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瞳に強い色が乗った。月夜に有りながら艶やかに輝く瞳に彼女は自分がドンドン変わっていってしまう現状を第三者的に見つめている。冷静な部分とそうでない部分が相反する感情を抱く中で、しかし、理性的な自身でさえ、それを止める事はせずーー。
「ん......」
「?レーベン様?」
それは彼が寝苦しそうに寝返りをとった動きーーそして、声であった。信じられない物を見た彼女はベットから降りて彼の手を握った。寝心地の良い態勢になったのか再度沈黙した彼であったがアーニャは希望を見た。これまでは自身で寝返りを打つ事さえなかった彼が自ら寝返りを取るようになったとするならば、それはーー。
信じられない、と備に観察を続けていると三十分くらいして再度彼は寝返りを取る。まだ、それだけだ。揺すってみたが目を覚ますようなことはない。しかし、この行動は深い深いそこにあった意識が表層に戻りつつある予兆にも思えてーー。
「本当に......?本当にこんなことってあるのミャ?お母様ですら期待するなと言ったのに......こんなことって......」
零が続いた確率が少しばかし現実的な値になってくる。それがいつなのかーー確実にそうなるかは解らないが、今までのただ絶望的な状況で有り続けた状態とは全く違う。正しく回復に向かっている可能性ーー。思わず涙を流したアーニャ。駄目だ。まだ可能性は低い、希望を持つな、駄目だった時に立ち直れない。
そんな言葉が頭に並んだが、しかし、彼が身動ぎ、寝返りを打つ度に小さな希望が胸に宿るのだ。
(もう少し......もう少しだけ待つミャ、エルフレッド......もう少し、もう少しだけ希望が持てたその時はーー)
彼女の頭には色々な思いが浮かんだ。奇跡を信じろと言った友人も姿ーーもしかしたら彼に多くを返す日がやってくるかもしれないーー。
アーニャはその日、レーベンの事を見続けた。時折、寝返りを打つだけの姿であったが彼女は朝が来て自身が知らず知らずの内に眠ってしまうその時まで、彼が寝返りを打つ姿を見続けるのだった。
○●○●
挨拶や宴を済ませた後のエルフレッドは特に制約を受けることのない自由な時間を過ごしていた。皇城の客間を使っても良いということだったが、どうしても肩肘が張ってしまうため丁重にお断りして、近場の快適なホテルへと身を寄せたのである。
書物を読み深めて日課を済ませる以外は特にすることのない日々だったが充実した一人の時間だったと言えよう。常闇の巨龍の正体についても明記はされていないが何とく掴めてきた。確信するは相手取った時だろうが、そうであると考えて行動すれば大凡のものには対応出来る。裏を返せば、それ程の存在という訳なのだろうが最大の敵であり障害であるとするならば相手が何であろうと戦わないといけない事は確定している。
アルドゼイレンの真の実力は不明であるが最大の敵はウロボロスとなるかもしれない。
それだけは彼の中で固まりつつある答えであった。更に情報を集めて万全の状態とするに必要な書物は巨龍関連では無く、もっと直接的な害悪となる存在のーー。
「おーい!突然悪いなぁ!せっかくクレイランドに来てるんだったら顔見せようと思ってな!休暇で予定はないと思うが今は忙しくしてるかぁ?」
声の割に大人しいノックの音。寧ろ、立派に公務を手伝い始めたので有れば、そちらの方が忙しいだろうと声を掛ける事を躊躇っていたエルフレッドだったがどうやらそれは杞憂だったらしい。時には同年代では無く、友好関係のある大人に話を聞いて欲しいとは思っていたのだ。特に彼ならば経験豊富な大人であろうーー良い悪いは別にしてだが。
「ジャノバさん。お久しぶりです。暇ですよ。それに丁度話を聞いてもらいたいとは思っておりました」
