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好きな相手と好きな物を食べて、同じ目標を持って訓練する。幸せっていうのはこういうことをいうんだな、と柄にもなく考える彼女。とはいえ誰もが望む穏やかで幸せなシチュエーションであるので感想自体に違和感はない。只、一方が全長十五mはあろうかという巨龍だと考えると些か不思議なシチュエーションとも思えるがーー。
さておき、イムジャンヌは充実した日々に上がっていく実力もあって頭の片隅にはあったものの普段は考える事はなかったことがあった。いずれ来るであろうその日の事をすっかりと認識せずにいたのだ。
訓練は遂に佳境を迎えている。刀術有りの身体強化。動きに気取られず、全身に魔力を巡らせながらも身体を動かせるようにして隅々まで行き渡った魔力と刀術を融合させるのだ。荒々しくも猛々しいとはよく言ったものだ。全身から闘気を発し、ともすれば岩山の一つや二つを踏み壊さん勢いの踏み込みが乗った一閃は恐ろしく鋭く、早い。そして、その速さに見合っただけの威力を誇っている。
家宝とも言えるレーベン王太子より下賜された剣は樹木の魔力を纏い、勢いもそのままに岩山を縦から半分まで斬り崩す。
「おお‼︎特訓の成果が素晴らしく出ているではないか‼︎これならば、もう一端の相手に負けることはあるまい‼︎イムナリスの背中も見えているぞ‼︎」
アルドゼイレンと戦った時のイムナリスは二十代中頃であったという。騎士としての鍛錬を積み上げて彼女に取って最高の時と判断した為の戦闘だったが、その背中が見える程に成長したとあれば通常満足出来るところである。だがーー。
「まだ足りない」
それでは駄目なのだ。自分の目標は更に上の人物だ。止めるべき相手ーー場合によっては倒さなくてはならない相手は現在、世界最強を欲しいままにしている英雄だ。過去の偉人を超えたところで、まだ追い付けぬところに居るのだ。
「ほう?まだ満足いかぬか?ふむふむ、良いことだ‼︎向上心があれば人はどこまででも成長出来る存在であるからな‼︎身体強化はより鍛錬を積むことで深まるであろうが、その成長は微々たる物。継続しながらもより強くなるとするならば、やはりーー」
「樹の上級魔法?」
「うむ。そうだ‼︎もし出来るならば更に上を目指す為に本質魔法まで行ければ尚良いが魔法が苦手なイムジャンヌがまず目指すべきはホールドユグドラシルの習得であろうな‼︎そこまでいくことが出来たら我とも戦闘になろうぞ‼︎」
それでも勝てると言わない辺り自身の実力に相当の自信が有るのだろう。事実、エルフレッドに訓練をつけて本質魔法を覚えさせたのはアルドゼイレンである。あの傲慢な風を受けながら尚訓練を継続出来たこと自体が異常な状態だ。
「私頑張る。私がアルドゼイレンを倒すから」
「グワッハッハッハ‼︎それは良い目標だな‼︎目標は高ければ高い程良いというものだ‼︎楽しみにしているぞ‼︎」
腰に前足を当てて大笑いしながら言う巨龍に「本気だからね」と頬を膨らませるイムジャンヌ。それを見た巨龍は「そう剥れるな‼︎馬鹿にしているのではない‼︎我は喜んでいるのだ‼︎」と翼を広げた。
「我は偉大な巨龍である‼︎今となっては天空を司る唯一の巨龍だ‼︎この空は我の物と言っても過言ではない‼︎圧倒的存在を見れば元来、生物というものは生存本能から巨龍から逃げようとするものだ‼︎その中でも最も頂きに立つ我を見て尚、逃げるどころか立ち向かおうとする人間は我に取っても素晴らしき存在だ‼︎そのような存在が世に二人も居る‼︎これはなんと幸せな事であろうか‼︎誰もが恐れた最強の巨龍に立ち向かわんとする存在が二人‼︎このように素晴らしい事が二つとあろうハズが無い‼︎」
