第四章(上)エピローグ
目を覚ましたリュシカが最初に見たのは点滴だった。バイタル測定器がピッピッと安定的な数値を知らせる中で所要で席を外したのか母親が病室の扉を開けて直ぐに駆け込んで来るのが見えた。
「リュシカ!目を覚ましたのですね‼︎」
聖魔法の印を展開ーー意識がハッキリとしたところで泣き腫らした母の顔に申し訳無さを覚えた。
「母上......私は......」
「今日の早朝緊急搬送されたと連絡があったのです。夜中に鍛錬に出ていたエルフレッド君が偶々部屋の前に倒れていた貴女を見つけて対応してくれたのですよ?」
部屋の外に出た記憶はなかったが目を覚ましてアーニャが居なかったので扉の鍵を閉めるために移動したような記憶が朧げにあった。倒れたのはその時だろう。エルフレッドが居ないのはアードヤード国立病院まで発見者として付き添い、連絡に飛び起きたメイリアを転移にて送り届けた後に状況説明のために学園へと帰ったからだそうだ。
説明を終えたメイリアは「本当に良かった」と安堵の溜息を吐くと少し申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「こんなことになるならば冬休みの間に話しておくべきでした。実はカーレスから貴女が辛い目にあった可能性は聞いていたのです。ですから、貴女に状況を確認した上で対応しようと思っていました。ですが、お姉様の家族の件もあって後回しになってしまって......辛い思いをさせましたねぇ......」
カーレスがどうやってこの件に気づいたかは解らなかったが最近はめっきり小言も言われなくなっていた。きっと自身が何かバレるようなへまをしたのだろう。となると今まで隠していた行為自体が意味がないことだったのだと気付かされる。
(もっと早く打ち明ければ良かったのだな)
両親は機会を伺っていた。そして、今の様子を見ていると少なくとも母親が自身を責めるつもりはないのだと解る。極度の心労を隠せぬ表情ーーしかし、その顔に慈愛の微笑を携えて抱きしめてくれる母親に嘘吐きだと責める色は一切ない。
「ごめんなさい......怖くて言い出せなかった......」
「いいえ。女性にとってデリケートな事柄ですから、どうにか二人きりの時間を作るべきでした。私の方こそごめんなさいね」
その優しさにリュシカは安堵の涙を零した。辛かったのだ。結局四年近い年月を一人で悩み続けていた。アーニャという理解者が出来て少しは落ち着いたと思った矢先、親族の死ーーそして、降って湧いた理解者と恋慕の相手の婚約話。近々こんな日が来るのではないかという予感はあったが家族に関しては逆に良い方向に転がったのかもしれない。
名前を呼びながら心配そうにしている母に涙を浮かべたまま、どうにか微笑んでーー。
「本当に辛かったから......家族に話せないのも......一人で抱えているのも......本当に辛くて......だから家族は大丈夫なんだって思ったら安心して涙が止まらなくなっちゃった......」
「そうでしょう、そうでしょうとも。でも、これからは大丈夫ですからね?家族で乗り越えて行きましょう」
娘の心情に涙しながらメイリアも何とか微笑んで抱きしめる力を強める。その腕の中でリュシカは何度も頷いて粛々と涙を流していた。
「リュシカ‼︎」
心配ではち切れんばかりの声を張り上げて病室へと入ってきたのはアーニャである。その後ろには少し困った様子のエルフレッドが立っていた。
「ごめんニャ‼︎妾が......妾がストレスになるようなことを言ったから‼︎こんなことになってしまったのニャア‼︎」
泣き喚くように告げるアーニャへと様々な視線が注がれる中でエルフレッドは安堵の息とも溜息とも取れる息を吐いてーー。
「先程からずっとこの様子なんだ。理由も話せないことらしいから俺としてはどうしてものかとも思ったが、行くと言い出したら止めても聞かなくてな。まあ、場合によってはアーニャを連れ出した件で反省文でも書かなくてはならないだろうが、とりあえず元気そうで良かった。俺はアーニャの件も含めて再度学園に説明に戻るとしよう」
少しだが状況が解っているエルフレッドは空気を読んで学園へと戻ることにする。
「娘がお世話になりました。この御礼は必ずさせて頂きます」と頭を下げるメイリアに「いえ、親しい友人が困っていれば助けるのは当然の事ですから気にしないで下さい」と微笑んだ。