扉を開けて確認すれば、やはり、そこに居たのは大公ジャノバである。そして、最近では小綺麗な見た目がスタンダードとなっているのか以前のような髭と髪が繋がったライオンヘアーでは無いようだ。
「はっはーん!こりゃまた珍しい!一人で何でもかんでも解決してしまうエルフレッドが俺を頼るとは......リュシカとなんかあったのか?」
冗談めかしながら自身に相談と言えば直ぐに女性関係に結び付けるのはある意味流石だと思わないでもないが、割とそれも含まれているので御冗談を、と笑い飛ばすことも出来ない。
「まあ、直接的にそれがって話ではないですが......例の婚約式の一件以来少し困った状況に有りまして。対処の仕方があればとーー半ば愚痴みたいなもんですが」
苦笑ながらに語れば彼は少々目をパチクリとさせて「こりゃあ本当に重症だ。あのエルフレッドが愚痴りたいとはねぇ」と驚いた様子を見せた後に肩を抱きーー。
「そういうことなら飲もうや!最近は俺も真面目に公務に励んでいる事もあって中々金銭的に潤ってるんだ!良い店あるぞ?ああ、心配するな!今日行くところは女の子のいない店だ。ウチの姪っ子ちゃんは中々嫉妬深いって噂を聞いてるから変な所に連れてはいけんからなぁ」
ハハハと笑う彼に、よく解ってらっしゃると彼も笑う。あれは確かにノノワールが悪いが本当に肝が冷えた出来事になった。あれだけ嫉妬される魅力が自身にあるのかは甚だ疑問だが自身が潔白である事を前提に話せば、もう懲り懲りな出来事である。
「感謝します。自身はどうやら自身が思っていた以上に年齢相応と言いますか......今までが単に人付き合いがなかっただけなのだと理解させられる出来事が続いていて......情けなくも参っているところですよ」
肩を組まれながら裏路地へーーここに居るのがジャノバで無ければ少しは危険な香りを感じるような場所だが、彼はある意味で裏を担当する皇族である。彼がエルフレッドを連れてとなれば灰色であっても黒ではないという信頼はあった。
「ふーん。まあ、俺から見れば別に若さって訳ではないと思うがな。エルフレッドにも確かに若い所はあるが、やっぱり、命の取り合いを経験しているだけあって何も知らない餓鬼に比べれば遥かに大人だからなぁ。ダークな一面も裏の社会の在り方もエルフレッドなら理解出来るだろうが他の同年代に理解出来るとは思わん。リュシカもそういう清濁あわせ呑んだ上で、それでも綺麗に生きようとするお前のそういう大人な部分に惹かれたんだと俺は思ってる。人間関係は何歳になっても悩むもんだぞ?」
暗い路地の地下へと向かう階段を降りて重厚扉を会員制のカードキーで開ければ中はあからさまに豪勢な赤のカーペットと年代物のアルコールが並んだ個室式の酒場である。
「まあ、見ての通り。ここは裏の連中も使う防音性の酒場だ。客のプライベートを守るという建前上、このカードキーさえ紹介で貰えればどんな客でも出入り可能だ。まあ、簡単に言えば店の経営は極めて健全だが来る客は問わんという感じだな」
ジャノバは自身の個室が決まっているのか店員は彼が入ってくるや否や頭を下げて荷物を受け取り、丁寧かつ迅速な対応で部屋へと案内する。
「キープの三番と四番ーーエルフレッドはウイスキーは飲めたか?」
「冒険者時代は安物を少々ーーストレートで一杯、チェイサーとチョコレートと共にですね」
「おっ?俺が教えた通りじゃねぇか!良いねぇ!んじゃ、キープの十六番も一緒にな」
「かしこまりました」
個室に入り物質転移にて用意されたキープボトルを「本当に高くて上手いウイスキーってのは味は濃厚ながら酷い雑味は一切無い。飲む黄金って洒落た言い方も有りだな。色で蜂蜜とかなんとか言っても甘さがでる訳じゃ無い」と笑いウイスキーグラスに半分程ーー悪酔いを防ぐチェイサーは忘れない。
「さて、まずは乾杯だ。久々の再会を祝ってな」
グラスを傾ける彼にエルフレッドは「今日は付き合ってくれてありがとうございます」と彼もグラスを傾けた。




