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その日、聖国グランラシアの神託の間は緊迫した空気に包まれていた。カシュミーヌとクラリスは普段の様子とは全く違う女神の様子に何が告げられるのか、と身構えながら、その時を待つのであった。
”突然、呼び出してごめんね?だけど、とんでもない事態が発生したんだ”
口調こそいつも通りだが、そこに普段の陽気な雰囲気は一切無い。飄々とした態度が寧ろ、全知全能の神であるからこその余裕だと感じる程の彼女が、そんな余裕を一切見せない事態というのは何よりも深刻である様を映し出していた。
「とんでもない事態でしょうか?それは一体ーー」
そして、それを聞いているカシュミーヌにも何時ものような緩やかな気配は存在しない。ここまで厳かな雰囲気を持っているのならば普段からそうして欲しいと僅かばかりに考えが逸れるクラリスを他所にユーネ=マリアは真剣な声色のままーー。
”今から別件でエルフレッドが来る。彼に伝えて欲しいの。常闇の巨龍......私達はすっかり騙されていたわ。あれはとんでもない存在。そして、危険な存在だわ”
常闇の巨龍といえば、丁度エルフレッドが次の巨龍討伐と定めた相手と聞く。そんな巨龍が危険な存在であるという事を伝えて欲しい。それだけでこれ程までに緊迫した空気になるものなのだろうか?そもそもが巨龍とは危険な存在である。彼もそれについては重々承知のハズであるがーー。
”あれは輪廻を破壊する。黒紫の蛇。でも、違う。あれは時に神さえも謀り、地に引きずり降ろそうとする存在なの”
神さえも地に引きずり降ろそうとするーーその言葉を聞けば、それだけの危険な存在なのかを想像するのも容易いというものだ。息を飲む二人を前にユーネ=マリアは伝えるべき神託を告げる。
”常闇の巨龍ウロボロスーーあれは最古の蛇。神を最も愛し憎む存在なのよ”
○●○●
アルドゼイレンが宝物庫と呼んだそれは魔法陣の中に存在していた。現在の魔法が中空に描かれる印で形成されるのに対して、地に直接書いて起動する魔法陣は現在も使われる物ではあるが最盛期に比べれば使われなくなってきているのが現状である。エレベーターや倉庫、据置の家電のような生活品に多用され暮らしを彩るものではあるが、以前は魔法使いの戦闘といえば魔法陣だったという状況を考えれば、今の印と完全に住み分けがなされた過去の技術と言わざるを得ないだろう。
「持ち運びに便利な空間解放などもあるが我の場合は中々量が莫大であるが故に使わない物はこうして魔法陣の中にでも収納しとかないと普段使いの物と混ざって整理が困難になるのだ‼︎故にこの魔法陣の中を宝物庫としているのだ‼︎」
若気の至りが何年続いたかは知らないが永い時の中でアルドゼイレンが集めた宝の数々はとてもではないが数えられる量でも無いのだろう。その中から一つの髪飾りなど早々見つからないような気もするが、それの品はアルドゼイレンの中でも多少、思い入れがある品のようで他の物とは違い解りやすく展示しているという。
「そんな大切な物、本当に貰っていいの?」
どんな思い入れがあるかは解らないが態々別の物と分けるくらいには思うところがある品なのだ。イムジャンヌが少し及び腰になるのも致し方無い。対して、アルドゼイレンは「問題ないに決まっているだろう‼︎」と豪快に笑った。
「髪飾りとは元々、女性を彩る為の物だ‼︎我が持っていても仕方がない‼︎それに思い入れと言っても、数多の戦利品の中で特に強敵だった相手から勝ち取った品であるというだけでエピソードがある訳でもない‼︎ならば、似合う乙女が現れた今、贈り物としてつけて貰った方が良いに決まっている‼︎」
そう言って、アルドゼイレンは何やらな古代言語を口にして宝物庫の魔法陣を発動させた。全く聞き覚えのない言葉だったので失われた言語なのかもしれない。セキュリティー面も完璧ということだろう。
