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よく色恋に流されてはいけない。その場の雰囲気に流されてはならない。という言葉を聞く。確かに時と場合によってはそうかもしれないが恋とは落ちるものだ。そして、大体の"落ちる"とは何かが"流されてから落ちる"のである。要するに何が言いたいのかと言えば、一目惚れなどのように急に落ちるものでなければ恋に落ちる前に人は何処かで何かに流されている。
エルフレッドの場合は積極性を見せているリュシカに連れられて何度か出掛けた時に既に気持ちが流されていた。何時落ちるかは時間の問題だったが、本人がそれを解らなかったことが今の自体を巻き起こしたのである。
さて、心の持ちようが変わったエルフレッドはそれでも出来る限り普段通りの状態を装いリュシカとの時間を楽しんだ。あまりに突然過ぎて自身が困惑している段階で相手にそれを伝えるのは相手も困惑するのではないかと今までは考えもしなかった不安が頭を過ぎるようになったからだ。少し考えれば彼女は自身に好意を抱いており、それは未だに継続していたことに気づいたであろう。多少困惑はあっても思い通じ合ったと喜ぶハズである。
しかし、今のエルフレッドは平静を装っているだけで冷静ではない。少し考えれば解ることさえ解らないくらいに舞い上がっている。そして、シラユキとの約束に対して夏季休暇までどうにか自身を抑えなくてはならないと考えていた。無論、自身の気持ちが固まった以上はアーニャとの未来を考える事は出来ない。断ることになるだろうから変に前向きな姿勢を見せることはない。
とはいえ、自身の言った言葉に何の責任も取らないのは彼のポリシーに反する。要は恋に落ちたのだから仕方ないと思えないのがエルフレッドの難儀なところだった。自覚した恋心と責任感に挟まれる様は中々に滑稽な状態である。
「交流会は中々有意義なものになっているな?」
「そうだな。やはり、代表に選ばれるだけあって話も有意義なものが多い」
「私もそう思う。国の未来を背負う人間という自覚を持って生きているせいか目に見える実績が無くとも、そのような自信に満ち溢れているのが解る。そして、世界大会出場で実績を得たのだからより一層輝いているのであろうな」
周りを見渡せば前日の夜の緊張感ある状況に比べて、空気が弛緩しているのを感じた。そして、会話はより活発になっていた。負けた悔しさを感じている生徒も居るだろうが大体の生徒はやり遂げたという達成感に満ち溢れており、とても誇らしげな雰囲気を纏っている。
そして、その自信からか未来に繋がる話をしている者が多い。特に三年生の間では意見交換が至る所で行われており、自身の未来に繋がる仲間を探し見つけては将来の構想について話し合っていた。世界大会自体の価値は人其々だが、この交流会という場は誰にとっても有意義なものであると少なくともエルフレッドは思うのだった。
「今日は飲まないのか?」
来賓用のシャンパングラスを片手にリュシカが笑った。瞬間、彼女の方から体温の乗った風が届いてエルフレッドは自身の頭がクラリとするのを感じていた。
「少し貰おう」
良く冷えたシャンパンを注いで貰いグラスで乾杯ーー。当てられた頭を冷やすために一気に飲み干した。
「ハハハ!少しと言った割には一気に飲むではないか!そんなに喉が渇いていたのか?」
大笑いするリュシカに対して冷静さを取り戻したエルフレッドは「ああ、思った以上に喉が渇いていたようだ。もう少し貰ってくる」と彼女の側を離れた。
狙って放っているのならばこれ以上の武器はないだろう。エルフレッドはリュシカ自身から香りを感じたことはなかった。香水やシャンプーの香りはしても彼女自身のそれを意識したことはない。ただ、稀にだが体温の乗った風が届いて頭を掻き乱す。通常時でも当てられるというのに自覚した今にこれをやられると、とても平静を保っていられないのだ。
