思い知るのである。そして、この巨龍が何に対して希望を抱いているかも語らぬまま今は戦うことしか道は無いと言うのだ。
「......この傷は残す。定着に二日だ。その間、俺はここで過ごす。そして、気持ちが変わらぬならば三日目の朝から戦うとしよう。それで良いか?」
エルフレッドはイムジャンヌから受けた傷を取っておこうと考えた。それは強い想いの証であり、その想いを裏切ってしまう可能性が高い自身への戒めであるからだ。実際の原因は解っていないが、俗説的に魂に定着することでエリクサーなどでも回復が効かなくなるのに大きな傷ならば大体二日程掛かるとされている。その期間をーー無駄だろうがーー説得の期間とし、気持ちが変わらなければ戦おうと告げる彼に対してアルドゼイレンは「結果、友が戦ってくれるならばそれで良い」と微笑んだ。
「......出来ることならば戦いたくはないと言っているだろう?」
無駄だと解っていながらも諦める事が出来ずに恨みがましい視線を送る彼を見ながら「まあ、そう言うな‼︎結果これで良かったと思う日が来るかも知れんぞ‼︎」と巨龍は楽しげな表情で笑った。
「さて、とりあえずは二日間の時間が出来てしまったというわけか......ならば、食事でも取ろうではないか‼︎今日の晩飯は鮎の塩焼きと根菜の煮物、そして、味噌汁だ‼︎無論、白米も炊いてあるぞ‼︎」
「......死を予想していた者の食事とは思えんな。確かに今日向かうとは伝えていなかったが......」
呆れた様子で呟いた後、首を傾げたエルフレッドに「最後の晩餐はより豪華なものにしないとな‼︎予想外にも日程が解って最後の晩餐まで楽しむ権利が得られるとは余程我の行いが良かったのだと言えよう‼︎」と尻尾を嬉しそうに振りながら自身の住処へと戻って行く。そんな何時もの様子の巨龍が可笑しくもありーー何だか苛立たしくもあったエルフレッドは「調子に乗るな」と尻尾を蹴っておいた。
「キャンッ‼︎」
ーー良い声で鳴いた。
「何をするのだ‼︎やはり人間と巨龍とはこうなる運ーー「良いから飯を食べるぞ?しかも理不尽なことを言っているのはお前の方だからな。アルドゼイレン」
それは元来、人間側が龍の価値観に対して理不尽な事を言ったから龍が放った台詞だろうがーーそんな事を思いながらエルフレッドは苦笑してアルドゼイレンの住処へと入っていくのだった。
エルフレッドとアルドゼイレンは二日間の時を共に過ごした。寝食を共にし、聖国に赴いたり美味しい物を食べたりした。しかし、どれだけ楽しく過ごそうが彼が願い乞おうが巨龍の気持ちが変わることはなかった。最後の晩餐を鱈腹食べて酒を飲み交わし、デザートまで楽しんで眠った。そして、二人は寝坊した。
昼前に起きてアルドゼイレンが用意したエリクサーを飲み干し、エルフレッドは最後にもう一度だけ問う。
「これが最後だ。アルドゼイレン。本当に命を賭した戦いを望むのだな?」
大剣の柄に手を掛けた彼が悲痛な表情を浮かべる中で「不思議なものだ。初めの内は我が共と思おうが面倒な巨龍だとしか思っていなかったであろうに」と嬉しげな表情で笑うのだ。
「ありがとう。我が友、エルフレッド。そして、済まん。我の気持ちは変わらぬ。どんな結末を迎えようと我は其方を友と思い、後悔することは無いだろう」
美しい稲光色の翼が開かれ大きく音を鳴らして二度程はためいた。穏やかな表情だったアルドゼイレンの表情が巨龍自身が自負する最強の巨龍に相応しい気高く猛々しいものへと変貌していく。
嘗てはこの巨龍とこうして戦いたいと願っていた。十全の巨龍を倒せば正しく世界最強と言えるであろうと天にも手が届くと本気で考えていた。それがまさか、願いが叶うその瞬間において全くもって反対の願いを抱いているなんて、あの時の自分は思いもしなかったであろう。瞼を閉じれば出会いから今日までの日々が頭の中を風の様に過ぎ去っていった。
「......解った。ならば、この問いは終わりだ。お前は俺を友とし後悔しないと言った。だが、俺はきっと後悔し続けるだろう。友を手に掛けた自身とこの大剣を永劫許す事はない」
大剣を抜き放ちアルドゼイレンへと向けるエルフレッドの表情は悲しみの表情が残るものの戦うべき時を誤るようなものではない。決意したものの瞳であり、乗り越えたものの表情なのだ。
「そうか。ならば、その言葉を聞いた上で我は一つの言葉を返そう」
バチリバチリと音を鳴らし、荒ぶりながら放電する雷を身に纏う史上最強の巨龍は咆哮のように告げるのだった。
「その言葉は我を倒してからにして貰おうか‼︎人族の英雄エルフレッドよ‼︎」
それぞれの想いが交錯する戦いが今幕を開けた。最後に立っているのは何方かーーそれは天から見下ろす太陽にすら想像もつかないものであった。




