28
ディナーに関してはいつもの第四層のレストランだが普段お互いが使っているのが薔薇の間、櫻の間であったため今日はもう一つの最高級の部屋[牡丹の間]へと入ることを決めていた。この部屋他の部屋と狙っている層が明らかに異なった。言うなれば元々男女一組で使うことを想定された部屋であった。
無論、カップル席のような隣り合う席ではないが向かい合わせの間を仕切るテーブルが細長く設計されており、お互いに身を乗り出して肘をつけば濃厚な逢瀬の時間を楽しむことも可能である。ライトアップも上品でありながら官能的な艶やかさを醸し出しており、その周りを綺麗な花々と小さな人工の川に囲まれている部屋だ。
場合によっては仲を誤解されても仕方ないような席だが一度自身の胸の内をそういう場に置いて確認するのも良いかという判断だ。リュシカも何となく彼の心持ちが変わったことを理解していたため、特に突っ込んだり揶揄ったりする事はなく、エスコートの赴くままに付いて来たようだった。
部屋の中に入り遮音魔法が掛かったの確認してから二人は甘みがあり色鮮やかなロゼのシャンパンを細長いシャンパングラスで乾杯した。エルフレッドは普段より近い位置にある彼女の顔に少し視線をやってグラスを傾けた。
「これは飲み易い味だな。甘みがあって少し炭酸を強くしてることでアルコールの焼けた感じもしない」
「それならば良かった。だが、逆に言えばこういう酒こそ危ないということだ。今日は料理やお酒を楽しみたいという気持ちがあって飲み易い物を選んでいるがペースが上がり易く酔うのも早いのだぞ?」
それを聞いた彼女は少し科を作って目元を優しく細めながら微笑んだ。
「ふふ、初めてお酒を飲んだ日の父上のようなことを言うのだな。誠実なのか説教臭いのか。このような女性を口説く席ならば間違いであろう」
「......そうかもしれないな。少し選ぶ会話を間違ったかも知れない」
フフと上品に笑った彼女から視線を逸らしてエルフレッドは料理に手を伸ばす。とはいっても前菜はクラッカーにモッツァレラチーズやスライストマトを飾りつけているようなあくまでも会話を優先させるような内容だ。食い気に走るには少し味気ない。
「本日の舞台は面白かった。イヴァンヌ=テオドアの書物は読破しているが、あそこまで情感がハッキリとしているのは観ていて解りやすく爽快感がある。そして感動的だ」
早速、今日の舞台についての会話を振ってみる。彼女は少しゆったりとした物腰でその大きな瞳を少しだけ大きくしてーー。
「確かにな。普段の私はもう少し理知的な作品を好むが役者達が良かったのだろう。存外感動して心を動かされた。それにしても意外だな。私はそなたはもっと理性的な作品ばかり好むと思っていたが?」
エルフレッドはシャンパングラスに少し口をつけると「そうでもない」と微笑んだ。
「読み物はリュシカの言う通りだろう。ただ観る物に関して解り易いものを好む。俺はそこまで思考が早い方ではない。何でもじっくりと考えて思考に没頭してしまう質だから。考えるのが難しく理解する前に先にいってしまうような作品には置いていかれてしまうんだ」
リュシカは「ふむ。なるほどな」と呟いてクラッカーをサクリと齧った。
「それは良いことを聞いた。そなたと口喧嘩する時は捲し立てて打ち負かすか、ゆっくり話して理解を求めれば良いということだな」
「......揶揄っているのか?」
「勿論そうだ」
「だろうな。まあ、口喧嘩の攻略に関してはあっているとしか言えないが......」
少し汚れた指をフィンガーボールに浸してテーブルナプキンで指を拭きながら苦笑した。空にしたグラスに「もう一杯飲むか?」と訊ねれば「頂こう」と楽しげな声が聞こえてきた。氷水で良く冷えたシャンパンの底をシャンパンベールから取り出してトーションで拭きながら底を持ってグラスに注ぐ。炭酸の泡が弾ける音が耳に心地良く響く中でリュシカは少し深く椅子に腰掛けてーー。
「ああいう作品を観ているとそなたを巨龍の元へ送り出すのが辛くなりそうだ。幸せを願って居なくなったイヴァンヌの気持ちも助ける為に命を落としたミュゼカの気持ちも、そして、それを嘆く悲しみもどれもが近しい気がしたものだ」
「だからあの時目元を覆ったのか?」
「ああ、友を失うとはどういう気持ちなのだろうなぁと少し頭に過ってな。入学式以来、少しトラウマなのかもしれん」
私の場合は少し思いの質が違うがーーという言葉は口の中で噛み砕いた。
「それは......悪いと思っている」
少し歯切れが悪い口調でそう言ったエルフレッドは決まりが悪そうにシャンパンを煽る。リュシカは面白いものを見たと言わんばかりに微笑んでーー。
「そうは言っても巨龍討伐は止めないのだろう?」
「止めないな」
「......だろうな。まあ、そなたの場合はそなたの意志だけでもない部分があるからーーどうこうは言わんさ」
彼女がグラスを置くと白の丸皿に綺麗に盛り付けられた牛フィレ肉のステーキが物質転移にて現れた。
「これはトート牛ではないか?」
ナイフとフォークで一口大に切ったステーキから上品な油が滴るのを見てリュシカが笑った。
「......どうやらそのようだ」
先に一口噛んで飲み込んだエルフレッドが馴染みある口当たりに唸るような声でそう言った。
デザートに出てきたジェラートを楽しみ食後のティータイムを終えた二人は馬車に乗り込んだ。エスコートを受けていたリュシカが当たり前のように隣に座ってきたのに対してエルフレッドは「......リュシカ」と咎めるような声を出す。
「良いだろう?このくらい。大体ティータイムの時だって目と鼻の先には顔のある距離だったではないか?」
「それはそうだが......」
エルフレッドは近い距離から感じる彼女の体温に少し身を捩った。アルコールが入っているのもあるだろうがティータイムの時から彼女の熱に当てられている。それに今日の彼女は少し積極的だ。もしくは牡丹の間に入ったことが彼女をそうさせているのかも知れない。
「そなたの隣は落ち着くのだ。心が休まると言ってもよい。このような感覚はもう手に入らぬと思っていた」
それは眠れぬ日々を送る彼女の過去がそうさせているのだろうか?少し冷静になった頭でエルフレッドはリュシカを見る。
「ふふふ、そなたは解りやすい方が良いのであろう?ならば私の安寧の為に肩を貸してくれ」
エルフレッドは困ったように頬を掻いたが、それ以上は何も言わず座高を下げるように深く座る。彼女は「ありがとう」と呟いて身を預けるようにして目を閉じると穏やかな寝息を立て始めた。そんな彼女の姿に溜息を漏らしたエルフレッドだったが体に篭った熱は冷めそうにもない。
「俺もまだまだだな.....」
安らかな寝息を立てる彼女の横でエルフレッドはその姿を眺めながら自身の未熟さを痛感していた。