「......目が眩しい」
開いて早々、イムジャンヌが感じたのは正にそれだった。明かりが様々な光物に反射して、とても目が開けられる状態ではない。そして、思い入れがないのか乱雑に転がっている宝ですら、物によっては小さな国が簡単に買えてしまうような価値がある物ばかりなのである。
イムジャンヌは凄いと思うと同時に何だか溜息を吐かざるを得ない気持ちになった。アルドゼイレンは似合う髪飾りを思い出したといったが、ここに転がっている巨龍にとって思い入れのない髪飾りですら自身に合うとは思えない。着こなし、着飾りというのは、その商品に対して自身が釣り合っているから成立するのであり、この様な素晴らしい宝の数々が自身に釣り合う訳がないのである。
早々に気持ちが曇って来た彼女を他所に「さてさて、アレは特に奥の方に閉まっているから、そこで待っているが良い‼︎ああ、欲しい物があれば言ってくれ‼︎好きに持って帰って貰って構わない‼︎」と宝に目が眩んだ者ならば、アレもこれもと言いそうな言葉を告げてノシノシと奥に消えていった。
「ありがとう」
彼女はそう答えはしたが全く持って帰る気にならなかった。家族の事や将来の事、様々な事を考えれば嫌でも一つくらい持っていった方が良いだろう。何だったら密入国の迷惑料とでも思えば良いのかもしれない。だが、すっかり意気消沈している彼女には誇り高き巨龍の宝に自分が手をつけるなど烏滸がましいにも程があるとすら考えてしまっている節があった。
(何だか卑屈な気持ちになってくる。お家に帰りたい)
自分が周りの娘や姉のように綺麗だったのならばこんな気持ちにはならなかったのだろうか?
もう少し自分に自身があったならば、もっと嬉しい気持ちになったのだろうか?
アルドゼイレンがしてくれていること自体は嬉しいのだが、如何せん自身の身の丈に合わない気がして待つ時間が伸びる程に気持ちが沈んでいくのだった。恋とは楽しく、時に辛い。そして、感情の起伏が激しくなり不安定になる。自身がまさか、ここまで恋に揺り動かされるタイプだったとは、と彼女は地震の新たな一面に驚かざるを得なかった。
「これだこれだ‼︎待たせたな‼︎今、そっちに向かうぞ‼︎」
そんな巨龍の声が聞こえて彼女は首をブンブン横に振り暗い気持ちを振り払う。折角、喜ばそうと考えてくれているのに自分がそんな暗い気持ちでアルドゼイレンを迎えるわけにはいかないのである。どうにか微笑んで「ありがとう。欲しい物は特に無かった。待ってるね」と答えれば「ふむふむ、イムジャンヌは中々無欲よな‼︎」と楽しげな声と共にノシノシと歩く巨龍の姿が見えた。
その手には一見するとシンプルな銀色の髪飾りが握られている。近づくに連れて全貌が見えてきたそれは、やはり華美な物ではない物の非常に繊細な細工が施されているのが解った。そして、差し出されたそれは仄かに桜色の輝きを帯びている。見たことが無い輝きに少し首を傾げた。
「これは剣聖イヴァンヌの孫娘で破壊の剣魔と呼ばれたイムナレスが着けていたミスリルプラチナの髪飾りだ。シンプルながらに品があり、そして、大地を踏み壊すような剣撃の荒々しさにも耐えうる実用性を備えた品でな。イムナレスはいつも、この髪飾りを着けていたのだ。まあ、我に負けた時に口惜しそうに渡してきたが血族に渡されるならば文句は言うまい」
イムジャンヌは何だか懐かしい気持ちに陥った。同じ剣聖の血筋ではあるがイムナレスとイムジャンヌに直接的な遺伝関係は存在しない。だが、そのミスリルプラチナの髪飾りは自身の中の何かの感情を優しく撫でてくれるのである。
「さて、着けるのはこの位置が良さそうだな‼︎」
その大きな前足からは想像出来ないような手先の器用さで彼女の髪を右肩に下ろして結い、巨龍は彼女の右耳の上辺りから髪飾りを差し込む。
「ハハハ‼︎やはりピッタリではないか‼︎そこに落ちている鏡で見てみると良い‼︎」