自身に立ち向かう者がいる喜びーーそれはイムジャンヌには理解の難しい内容であった。何故ならば人という存在は極力戦いを避けたいと考え、死に向かうことを嫌うからである。しかし、そう言って大笑いし心底嬉しそうにしているアルドゼイレンの姿を見ていると自身も心が弾み、嬉しく思うのである。やはり、自分はこの巨龍が好きなのだ。好きな相手が幸せそうな顔で笑っている。それほど幸せな事があるのだろうかとーー。
「フフフ、しかしだなぁ、イムジャンヌよ‼︎そうなると時間はあまり無いぞ?今が冬の時ということは人族の学園の次の長期休みは春の頃か‼︎我が予定している戦いの時期は丁度その頃になろう‼︎」
「......春の......頃?」
急に突き付けられた現実に言葉を失ったイムジャンヌ。その姿に気付いているのか居ないのか天空の巨龍は大笑いしながらーー。
「そうだ‼︎色々考えたが引き伸ばし続けるのは我の性に合わなんからな‼︎結果がどう転ぼうとも、その時期が良かろうと考えたのだ‼︎となれば人の暦で後三ヶ月といった所か‼︎いやはや、あっという間に過ぎてしまうような時間だ‼︎心して練習してもらわねばな‼︎」
グワッハッハーーと笑う何時もの声が遠い。そうだ。何故私はこうなる可能性を考えていなかったのか?いや、片隅にはあった。だけど、今の時間が楽し過ぎて、もっと心構えをする時間があると思っていた。エルフレッドは最後に戦うと言っていたから、きっと三年生になって暫くしてからだと思っていたのにーー。
「うむ?イムジャンヌよ?どうかしたか?」
首を傾げ、そう尋ねてくるアルドゼイレンに言葉が浮かばないイムジャンヌ。しかし、ここで何かを言わず感情のままに涙を流せば、それこそ全てが終わってしまうような気がした。
「ううん。何でもない......欠伸が出ちゃった」
しかし、涙を堪えることが出来なくて咄嗟に嘘を吐き、恥ずかしさを装いながら目尻を拭う。
「ごめん。もう一回」
そのくらいでは胸の痛みは治まりはしてくれない。クルリと背を向けて欠伸が出る程の眠気に背伸びするフリをしながら、二、三滴ーー大きく深呼吸をして笑顔を作った。
「美味しいもの食べて運動したら疲れちゃったのかな?でも、時間無いし魔法の練習も頑張らないとね」
「......そうだな‼︎さてさて、まずは身体強化の練習で魔力がどれだけ成長しているか確認だな‼︎」
彼女の様子に気付いていたアルドゼイレンは気付かれない程度に表情を歪めていたが何時もの楽しげな表情に戻すと丁寧に指導を始める。それが楽しい今の時間を噛みしめるような行為に思えてイムジャンヌの心はより一層苦しくなるのだった。
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エルフレッドの連休の予定が残り二日となった頃、皇城から使いが現れて告げた。
「龍殺しの英雄、エルフレッド=ユーネリウス=バーンシュルツ伯爵子息様。コルニトワ正妃殿下より面会の申入れが御座いました。皇城にお越し頂いても宜しいでしょうか?」
突然の面会希望に驚きはしたものの借りた書物を読み終わり、返す為に皇城にはどちらにしても足を運ぶ予定であったので「正妃殿下様の誘いとあらば喜んで参りましょう」と告げた後、準備を終え次第向かう旨を伝えて着換えを始める。
正装に着替えて浄化魔法をかければ転移で向かうだけであるので、ともすれば使いの者が帰るより早く着いてしまう可能性もあった。エルフレッドが少し時間を潰そうか悩んでいた時、見計らったかのように携帯端末が鳴った。
『久し振りだな。叔母様に呼ばれたのだがエルフレッドは何か言われてないか?』
久々の連絡はリュシカからのメッセージであった。どうやら面会の話は個人での話ではなくリュシカと一緒にという事らしい。
『俺も丁度呼ばれたところだ。城門辺りで待ち合わせて共に行くか?』
『それは嬉しいな。十分後に集合しよう』
使いの者のことを考えれば丁度良い時間かと思った彼は『そうしよう。では十分後に』と返信してコーヒーを頼む。そして、ゆったりと時間を潰してから彼女の待つであろう城門へと転移魔法にて向かった。




