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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
第ニ章 氷海の巨龍 編
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3

 それから長々と勉強を見ていたエルフレッドだったが流石に良い時間になったために勉強を切り上げる。


「フェルミナ様、今日はここまでです。お疲れ様でした。よく理解出来ておりますよ」


 エルフレッドがそう言って笑い掛けると「うーん」と背伸びをしたフェルミナはニコッと笑って頭を擦り付けてきた。撫でろってことか?とエルフレッドが頭を優しく撫でるとフェルミナは気持ち良さそうに目を細める。結果的に言えばエルフレッドはすごく懐かれた。


 元来、努力を突き詰めて結果を出しているエルフレッドはその経験から勉強を教えているので教えるのが非常に上手かった。更に言えば獣人の力をセーブせずに暴れることが出来たことも良かったのだろう。それがストレス発散になったようだ。


「エルフレッド!!次はいつ来るのら?」


 瞳を輝かせてそう言う彼女にエルフレッドは微笑む。しかし、それと同時にユエルミーニエに確認しないといけないことが出来たと少し目を細めた。


「ユエルミーニエ様と話し合ってから決定になりますが、ニ日〜三日中には来るようにしますよ」


「ニ日〜三日中かぁ......約束なのら‼︎」


 フェルミナはそう言って小指を向けてくる。エルフレッドはその小指に小指を絡める「約束です」と再度微笑み。疑惑を強めるのだった。




「エルフレッド君!お疲れ様ですの!フェルミナもすっかり懐いて本当に助かりましたわ!これは報酬の代わりですの!」


「これは......」


 それを見てエルフレッドは目を丸くした。食材用の花と低温調理で仕上げられた野菜のサラダや笹身肉や赤身をふんだんに使った肉料理。そのどれもが肉体改造に効果的な料理であったからだ。


「いえね、普通に給金も考えたのだけど......エルフレッド君はニ体も巨龍を倒した上に学園は特待生でしょう?お金は正直有り余ってるでしょうし、普段とても食事に気を使っていると聞いてますから我が邸を訪れた時に遅くなって外食等になっては申し訳無いと思ったのですのよ?」


 その心遣いにエルフレッドは思わず笑みを零した。確かに遅くなれば外食なども考えていたところだった。そうなってくると何度も通うのは正直難しい。いずれは相談することにはなっていただろう。


「ユエルミーニエ様、本当にありがとうございます。私の状況を鑑みた報酬。誠に感謝しています」


 彼女は微笑んだ後に紅茶に口をつけると「お気になさらないで」と呟いて口元をハンカチーフで押さえた。


「第一にこれは正当な対価ですのよ。家庭教師を頼んだのはホーデンハイド公爵家なのですから相応の対応をしなくてはなりません。第二に食事の邪魔にならない程度にですがフェルミナの様子を教えて欲しいのです。勉学もそうですが何か気になることがあれば親として対応したいと思っておりますの」


 その言葉を聞いてエルフレッドはやはり何かあるのだろうと考えた。不思議に思ったのは他でもないフェルミナの部屋に学校に関するものが”何も”置いてなかったのだ。勝手に名家の御令嬢であるから中等部に通っているものだろうと考えていたのだが話を聞いていても出てくるのは初等部の低学年の時の話ばかりである。


 あまり突っついては蛇が出そうだったのでエルフレッドはユエルミーニエに話を聞くまでは、と聞くのを止めていたのである。


「そういうことでしたら是非協力させて頂きます。本日教えた感覚ですが勉学につきましては驚く程覚えが良いので問題ありませんでした。しかし、少し気になった点がございましてーー」


 エルフレッドは席を引く執事に感謝しながら席についた。前菜に手をつけて水で喉を潤し、次の皿がくるまでの繋ぎに尋ねる。


「あまり話し辛いことであれば答えずとも問題御座いません。私が気になった点というのは一部滑舌が良くないこと精神の成長にかなりの遅れが出ている点です。先程も言いましたが勉学については太鼓判を押せる程に優秀です。しかし、当人の心は初等部の辺りで止まってしまっています。もしくは記憶もーー。それが、アードヤード王立学園の入学の妨げになりかねない状況です。もし原因が解っているのであれば教えて頂きたいのです」