新たなシャンパンを注いで貰いながら火照りを覚まし、落ち着いたところで彼女の元へと戻る。
「白のシャンパンも中々美味だな。しかし、私は牡丹の間で飲んでからというもののロゼのシャンパンがお気に入りなのだ」
シャンパングラスを見つめ、はにかむように微笑む彼女に再度シャンパンを飲み干す必要がありそうだと感じながら、エルフレッドはおかしくなった自分の冷静さを取り戻す為に自身の腰の辺りを彼女からは見えないように強く抓るのだった。
○●○●
世界大会が終わり、生徒会役員の引き継ぎまで終わると残すイベントは卒業式のみである。一年生代表として選ばれたのは当然、世界大会に出たメンバーとその協力者達だ。当然、部活動関連で選ばれた生徒や各クラスから代表者が選ばれているのでそれが全てではないのだが、メインで卒業式の運営をする面子は二年生の新生徒会と世界大会メンバーが基本となる。
放課後に組まれた卒業式運営についての話し合いは学園ミーティングルームで行われる。形式化されているので内容確認が主だが新生徒会初の仕事ということもあって先輩達の気合いの入りようは凄まじい物がある。
何より一年Sクラスメンバーは既に忘れていたが闘技大会にて屈辱的な敗戦を喫したメンバーの多くが新生徒会入りを果たしており、素晴らしい仕事っぷりと努力にて後輩達の印象を覆さなければならないという危機感から鬼気迫る勢いである。ーー何度も言うが一年Sクラスメンバーは既に忘れていた。
さて、別れの時を思えば寂しく感じる部分もあるが、学園生活としては忙しくも充実した日々が過ぎて行く。世界大会が終わってからはエルフレッドとリュシカが仲良くギルドの依頼を受けている事を聞いていたアーニャはその様子に安心していたのだがーー。
『ピロンッ‼︎』
親友からの連絡の通知に「また惚気話かミャア?」と微笑ましさ半分、呆れ半分で携帯端末を開いたアーニャは書いてあった内容に驚き目を疑った。
『最近、エルフレッドが会ってくれないのだ。私は何かしただろうか?』
彼女は頭に浮かんだ考えを確認するべく速攻で母親に連絡を入れた。するとーー。
『前向きに考えるからと聞いておるが進展でもあったかのぅ?』
「......はぁ?」
割と良い時間であったがアーニャには関係無かった。土日休みの土曜日ーーリュシカは療養の関係もあって寮にはいない。アーニャは寝間着の上から近くにあったジャンパーを羽織ると勢い良く部屋を飛び出した。彼女の目指す先はただ一つだった。
アーニャは激怒した。必ず、かの親友泣かせの男を問い詰めなければならぬと決意したーー。
とまあ、走れアーニャ状態になった彼女はエルフレッドの部屋に着くなり呼び鈴を連打した。しかし、間が悪いのか出てこない。グーでドンドンドン‼︎と何発か叩いた後、それでも出てこないのでドアを蹴飛ばしながらーー。
「開けるミャア‼︎エルフレッド‼︎お前に話があるミャア‼︎どういうことニャアアア‼︎さっさと出てこないと引き摺り回すミャアァアア‼︎」
「ま、待てアーニャ‼︎今、開ける‼︎開けるから落ち着け‼︎ーー痛っ‼︎脛打った‼︎ああ、くそっ‼︎」
尋常じゃない自体と察知したのか、濡れた髪に何とか寝間着を羽織ったエルフレッドが涙目の状態で飛び出して来る。
「問答無用ミャアア‼︎そこに‼︎そこに正座ミャアア‼︎誠意を見せるミャアアアア‼︎」
「うわっ⁉︎おい⁉︎本当に何があった⁉︎ぬおっ‼︎や、やめーー」
バタンと強めに閉まった扉ーー何事かと眠気眼で飛び出してきたアルベルト。話の内容の片鱗を聞いた彼は触らぬ神に祟りなしとエルフレッドの部屋へ向けて遮音魔法を放った。
「修羅場?あー怖い怖い」
そう呟きながら自身の部屋へと帰っていった。




