7.鉱山の神の神御柱 椎名獅童
菊之助とイザナギとの挨拶を終え、新しい部屋へと向かうエレベーターの中。
後々になって飛び出してくる涼子の報告に真羅は怪訝な表情を浮かべていた。
「涼子さん、これ以上俺に伝えてないことってないですよね?」
涼子はアマテラスを一瞥するとアマテラスは小さく両手を合わせて『あのことはまだ……』と涼子に視線を送った。
真羅にとって一番胸を痛めるであろう真実を彼女達はなかなか話せずにいたのだ。
いずれ否が応でも知ることとなるのは明白なのだが、アマテラスはまだその時ではないとタイミングを計っていた。
アマテラスの視線の意を涼子が汲み取ると、眼鏡のブリッジを上げながらすまし顔で真羅に向き直る。
「そういえば、一つありましたね。ベッドの上に置かれた『いやん、ダメん、ロリで巨乳な幼妻』というタイトルの本は新しいお部屋に運んだほうがいいのか? と引っ越し業者の方から連絡がありまして。いかがいたしましょうか?」
「おい! タイトルが違うだろ! 『いやん、ダメん、巨乳新妻物語』だろ」
エレベーターの中に無慈悲な沈黙が流れる。
真羅にとってその体感時間はかなりの長さだったに違いないだろう。
――な、なにを言っているんだ俺は……。
真羅の額を冷え汗が伝う。
涼子は苦笑しアマテラスは口元に手をやると肩を竦めた。
「き、巨乳で、に、新妻が真羅くんの好みなんですね。ネトラレって……やつですか? 私頑張ります!」
「何を頑張るんだよ! だいたいたまたま会社の吉田が家に来たときに忘れてっただけだ」
「ほう、そんなに鮮明にタイトルを覚えになっているのに?」
涼子のギロリとした視線が真羅を見据える。
丁度その時、エレベーターが1階に着き真羅は話題の矛先を強引に変えた。
「そ、そういえばーここって喫煙所とかあるんですかね? そろそろたばこが吸いたいなと」
「そこの通路を真っすぐ行った突き当りにあります。そうですね10分後に玄関前に集合にしましょうか? アマテラス様も休憩室に行きませんか?」
「そうですね。少し喉も乾きましたし、では真羅くんまた後で」
そう言って三人は暫しの休憩に入った。
真羅は涼子に言われた通りに喫煙所へと向かう。見知らぬ真っ白なシステムパネルが連なる廊下を一人とぼとぼと歩く。
時折すれ違う人が笑顔で挨拶をしてくると小さく会釈して返事を返す。ただ通り過ぎた彼らを真羅は不思議そうに見つめる。
ここ妖魔対策室は警察庁の直属の組織とあって制服を着用している人も多い。制服の形状は警察官の着る制服のそれなのだが、色が全く違う。
白色をベースとして、肩章から袖にかけて緋袴のような朱色のラインが走っている。そんな独特の制服なのだが胸につけられた紋章はキラリと光る旭日章だ。
――変わった制服だよな
そう思いながら喫煙所へと足を進めた。
ガラス張りの真新しい喫煙所へ入ると、パーカーのポケットからクシャクシャになったソフトパッケージのたばこを取り出す。
この2026年では電子たばこが主流となっていて紙巻きたばこは少数派であり、ましてや真羅のようなソフトパッケージのたばこを吸っているのはかなり珍しい。
パッケージを振ってたばこを出すと口に銜えて火を着けた。
大きく吸い込んではっーと吐き出すと淀みながら宙を舞う煙が目前に漂う。
今日で色々なことが変わってしまった――といってもまだ実質には数時間なのだが。
これから自分はどうなっていくのだろうか。妖魔を倒してこの世界を守っていけるのだろうか。いややるしかないんだ。
っと考えを巡らせ、逡巡する。
空気清浄器の無機質な音とチリチリとたばこを焼く音が一人室内にいる真羅の耳に届いていた。
――ガチャ
いきなりの扉を開ける音に思わずそちらに視線を移すと紙巻きたばこを銜えた男が喫煙所に入ってきた。
金髪の棘のようにツンツンした髪に左耳に黄色い玉のついたピアス。胸元にはシルバーの十字架を模ったアクセサリー。白の長袖に茶色のダウンベストを着ている。
真羅が一目見た感想は――チャラい。
その一点の言葉に尽きる。
そんな真羅の感想の似合う男だったがよく見ると、目が大きく人懐っこそうな可愛らしい顔をしている。
男は真羅に近づくと屈託のない笑顔で、
「あの~、ライター借りていいっすか?」
「あっ、どうぞ」
「どうもどうもっす」
男は紙巻きたばこに火をつけるとニコニコしながら真羅から借りたライターを返した。
二人してシンクロするように大きくたばこを吸って吐き出すと自然と『ふぅ~』と吐息交じりの声が出た。
「見ない顔っすね? 今日はどんな用事できたんっすか?」
「今日からこの妖魔対策室に入ることになりましてね。それで先ほど上の人に挨拶して来たんですよ」
「もしかして新しい神御柱の人っすか?」
急にテンションが高くなった男は目を輝かせている。
真羅は少し気圧されて戸惑いながらもゆっくりと首肯する。
「まじっすか! アマテラスの神御柱なんすよね! いいな~、彼女可愛いっすか!?」
「まあ、その、可愛いんじゃないかな。多分」
「うわぁ~勝ち組うらやまっす! 俺も女神が相手だとよかったんだけどな~」
「あなたも神御柱なんですか?」
真羅の問いに男は後ろ頭を掻いて微笑む。
「俺、椎名獅童って言います。金山毘古の神御柱っす」
――こいつ神御柱だったのか!
