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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
第四章 暴風の巨龍 編(中)
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3

 リュシカは予定通りに退院した。放課後になり、エルフレッドはいつも通り世界大会に出場するメンバーへと練習の指示を出すと彼女の事を迎えに行く。彼女の希望で練習が終わる頃には顔を出して見学兼退院報告をすることになっているが、その前に二人っきりになりたいと言うので、こうして早めに病院へと向かっている訳だ。


 この前の病院といい、治療の際の態度といい、今日といい、急に距離感が変わって戸惑う気持ちは強いがそれを悪くないと思っている自分がいるのは気持ちが揺れて動いているからなのだろうかーー。クレイランドの頃から少し意識するところはあった。自身の泣きたい感情に気付き優しさをくれた時に心を揺さぶられたのは間違いない。


 俗に言う気になっているというヤツだろうか?そして、気になる異性の為に時間を作るのに悪い気が起きる訳もない。知識の上でしか解らないエルフレッドからすれば燃え上がるような感情はまだなく、落ちるような感覚も感じていないが前とは少し自身の心持ちが変わったことは理解していた。


「エルフレッドだ。準備は済んだか?」


 ノックをして声を掛ければ少し弾んだ声で「問題ない!入ってくれ!」と返答が返ってくる。やはり、随分と様子が違うのは積極的になろうと決めたのか、はたまた開き直ったのかーー。


「早く来て貰って嬉しいぞ!退院祝いに少しお茶でも付き合って欲しいと思ってな」


 相変わらず感情を素直に表現してこちらの気持ちを心地良くしてくる。退院後も通院となれば複雑な気持ちを持っているだろうに噯にも出さずに微笑む様はとても魅力的であった。


「そうか。こちらとしても元気そうで何よりだ。退院祝いならば少し良い店に連れて行きたいな」


「ありがとう。だけどな。私はエルフレッドと二人なら別に特別な店じゃなくても幸せだぞ?こうして時間を作ってくれたことが何よりの退院祝いだ」


「......全くどう反応したら良いのか解らんことを言うなぁ......」


 この調子である。ついつい顔が赤くなり照れ隠しから目を逸らしていると「本心だから仕方あるまい!さあ、エスコートを」と彼女は嫋やかに手を伸ばしてきた。


「勿論承りますよ?リュシカ様」


 少し戯けて手を出せば「ふふふ。ありがとう」と彼女は嬉しげに笑うのだった。


 結局、そのままの格好で病院を出たものだから周りが生暖かい視線を送りながらコソコソと話していた。しかし、リュシカが一切気にしている様子はない。寧ろ、それが当然だと言わんばかりの様子にエルフレッドは内心苦笑しながらも完璧な笑みでエスコートを続けた。


 特別な店じゃなくて良いと言う彼女の言葉は正しく本心だったようで高級店が並ぶ第三層ではなく、第二層のカフェへと入っていく。


「......本当にここで良いのか?こんな言い方はあれだが金銭的には全く困っていない。退院祝いとして特別なことをするのは悪いことじゃないと思うが......」


「その気持ちだけは受け取っておこう。しかしだな。エルフレッドよ。こうは考えてくれないか?少し良い店というのは既に経験済みなのだ。あからさまにお嬢様然とした台詞で申し訳ないが、逆にこういう一般的な店の方が私にとっては特別なのだと」


 言われてみれば彼女の様な生粋のお姫様は防犯上の理由から一般的なカフェに行くのが難しい。しかし、エルフレッドが居るのならば、どこを訪れたとしても防犯上の問題は全くなくなる。故に偶には一般的なカフェに行きたいという感情が特別なものだというのも頷ける話であった。


「なるほど......しかし、立ったまま列に並びコーヒーやケーキを選ぶのは大丈夫か?病み上がりだと何でも心配になってしまうのだがーー」


「ハハハ!そんなに心配をしてくれるのか?嬉しいな!でも大丈夫だ。担当医からはお墨付きを貰っているし、万が一の時はそなたの回復魔法でどうにでもなろう。だから、そこまで心配する必要はないのだぞ?」


