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詩「曲線にかたまる挽歌」   2018 5 11

作者: konoe sakuta

ちさき子に水をうけとる遠道


薄紅が爆発した五稜郭

背丈程の樹木と共に

桜は好きではない

毎年をこれでもかと刻んでしまう

はきと



最後の旅だったのか

いや

最期にもう一度旅立つ

無へ



まぶしくはない日本晴

父さんにとって故郷函館での最後の日となった


くるみを二個持って

手のひらで回す


確定した届かなさが幅をきかせる


思い出は思い出を殺す

楽しかったことの裏側を探る

疲れ果てるほど境界を信じない


混じりけのない記憶はない

事実は一つだけれども



幼いころ

夏は毎年父さんの実家がある函館に行った

函館に親せきやいとこが集まった


あの頃は早朝がまぶしすぎて目を開けられなかった


道中長万部でジュースを飲む

俺は毎年熱をだして口内炎がひどかった

カニ飯が食えなかった


高速道路はなかった


長万部の海は砂浜が狭い

危なくて泳げない海

でも大沼よりも強烈に覚えてる憧憬


トンネルを通るたびに息をとめた

黒いナンバーは縁起が悪いと信じていた

子どもは平等に愛されるのだと思っていた


たまらなく瑠璃色の万華鏡

原色をちりばめただるま落とし

初めての映画館

興奮してしゃべりすぎていとこに怒られる


アリがばあちゃんの家を行進していた

いつも100玉を40枚ほどもらった

ビニール袋に入れてもらった

ばあちゃんの家にはいとこの写真が飾られていた

俺の写真は一枚もなかった

狭いばあちゃんの家にはたくさん布団があった



いくらでもバッタはいるのにセミは一度も捕まえられない


カステラと牛乳

オロナミンC


父さんは漬物が嫌いだった



その思い出の函館に俺の運転で父さんと二人


函館山と立待岬と五稜郭


なにもない

三枚の写真に写った父さんはやわらかい笑顔で白いジャンパー



父さん

父さんがいれば俺は今どれだけ救われるのだろう


父さん

父さんは二つに分かれてしまった

分骨の意義とはなんなのか

どうして父さんの骨は札幌と函館に分かれなければいけないのか


300キロメーターの分裂

永久の分断


ふんだんに盛り付けられた情けなさの塔

深海に到達する心残りのおびただしさ


薄い平面

感情にまかせたあさはかな明朗



狭い部屋

父さんの書斎はタバコの匂いが染みついていた


俺の読んだ本を読んでいた

俺の本が父さんの部屋に勝手に


父さんは釣れない釣りに行き

打てないマージャンをした


自分の生徒がバイクで死んだときダイニングチェアを叩き割った

温厚が叩き割った


常にセダン

最後までセダンだった

初めての車が廃車になったとき父さんは泣いた


車を愛していた



父さんは余命宣告されたときに俺のワンボックスの運転席にのり「事実上の死刑宣告だな」とハンドルに突っ伏した


かける言葉なんてない

生まれて初めて余命宣告を目の当たりにした


父さんは車でどこかに飛び込むのでは思った


俺の車のキーを貸せと言われたら俺はどうしたんだろう


あれだけタバコを止めるように言っていた母さんはもうタバコをやめるようにとは言わなくなった


腕が上がらなくなり

顔が上がらなくなり

体の支えが必要なぎりぎりまで白いセダンに乗った


孫を抱こうとして真後ろにひっくり返った

姉ちゃんに子どもができて

父さんの死に間に合うように俺にも子どもができて


幻なんて一つもない

現実

現実はいつだって双曲線のように相反してすれ違っていく


思惑と不真面目の激突

際限のない混乱



ウナギを食べた

そばをそのまま食べた

父さんは小食だった

酒をのんだ



父さんは意気揚々と大学の体育学部に入った

数か月でアキレス腱を切った

もう走ることはできなかった

マネージャーを続けた雑草の男

挫折を共感できる魂の男