 エルレッドは少し乾いてきた喉を水で潤した後に「勿論、臨時の家庭教師です。踏み込んではいけないのならば聞きません。ただ、今後もこの仕事させて頂くならば有耶無耶では出来ない問題だと思います」と付け加える。


 彼が真剣な表情でフェルミナのことを考えて言ってることが見て取れたユエルミーニエは少々悲しげな表情を浮かべながら口を開いた。


「言いづらいことではありますの。でも、そうなった原因を考えれば何れは解決しないといけないこと。そして、家庭教師を続けてもらう上で細心の注意を払ってもらわなくてはならないのも事実。これを聞いて無理そうだったら断って頂いて構いませんわ。エルフレッド君には先程フェルミナと侍女との折り合いが悪かった話をしたでしょう?」


「ええ、間違いなく伺っております」


「その時の私はまだレイナちゃんーー、貴方のお母様に出会う前でベットから起き上がれない日々が続いておりましたの。そんな日々の中でフェルミナはまだ初等部に入ったばかりであったのに人より聡明だったのでしょう。我慢をし続ける日々を選んでおりましたの。自分が迷惑を掛ければどうなるか解っていたのでしょう。辛いことがあっても何も言わず耐えて耐えて耐えてー、その日々があの娘にとってどれだけ辛い日々だったか想像に難くありませんわ」


 甘えたい盛りの少女が自分を推し殺し耐え続けた。しかし、それでも報われない日々が続くと彼女は次第に耐えかねる様になっていった。


「侍女と折り合いが悪くなったのはその頃でした。今まで何も言わず耐え続けていた彼女が暴君のように物を壊し、暴力を振るい悪戯をする様になった。それが侍女にも家族にも理解出来なかった。私のストレスにもなって身体が更に動かなくなって、どうすれば良いのか解らなくなっていって......。困り果てた時に出会ったのが貴女のお母様でしてよ?その頃は旦那も私を助ける為に必死で家を殆ど開けていた。まだ子供だったルーナシャは妹が恐くて近付かなかった。でもね、それは違ったの。あの時、冷静な家族が一人でも居たなら娘は今の様にはならなかった。あれは彼女のSOSに過ぎなかった。私達の知らないところで彼女の我慢は続いていたのですの」


 きっと母はそれを知らなかったのだろう。体調改善やフェルミナと侍女の折り合いをつけるまでは出来たが、根本的な部分は解決出来ていなかった。いや、もしくは解決する前に事が起きてしまったのかも知れない。


 突如走った痛みと怒りにエルフレッドは熱くなった目頭を抑えながら、なるべく冷静に努めて言った。


「......虐めですか?」


「そう。それは担任も加担していたとんでもないものでしたの。初めは見た目の違いをからかわれる程度のものだったそうですか後期になると首輪をつけられ、ペットの様に扱われーー」


 涙が溢れて声にならないと震えるユエルミーニエの表情を見ているだけでエルフレッドの心は声にならない怒りが湧き上がり打ち震える。


「......ごめんなさいねぇ。今でも思い出すとベットの上から起き上がれなかったーー、フェルミナの心に気付いてやれなかった自分が情けなくてねぇ。虐めた者達に報いを与えて自ら命を絶ちたくなるほどに感情が昂ぶってしまいますのよ。この感情は一生消えないでしょうね。エルフレッド君。人はそんな経験をするとどうなると思いますか?身体も心も成長を辞めてしまうの。何故だと思う?理解出来る事が増えたほうが辛いから自己防衛の為に成長を放棄して退化しようとしてしまうの。それが今のフェルミナですの」


「そのような辛い話を申し訳ありません。ストレスが原因であることはなんとなく想像出来ていましたが、そこまで凄惨なものだとは......人の所業とは思えません......許せるものではない」


「いいえ、気にしないで欲しいのですわ。エルフレッド君、貴方も貴方のお母様も本当に優しい心が澄んだ人達ですもの。あんなことがあったフェルミナが直ぐに心を許して笑って、ちょっとだけど成長し始めた。きっと、そんな拠り所が必要だったのねぇ。実を言えば今日会うまで貴方のことを警戒していましたのよ?ただ、レイナちゃんの言うことを聞いていると貴方なら信用できると思ったの。そして、それは正解でしたわ」


