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レストランのオーナーにはかなりの緊張が漂っていた。事情はアーニャからメイリア、そして、ヤルギス公爵家からオーナーへと伝わっていた。結果はどうなるかは解らないが場合によってはライジングサンへと悪感情を抱かせる要因にもなりえるのだ。幸い殿下の一人であるアーニャが全面的に協力している為に様々な面で万全の状態を敷いているものの最悪を想定しながらの密会は僅かな時間であっても神経を摩耗させる。
当然、バーンシュルツ家より報酬として相応の金額が動いているものの、それに見合ったくらいの高度な依頼ーー店が始まって以来、最も大きな仕事となった。そんな緊張かんが漂っている中で白馬二匹に引かれたヤルギス公爵家の馬車が現れた。馬車からレストランまでのエスコートはオーナーが行い、完全に店に入って店のカーテンを下ろしてからのエスコートはエルフレッドが行う。
彼の想定していた以上に厳重な待ち合わせに彼の心臓は更に高鳴るのだった。他の間にも客は居たが入退室の時間は全て把握済み。誰ともすれ違わないように設定されている。カーテンを締めるのは彼等が部屋に入るまでと彼等が退出する時だ。その僅かな時間がレストランにとって最大の緊張感溢れる瞬間となる。
到着した馬車からリュシカが降り立った。その瞬間周りの空気が一変する。お出迎えに現れたオーナーはレーベンの言った”女神が間違えて降りてきた”という例え話は知らなかったが、もし聞いていたのなら正にその通りだと感じただろう。初老の男性が十代中頃の少女に見惚れるなどあってはいけないことだが彼女の美しさは同性さえも魅了している。その範疇に無い。
彼女の真紅の髪に合うドレスというのは中々選ぶのが難しいが、グラデーションを取り入れた淡いピンクのシルクをふんだんに使ったふわりとしたドレスとホワイトダイヤモンドと真珠を上品に取り入れたティアラは彼女を引き立てている。着ける物を選ぶそれを彼女は完璧に着こなし、あくまでも本人が主役であることは見て明らかな程だ。メイクは多少大人びたテイストを選んでいるが、全てが正しくそこにあり調和された彼女は真に同じ人間とは思えなかった。
「ーーエスコートをお願い致しますね?」
現実の者とは思えない彼女に声を掛けられたオーナーは慌てて表情を取り繕うと頭を下げてーー。
「こ、これはこれは失礼致しました‼︎ヤルギス公爵御令嬢‼︎バーンシュルツ伯爵御子息につきましたは既に中でお待ちです‼︎」
僅かな時間ながら、その手を乗せることを許された彼は非常に幸福だといえる。普段はプライベートを守る使命から完璧な対応を心掛けているレストランの従業員ですら彼女からは視線が離せないのである。歩く度にふわりふわりと靡くドレスはまるで彼女の体の一部のようにさえ思える。言葉を変えて何度も言うがあるべき所にあるべき物があるのだ。
リュシカがレストランに入ると扉の内側から店内を隠すカーテンが掛けられた。そこに普段以上に格好に気を使ったエルフレッドが現れて彼女は少し頬を赤く染めた。視線を逸らしはにかみ笑う彼女にエルフレッドは心が全て持っていかれそうな感覚を覚え、赤くなっている頬を隠すように上を向くと深呼吸を一つ。彼女へと向き直る。
「あまりに美しすぎて冷静さをなくすところだった。エスコートをさせて頂いても?」
「ふふっ。エルフレッド様もとてもカッコいいですわ。勿論、お願い致しますね?」
オーナーから引き継いでエスコートをこなすエルフレッドの内心は非常に上がっており考えてきた言葉が真っ白に染まって塗り潰されている。最低限はと牡丹の間までのエスコートを完璧にこなし、席に着いた二人は遮音魔法が掛かるのを待ったーーというより互いに見惚れて言葉が出なかったと言っても良い。暫くして乾杯のロゼのシャンパンが物質転移で送られてきた頃、辺りを見回していたリュシカが彼に向き合ってーー。
