2.実は私、神様なんです!
────みんなを守れるヒーローになりたかった。
格好良くて、何者よりも強く、────昔あの子と約束した優しいヒーロに。
☆
雑多な業務オフィスで、天木真羅はデスクトップPCのモニターに表示されたエクセルの見積もりを眠たい目を擦りながら見つめていた。
時間は夜の11時。
窓の外は夜の静寂に包まれており、今宵は春独特の幻想的な朧月夜だが、ブラインドで月明りは入ってこない。
部分的にLEDの蛍光灯が室内を照らし、寂寞感が漂っている。そんなオフィスに今残っているのは真羅と同僚の天満照子だけである。
ここ天弁広告株式会社は都内にある中小企業の広告代理店だ。HP作成や展示会のイベント、販促POPの制作まで仕事の内容は多岐にわたる。
2024年に突如起こり始めた原因不明の様々な厄災は2026年の現在では減少傾向あり、人々は混乱から解放されて、厄災が起こる前の日常へと完全に戻っていた。
真羅は2台机を挟んだ先に居る照子に話しかける。
「なあ、照子! これ見てみろよ! 社畜の連勤術師とか俺たちみたいだな。あはは」
真羅は手に持ったスマートフォンで掲示板の社畜板が映る画面を照子に見せつけた。
「あはは、真羅くんはこんなに残業続きだというのに元気ですねー」
照子は疲れのためか、窶れ気味な顔に笑みだけ浮かべ棒読み状態の返事した。
すると真羅も『元気ですよー』と魂の抜けた声を照子に返す。
そんな社畜人生を歩む真羅だが彼にも夢があった。
幼い頃から抱いた世界を救うヒーローだ。だがそれは当然年齢を重ねるごとに実現することのない夢だとわかってしまう。
そして多くの人は生きる過程で気づく。
自分がちっぽけな存在であることを、大勢いる人類のたった一粒の存在なのだと気付く。
彼も所詮はそのたった一粒にすぎない。
夢という綺麗で、儚くもろいガラス玉を呑み込んだからこそ真羅は今ここにいる。
仕事が一区切りつき、会社を出るときには、一足先に照子は会社を出ていた。
急ぎ帰り支度を済まして会社を出ると、先に帰ったはずの照子が横断歩道をふらふらと今にも倒れそうな雰囲気で歩いている。
相当疲れでも溜まっているのだろうかと心配して見ていると横断歩道の中央で止まってしまった。
信号が青から赤に変わると、1台のタクシーが猛スピードで近づいてくる。それでも動く気配のない照子を見て、真羅に動揺が走った。────何やってんだよこのままだとぶつかってしまう。
持っていたカバンを放り投げ、地面を勢いよく蹴ると全力で照子のもとに駆け寄った。
迫りくるタクシーを横目に、照子を押し出すように両手を広げた真羅。
長い付き合いの二人だが、その瞬間が初めて真羅が照子に触れた瞬間でもあった。
彼は瞼を閉じていて気付くことはなかったが照子に触れた時、互いの胸部が共鳴するように同時にまばゆい閃光を放ち、幻想的な光が二人を包んだ。
ブレーキ音が響くと共に間一髪のところで二人は、車の正面から抜け出す。
一瞬生きているか、死んでいるかわからなくなった真羅だったが目の前にいるやけに、いや、かなり近い照子の顔を見て生きている確証を得る。
唇と手に柔らかい感触を覚えたのはそのすぐ後のことだった。照子に覆い被さる形で口づけをしながら、手は彼女の大きな胸を鷲掴みにしている。
取り乱しながらもすぐに体を離すと照子は朦朧とした瞳でこちらを見つめ、
「真羅くん・・・。ありがとう。────でも」
そこまで言いかけて照子の意識は飛んでしまった。
真羅は慌てふためきながらも救急車を呼んで、彼女を病院へと運んだ。
☆
そして翌朝真羅の人生を変える出来事が起きた。
時刻は早朝というのも憚られる午前4時頃。
唐突に鳴り出したインターフォンで目を覚まし、真羅は少し苛立ちながら玄関へと向かうと勢い良く扉を開ける。
