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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
第四章 暴風の巨龍 編(下)
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 聖廟内は非常に澄んだ空気に包まれていた。一般参拝客が入れるのは入口前までということもあり、中に入るとある種のプライベート空間が広がっているのである。


「アハハハハ!!もう駄目ぇ‼︎マジ受けるぅ‼︎ご先祖様本当にごめんなさいぃ‼︎でも、エルフレッドがあんな真面目にライジングサン式の礼を取るなんて思ってもなかったんだもん‼︎」


「......笑い過ぎだろ。これから会う時は殆どこの調子だろうに今からそれでは先が思いやられるな」


 ブワッハハハ‼︎と涙を飛ばす程に笑っているルーミャに対して「本当、ルーミャは気楽でいいミャア」とアーニャさえ苦笑している。


「だってぇ、当事者じゃないしぃ?お母様を謀ろうなんて凄いこと考えるよねぇ!ま、こうやって協力してあげてるだけ感謝してよねぇ♪」


 確かにアーニャとエルフレッドだけならば恋愛感情の薄れがあると報告したにも関わらず、二人で出歩いていると怪しまれるところもあっただろう。そこにこうしてルーミャが加わることだけで状況が全く違うことは事実なので、その点に関しては確かに感謝して然るべきなのである。


「そして、友人関係としてフェルミナ様も巻き込む事に成功したという訳か。その辺りは大丈夫なのか?」


 その辺りは大丈夫なのか?という言葉にアーニャは一瞬言葉が詰まりそうになったが、彼が心配しているのが自身の感情に気づいてではないことを思い出してーー。


「全く問題ないミャ!寧ろ、フェルミナも会いたがっていたから嬉しそうだったミャ!今日は楽しい日になりそうだミャア♪」


 実際問題、一番好きだと感じていた時期に比べれば気持ちは遥かに沈静化している。寧ろ、もう本当の友人関係でも全く問題ない程度の感情だ。女性は理性的にも本能的にも完全に脈がないとわかった後の感情の切り替えが早いのだ。寧ろ、中途半端に可能性を残された方が辛いのである。リュシカとの関係を見て、全く脈がないと感じた瞬間から既に心が離れたのは事実なのだ。


 ただ時折香る残滓のような気持ちをフェルミナに悟られるのは良くない。対処方法はルーミャに聞いたので、それを上手く実行していこうと考えているアーニャだった。


 聖廟、奥深くにあるアマテラスの眠るとされる棺の前に切り立った大きな碑ーーその前に厳重保管されている神器がどう見てもマイクの形をしていてエルフレッドは驚愕に吹き出しそうになったが堪えて目を閉じ、手を合わせた。


(偉大なるアマテラス神よ。其の子孫であるアーニャ殿下との縁談を断るために様々な策を張り巡らせたこと心から謝罪致します。申し訳ございません。其のお詫びというわけでは御座いませんがビャクリュウ討伐を必ずや成し遂げ、ライジングサンの民に安寧を齎すように努めさせて頂きます)


 そう誓いを立てた瞬間、エルフレッドの思考は不可思議な声に支配された。あまりに神々しく鮮明、それでいて遠く反響している。数多の矛盾を抱えた其の声は一言こう告げるのだ。




 ......妾を......救って......くれ......




 ハッと意識を取り戻した彼はドッと強く響く鼓動に汗を浮かべながら、声の主を探るために魔力と視線を張り巡らせた。しかし、そこには自分達しかいない。当然、その声は自分達のものではない。ならば、声の主はーーと可能性は浮かぶが、では既にこの世を去った人物を救うというのはどういうことなのかーー。


「ちょっとぉ!どうしたのぉ!なんか酷い汗だしさ!聖廟内で魔力を張り巡らせるなんてエルフレッドらしくない愚行だよぉ!」


「.....すまない。少し視線を感じたが、気のせいだったようだ。魔力も直ぐに解こう。迷惑を掛けた」


 彼が少し頭を抑えながら言えばアーニャは少し思考したがーー。


「まあ、最近は神経を昂らせるような事件ばっかりだったからミャ。致し方ない面もあるけど、以後は無いように気をつけるのミャ」


「ああ、解った」


 頷いた彼を見て溜息を一つ。ルーミャは先頭を切って歩き始めた。


「んじゃ、報告も終わったし、フェルミナと合流しよっかぁ!楽しめるのはそこまでだろうから、存分に楽しまないとぉ!」


 彼女なりの気の使い方に苦笑したエルフレッドは歩き出す中で一度だけ棺の方へと視線をくれた。しかし、そこには碑と神具があるだけだ。視線を戻した彼は胸の内に言葉だけ刻み、今後の予定の為に歩き始めたのだった。