真羅は獅童が神御柱であることに驚いたが、『カナヤマビコ』と呟き小首を傾げた。
「あはは、カナヤマビコって聞きなれないすよね……。鉱山の神様で実物は白いお面つけた無口なおっさんなんすよ。どうせなら女神の金山毘売神のほうが嬉しかったんっすけどね」
金山毘古と金山毘売神は神名の通り鉱山を司る神である。また同時に鉱業・鍛冶など、金属に関する技工を守護する神とされている。
「へぇー鉱山の神様なんですか。でも男の神様のほうがいろいろ気を使わなくていいんじゃないですか?」
「いやいや! グッドでキュートな女神様のほうがいいに決まってるじゃないっすか! あーあなたが羨ましいっすよ!」
「そ、そうかな? そういえば自己紹介してなかったですね。天木真羅。普通の会社員でした。いろいろ聞くと思いますがよろしくお願いします」
「真羅くん会社員なだけあって、しっかりしてるっすね。今何歳なんすか?」
「25歳ですが」
「うぉータメじゃないっすか! 堅苦しいのはやめてタメ語でいきましょうよ!」
一人盛り上がる獅童を見て真羅は辟易しながらお得意の愛想笑いを返す。
今まで普通に社会経験を送ってきた真羅にとって獅童のような天真爛漫な同い年の大人をみるのは初めてだった。
自由に空を飛ぶ鳥のような男にどう接すればいいのかと考えながら、再びたばこの煙を吸い込んで吐き出す。
「じゃ、じゃあタメ語で。獅童って呼べばいいかな?」
「もちろんすよ! じゃあ真羅って呼ばせてもらうっすね~」
「獅童はいつからこの仕事やってるんだ?」
「俺は1年くらいっすかね。この東京本部で一番長いのは美代ちゃんって子でこの妖魔対策室の創立当初からいるっすよ」
「あ~あの子が一番長いのか。今日たまたま会ってね」
「そうなんすか! 美代ちゃんクール&ビューティーって感じでいいっすよね~」
確かに美代は黄色い瞳も相まって、不思議な魅力を感じさせる少女だ。
だがそれと同時にどこか悲しげな雰囲気を真羅は感じ取っていた。
しかしそんな事を獅童に聞くのも気が引けて、思った言葉を飲み込んだ。
「そういえばこの妖魔対策室には何人の神御柱がいるんだ?」
「室長を除いて、真羅を合わせると6人っすね」
「結構少ないんだな。それで仕事は回せてるのか?」
「まあでも全国の支部とかだと一人しかいないとこもあるんすよ。それだけ神御柱は希少ってことなんすよ。あと神御柱以外にも退魔師の部隊もいるんで現状何とか回ってるすね」
妖魔対策室の支部は全国に8カ所ある。その中でも神御柱と妖魔を退治する力を持つ退魔師の人数が一番多いのが東京である。次いで関西支部、東海支部と続く形になる。
それは妖魔の出現回数が多い順番になるのだが、なぜその3つの地区が多いかというと1つの理由がある。
それは神御柱とその候補となる人数が多いという根本的な理由だ。
妖魔自体も宝玉を狙ってこちらの世界へとやってくるため、手あたり次第に出現するわけでない。
妖魔も妖魔なりの情報網で襲撃する地区を決めているのだ。
「そうなのか。ならブラック企業のような連勤はなさそうだな」
「まあ週休二日制を謳ってますけど、非番の日とか結構出動することも多いんすよ。しかも残業手当とか雀の涙っすからね。まあ家賃や食費とかはすべて補助が出るんで、そこはありがたいんすけどね」
「そ、そうなのか……。ま、まあ前の会社よりかはマシそうだな……。あとの3人はどんな人なんだ?」
「思金の神御柱、楠彰吾さんと天手力男神の神御柱、哀川亜美ちゃん、真神の神御柱、上妻洋司さんの3人なんっすけど、まあすぐ会うことになると思うっすよ」
特別神話に詳しくない真羅はまたも聞き慣れない神名に首を傾げるも、獅童のすぐに会えるとの言葉にこれ以上の質問は避けた。
「おっと、それじゃそろそろ時間なんで俺行くっすね!」
「3分前か俺もそろそろ行くよ」
真羅も喫煙所に置かれた時計を確認すると一緒に喫煙所を出る。
「これから宜しくっす!」
「こちらこそよろしく!」
二人は廊下でしっかりと握手をすると、それぞれの行く場所へと向かう。
――見た目はチャラかったけどいい人そうだな。
獅童の見た目とのギャップに真羅は最初の評価をすっかり改めると気持ち穏やかに玄関へと向かった。