24
「......申し訳ありません。思い上がっておりましたミャア」
神の伴侶に選ばれし者として神の考えを聞き、何方が間違えなのかを理解したコガラシ。彼が深々と頭を下げれば「許そう。時に人は間違える存在じゃ。導く者として理解に努めようとする者は許す甲斐性を持つ必要があるからのぅ。それにーー」と彼女は少し表情を緩めた。
「どうやら無能な護衛の罪は妾が思っていたよりは軽いようじゃ」
アーニャと相対する為に現れたユーネリウスの名を持つ英雄の姿を見て彼女は告げる。神の息子の名を冠した彼が現れたということは、これ以上の罰はやり過ぎだと少なくともユーネ=マリアは判断したようだ。
「この戦いが終わったら妾は城下街を復興し、アーニャの尻拭いをする。それが妾が神としての役割じゃ。結末には関与せん。そして、それ以上の事を妾がする必要はない。解ったな?」
「御意。確かに理解致しました」
神の存在が近いライジングサンにおいて神としての言葉に意を唱えることが許されるのはやはり、神に属する者達のみーー。シラユキが普段行使しないために忘れていた事実を改めて思い知らされたコガラシであった。
その大剣は迷いなくアーニャへと向けられている。襲い来るアーニャの白の爪撃を跳ね上げて風の刃と共に切り裂かんとする。しかし、その大剣はブォンと妙な音を立てて残像を作る彼女にいとも簡単に避けられてしまうのだ。エルフレッドの袈裟斬りは本気の一撃である。全身全霊の一切無い妥協の一撃だ。
それは覚悟故ーーではない。単純に手加減をする余裕がない程にアーニャは強い。否、強すぎる。彼女の瞳がギロリと動く度に何らかの計算が行われ、最も効率的な動きでエルフレッドの攻撃をいなしていく。そして、反撃とて、やはり彼女にしか解らない計算によって彼を効率的に追い詰めていくのである。
今も全身全霊の袈裟斬りは空を切り、反対に脇腹に小さな爪痕を貰ったエルフレッドは一旦距離を取って大剣を構え直した。
「何故、妾を止めるミャ?エルフレッド。何方にしろ王族を守れなかった護衛は死罪ミャ。それにお前は妾の親友の婚約者であり、妾にとっても恩人ミャーー妾に手を出させるミャ」
再度距離を詰めた彼の大剣が上段から振り下ろされるのを、やはり不可思議な現象で避けて隙に彼女は足刀を叩き込む。蹴り足を腹に受けて吹っ飛ばされたエルフレッドは空中で体を捻り、風の障壁で勢いを殺し着地ーー肋骨が折れた感触に回復魔法を唱えた。
「それとも何ミャ?あの奇跡の魔法でレーベン様を回復してくれるのミャ?印を描こうが発動の気配もないあの魔法でーー」
先の狂乱を見れば幾分か冷静になったように見えるアーニャだが、その実は何も変わっていない。感情の表現の仕方が変わっただけだ。爆発的な怒りの破滅から諦念からの破滅ーー結局は破壊し破滅することには変わりない。隙を極力無くしながら大剣を構え直したエルフレッドはただ一言「全力を尽くす」とだけ答えた。
「ハッ、全力を尽くすミャ?お前が全力を尽くした結果がこれミャ、エルフレッド。妾は最大の幸福から最大の絶望に叩き落とされ、最大の後悔を得たミャ。この国は半ば未来の王を失い、保身に生きる貴族と職務を果たせぬ無能だけが生き残る。それにミャア、エルフレッド。お前も気付いているのではないかミャ?あの魔法はもう発動しないとニャア」
「......」
エルフレッドは何も答えることが出来なかった。ただ、可能性は感じていた。印を宙空に描くことは確かに出来ているにも関わらず魔法が発動しない。発動条件があるのかとも考えたが、それにしては条件が不明過ぎる。
