1
植物の巨龍の終焉とそれを成した一人の男〔エルフレッド=バーンシュルツ〕の名は瞬く間に大陸を駆け巡った。
あまりの偉業故に真偽を問う者もいたが巨龍の魔石を提出したエルフレッドの証言と冒険者ギルドが派遣した調査隊の言葉ーー。
「様々な検査の結果、巨龍に残された魔力痕や切傷共に新しい物は全て一致。一人で倒したものと思われる」
という証言により信じざるを得ない状況となった。
そもそもエルフレッドを疑う者は彼の事を知らぬ者ばかりだ。彼の事を過去より知っている者達ならば"あの男なら有り得る"と口を揃えて言うのだった。元は貧しい平民の子供だったが他と一線を画する実力を持って貴族に成り上がった男である。
実力に傲ることなく鍛練を続ける努力家であり、害獣を多数討伐していることから国王の信頼も厚く将来を約束された男ーー。
それがエルフレッドを知る者達の評価であった。
ともあれ、今回の一件は彼の住むアードヤード王国では一大センセーションを巻き起こし身分関係なく伝わる最もホットな話題として世間を席巻するのだった。
○●○●
時刻は午前四時ーー。
空はまだ暗く、外に出る者が居ないであろうこの時間にエルフレッドはいつも起床している。今年十六となる彼は早寝早起きを心情にしているーー訳ではなく先天性のショートスリーパーだった。凡才である彼が唯一自身の才能と考えている物である。必要な睡眠時間は僅か三時間、基本的な睡眠サイクルは午前一時から午前四時だ。
「......漸く万全になったか」
エルフレッドが”漸く”と言いたくなるのも無理はない。回復魔法では治らない疲労や魔力の回復は想像以上に時間を使った。その結果、ジュライとの戦闘から約一ヶ月もの間ベッドの上で過ごさなくてはならなくなったのだ。
「走りに行くか」
ベットから下りてスポーツウェアに着替えたエルフレッドは水分補給とバナナを摂取ーー軽くストレッチをすると自身の部屋を後にした。
エルフレッドの住むバーンシュルツ子爵領はアードヤード王国内では北東端に位置する準寒冷地帯に属する地域であり年中を通して平均気温は低い。冬は厳しい寒さに襲われるが雪は余り降らず積もることも少ない。小高い丘と平原、そして、森林が領地内の高い割合を占めている。
稲作と放牧が盛んであり、強い甘味とモチモチとした食感の米や寒さに強く上質の脂身を蓄えたトート牛等が特産品として挙げられる。元々は大部分を森に囲まれ小さな集落が点々とした地域であったが、準男爵領として下賜された後にエルフレッドの父〔エヴァンス=バーンシュルツ〕を中心に発展させた経緯がある。
そんな自領の寒空の下、彼は白い息を吐きながらジョギングに励む。季節の頃は春であるが日が出るまではそれなりの寒さがある。体を暖め解すのが目的なので走るのは二十分程度ーー無理の無いペースで微かに見える星を眺めたり思考を巡らせたりしながら走るのである。
それが彼の日課だ。
副次的な効果として大凡のコンディションが解るので重宝している。そして、それを加味して彼は一日のトレーニングを決めていた。
(今日は調子が良いな)
ジュライと戦う以前と同じペースで走っていたが風を感じる余裕さえあるのは調子が良い証拠だ。彼は走り終わったら型でもするかな、と口元を緩めるのだった。
朝のトレーニングを終えて体を温めのシャワーで流した彼は食堂へと向かった。時計を見れば時刻は既に八時を回った頃だった。
「おはようございます。エルフレッド様。朝食の準備は整っております。旦那様より先に食べておくようにと仰せつかっております」
「父上に俺が了承していた旨を伝えてくれ」
「畏まりました。では、そのように」
そして、一礼し音も無く扉を閉めた家令〔ルフレイン〕を見送ってエルフレッドは席に着いた。
ルフレインは元々伯爵家の執事を務めていた男であったが、伯爵家の当主が国家転覆を図った事で処刑され、半ばホームレスとなっていたところをバーンシュルツ家で雇い入れた男だ。世にも珍しい精霊魔法が使えることで職には困らなかったが奪爵された家の元執事と足元を見られ、正当な評価を得られずにいた彼を唯一家令として雇用した経緯がある。
結果として彼はその力を存分に発揮した。成り上がり貴族であったバーンシュルツ家に正しい貴族像を伝えることが出来る唯一無二の存在となっていた。
「お待たせ致しました、エルフレッド様。ワイバーン肉のソテーとコールスロー。そして、じゃが芋のヴィシソワーズでございます」
「ありがとう」
「私ごときに勿体無い言葉でございます。エルフレッド様、ライスとパンはどちらになさいますか?」
「そうだな。ライスにしよう」
「畏まりました。ライスでございますね。それでは私は後ろに控えておりますので何なりとお申し付け下さい」
ルフレインの言葉に頷いたエルフレッドはナイフとフォークを手に取った。
「エルフレッド食事は済みましたか?」
そう声を掛けられたのは食後のフルーツと紅茶を楽しんでいた時である。
「......ああ。今食べ終わったところだ母上。それで話とは?」
席に着いたエルフレッドの母〔レイナ=バーンシュルツ〕はお付きのメイドに紅茶を頼むとフィンガーボールで指を洗う。
「学園に行く前にもう一度話をしておきたいと思いましたの」
皿に盛られたフルーツに手を伸ばしながら彼女はそう言って微笑んだ。
