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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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神聖なる悪魔の苗床 1

 審判の日来たりて、地に蔓延る悪魔は滅び去る。

 悪魔は千の時を経て神の鎖を解き放ち、傲慢にも神に挑む。されど神の子によって打ち倒され、罪人と共に火の池に投げ込まれる。その炎は永遠に消えることなく、その罪は永遠に赦されることはない。

 ただ真の信仰を持つ者のみが栄光を得る。

 あれから一体何日たっただろう。

 大量の樽が並ぶ船倉の片隅で、シリル・クロウはじっと考え込んでいた。

 窓のない船倉は暗い。扉の隙間から漏れる光が、並べられている樽の輪郭をかろうじて浮かび上がらせている程度だ。廊下には窓があるのか照明があるのか分からないが、廊下の光は一定周期で消えるようで、それすら失われてしまうと船倉は真っ暗闇に沈んでしまうのだった。

 そもそもこんなところに連れてこられる羽目になったのは、フロンダリアで悪魔教徒の襲撃を受け、彼らに囚われたせいだった。悪魔教徒達は一緒にいたオリヴィアを攻撃し、シリルを連れ去ったのだ。捕まった時に気絶させられたから、オリヴィアが無事なのかどうか分からない。療養中だったのにシリルを護ろうとして、悪魔教徒に斬られ突き飛ばされた。血を流し、ぴくりとも動かなくなったオリヴィア。シリルは悲鳴を上げて、彼女の元に駆け寄ろうとして――

 気付いた時には、彼らに捕らえられていた。

 悪魔教徒に捕まって一番驚いたのは、捕まっているのは自分だけではないということだった。シリルとよく似た金髪のミナという少女は口がきけないようで、食事の時間のわずかな隙に、手に文字を書いて会話した。最初こそ戸惑ったが、『誘拐された』という特殊な状況が戸惑いをすぐに消し去ってくれた。

 だが、打ち解けて数日もしないうちにミナとは別れることになった。砂嵐の舞う砂漠の中、一人の悪魔教徒と共に奇妙な馬に乗せられて、馬車とは違う方向に連れていかれたのだ。そうして辿り着いたのは、ミガー唯一の貿易港メリエ・セラス。長時間馬に揺られ、身体の節々の痛みと疲労でいつの間にか眠ってしまった後、目が覚めた時にはこの船倉にいた。

 メリエ・リドスに向かう貨物船の船倉。シリルは今いる場所がどこかという疑問を、そう結論付けていた。なんてことはない。周りを囲む樽の表面に、ミガー産の食料品が入っていることを示す焼き印が押してあったのだ。別に、悪魔教徒専用の船という訳ではない。光源に乏しいせいで読み取るのは苦労したが、分かってしまえば結論が出るのは速かった。

 ただ場所が分かったからといって、脱出の策が見つかるわけでもなかった。手足は縛られ、並ぶ樽の隙間に押し込まれ、ロクに身動きが取れない。この暗闇では作業するのも難しい。貨物船の船員が見回りに来ないかと期待したが、来る気配すらない。

 それに、

 少し離れた場所から、一対の赤い眼がこちらを見つめている。闇の中でぼんやりと浮かび上がる赤い双眸。火の玉が二つ浮かんでいるようにも見える。

 悪魔教徒。砂漠で他の悪魔教徒と別れ、シリルをここまで連れてきた女だ。

 彼女はいつ眠っているのだろう。いつ見ても、赤い点はそこにある。眠るどころか、瞬きすらしていないかのように。一睡もせず、ずうっとこちらを見張っているのだろうか。

 あれにずっと見張られているから、逃げ出すこともできない。何かしようとしても、あの赤い光が目に入ると萎縮してしまう。赤光の呪縛は恐ろしく強力で、シリルに余計な身じろぎ一つ許さなかった。

 幸いなのは、それはいつも離れた位置にあるということだ。いつも決まった場所にいて、近付いて来ることはまずない。馬で移動していた時は否応なし密着していたから、あの赤い光だけでなく、人間とは思えない氷のような体温と、絡み付くような気配に終始晒されることになった。あまりに気持ち悪くて恐ろしくて、船に乗せられてほっとしたくらいだ。

 だから今は、あの光さえ視界に入れなければいい。あれに近付かなければいい。逃げることが出来ないならば、せめてここでじっとしていればいい。あの悪魔教徒に近付かないですむならば。

 そう思っていたのに。

 シリルをあざ笑うかのように、不意に赤い双眸が近付いて来た。反射的に後ずさろうとしたが、樽に囲まれていてほとんど身動きが取れない。恐怖で震えていると、女はシリルの前に屈み込み、その顔を覗き込んだ。暗闇の中なのに、何故女の顔がはっきり見えるのだろう。恐怖に震えながら、頭の片隅で冷静な思考がそう言った。