母さん

ここまできて嫁姑とかどうでもいいだろう

父さんを二つに分けて一体なにがあるんだ

だから

だから俺は自分が灰になったらその辺にぶちまいてくれって思うんだ


俺は父の教えを守っていない

守れていないことが多すぎる

母さんに一言も言えなかった



父さんが生まれたのは昼が一番長いころ

父さんが死んだのも昼が一番長いころ



ALSと診断された

しかしその診断はおかしいのではということになった

ALSであれば進行が遅すぎる

喉の調子がおかしい

それからいくつもの病院を渡り歩き

喉の病院にかかった


数年が経過し

少しずつできないことが増えていった

喉以外にも症状が出つつあった


セカンドオピニオンなんてものでは言い尽くせない数の病院をめぐり

またALSと診断された


診断を受け入れざるをえなくなった

もうこれ以上病院を変えても仕方がない

残された時間を大切にするしかない

そう思える納得の死刑宣告だった


余命宣告


死刑宣告と父さんは言った



痩せたのか

元から細かったのか

小食の父さんの細い筋肉はすべて脂肪になっていく


あっという間に老いていく

まだまだ若いのに顔がしぼんでいく


優しい男だった

その優しさは顔に表れていた

柔和なまま父さんは急激に衰えた


フロを愛した父さんは自力ではフロには入れなくなっていた


俺が全力で体をささえ

いや

全力ではなくても父さんをフロに入れることができた

軽くなっていた


俺が体を支える

俺が股間を洗う

俺が尻を拭く

父さんは喜んでいた


最後の谷地頭で父さんの背中を流した記憶がよみがえる

あれだけ一緒にフロに入ったのに背中を流したのは

谷地頭の湯にタオルを沈ませるとメタルな茶色に染まる


それも忘れていく



父さんの日常は凡てが乏しくなっていった


立つこと叶わず曲線にかたまっていった


筋肉という筋肉が弱り何もできずに精神の地獄に陥る

体がどれほどいうことをきかなくても

表情を表す筋肉まで動かなくなっても

頭は冴えているらしい

体も動かず

声も出せず

誰にもその脳の躍動を伝えることができない

ただ聞くしかない

だた考えるしかない

嘆きを

苦痛を

愛を

訴えることすらできない生き地獄

もう絶対に治らない

誰にも開けることができない精神の牢獄


最後に呼吸する筋肉が弱り


死ぬ

さもなくば

人工の呼吸器をつけることで

精神のみの塊は生きながらえることができる


曲線にかたまる


芋虫


いや芋虫よりも動くことができず


表現は自由ではない

父さんは表現ができなくなっていく

二度とジョークも言えなくなっていく


呼吸器をつけて地獄を続けるのか

呼吸器をつけずに先に逝くのか


俺ならどちらを選ぶのだろう

君ならどちらを選ぶんだい



腹に穴をあけ栄養という名の泥を入れる

喉に穴をあけ匂いのないガスを吸う


喉のパイプにタバコを詰めろだと


失われた声の色

かろうじて喉のパイプに指をあて

パイプを閉じるとかすれた声で


背中をかいてくれ

窓をしめてくれ

痰をとってくれ



水銀を飲むような日々が始まる


仕事が終われば病院にいく

毎日終末のコトバをぶつけられる


人生最後のコトバが毎日あの手この手で

ベッドの横に座る俺を

知らなかった父さんの信実が

インキのごとく俺に染み込んでいく


父さんのきらめく人生の一つひとつが

みせなかった葛藤や悲鳴の一つひとつを

今まで知らなかった父さんの人間としての様が

最終回のテレビドラマのように

毎日テレビドラマのペーソスあふれる最終回が

俺に

形をかえあらゆる角度から俺にだけ繰り返される

狂おしいほど鋭く鋼鉄のつまようじが全裸の俺を余すことなく突き刺していく


俺の中に植え付けられた種子は拡張して膨張して肥大して肥満した



病室に行けなくなる

あまりの密度の吐露に俺の容器が詰まっていく

あまりのやるせなさに


死へ向かう

恐怖と闘う