「そうか。担当医のお墨付きがあるなら大丈夫だな。まあ、きつくなったら直ぐに言ってくれ?いくらでも対応しよう」


 彼がそう言えば彼女は華のように微笑んでーー。


「勿論、その時は頼らせてもらう。我慢した結果があれだからな。私とて、もう迷惑は掛けたくない」


 そんな話をしていると順番が回ってきた。一瞬、店員の顔が驚きに固まったが、彼女は何事もなかったかのように注文を訊ねた。リュシカはキャラメルマキアートとベイクドチーズケーキに興味を持ったようで、それを頼んだ。エルフレッドは甘い物は好きだが口が甘ったるくなるのは少し考えるのでホットコーヒーとチョコチャンククッキーを頼むことにする。


「えっ⁉︎あれ⁉︎ヤルギス公爵家の御令嬢と英雄様じゃない⁉︎」


「こ、こら‼︎声が大きいよ‼︎きっとプライベートだからーー」


 飲食物を受け取り、こじんまりとした二人席に向かい合わせで座った二人は肘を付きながら、そんな周りの反応を耳にする。何処かの女子校生だろうか?中等部くらいに見える娘達が驚いている様が非常に微笑ましかった。


「ふふん♪このベイクドチーズケーキは中々に当たりだ。キャラメルマキアートとの相性もピッタリだな」


 そんな周りの反応など一切気にしないリュシカは自身のチョイスが良かったことに非常に満足している様子である。


「それは良かった。甘いのが好きなら、このクッキーも美味しいぞ?」


 半分に割ってベイクドチーズケーキの皿に乗せると彼女は御満悦な様子でーー。


「ふむ。このように大きなクッキーは食べたことがないなぁ。大口を開けて齧り付くとマナー的にはアウトだからな。まあ、郷に入れば郷に従うのが良いだろう!」


 エルフレッドなどはやはり平民育ちと言うこともあり、こういう場では普通の庶民と同じような食事の取り方をする。それを彼女に強要することはないのだがクッキーを一口サイズに割って食べるなんて行儀の良いことをしようとは思わないらしい。


 大胆に齧って頬張っていた彼女は咀嚼した後に飲み込むと「少し悪い事をしている気分で存外楽しいぞ?」と心から楽しそうに笑うのだった。そんな飾らない仕草に対してエルフレッドは何だか楽しい気分にさせられてーー。


「それは良かった。偶にはこういうのも良いかもしれないな。俺はこういう生活の方が長かったから少し嬉しい気分だ」


 リュシカは少し目を丸くしたがそう言えばそうかと頷いた。


「次期辺境伯だと考えていたから忘れていたが未だに平民暮らしの頃の方が長かったのだな。将来のことはまだ解らんが学生時代にこういう機会を楽しめるのはアードヤードの良い所だ。私も興味がある故に是非とも色々連れてって欲しいぞ?」


「ああ。こうやって楽しんでくれるならいくらでも連れて行こう。流石に冒険者が集まるような店には連れて行けないが安くて美味しい物は沢山あるからな」


 冒険者が集まる酒場というのは触られて蹴り返すくらいの女性じゃないと厳しいものがある。当然セクハラだから訴えても良いのだろうが、いくら注意しても変らないのが荒くれ上がりの冒険者の悪い所だ。無論連れて行ったとして守りきる自信はあるが気を張ってはお互い楽しんでとはならないだろう。


「そうかそうか。これは両親には秘密にせねばなるまい。父上などは職場関連で普通に行ってそうだが娘が行くのは良いとは言わんだろう。まっ、こういう小さな秘密なら大歓迎だな!」


 そして、彼女は小指を出して見せて「二人だけの秘密だぞ?」と微笑んだ。


 フェルミナとするのとは何だか違って妙に気恥ずかしい気分になったエルフレッドだが「約束だ」と小指を絡めた。二人は気づいていないが、その様子を眺めていた周りがとてもホッコリとした表情で二人のことを見つめ何やらを話していた。特にセキュリティーを引いている訳ではないが故に自ら話題提供をしているような有り様だ。流石に詮索するような人物はいなかったが彼等の仲の良い様子がお茶の間を賑わすことになるとは二人は想像すらしていなかったハズだ。

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