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一転して戦いは"静"の時間を迎えた。流れる汗と溢れる血が熱によって蒸発する音が妙に耳にこびりつく。時折、湯だつマグマのボコリと気泡を吐きガスを放つ音が辺りに木霊している。
互いの狙いはハッキリしている。
エルフレッドの最高点はガルブレイオスの首を回復させず、一撃を加えること。次点で回復の隙をついて再度、致命的な隙を作る一撃を与えること。そして、ガルブレイオスの最高点は無傷で首の傷を癒やすこと。次点で致命的な隙を作らずに回復すること。
幾ら巨龍の回復が早いとはいえ鱗が剥がれ、肉が削げ、骨に到達している傷は魔法を使わずして即座に回復出来るものではない。そして、切られた場所も良くない。長い首の間ーー。力が掛かる中点を狙いすましたかの如く叩き切られている。神経が繋がっており首を上げることが出来ているからこそ傷を深めずに要られているが無理に動けばどうなるか想像するのは容易い。
エルフレッドもそれを解っておりジリジリと距離を詰めて、その時を窺っている。牽制をかけながら失血をさせて焦りを深めようとしている。そして、それをガルブレイオスも解っている。隙を出せば、その一瞬で距離を詰める術をあの男は持っている。そして、その隙は次こそ致命的なものとなるだろう。
更には無理に攻めずとも失血により体力を奪われ魔力をすり減らしていくのはガルブレイオスの方だ。その時が訪れるにはまだ時間があるが無限では無いのである。
ジリジリと距離を詰められ同じだけ距離を離す。円形の地形を利用し、イタチごっこながら距離を近づけないようにする。その間も互いの間には幾千もの牽制が飛び交っていた。無論、誘うように態と前に出たり踏み込んだり隙がない程度の小魔法が飛び交うのだが、そんな目に見えるものだけではない。
体の重心だけを移動、筋肉の力の増減、大剣の力の掛かり方の変更、魔力の移動ーー。
そういったものが積み重なって互いが最高の時が誘発されるのを今か今かと探っている。気の抜けぬ時間がどんどん積み重なって一刻また一刻と時間だけが過ぎていく。エルフレッドの身体を珠のような汗が流れ全身を濡らした。温度の高さで蒸発するそれが白い靄の如く立ち上っている。
ガルブレイオスの首の辺りが小刻みに震え出す。治らぬ傷が首の疲労を強め時が経つほどに痛みが増していく。その度に追い詰められていく精神がストレスや苛立ちを強めるのである。その状態になってから、どれくらいの時が経ったのだろうかー。長いハズの一分一秒が、既に百を超え、二百を超え、三百を越えようとしていることを相対する彼等が知る由もない。
物理を交えた心理戦ー。それが終わりの見えない様相を醸し出した頃、それは突如として訪れた。
「......ッ⁉」
それは運が悪かったとしか言えない。もしくは環境の悪さーー、更に言えば、もう少し早く攻勢に出れば違ったのかもしれない。エルフレッドの集中力は人智を超えていた。疲れがあったとして敵の前で隙を作るような真似はしなかっただろう。
ただ一滴、滴る汗が瞳に落ちることに気付かない程に集中していなければこの戦いは終わらせることは出来なかったのだ。
その一瞬が冷静且つ人間より高い集中力を持つガルブレイオスを回復させるのに充分であったことは言うまでもない。無論、エルフレッドとて、その瞬間を取り戻すかの如く烈火の早さで顎を打ち抜いて飛び上がり脳天に大剣を振り下ろした。
だが、それが来ると解っていて喰らったガルブレイオスの意識を刈り取るまでには至らない。治った首を誇示するかの如く振り回し爪を放つガルブレイオスに彼は距離を取らざる負えなくなった。
勝利の女神は前髪しか無いというのに二度目の絶好期を逃したエルフレッドは思い出したかの如く身体が重くなるのを感じていた。
その後の戦いはややガルブレイオス優勢ながらも泥沼の様相を呈した。首の傷が癒えたとはいえ、それまでに受けた失血による魔力や体力の損失はガルブレイオスにとっても軽いものではなかった。何より動きが鈍ったとはいえ一時は無傷となったエルフレッドを追い詰めるには至らないというのが現実である。
しかし、ここに来て弱点属性で魔法によるダメージが与えられないことや地力の差が顕著な差として表れたのは紛れもない事実であった。着かず離れずの魔法戦、大剣で届かぬ距離からの牽制が一方的な攻撃となって襲い来る。無論、決定打には成り得ないがジワジワとした明らかなダメージがエルフレッドを蝕んでいくのだ。
そして、一度切れかけた集中力が一つ一つの行動を不正確なものにしていく。明らかに攻めが安直になったガルブレイオスに対して返せる攻撃を返していたものの、先に泥沼に顔が尽きそうなのは紛れもなくエルフレッドであった。
尾を受け損ね、大剣と共に転がったエルフレッドは大きな龍の骨を貫く古びた剣をその視界に見た。サラマンド族の英雄グレイオス=ラスタバンはその命を賭して灼熱の巨龍を倒したという。ならば、自身とて死を感じながらも動かなければならない。この命を賭さなければーー。
瞬間、ブワリッと背筋に悪寒が走り抜けた。冷や汗を感じたエルフレッドは倒れたままグルグルと転がった。すると自身のいた直ぐ隣に尾が叩きつけられ、避けられた安堵を感じぬままにその身は宙に投げ出される。
「しまっ......ッ⁉」
今の自分は全くの無防備でその体は浮き上がり障壁を張るのも間に合わない。何故なら、その眼前には既に巨大な尾が迫っていたからだ。咄嗟のことで両腕が顔を守ったが、それにどれ程の意味があったのだろう。無慈悲に打ち付けられたそれに彼は全身の骨が砕かれた事を理解した。




