第五章(中)エピローグ
その日、正装に着替えていたエルフレッドを待っていたのはアードヤードの王族とライジングサンの王族の人々であった。誰一人としてエルフレッドを責める者は居らず、口々に賞賛の言葉を送り、感謝の言葉と報酬を与えるとした。彼は自身の行動に多少疑問を覚えていたので認められたことで少しは報われた気分になっていた。しかしーー。
「そのぉ......エルフレッドぉ......アーニャのことなんだけどぉ......」
代表したかのように口を開いたルーミャの言葉に皆の空気が一気に重たいものに変わる。
「妾達は本当に感謝してるよぉ?エルフレッドの行動は間違いじゃなかったぁ。ううん、本当に素晴らしいものだったってぇ。でも、アーニャは......」
どこか言いづらそうにしている彼女に先んじてエルフレッドは微笑みを浮かべるとあくまでも王族に話す口調で皆に応えるように言った。
「心配されなくても解っております。きっと、彼女の願いは破滅的なものでした。しかし、それでも止めると決めたのは私でしたから......然るべき対応を取られることを覚悟した上でここに参っております」
「恩人である其方に娘が苦労かけることを心苦しく思う。妾が聞くに理性の面ではあの娘も解っているようじゃ......健全とは言い難いが何やら生きる目標は見つけたようじゃからな。あの娘とて感謝はしておる。だが、感情の面では怒りがあるのだろう。そこらの折り合いがあの娘にはまだつけられて居らん。妾はまだ会うのは先で良いのではないか、と諭したが......」
言い淀む所を見るに彼女の頭の良さは今、とても周りを困らせる形で使われているのかもしれない。しかし、それでもやはり彼女に生きて欲しいと願った自身は今の状況に満足している。例えそれが世の考えに合わない何かに縛られていたとしても、それが犯罪や自死でないのならば否定することはない。そして、自身に怒りをぶつけることで解消されるならば、それが彼女を生かした自身の罰だと受け入れるべきであると考えた。
「皆様、私の為に色々と心を砕いてくれたようで有難うございます。しかし、既に覚悟の上での登城で御座いますので......粛々と受け入れる覚悟で御座います」
多くの者がその言葉に敬意を賞した。友であるルーミャは流石エルフレッドだと尊敬の視線を向けて、光を失いかけたクリスタニアは彼の対応で心の安らぎとなっている漸く手に入れた義娘まで失わなくて済みそうだと胸を撫で下ろした。リュードベックはエルフレッドの心情を複雑に感じながらも感謝の意を表すのである。
礼と共に席をたったエルフレッドの様子を見ていた内でただ一人ーーシラユキはその姿を危うく感じていた。彼の対応は間違いなく立派であった。しかしながら立派故に本来のあるべき姿を失っているように思えたのだ。皆が気付かぬならば自身が与えるべきかも知れないが、残念ながら彼は自身とは何ら関係のない人物である。恩人と恩を受けた者ーーただ、それだけの関係では彼の危うさを助けて、大いなる愛で包み込むようなことは出来ようがなかった。
(仲間の一人でも、その心情に気付けば突飛な行動に出る事はないと思うが......)
