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天を掴む手と地を探る手  作者: 結城 哲二
第四章 暴風の巨龍 編(上)
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 二人でプラベートカフェに入って個室の部屋に向かう。一人用のソファーに身を寄せ合っている二人の間に会話はない。リュシカの携帯端末のメッセージには今日の夜にはメイリアがーー明日の午前にはクラリスが訪れてコルニトワのケアを引き受ける事になっている旨が書かれていた。涙を零すリュシカの横でエルフレッドは自身だけは泣くまいと心を強く保っていた。


 今、二人で泣いて過ごしても好転はしないことなど考えるまでもなかった。いや、それで解決する場面がない訳ではないが今はその時ではない。空気を読んだお店の店員が物質転移で送ってきた暖かなハーブティーに口を付けて二人は無の時を過ごす。一角に設けられた小さな窓から強い雨が降り注いでいるのが見えた。人はそれを天の悲しみに例えるだろう。砂漠に降り注ぐ豪雨。即ち、それは天の涙であるとーー。


 リュシカの流す涙はとても冷たかった。人はあまりにも悲しい時に芯から震えるような冷たい涙を流すという。冷えきった体が涙を温める事さえ忘れてしまったかのようだ。心が冷たいというのも比喩じゃない。身体同様に下がった温度が虚無の中から涙を零させる。高ぶる感情の先にあるそれは確かに冷え切っているのである。


「エルフレッド......」


 彼女が名前を呼んだ。遠い思考の中で顔を振り向いて応じると彼女はとても悲痛な表情で呟いた。


「私達はどうしたら良いのだろう?」


「......わからない」


「寄り添ってあげることも癒しにはならないのだろう?」


「......そうだな」


「私達の心まで弱ってしまう」


「......」


「何か出来ないの?」


「......わからない」


「何かしてあげられないの?」


「......わからない」


「教えてよ......いつもみたいに......ねぇエルフレッド......」


「......すまない......本当に......本当にわからない......わからないんだ......」


 目元を両手で抑えてエルフレッドは涙を堪える。繰り返し言うが二人で泣いてたってそれが解決にならないことだけは解っていた。ただ、それだけだ。家族を失った経験が無い自分に何かの解決策を出すのは不可能だ。同じ悲しみを自分は知らない。同じ苦しみを自分は解らない。一緒にありたいと死を選ぼうとする感情を自分には理解出来ないのだ。


 知らない、解らない、理解出来ないーー。そう理解出来ないのである。


 雷鳴が轟いた。河川が囂々と音を立てて流れていく。灰色の空は心と同色であるように感じられた。すっかり冷めたハーブティーに口を付ける気にはならなかった。これ以上何処かが冷えてしまえば、どうにかなってしまいそうだった。何かを解決するには何かを理解するしかない。今のエルフレッドには解決するような理解が一切なかった。




 ハッキリ言って無力以上の何者でもないのである。




「そう......そうだよね......私と変わらないよね」


 リュシカが少し落ち着いた様子で呟いた。何かの理解が彼女の中に生まれて現状に対する解決策を生み出している。


「ありがとう。エルフレッド。もう泣いて良いよ?」


 エルフレッドの首元に腕を回して慈しむ様な声を掛ける彼女にエルフレッドの体は震えていた。


「......共に泣いていても解決にならない」


「そうだね」


「俺だって......そのくらいわかる」


「そうだね。私もわかる」


「俺はクリシュナ様と関わっただけだ......泣く権利など......」


「......そうかもしれないね」


テーブルの上に雫が溢れ落ちた。体を少し起こせば両膝の上に置いた両拳の震えに自身の瞳から流れた涙が心の震えのように激しく揺れて溢れていった。


「でも、私はもう泣き止んだから......」


 自身の中で結論を出せずとも人の時間は過ぎていく。自身の心のありようが解らずとも人の心は変わっていくーー。




 その流れの中では正しい答えや正しい知識など無力であることをエルフレッドは強く思い知らされたのである。




「だから、次はエルフレッドの番ーー」


 声は上げなかった。だが、涙の数は泣き叫ぶそれと変わりなかった。心の有り様さえ解らぬエルフレッドではあったが、ただ彼女の優しさが非常に愛おしく感じたことだけは確かだった。













