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挨拶を終えた二人は顔を見合わせて微笑むと婚約品の交換に入った。珍しく女性側からの贈呈となった今回の式ではアーニャはレーベンに最高級の万年筆を手渡した。彼の手にあった特注品であり、その値段は計り知れない。仕事をする男性に対して好まれる品であり、レーベンは心から喜びを露わにして感謝の気持ちを述べた。
「本当にありがとう。僕は王太子として万年筆を使うことが多いから、これを見る度に頑張ろうって気持ちに慣れると思う」
アーニャは微笑んで「元々頑張ってらっしゃる方ですから少し迷いましたが喜んで頂けて良かったですミャ」と安堵したようにホッと胸を撫で下すのだった。
「さて、次は僕の番だね。さっきの質問の答えもしなくちゃならないしね?」
と微笑みながらも緊張した様子を見せるのである。そんな様子を見せられるとアーニャも少し緊張して頬が桜色に染まってしまう。用意されていたのは婚約指輪と何らかの細い箱だ。二つも?と首を傾げるアーニャにレーベンは先ず婚約指輪の箱を開いた。
「レーベン様......これってーー」
驚きを隠せずに口元を両手で抑えたアーニャにレーベンは赤くなった自身の口元を一撫でした後にーー。
「君にはどんな宝石でも、きっと足りないだろうと思ったから考えうる限りで最も良く、そして、意味があるものにさせて貰ったよ?少しは満足して頂けそうかな?」
彼が取り出した婚約指輪に着けられていたの鮮やかも鮮やかな赤の宝石ーールビーの中でも最高級のピジョンブラッドであった。アーニャは無論、ピジョンブラッドが出てきたこと自体にも驚きが隠せなかったが、その宝石に込められた意味を思えば、それ以上に驚きを隠せないのである。
「着けてもいいかい?」
驚きが隠せないまま頷いたアーニャ。ピーンと張った尻尾と耳もそのままに彼へと右手を差し出した。指に嵌ったそれを見つめ、グーパーと確かにそれが現実であることを確かめた彼女は呆然とした表情のままーー。
「いつからでしょうミャ?」
「改めて言うのは恥ずかしいけど......気になり始めたのは神化をした君と練習をしていた時からだったと思う。白き女神に魅了された愚かな人間ってところかな?勿論、普段の君も美しい」
そして、彼は細長い箱の蓋を開けて中身を取り出した。それはダイヤのネックレスだ。永遠を意味するダイヤのネックレス。そして、ルビーの婚約指輪に込められた意味はきっとーー。
「それからの学園生活ーー。そして、婚約式に向かうまでにアーニャと共に過ごした時間は僕にとって掛け替えのないものだった。初めは政略結婚でもいいって思ってたけど、気づいたらそれじゃあ満足出来なくなっていたよ。着けても?」
頷いたアーニャにダイヤのネックレスを着ける時、レーベンは態と抱き締めるような形をとった。彼の気持ちに気づいてからというものの胸の高鳴りが治らない彼女はその態勢がとても恥ずかしく思えた。元々あまり耐性がない事は自覚している。多産という種族柄、貞淑に務める古来の考え方に戻ったライジングサンの女性は元々そういう面を持ち合わせているが、その中でもアーニャは特に耐性がなかった。
だけども彼との近い距離は嫌じゃなかった。寧ろ、嬉しいとさえ感じている。今日という一日だけでアーニャの気持ちはどんどん加速していく。そしてーー。
「アーニャ。僕は君を愛している」
そのまま落とされた頬への優しい口付けは彼女の感情を最上級に高ぶらせた。やはり、そうだった。勝利を意味することに使われやすいルビーだが今回はきっとそういう意味だろうと思っていた。ルビーの言葉の中で愛を表す言葉は”純愛”だ。
ダイヤのネックレスと合わせて”永遠の純愛”を捧げると彼は言っているのである。アーニャは様々な感情が高ぶり普段は誰よりも回転する頭が全く動かない状態になってしまった。この言葉に答えなくてはならない状態なのに茹だった頭では何を言えばいいのか、何の答えも出てこないのである。