「”あの魔法は一回切りの魔法だった”、”回復魔法ではなく死の運命を変える魔法だった”、”神のようにそもそもが助けられない対象にしか掛けられない魔法だった”。どうミャ?妾は可能性が高いものをお前以上に理解しているミャ。そして、どれもがレーベン様に当て嵌まらないのミャ。お母様が手を打って元通りにしたにも関わらず目を覚まさない......詰まる所、”原因不明の植物人間状態”ミャ......どうしようもないと思わないかミャ?」
「......アーニャ」
彼女は頭が良過ぎる故に多くの人々にとって奇跡のような出来事さえも理解出来る。故に今の状況がどれだけ救いようが無いかも解ってしまう。他の人ならば奇跡に掛けようと延命を希望するようなことも彼女には無駄な行為だと解ってしまう。だから、絶望し未来が描けないのである。
「もういいミャ。全て終わりにしようミャ。そこに居る無能な者達を殺し尽くした後に妾も自ら命を断つミャ。もう人としての人生は終わりにするのミャ。お前が止めないならば妾もお前には何もしないミャ。だから、そこで黙って見ているミャ。時間にすれば数分も掛からぬ出来事ミャ。死罪が確定している者達が死に羞恥の感情故に愛していると伝えてくださったレーベン様に自身の気持ちを伝える機会を永劫失った愚かな妾も死ぬ。それで全て終わりミャ。街の復興はお母様が文字通り手を打ってくれるミャ」
へラリと諦めの感情に疲れ果て見えない未来に絶望し脱力した笑みを見せながら彼女は言った。濁りきった白濁の髪、黒ずみ光を失った赤の瞳ーー彼女は本気だった。誇張でも冗談でもない。エルフレッドが頷けば次の瞬間には大量虐殺が始まり、終わり次第自ら命を断つことだろう。
「......すまん。絶望は解るが被害が出ると解っていて止めないことは出来ない」
「......友がそれを願ってもミャ?アルドゼイレンとて、そなたは願い通り殺す気でいるのにミャ?」
「そうだ。それに俺はあの巨龍の言葉に納得したわけではない。戦いの中で説明すると聞いたから頷いただけだ。ただ、死を望むと聞いて止めない訳ではない」
アーニャはへラリとした表情で首を傾げていたが、首を戻すや否や一切の表情を無くして彼に告げる。
「これが最後のチャンスミャ、エルフレッド。今ならお前には手を出さないミャ。だが、それでも止めるというのならばーー妾はお前を殺してでも口にしたことを実行するニャア。それでもお前は止めるというミャ?」
「......ああ。それが俺の役割で友として出来る最大限の助力だからな」
「ならば、交渉は決裂ミャ。自身の決断を死んで後悔するといいニャア......アードヤードの英雄殿」
瞬間、アーニャの右手に白の焔が宿った。ユラユラと揺れる幻想的なその焔が今は何処か禍々しく妖しい色を映している。全てを壊さんと考える彼女の意思を尊重するように破壊的で破滅的な熱量を帯びた。エルフレッドの額に汗が浮かぶ。底知れぬ緊張感と確かに感じる業火の熱が彼の体をジリジリと焼き、燃やし尽くさんと機会を伺っている。
大剣を構えた彼はかつて願った戦いの舞台に何を思うのだろうか?奇しくも人類最強の可能性が高いシラユキ、アーニャの内、こうしてアーニャと相対する機会を得たことをーー。
いや、それは愚問か。
彼は望んでいなかっただろう。実力上、手加減の出来ない殺し合いの様相となることは明白であり、本来ならば絶望に苦しみ悲しみに暮れる友を励まし、支えなくてはならない状況での有り様である。誰がそのような戦いを望むというのかーー。
双方が相手の隙を探しながら攻撃の瞬間を待っていると彼女の体が焔のようにゆらりと揺らいだ。
瞬間、全身を突き刺すような殺気がエルフレッドを襲った。