当時、村一番美しい娘と称された彼女は貴族となって以来、より美しくなることに力を注いだ。それは外見だけではなく所作や礼儀作法、そして、普段の行動にも及ぶ。例えば、ダンスやピアノを嗜んで、ヨガや瞑想で内面を磨き、教会のボランティアにも積極的に参加するといった日常を送っている。
そうした努力が実を結び男爵夫人となった頃には上流階級のお茶会にも呼ばれるようになった。元来の愛らしくも整った顔立ちも相成って”バーンシュルツの美妃”と称される人物である。
「......約束の話ならば理解しているつもりだが?」
和かながら何処と無く物々しい雰囲気を醸し出す母を見て、エルフレッドは少々うんざりした様子で眉根を寄せる。
「ふふ、そうですか?では、ついこの間とんでもない状態で帰ってきたのは何方の何方だったかしら?」
ニコッとした幼ささえ感じさせる微笑みがこんなにも恐ろしく感じることは早々ないだろう。
「瞳の色も髪の色もそんな色じゃなかったはずですよねぇ?体中傷だらけ!少しズレたら失明したであろう右頬の裂傷!私、本当に生きた心地がしなかったわぁ〜。そして、極めつけは背中の傷!今思い出しただけでもクラクラしちゃう〜」
席を立ち上がりながら演劇でも始めたかのような大袈裟な身振り手振りでレイナが言う。普段であればこういう立ち振る舞いを咎めるであろうメイドや家令が何も言わないのは、今回に限って言えば彼等も同じ考えだからだろう。
「言い訳はしない。申し訳ないと思っている。と何度も伝えた筈だが?」
そうは言いながらも強く言えないのはその時の状況が余りにも酷かったからだ。特に回復魔法が間に合わずに深い傷跡が残る右頬は、当初歯茎が剥き出しの状態であった。更には不意打ちを受けた背中は背骨に傷を残す程のものだ。
ーー要は下手をすれば半身不随だったのだ。
となれば元から彼の夢に否定的なレイナが良い顔をする訳がない。この機会に別の道を歩ませたいと考えるのも致し方ないことであった。
「そうは言いますけどエルフレッド。私だって貴方の夢を応援したい気持ちはあります。でも、こうもなっては話は別です!何処の母親が愛する息子を死地に送りたいと思いますか!次は必ず生きて帰れるなんて保証は何処にもない。死んでしまってからでは遅いのです!貴方は何も解ってない!」
「まあ、そのくらいでよさないか。この機会を逃せばちゃんと話せるのは数ヶ月後になるのだぞ?」
二人が振り返るとそこには気難しげな表情を浮かべる大柄の男が立っていた。
「貴方......」
ガッチリとした体格にビシッとスーツを着こなした彼は家族の前であっても寸分の隙も見せない。普段から眉根が寄った見るからに神経質な男である父エヴァンスは、しかしながら情を感じさせる穏やかな声で言った。
「無論私とて思うところはあるさ。レイナがエルフレッドを心配して強く言いたくなる気持ちも解る。とはいえ、今の所は約束を破っている訳ではない。確りと話し合おうではないか」
元は村一番の木こりであったエヴァンスは貴族になってからは領地開発に力を入れた。勉学に励み、知識を蓄えて自ら領地を巡った。そして、豊か水源を見つけ特産品の開発や外交を行い領地を発展させた人物である。
特に大森林の開拓の際は自ら先頭に立って伐採・開墾を行ったこともあって領民の信頼も厚く、陞爵の際は国王陛下よりーー。
「貴族として最下位に属しながら最も貴族らしい立ち振舞いをする男」
と評された人物でもあった。
彼の自分の言動や立場に対して、正しく責任を持った行動を取れる部分に対してエルフレッドは憧れと尊敬の念を抱いていた。
「さて、エルフレッドよ。私達とお前との間にはニつの約束があったな。言ってみろ」
上座に座ってルフレインの持ってきたコーヒーに口をつけた彼は鋭く尖った印象を受ける視線をエルフレッドにくれた。
「どんな戦いにせよ死なずに帰って来ること。そして、バーンシュルツ家を継げるように勉強することだ」
「そうだ。無論お前に夢があることは解っている。そして、お前が権力や爵位に興味が無いこともな。しかし、何れはお前が授与し私が陞爵したこのバーンシュルツ子爵家を継がねばならない。それができない状態になる可能性があるならば私達はそれを止めなければならない。解るな?」
この世界では平民の未成年者が爵位を取得した場合、親権者に問題が無いと判断されると爵位は親権者の手に渡り、未成年者は後継者となる。その後、親権者は国から派遣された領主育成者の資格を持つ貴族の指導を受けて、貴族の基本や仕事を学んで問題が無いと判断された時点で自営を任される。
継承・隠居の時期云々はあれど最終的にはエルフレッドがこのバーンシュルツ家を継がなくてはならないのは明白だった。
「分かっている。如何に興味が無かろうと責任を放棄するのはバーンシュルツの名に反する。死なないように努め時が来れば責務を果たす。その約束を片時も忘れたことはない」
夢の為に生きることはあっても夢の為に死ぬことは考えたこともなかった。両親が隠居して、その時が来れば爵位を継ぐのは彼にとっても当然のことである。その意志を感じたの取ったのか、真剣な表情を浮かべていた両親も漸くその表情を緩めた。
「ならば良い。その日が来るまでは私達がこの家を守る。諦めずに済むよう、確りと励みなさい」
「私も基本的には応援しています。でも、体には気をつけてくださいね。もう無理だと感じた時は有無を言わさず止めさせて頂きます」
「わかった。気をつける」
どうにか和解出来たなと彼も漸くその表情を緩めたのだった。