レーベンは離れた後も優しい笑顔を浮かべて何も言わずにいる。答えを待ってくれている。きっと彼はライジングサンの文化を勉強して、こういうことが苦手な可能性が高いことを理解しているから、こうして自身の事を急かさず待ってくれているのである。
あまりにも優しく、あまりにも愛おしい。
心の中で答えは出ていた。後はそれを口にするだけだった。それをするだけで二人にとって幸せな時が訪れたハズだったーー。
プシュ、プシュ、プシューー。
それはあまりにも気が抜けた音だった。突然、彼女の側面へと飛び出した彼は一瞬険しい顔をしたがフラリ、フラリと元の位置へと戻った後に彼女を心配させまいと優しく微笑んでーー。
彼女の横を通り過ぎるように倒れ伏した。
歓声が悲鳴へと変わる。彼女は自身の頬に飛び散った何かを触り、ピジョンブラッドよりも濃い濃厚な赤を見た。
「......レーベン......様?」
彼を中心に血溜まりが大きくなっていく。その量は尋常じゃないドクドクと波打つ心臓の音に合わせてそのまま溢れているように思えた。
「アーニャ......君が無事で良かった......これは......貴族を纏められなかった......僕等の......責.....にーー」
ガハッと咳き込んだ彼が吐き出した血がアーニャの足を赤く染める。気が動転する中、理力による回復を試みるが血の量が変わらない。
「レーベン様‼︎レーベン様‼︎」
彼の視線が宙空を彷徨っている。手を伸ばした彼の手を掴めば、そこに居るんだね?と口が動いた。
「見事。人の王太子よ。よくぞ、妾の娘を守った。妾もソナタやソナタの家族を守る為に全力を尽くすとしよう」
いつの間にか表情の伺えないシラユキが立っていた。彼女が手を打つとレーベンの傷は確かに塞がった。しかし、レーベンの瞳はおかしなままだ。
「お母様......レーベン様が......レーベン様が......」
満月色と白が明滅を繰り返す、アーニャの瞳が赤と満月色を繰り返し瞬いている。そんな娘に顔を上げたシラユキの表情はとても悲しげなものだった。
「アーニャ。よく聞くのじゃ。妾はこの者を助ける為に全力を尽くす。今から各国の要人を含めて王城に連れて行き、城ごと守ると誓う。だがなーー」
次に言葉を聞いた瞬間、アーニャの中で何かが切れて終わってしまった。
「目を覚ます可能性は限りなく少ない。期待はせぬことじゃ」
それだけを告げてシラユキはレーベンと共に姿を消した。残されたアーニャは震える手で血溜まりに触れて、その手を見た。あまりに量が多い。人は血を流し過ぎると傷が回復しても失血死してしまう。その量は如何程だったか?目の前のそれは自身の掌の何個分か?頭の良過ぎるアーニャはその全てを理解してーー。
「人間が......愚かな人間が......妾の婚約者に何をしたのニャアアアア‼︎」
その白はあからさまに濁っていた。頭を抑え、力の限り咆哮を挙げる口からは牙が覗く。逃げ惑う人々には興味を示さず、アーニャの瞳はとある一点に向いた。角度、時間、成人男性の平均的な足の速度、魔法の有無、転移の可能性ーーその全てを一瞬で計算し尽くしたアーニャの手から白色の焔が打ち出される。燃え盛り、全てを焼き尽くすそれが暗殺者の居た建物をごと消し炭にした。更に計算は進む、三発の銃弾は飛来した角度が違う。よって暗殺者は少なくとも三人居る。
ギロリ、ギロリと動いたアーニャの瞳が答えを導き出し、白の焔を撒き散らす。逃げ惑う人々の中に紛れようとした暗殺者が寸分違わず撃ち抜かれて火達磨になり、地獄の苦しみを味わいながらのたうち焼け焦げた。
「無能な人間共が‼︎要人の一人も守れぬのミャアア‼︎貴様らに生きる価値があるのミャアアア‼︎」