「エルフレッド......その......迷惑を掛けたな」
「いや、メイリア様にも言ったが俺は当然のことをしたまでだ。ゆっくりと養生して元気になってくれればそれ以上は望まんさ。まあ、なんだ。アーニャの様子を見ていると積もる話でもあるのだろう?話があるのならば連絡さえくれれば時間は取る。その時にでも話してくれれば良いさ」
そう言いながら転移の印を書くエルフレッドにリュシカは「ありがとう。また後日」と声を掛けた。彼は後ろ手に手を振ると転移を発動させて帰っていった。
「アーニャ殿下。娘と仲良くして頂き有り難く思います。ですが、娘が倒れた原因となったのならば私としても考えなくてはなりません。状況の説明をお願いしてもよろしいですか?」
落ち着いた声色だが場合によっては怒りにも変わりかねないそれにリュシカが「母上!違う!アーニャのせいじゃない!」と声を上げるがーー。
「良いミャ。リュシカ。それは話を聞いたメイリア様に判断してもらうことミャ。妾もこうなった以上は責任を取る必要があると思うしニャア」
「アーニャ......」
リュシカが困った様子で名前を呼ぶのを尻目にアーニャは話し始めた。自身とエルフレッドの婚約話が進んでいることーーそれに対する自身の立ち位置やシラユキの考えなどを全て包み隠さず話したのである。
「ーー以上が現状になりますミャ。急いた方が良い状況故にリュシカへとそのことを伝えましたが時期を見誤ったことは否めません。ですから、全ての判断はメイリア様に任せますニャア」
今後の自身の身の振り方を含めた判断を任せると彼女が告げればメイリアは非常に困った様子で額を抑えた。
「先ずはよく話してくれました。ハッキリと言えるのはアーニャ殿下に感謝こそすれど責める状況ではないということです。婚約の話などの内部事情は機密にも当たりかねませんから娘との友情を思って話してくれたこと自体が感謝せざるを得ないでしょう。それにしても弱りましたわ。まさかシラユキ女王陛下が動き出しましたか......」
国内貴族、王族への根回しが済んだところで後は娘と彼の仲を深めていくだけだと思っていた。無論、今日の診断結果も大きく関わってくるのだろうが当人達の問題が主な焦点だと考えていたメイリアにとって、この話は謂わば青天の霹靂と言っても過言ではない。いくら世界有数の貴族であっても他国の王族が婚約を打ち出せば覆すことは難しい。
「その......妾から言うことではないのですがバーンシュルツ家の方々と具体的に婚約の話を進めるのは難しいのでしょうかミャ?そうなれば、いくらお母様と言えど動くのは容易ではないと思うのですが......」
「いえ。単純な話ですが家格の問題がございまして、せめて辺境伯になるまで時間を稼ぐ必要があったのです。もしくは当人達が恋仲であればリュシカの場合は成立させることも出来るのですが、リュシカはともかくエルフレッド君はーー現状はその何方でもありませんから......」
詰まる所は条件である。国王陛下との約束からリュシカは愛し合い愛される仲ならば身分問わず結婚出来る。もしそうでないなら家格が釣り合う必要がある。そして、エルフレッドの感情が解らず家格も釣り合わない今だと婚約を押し進めることは難しいのだ。
「しかし、ライジングサンならば男性への価値観が違うから可能ということなのでしょうね。まさかアーニャ殿下を他国に嫁がせるなんてことは予想外も良いところですわ......」
唸り声を上げる程に悩んでいるメイリア。その姿を見ながら結局頑張るべきは自分なのだとリュシカは気付かされる。その為にも早く今日の診断結果を知らなければーー。
「失礼致します。ヤルギス公爵家御令嬢。お目覚めの様ですね」
「はい。お陰様で。母の聖魔法の効果もあるかもしれませんが非常に落ち着いています」
「それは良かったです。それでは早速、ご家族の方を含めて病状のお話をさせて頂きたいのですが、アーニャ殿下は如何なさいましょう?多少デリケートな内容を含みますが......」
看護師から連絡を受けたのか姿を現した担当医が到着早々にそう言った。皆の顔に緊張の色が走る。
「......彼女は親友で今回の話に係わりのある人物でもありますのでよければ一緒に居て欲しいのですが」
彼女が告げると担当医は「本人が望むのならば希望通りに致しましょう」と微笑んだ。そしてーー。
「それでは今回の病状と今後の治療についての説明ですがーー」