受け入れたはずの人生の終わりに

駄々をこねるように放つ父さんの失われていくきらめき

その最後の微々たる光線が

俺に

俺にだけ



俺の容器はあまりにも小さくて


病室に遅れていくとあの寛大だった父さんが怒った


俺はあまりの状況についていけず

母さんも

姉さんも

親戚も

誰もいない夜に


パチンコで時間をつぶしてから病室に向かった

俺は面会時間のギリギリに病室に向かった

そして父さんは怒った

話し相手は俺しかいない

父さんの焦りを俺は踏みにじった


父さん

もうつらくて聞いてられないよ

自分の遺言を俺にだけ刻んでいく


声の色を失うばかりではなく

声本体すら


もう誰も

父さんの言っていることはわからない

俺以外は



父さんは呼吸器をつけない選択をしていた

母さんは泣いた

姉さんも泣いた

俺は泣かなかった



朝4時の電話を受け車に飛び乗った


病室に入ると看護師が父の上に馬乗りになって心臓マッサージをしている

看護師の本気のオーラに一人の人間の終末を感じた


これが白目をむくということか

これが白目か

脈が限りなくない状態から

看護師のめいっぱいの

渾身の心臓への直接の吹き込みで父さんはかぼそい意識を取り戻した



モルヒネは呼吸をとめる死



父さんは確実に俺の目をみて言った

間違いなく言った

父さんの目に命が戻ったかすかな瞬間のこと

何も話すことはできない

もう喉の管をおさえて話すことも

口の極小の動きをみてコトバを感じ取ることさえできない中

俺だけの目をみて

俺も父さんの目だけをみて

この世で父さんの話がわかる最後の人間として

尊厳死を望む男の

その最期の瞬間を嗅ぎ取り

察するなどというものでは表せないほど確実に俺は医者に言った

モルヒネを入れてくれと


病室が凍り付いても確実に俺は言った

モルヒネを入れてくれと


誰もが「もう頑張らなくていい」といった

「死ぬな」ではない

「死ね」と


俺は涙を流さなかった

一人の男を少しでも気丈に見送りたかった

いや

そんなんじゃない

もう疲れ果てていた

どうにもならないなにもかもにうんざりしていた



父さん

父さん俺はいま力尽きようとしている

俺にはまだするべきことがあるような気がする

ただ俺はもうどうしようもできなくなっていて

父さん

父さんなら俺に何を言ったのか

俺は



誰にもあこがれなかった

好きな教師なんて一人もいなかった

ただ

父さんが教師だったから

俺も教師になった



誰もが誰かの死を不公平に感じる



俺は何を感じたのか

父さんが水銀とともに俺にぶつけたもの

そこに


俺はいまさらになって

父さんから聞き漏らしたものを探している


父さんの唇の動きを

聞き漏らすために

聞き漏らすために父さんの病室に通っていた



俺はいま力尽きようとしている


父さん


父さんがいれば俺は今どれだけ救われるのだろう


父さんは自分のことを誠実だといった

自分の人生は誠実であったと


俺は

俺はその言葉を聞いて俺の人生に誠実であろうと思った

俺の好きなように

したいことを思うがままに

他人に誠実なのではなく

俺の欲望のおもむくまま誠実を言い訳に生きて

俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺 俺 俺

そして俺は多くを裏切った

多くをなくしてしまった

俺は大きく間違ってしまった


父さん

俺はもう誠実ではなくなってしまった


父さん

俺はもう誠実ではなくなってしまった


父さん

父さんが買ってきたドーナツやハンバーガーを食べなかった俺を許してくれ

俺が喜ぶだろうと土産を買ってきてくれた

そんな父さんの気持ちを誠実を失ってから初めて気づいたんだ


いつだって俺はつまずいている



病室で6月の脳をかきむしる


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