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空気が張りつめた。音が無くなった。カチリカチリとアナログ時計が時を刻む音だけがアーニャの部屋を支配している。
「......そう......か」
それだけしか言えないと言わんばかりにリュシカの表情からは色が無くなっている。それでもアーニャは続けないといけないのだ。
「まだ可能性ミャ。でも、もし、そこでエルフレッドが口約束でも良い返事をすればあれよあれよと話は進むだろうミャ。だから、辛いのも怖いのも解るけど病院に行ってもらうしかないミャ。そして、世界大会の日までに少しでもエルフレッドの心に残って欲しいミャ」
彼女は前に進むことを選んだ。全てが杞憂に終わる可能性は零ではない。だが、親友の背中を押すのに最も良い時期はいつかと考えた結果、今しかないことに気付いたのだ。後には引けない。
リュシカは暫く思考を止めたように動きを止めていた。そして、少し衝撃から回復したのか瞳を閉じて思考し始めたようだった。張りつめた時が実際の時より長く続いているようだった。
「アーニャ。私だって解っているのだ。母親に付き添ってもらって行こうと考えているのだ。でも、実際に動こうとすると怖くて......身体が動かなくなって......」
実際、公休の一日はアーニャとの食事後、携帯端末と睨めっこしながら震えるだけの時間を過ごした。母親に話がしたいと書くだけのことが出来ないのである。
「辛い、怖いは解るミャ。何なら妾がついていくミャ。それにミャア、妾は決意したことがあるミャアーー」
巫山戯てると思われるかもしれない程に馬鹿げた決意を胸に秘めたアーニャ。普段の彼女なら考えることもしないだろう。合理的、倫理感、そんな物を全て捨てて考えた親友の為だけの馬鹿げた決意ーー。
「もし。リュシカが赤ちゃん産めないってなったら私が代わりに産んでみせるミャア。だから、そうなってもエルフレッドとの恋愛を諦める必要はないミャア」
「アーニャ。それはーー」
それは出来ないという言葉はアーニャの決意に満ちた表情に掻き消された。相手は親友とはいえ王女殿下だ。女性が強く、女性が王である国の王位継承権を持つ王女なのだ。だけども、彼女の瞳に嘘はなかった。きっと不可能なことだがそれでもやってみせると彼女は言う。
「もう形振り構っていられないミャア。母親は許さないだろうけどミャア。先に仕掛けたのは母親ミャア。どんな方法であれ、最悪の時は代理出産でもして母親に反旗を翻すニャア。だから、もう何も心配せずにいるのミャア」
「......馬鹿なこと言うな......不可能であろう......何を言っておるのだ......」
そうは言ったがリュシカの表情は柔らかく涙の中に悲しみの色はない。無論、彼女の言うことは荒唐無稽だと言わざるを得ないが自身の為にそこまですると言ってくれたこと自体に勇気付けられる思いだ。アーニャは少し戯けた表情でーー。
「まあでも、人族の代理出産で獣人族の代理母は前例が無いから耳とか尻尾とか生えきたら勘弁ミャ?妾はそれの論文でも書いて余生を過ごそうかミャア♪」
「馬鹿者......十六歳が余生などと......そなたはエルフレッドみたいなことを言うなぁ?」
「ニャハハ!エルフレッドと一緒とはもう人生一万回目くらいだろうミャ!次に産まれる時は神様かミャ♪」
「フフフ、本当に馬鹿なことを言うなぁ。今日のアーニャはーー」
涙声ながら笑顔が出てきたリュシカにアーニャは少しホッとした。優しい微笑みを携えたアーニャは彼女の隣に移動すると優しく抱き締めながらポンポンと頭を撫でる。
「アーニャ。私、頑張るぞ。母親に連絡して検査結果を聞いてエルフレッドの心に残ってみせる」
「お〜良いミャア♪その意気ミャ!」
「だから、辛い時や怖い時は一緒に居てくれないか?って何だかアーニャを口説いているような感じだな......」
「ニャハハ♪まさか、エルフレッドの最大のライバルが妾なんてミャ!まっ妾は漢気系女子だから仕方ないミャア!」
「ハハハッ!漢気系女子か!まあ、今日の感じは漢気系かもしれないな!アーニャが男だったら、きっとエルフレッドと迷っていたぞ?」
「ほ〜う。これは性転換手術も視野に入れた方が良いかニャ?アーニャ王子完成ミャ!」
「フフ、今日のアーニャは本当に......本当に馬鹿なことを言うーー」
そうやって取り留めのない話を繰り返した後でリュシカの部屋に行って料理を作って食べたりもした。寝るには早く仮眠には遅い時間だったが彼女が眠たそうにしていたので、昔のお泊りを思い出して二人でベットに寝っ転がる。
「なんだか昔を思い出すな......」
「そうだミャア。普段ベットで寝てるから敷布団では寝れないと言ってた割にリュシカは一瞬で寝てたニャア。あれには驚いて逆に妾が寝れなくなったミャア」
「ハハハ。遊び疲れていたのだろうな。それに寝心地の良い布団だったしな。あの頃はいっつもルーミャの後ろに隠れて居なかったか?」
向かい合う形になるように寝返りを打ってリュシカはアーニャへと視線を向けた。見つめ合うような形になったのが少し気恥ずかしく感じてアーニャは照れを隠すように仰向けになる。
「そうミャ。私は隠せない程に怖がりだったからミャア。改まって言うのも恥ずかしい話だけども歳が近い娘を友達にと態々両親が探さないといけないくらいにいつもビクビクしてたニャア。だから、リュシカが来た時は本当に不思議でーーあんまりにも裏表がないから、本当にお姫様なのかと驚いたものミャ。だから、妾にとっては本当に数少ない友達ができた瞬間だったのミャア」
今でもアーニャは覚えている。周りがライジングサンのアーニャ殿下と仲良くしたいのに対して、リュシカは初めから彼女自身と仲良くしたいと微笑んでいた。ルーミャばかりに引っ付いて迷惑をかけていた自分、初めて外の社会で信頼しても良いと感じた友達だ。帰ると聞いた時なんて裾を掴んで大泣きして困らせてしまったものだ。
「そうか。あの時はルーミャの代わりみたいに姉気分だったのもあるが、今ではすっかり逆転されてしまったな」
「そうでもないミャ。確かに今はリュシカを支える時期かもしれないけど妾が困った時に真っ先に駆けつけてくれたのはリュシカの方ミャ。ただ今がそういう時期というだけで困った時はお互い様という奴ニャア」
「なるほど。そうかもしれん......」
リュシカはすっかり眠くなってしまったようだ。元々仮眠を取る予定ではあったのでお互い示し合わせたように瞳を閉じて、仮眠へと入る。暫くして目を覚ましたアーニャだったがリュシカを起こすことはしなかった。どうやら、そのまま深い眠りに就いた様子だったからだ。
「おやすみミャ。リュシカ」
彼女の髪を一撫でしてアーニャは電気を消すと自分の部屋へと戻っていった。疲れているのに眠れていない彼女が漸く寝入る事が出来たのだからアーニャとしても一安心の気持ちだったのだ。
だからこそ、朝のHRでのアマリエ先生の言葉ーー。
「緊急の連絡だ。皆、冷静に聞くように願いたい。本日の早朝リュシカ君がアードヤード国立病院へと緊急搬送された。今の段階では原因は不明だ。診断結果などの内容は解り次第追って報告をーー」
アーニャがアマリエの制止を聞かずに教室を飛び出していったことは致し方ない話だったと言えよう。