「しかし、何と仰々しいお出迎えだな。説明は全てエルフレッドからあるが故に動じずにいるように言われたが、まさか、最初のエスコートがオーナー殿でカーテンまで閉まるとなれば内心驚きが隠せなかったぞ?そこまでの大事だと何が起きるのかも想像も出来ん」
全てはエルフレッドに丸投げされていた。彼女の場合は自身の格好さえも説明が無いままに送り出された様子であり、それでいてあの堂々とした態度を見せていたとなれば流石の一言しか言いようがない。
「無論話そう。最近、姿を見せなかった理由も含めてな。先ずは乾杯をしても良いか?俺は今、緊張が過ぎて喉が乾ききっているのだ。そして、今から話すことは酒の勢いではないことを初めに言っておく」
「......解った。そうだな。私も非常に喉が渇いている。未だ状況は理解出来ていないが乾杯の後でいいだろうな。それにここで飲んだロゼのシャンパンは未だに私にとってお気に入りのものだからな」
今日はより高い銘柄であったが味の系統は似ている物を選んだ。シャンパンペールから取り出した最高級のそれをトーションを使い瓶底を持って注ぐ。自身の物にも注いでペールに戻すとグラスを傾けて乾杯の合図を出した。一口、口にしたリュシカは甘い表情で微笑むと弾んだ声でーー。
「遂に私もシャンパンの味が解るようになってしまったようだ。これは以前の飲んだ物より質が良いのだろう?後味の甘さが口に残らず、しつこさが無い。しかし、味は非常に豊潤だ。とはいえ、美化された思い出の味はこのような味であったな」
「ご名答。こんな時くらい最高級の物を口にしても良いだろうと今日中に取り寄せられる物の中で最高級の物を取り寄せて貰った。口に合って何よりだ」
彼は微笑みながら回らぬ頭に焦りを覚えていた。最初にシラユキ女王陛下の件を話すべきか、それとも告白するべきかーー相手が安心するのは告白してからの気がするが、順序として正しいのは現状を説明してからのように思える。話すべき内容はどうにか頭の中に引っ張り出せたが何から話した物やらーーと混乱が解けないのだ。
そうこう考えている間にグラスが空いてもう一度注ぐ。最高級の物であるにも関わらず、味が一切解らないのは極度の緊張からだろう。
「リュシカももう一杯どうだ?」
「頂こう。しかし、話を聞く前に素面では無くなってしまうぞ?」
頬杖を着いた彼女が妖艶な笑みの中に挑発的な視線を投げかけてくる。これ以上は男らしくないのではないか?と言わんばかりの表情にエルフレッドはグラスを置いて真剣な表情を浮かべた。
「そうだな。実は俺は最後の交流会の時にリュシカに......嘘を吐いていたのだ。いや、隠し事をしていたというのが正しいだろう」
「ほう?隠し事か?」
変わらぬ表情のまま彼女はグラスを傾ける。味わうだけの量を喉に流して言葉の続きを待つ。
「ああ。あの時は話したくないと感じて言わなかったが、実はシラユキ様からアーニャと婚約をしないかといった言葉を頂いたのだ」
「......それで?」
「俺はその時、意中の相手に思い当たる節がなく、一度そういった面も視野に入れて話してみたいから夏季休暇まで待って欲しいと言ったのだ」
「やはりな。アーニャからその可能性は聞いていた。本人から聞くと少し辛いものがあるが、とりあえず夏季休暇まで時間が出来たのは私にとって良い事だろうな......」
彼女は少し寂しげな表情を浮かべて前菜の料理を齧った。酸味の強いチェダーチーズの乗ったクラッカーはシャンパンにとても合うだろう。彼女は今感じている感情を搔き消す為に更にシャンパンを飲もうとしてーー。
「俺はその後直ぐに後悔するハメになったがな」
その動きを止めた。