○●○●













「ーーさて、そろそろ帰らねばなるまい」


「......そうだな」


 清めの風の印を書いて身綺麗にした二人は腫れぼったくなった瞳を回復魔法で回復して、プライベートカフェを出た。空は小降りとはいえ雨模様だったので風の膜を張って雨を防いだ。


「ありがとう」


「このくらいなら大丈夫だ」


 ガラガラとした声で話しながら皇城への道を歩く。その足取りは遅くはあったが非常にしっかりとしたものだった。


「これからどうするか話せなかったな」


「仕方ない。とはいえ親族の方々が色々してくれるのだろう?」


「お母様と叔母様。そして、叔父様も公務を手伝って支えてくれるそうだ」


 アズラエルと言えど今の状態では完璧な仕事など出来ようもない。それでも公務を遂行しようと皇帝としてあるべき姿を見せようとしているのは流石の一言だが助けを必要としているのは間違いないだろう。ジャノバも普段はあの態度だが優しい性格であるという事実に嘘はなく、心身共に参っているであろう兄を支える為に奮闘しているそうだ。


「......不謹慎とは解っているが笑ってしまうな。あのジャノバさんが手伝っていると思うと......」


「本当だな。寧ろ手伝える実力があるなら普段から手伝えば良いものをと思ってしまうぞ?」


 二人の間に小さな笑顔が生まれた。表情こそ疲れていたが心が少し癒されている様子が感じ取れる雰囲気であった。そんな折に正門の辺りにピンクの華やかな傘を持った一人の女性が立っているのが見えてリュシカは濡れるのも構わずに走り出した。


「お母様‼︎」


 一瞬止めようと手を伸ばしたエルフレッドもその声に腕を下ろすと微笑んで歩き始める。


「お母様......私、私ーー‼︎」


「よく頑張りましたね。リュシカ。お姉さまの事を支えてくれて母として嬉しく思いますよ?あとはお母様とお姉様に任せて下さいね?」


 優しく穏やかな笑みを携えてリュシカへと微笑んだメイリアは彼の姿に気付くと優しい笑みを浮かべたままーー。


「娘と姉家族がお世話になりました。それにドリームナビゲイト(夢の送り人)としての素質があったようですね」


「......メイリア様。私などはあまり役に立てたとは思えません。それにそのドリームナビゲイトとは一体ーー」


 メイリアは泣き噦る我が娘の頭を優しく撫でながらーー。


「偶に現れるのです。全く知らない魂でも波長が合えば引きつけて最後の願いを叶える役目を持つ方がーー本来は夢の中で極僅かな時間だけで行われるので当人もそれをしている意識はないのでしょうが、今回は当人との距離と波長が余程近かった為に長い時を共にすることになったのでしょう」


「そう......なのですね......」


 その役割が自身にとって、そして、最後の時を過ごす者にとって果たしてどういった意味を持つのかはエルフレッドには解らなかったが、心残りがある魂を和やかに送り出す事が出来るならばそれはとても良いことのように思えた。


 メイリアは「愛の神であるユーネ=マリア様でも全ての魂を救うことは出来ません。そのお手伝いに選ばれる事は素晴らしいことですわ」と微笑んで落ち着き始めた娘をゆっくりと優しく引き剥がした。


「リュシカ、お母様はそろそろお姉様のところに行って参ります。辛い気持ちはあるでしょうが心穏やかに残りの日数を過ごすのですよ?ロクシャーナちゃんやユリウス君を支えてあげて下さいな」


「お母様......私、支えてみせます......」


 メイリアは少し目を丸くして「昔のリュシカに戻ったようですわ」と微笑んだ後にエルフレッドへと頭を下げた。


「エルフレッド君。私の親族のことで心労をお掛けして申し訳ないのですが娘をよろしくお願い致しますわ」


「私に出来る限りのことであれば喜んで」


 しっかりと頷いた彼に満足げな表情で頷いた彼女は嫋やかな笑みではあったが表情を引き締めると皇城へ向けて歩き始めた。


「......私も悲しみに飲まれないようにしませんと......」


 悲嘆にくれる姉の事を思い、胸の前で強く拳を握ったメイリアは自身に言い聞かせるようにそう呟くのだった。

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