○●○●













 そして、登城の時間が近づいてきた。久しぶりにあったフェルミナはとても嫋やかで可憐な少女へと本来の姿を取り戻しており、精神的にも非常に安定していることが伺えた。


「私、来年からこちらの学園に通う事にしましたの。やはり、女王となる者が集団生活に馴染めないままというのは良く無いと感じましたから」


 そう言って微笑む彼女に驚愕を禁じ得なかったが、反面、彼女が成長して前に進んで行く姿が見れたことが彼にとってはとても嬉しく感動的に思えたのだ。


「それは本当に良かったです。そして、その決意は真に素晴らしいと思います。私は心からフェルミナ様を尊敬致します」


 今なら解る。彼女の気持ちも憧れもゆったりと消えゆく焚き火のような心の動きもーーでも、もう彼女はそのことについて何も言わなかった。今の充実した日々に感謝して心から笑える喜びを噛み締めている。それは彼女にとって何にも代え難いものなのだと彼女自身が思っているからだ。


「いいえ。こうなれたのもエル兄様やレイナ様のお陰です。私、フェルミナはバーンシュルツ家の方々に受けた恩を生涯忘れる事はないでしょう」


 もう、そのことを苦しまず微笑んで過去のことと処理出来る。そんな強くなった彼女の姿に眩しい物を感じたエルフレッドだった。




 王城ではシラユキが全面から歓迎の意を示して彼の事を迎え入れた。その反応は意外且つある種不気味なものでもあったが、態々構える必要のない状況というのは非常に有難くもあった。その後、二人となりビャクリュウの戦いについての詳細やビャクリュウの使ってきた能力などを余す事なく聞いたが、その日は「明日からは討伐もあるだろう故にゆっくりと休むが良い」と予想していたようなことは一切無く、すんなりと客室へと案内されたのだった。


 そのことをアーニャにメッセージで送ると大層意外そうな返信が返ってきた上で、ビャクリュウ討伐が終わった時に確実に何かを仕掛けてくるとは思うが、もしかしたら私の気持ちが無いということを信じてくれたのかもしれない。と若干の希望的観測を見せる。無論、その確率は低いそうなので警戒するに越したことは無いが今はビャクリュウ討伐に集中しても良いだろうとのことだ。


「案外どうにかなるかもしれんな......」


 少し心に安寧が返ってきたエルフレッドはすんなり床に着くことが出来た。明日の死闘を思い浮かべてシュミレーションを重ねる内に彼の意識は遠のいていった。




 シュルリと羽織る布擦れの音ーー。


 大層満足げに眠るコガラシの頬を優しく一撫でしてシラユキは寝室を出た。普段はこちらが眠るまで眠らない男だが、今宵は意図的に激しく舞った。それは愛故もあるがこうして一人の時間を作る為でもあった。その手には珍しく盃が握られている。虫の音と共に優しく大地を照らす月を見上げ、以前、自身が好んだ清酒をなみなみと注ぐ。


「......以前の妾の楽しみは月と酒だけだったのぅ」


 昔を思い出すように眠たげな瞳を月へと向けた。郷愁の思いは特段良いものではない。潰れかけた自身の心や身体を引き摺って、親の目を盗みこうやって飲んだ酒だけが自身を癒すものだったからだ。


「それがこうして家族に恵まれて真に華やかになった。妾には過ぎた幸せじゃったなぁ」


 一気に酒を煽り「......美味いな。だが......」呟いた彼女。


 娘と共に酒を飲み交わすことの出来ないこの身体が彼女の唯一の心残りになりそうだとーー。口元を抑え噎せるように咳き込めば手の間から豪快に吐き出された赤が盃の中で薄紅の花弁の様にポタリポタリと広がっていった。


「最後の贈り物にしようと思ったがお節介かもしれんな。しかし、もう止まる時間もない故に愚かな行動に出る馬鹿な母を許せ」


 何もせねば十数年は生きよう。しかし、その中で娘の為に使える時間は後僅かーーならば、誰も望まぬとして娘にとって最良を選ぶのは母としての務めだろうと彼女は思うのだ。


「後何度、月を眺められようか......」


 見上げた少し掛けた月。彼女の思う終わりは近い。ビャクリュウ討伐を終えた英雄が帰ってくる時、自身は最後の務めを果たすーー。一瞬、虚ろになった思考の中、彼女の頭にはそれだけが残った。盃を置いて手を打ち、全てを無かったことにして彼女は寝室へと戻っていく。


 今は愛する男の元へーー自身を選んでくれた彼にもまた幸せな思い出を残さなくてはならないのだからーー。

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