シラユキに出来ることはただ一つ、彼らの仲間を信じるのみ。子を思う母親の気持ちとして彼の友人や想い人の誰か一人でも彼の苦悩に気づくことが出来れば、とただ祈るのみである。
○●○●
アーニャがいる部屋へと案内されたエルフレッドは悲痛な表情で涙ながらに部屋の前を去る侍女の姿に心痛めながら扉をノックしようと手を伸ばしたーー。
「レーベン様、今日は妾が三歳の時のお話をさせて頂こうと思いますミャ」
極力明るい声で目の覚めぬレーベンへと話し掛ける自身の世界に閉じこもったアーニャを途中で引き戻す事が躊躇われた。彼は細心の注意を払い音を立てぬように扉へと寄っ掛かると瞳を閉じて話が途切れるのを待つ。少女のような様相で話し掛ける彼女の声は可憐で華やかでーーしかし、どこかフワフワとした非現実的な世界を漂っているような危うさがあった。ふとした瞬間に狂気に変わり、突如死を選ばんとするこの感覚はフラッシュバックで引き戻される前のフェルミナのような様相である。
暫しの間語り掛けていた声が止まり意を決した彼が扉を叩けば想像以上に穏やかな声で「来たミャ、エルフレッド。開いてるミャ」と彼女の声がする。
「ああ。来たぞ。話があるそうだな。こちらは既に覚悟しているぞ?」
様々な罵声、怒りを想像していた彼にとってアーニャの対応は以外にも普段通りである。しかし、瞳の色に輝きはなく、心あらずといった様子ではあったがーー。
「先ずは礼を言うミャ。レーベン様の愛したアードヤードを焼野原にしなくて済んだのはエルフレッドのお陰ミャ。暴走した妾は冷静ではなかったとはいえ、其方にも大層酷い事をしてしまったミャ。申し訳ないミャ」
ペコリと頭を下げた彼女ーーしかし、エルフレッドは気付いていた。自身を見た瞬間に震え始めた身体。抑えようのない怒りがアーニャの中に浮かんでいたことにーー。冷静な理性の部分では解っている、ということもあって冷静な内に謝った。だから、明滅し始めた暴走寸前の彼女はエルフレッドへの怒りに満ちているのだろう。
「だけど、何故助けたのミャ‼︎毎日が苦しい‼︎辛い‼︎痛い‼︎妾は壊れそうミャ‼︎いや、人々は面と向かって言わないだけで壊れていると言っているミャア‼︎そして、妾は実際壊れてしまっているだろうミャ‼︎今の妾はおかしい‼︎おかしな事ばかりしている‼︎でも、でも......もうそれに縋るしか......生きれないのニャア......」
自身がおかしな事をしていて、それに希望を抱き、縋っていることに彼女の正常な部分が苦痛を訴えている。だから、辞められないが、辞められないだけ、よりおかしくなってしまう。そう告げる彼はただ責められるがままに「すまん」とだけ呟いた。そして、それ以上、返せる言葉が無かった。涙を振り撒き頭を抑えるアーニャは明滅を繰り返した後、どうにか冷静になった様子で元の自身を取り戻し「ごめんニャ、エルフレッド」と泣き笑った。
「こんな様子なのミャ。理性では解っていても、もう感情が其方を許そうとしないのミャ。妾はリュシカを笑えぬ程、熟女性らしい女性だったということミャ......だからーー」
彼女はレーベンの方を向いて彼の手を握ると申し訳なさそうな声色で呟くように言った。
「レーベン様が目を覚ますまで妾の前に姿を現さないで欲しいミャ。妾はきっと冷静ではいられないのニャア」
エルフレッドは何となくだがこうなることが解っていた。解っていながら実行に移したためにある程度の覚悟は出来ていたのだ。
「解った。それがアーニャの望みならば......」
それ以上の会話は無いだろうと扉を開けたエルフレッド。小さな声で「......妾が弱いせいで本当にごめんニャ......」と彼女の声が聞こえた。エルフレッドが扉を閉めると彼女はまたレーベンへと話しかけ始めた。しかし、その声は徐々に小さくなって言った。
「レーベン様......傷はもう治ったのですミャ......妾が答えられず焦らしてしまったから意地悪してるのミャ?......だったら......そんな意地悪せずに起きて怒ってくださいミャ......今ならば幾らでも貴方の気持ちに答えられるミャ......お願い......お願いだから......目を覚ましてくださいミャ......レーベン様......レーベン様ーー」
エルフレッドは前を向いた。視界がぼやけて何度となく涙が溢れた。それでも前を向いて進み続ける他なかった。
明くる日、アーニャが登校してきた。友人達が取り囲む中、話の輪の中にいたエルフレッドは微笑んだ後に席を後にした。
「ありがとうミャ......エルフレッド」
そんな彼女の声に後ろ手に手を振って答えて彼は一人、見えない所に行くのである。その姿を心配そうに見つめながらもリュシカは目の前で壊れかけている親友を優先した。友人達もそうだった。それはこの光景を見ていた全てのものがそうするべきだと考えた事だった。だが、普段のリュシカならば気付き、彼の方に駆けて行ったであろうサインを彼女は見逃した。
疲れたように笑うエルフレッド。いつしか小さな皹は少しだけ大きくなっていた。