 次の瞬間、女はシリルの胸元に容赦なく手を突っ込んだ。同性とはいえ、断りもなく無遠慮なことをされてシリルは悲鳴を上げる。だが悪魔教徒は意に介した様子もなく、シリルの胸元からあるものを引っ張り出した。

 途端、激しい火花が悪魔教徒の右手の中からほとばしった。火花は女の腕を焼き、黒く焦がしていく。その激しさに我に返ったシリルは、取られた物が何であるかに気付いた。

 アルベルトから貰ったお守りの麻袋だ。

 悪魔を寄せ付けず、近付くものを排除するそれは、悪魔教徒に対しても力を発揮するらしい。いや、この悪魔教徒の中にいる悪魔に反応しているのか。このお守りの力なら、悪魔教徒を無力化してくれるかもしれない。淡い期待を抱いて、シリルは激しく火花を散らすお守りを見た。しかし、

 腕を焼く火花を厭うたのか、女はお守りを無造作に放り投げた。火花は消え、お守りは樽の隙間に落ちて見えなくなる。あれでは取りに行くこともできない。命綱を取り上げられて、シリルは茫然とお守りが消えた辺りを見つめた。

 突然、奇妙な感覚に包まれた。裸で雑踏の中に放り出されたような、酷く無防備な感覚。お守りを失ったせいか。あれを貰う前はずっとこの状態だったはずなのに、吐きそうなほど気持ち悪かった。

 縮こまってその感覚に耐えていると、不意に腕を掴まれて、両手を縛る縄を外された。きつく戒められた後遺症で、手首がひりひり痛む。拘束を解かれたことに驚いていると、痺れて上手く動かない手にひんやり冷たい物を握らされた。

 自分の手の内にあるものを見て、シリルはぎょっとした。懐剣だ。切っ先が鋭く尖った、薄汚れた短剣。見た目は何の変哲もないただの剣なのに、何故かとても悍ましいものに触れているような気がしてくる。けれど握った手を押さえ付けられていて、手放すことが出来ない。

「あ、あの、何を……」

 懐剣を押し付けて来た女は無表情のままシリルを見つめている。そのがらんどうの瞳と手の中の冷たい感触がたまらなく怖い。一体なにがしたいの? 何をさせるつもりなの? 戸惑っていると、女はさらに顔を近づけてきた。

「わたし、中、悪魔、いる」

「え……?」

 たどたどしい喋り方で、女はそう言った。離れたくても腕を掴まれているから離れられない。身動きが取れない。すぐ近くにある女の赤い双眸が恐ろしい。

「悪魔、あなた、好き」

 訳が分からない。何をしたいの? 何をするつもりなの? 何をさせるつもりなの? 不安と恐怖で叫びだしたいくらいなのに、身体は凍りついたように動かず、声も出せず、視線すら逸らせなかった。二つ赤い光に囚われて、女が口を開くのをただただ見ていることしか出来なかった。

「だから、あげる」

 女は嗤った。艶然と。歓喜に打ち震えるように。

 ――次の瞬間、生温かい液体が両手を濡らした。

 何が起きたか理解できなかった。理解したくなくて、女を見上げた姿勢のまま静止していた。だが、手を濡らす生温かくてぬるぬるした液体の感触が、何が起きたかを如実に語っていた。

 女はシリルに握らせた懐剣で己の喉を突き刺していた。刀身の半分以上を喉に埋め、女は恍惚とした表情のまま目を閉じる。力を失った身体の重みが、懐剣を握るシリルの腕にのしかかる。耐え切れず手を離すと、倒れ伏した女の喉から溢れた血が、魔法陣の上に血溜まりを作った。

「……ぁ」

 血まみれの手と倒れ伏す女を凝視したまま、シリルは身動き一つ取れなくなった。じわじわ広がる血溜まりが脚を濡らしても、その場に縫い止められたかのように立ち上がれない。死の直前に女が遺した言葉が、頭の中をぐるぐる回る。

 ――わたし、中、悪魔、いる。

 ――悪魔、あなた、好き。

 ――だから、あげる。

 気持ち悪い。世界がぐるぐる回っている。吐きそうで、倒れそうで、息苦しくて眩暈がして辛くて苦しくて、

 声が聞こえる。

 誰かがわたしを呼んでいる。何かが身体の中に入り込んで来る。冷たい手で心臓を掴まれたような。

 知ってる。この感覚を知っている。恐ろしいほど懐かしい感覚。

「あ……」

 声が聞こえる。囁くような、怒鳴るような、誘うような、罵倒するような、謡うような、嗤うような、地獄(ゲヘナ)の底から響いてくるような声。呼んでいる。近付いて来る。獲物を捕らえようと、悪魔が、

『――、――――』

 頭の中に響いた恐ろしい声に、シリルは鋭い悲鳴を上げた。

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