 そう言った後に「ごめんなさいねぇ。ですから厳しいと思うのならばこの話は無かったことに致しますわ」と頭を下げる彼女にエルフレッドは頭を振った。


「気にしないで下さい。そのような経験があれば誰でもそう感じると思います。それにここまで聞いてしまったのですから、少しでも協力出来るように尽力致します」


 それを聞いてユエルミーニエは声にならないと何度も強く頷いた後にか細い声で言った。


「フェルミナをよろしくお願い致しますわ」



















 食事を終えた後、エントランスの辺りで次の訪問の予定を話し合っていたエルフレッドとユエルミーニエは階段の上から響いた元気な声に振り返った。


「エルフレッド‼︎今帰りなのら?」


 トタトタと階段を駆け下りてくる小柄な少女に膝をつき目線を合わせ穏やかな笑みを返すが、エルフレッドは溢れ出る感情を押さえることが出来そうも無かった。


「ええ、フェルミナ様。今から帰るところですよ」


 辛い経験をし過ぎて成長を止めてしまったフェルミナのことを思うと、少し呆けて朗らかに笑う彼女が今どのような心でここに立っているのか、少しは安らかな気持ちになれているのかと強い痛みが胸を締め付ける。


「エルフレッド?何処か痛いのら?どうしてポロポロ泣いてるのら?」


 心配そうな表情を浮かべながら近づいてくるフェルミナにその涙を隠すことは出来なかった。


「申し訳ありません。フェルミナ様、こ、心が、心が痛くなってしまって......」


 無論自分に出来た事などないのだ。早く出会おうがどうしようがフェルミナがこうならなかった未来はない。しかし、どうして少しでもこうなることを防ぐ事が出来なかったのか、どうしようもないものにどうしようもない怒りを覚えて悲しみにくれてしまう。


「......エルフレッド君」


 ユエルミーニエが口元を押さえ込み上げる想いに感極まっている。


「エルフレッド、らい丈夫のら。フェルミナがここにいるのら」


 フワリと優しく頭を抱きしめられたエルフレッドは彼女のことを優しく抱きしめ返すと、暫し声を推し殺して涙を流すのだった。


















「......困りましたの」


 ユエルミーニエはフェルミナを抱きしめながら呟いた。そして、エルフレッドの言葉を思い出すのである。




「最後にみっともないところを見せて申し訳ありません」




 そう告げて彼は帰っていったが、みっともないなんてとんでもない。あんなに人を想って泣ける人間なんて早々いるものではなかった。そして、フェルミナの不自然さに気づき即座に対応する頭の良さと行動力は驚嘆に値する。


「お母様」


「どうしましたの、フェルミナ?」


「エルフレッドの心が痛いのはらい丈夫のら?」


 人の事を思いやれなくなって久しいフェルミナを一日でここまで成長させてしまうなんて、人の心配を出来るくらいに戻してしまうなんてーー。


「大丈夫よフェルミナ。貴方が優しく抱きしめてあげたのですから......」


 ユエルミーニエはフェルミナの頭を優しく撫でると彼女は嬉しそうに目を細めた。正直候補の一人だった。今日で解ったが彼は優しい人間で綺麗で澄んだ心の持ち主だ。ならば、これから出来るであろう他の婚約者候補達の闇もこうやって受け止め浄化していってしまう。


 そうでなくても優良株だ。沢山の女性に囲まれることが目に見えてる男性を母親として選ぶ訳にはいかない。そう思ってレイナもいるであろう王妃主催のお茶会を仮病で断り距離を置こうとした。


(たった一回でこんなに心を持っていっちゃうのですから......)


 ふと扉が目に入った瞬間に心配したような表情を浮かべ、その先に想いを馳せ始めた娘にユエルミーニエは決意を固めるしかなかった。


「手放せなくなってしまったのですの......」


 だってフェルミナが選んでしまったのだからーー。ユエルミーニエは自身の心に言い聞かせるようにそう呟くのだった。

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