「真羅くん! お、おはようございます。実は私、神のアマテラスだったんです。これからあなたを私の神御柱として認め、私はあなたに付き従います。だから一緒に世界を救ってください」
「はあ~!!」
真羅は状況が全く掴めずに寝間着のジャージ姿で、寝癖の残る後ろ頭を掻いた。
深々とお辞儀した照子ことアマテラスは頭を上げると小首を傾げ無邪気微笑む。
その見た目は小動物のように愛でたくなるほどに愛らしい。
艶がある腰まで伸びた美しい黒髪がふわっと揺れると柑橘系の香りが漂う。
前髪には太陽のオブジェのついた可愛らしい髪留めをしており、真羅と同い年の25歳だと言うのに見た目は年齢より若く見え、若干幼ささえ感じる。
吸い込まそうな大きい黒い瞳と真羅は目が合うと昨日のことを思い出して視線を逸らした。
「照子。き、昨日のことはすまなかった」
「ふえ? 助けていただいたのは私のほうですよ? なぜ真羅くんが謝るのですか? あなたが命を張って助けてくれたこと私はすごく感謝してるんです! 巻き込んでしまったのは私のほうですし……」
内心真羅は昨日のことを怒りに来たと思っていたが、どうやらキスのことをアマテラスは覚えていないらしい。
真羅は安堵して肩を落とす。
「ん? ならよく分からんがなんでこんな朝早くから、しかもそんな格好でなにしに来たんだ?」
「先程申し上げた通り、私はアマテラスで、真羅くんは私の神御柱で、真羅くんが昨日私に触れたことで契約が結ばれて、それで、うんと、その……。巻き込まないように頑張ってはいたんですが、やむにやまれぬ事情があるといいますか、なんといいますか……。巻き込んで本当にすいませんといいますか……」
要領を得ないアマテラスに真羅は眉を八の字にして再び後ろ頭を掻く。
アマテラス自身も上手く伝えることのできないもどかしさでその表情は影を見るように曇っている。
普通にこんな話を素直に信じるほど真羅も純粋ではない。だが同時に普段真面目な照子が、わざわざこんな朝早くから冗談を言うために来るだろうか。――いや、こない。
半信半疑ではあるが真羅はアマテラスが言ったことを脳内で整理した。
「えーっと照子が実は神様で、俺がかみのなんちゃらってやつで、昨日助けた時に俺が触れてしまったことで契約が結ばれて、一緒に世界を救ってほしいってことか?」
「そ、そうなんです! そうなんです! それとこれからは私のことはアマテラスとお呼びください」
アマテラスの顔はパァっと日が射したように明るくなり、豊かな胸の前で握りしめた拳を突き上げた。
ちょうどその時、彼女の後ろにあるエレベータが開いて一人のスーツ姿の女が、コンビニのレジ袋を提げながら息を切らしてこちらに近づいてきた。
「あ、アマテラス様、お、お話しは終わりましたか?」
「まだ自己紹介程度しか進んでなくて……。あはは」
女は後ろ頭を撫でながら、愛想笑いをするアマテラスを見て深いため息をつくと真羅の前へと躍り出た。
赤い細ぶちのメガネと後ろに束ねられた黒髪。
上下グレーのスーツに身を包んだ女はいかにも仕事の出来そうなキャリアウーマンといった感じの見た目をしている。
「私は国家妖魔特別対策室の宮内涼子と申します。以後お見知りおきを。
私がアマテラス様に変わって事情をお話ししますので、中に入れてくれませんか?」
「嫌だといったら?」
「政府に逆らう反逆者としてこの場で拘束します」
涼子は手に持った、禍々しい銀の輝きを放つ手錠を真羅に見せつけた。
その手錠を見て真羅は顔を引きつらせる。
「ちょ、ちょっと待てって。せめて名刺かなんかでも見せてくれれば信用できるんだけど……」
「確かに。これは失礼いたしました。社会人としてお恥ずかしい」
涼子は名刺入れから名刺を取り出し、15度お辞儀をして真羅に渡した。
名刺には『国家妖魔特別対策室 支援係 宮内涼子』と書かれていた。