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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
96/177

真に救われるべき者は 10

 ――やだあ、お姉さんったら怖い。あたしの玩具を壊しちゃうなんて。お気に入りだったのに、あたし悲しい。

 にやにや笑いが容易に浮かぶような声でそう言い、最後にはしらじらしい泣き声まで上げている。うっとうしい。

「なにが玩具だ。魔物が玩具なんて悪趣味にもほどがあるわ」

 ――魔物だけじゃないわ。この町はあたしにとって最高の玩具だった。一度そこのお兄ちゃん達に壊されちゃったけど、もう少しで元に戻るところだったのに、お姉ちゃんが邪魔をするからぁ。

「悪魔憑きが搾取される地獄がお気に入りの玩具? ふざけてるわね」

 ――だって好きなんだもん。だからもっと遊びたかったのに。

 そうして、駄々をこねる子供のようなことを言いながらリリスは不気味に笑った。

 ――ねえ知ってる? この町の始祖のバノッサのことを。

 唐突に、リリスはそう言った。

 ――バノッサは罪人をも受け入れて、勤労と禁欲を美徳とする悪魔憑きの互助会を作り上げた。例え悪魔から救われなくても、最低限生きていける環境を与えられたことで、罪人達は感謝していたそうね。

 ――でも、最後に彼らは何をしたと思う?

 ――バノッサを、毒殺したの。

 そこで、リリスは楽しげに嗤った。

 ――晩年、バノッサは自分を異端として排斥した教会への憎しみを募らせていった。いつか見返してやる。自分の主張を受け入れさせてやる。真に神の意志を理解しているのは誰か、思い知らせてやる。そうすれば、教会も己の過ちに気づき、その力を真に必要な者へと使うだろう。口癖のように、そう繰り返していたそうよ。

 ――その憎しみの苛烈さに、悪魔憑き達は恐れたの。彼らだけじゃない。バノッサの弟子も、同志達も。いつかバノッサは教会と事を構えようとするのではないかと。異端とされて教会を飛び出し、何もないところから町一つを作り出したバノッサが、年寄りの戯言で終わらせるはずがない、と。

 ――だから彼らは、バノッサを殺した。

 ――自分達の生活の安寧のために。何も改善しない。何も生み出さない。この淀んだ状態を維持するためだけに。

 ――ねえ、この終わりしかない場所を守るために恩人を殺すなんて、人間って身勝手よね?

 同意を求めるように語りかけるリリス。しかし、こんなやつに同意をくれてやるわけがない。そもそも、話を聞くのも時間の無駄だ。リゼは声のする方向めがけて、怒気を隠さず言った。

「戯言は聞き飽きた。さっさと姿を現しなさい」

 ――いやぁよ。あなた怖いから。この(玩具)にも飽きちゃったし、あたしお家に帰る。

 ――でも、また会おうね? そして次こそ、

 ――死んでね。

 それを最後に、リリスの声と気配はふっつりと消え去った。

 しんとした静寂が部屋の中に降りた。魔物の気配も悪魔の気配も感じられない。とりあえず、危機は去ったらしかった。

 眩暈で倒れそうになりながらも、リゼは何とか踏みとどまった。ともかく、傷の手当てをしなければ。リゼは祈るように手を組んで立ちすくむアンに視線を向けて言った。

「アン」

「は、はい!」

「薬と包帯」

「はい!」

 そう言って、アンは部屋を飛び出していった。思えば、最初から薬を取ってくるように頼めばよかったのかもしれない。そうすれば魔物との戦いを邪魔されることはなかっただろう。

 ともかく、薬と包帯を探すのにどれだけ時間がかかるかわからないが、時間がかかってくれるとありがたい。余計な説明をせずに済む。

 リゼは剣を収めると、倒れ伏したままのクリストフの元に駆け寄った。彼は自身の血で衣服を赤く染め、ぐったりと横たわっている。顔は血の気が引いて白く、出血の多さを物語っていた。しかし、まだ死んではいない。傷は深いが、まだ間に合う。

 リゼはクリストフの傍らに屈み込むと、傷口に手を当てた。目を閉じ、意識を集中させる。魔力の風が、周囲に渦巻いた。

『生命の息吹よ、ここに集え。その輝きで彼の者を救え』

 温かい光が掌から降り注ぎ、血を止め、傷口を塞いでいく。術を掛けながら、リゼは呟いた。

「テオは悪魔憑きが癒されることを嫌がったんじゃない。今後この町を訪れた悪魔憑きが、あなたに悪魔祓いを迫るであろうことを心配していただけ」

 分かっていると思うけど、と言ったが、クリストフは無言のままだった。しかし、リゼは構わず話し続けた。

「悪魔憑きを癒したことを間違ってるとは思わない。でも、あなた達には悪いことをしたと思ってる。今後、困るのはあなただから」

 傷がほとんど癒えたところで、リゼは術を止め、立ち上がった。痕は残っているが、数日もすれば目立たなくなるだろう。

「あなたは大丈夫そうね。残りの手当はアンにしてもらって」

 それから、リゼはすぐ近くに倒れている男に目をやった。こちらは悪魔祓いの影響で眠っているだけだ。放っておいて問題ない。それよりもずっと重傷な人物がいる。リゼは自身の傷の痛みに顔をしかめながら、早足でテオの元へ駆け寄った。

 テオはクリストフ以上に血まみれだった。リリスのせいで、顔面も酷いことになっている。だが血はすでに止まって、半分乾きかけていた。

「テオは……」

「安心して。生きてる」

 最初に掛けた癒しの術のおかげで、一命は取り留めたらしい。リリスは気づかなかったのかどうでもよかったのか知らないが、止めを刺されなくてよかった。

 念のためテオに癒しに術を掛けてから、リゼは礼拝堂を見て回った。やはりリリスの姿はない。完全に、ここから去って行ったようだ。

 リゼは礼拝堂の隅に行くと、柱の陰の適当な場所にナイフで魔法陣を掘り込んだ。こういうのは得意ではないし、礼拝堂内に描くべきものではないのだが、まあ悪魔除けぐらいにはなるだろう。こんなもので埋め合わせになるとは思っていないが、ないよりはマシだと思いたい。

 それから、リゼが礼拝堂の扉へと向かった。扉の前まで行くと、クリストフが静かに問いかけた。

「……どこに、行くのですか」

「言ったでしょう。剣は返してもらった。だからこの町を出る」

 アルベルト達を探し、改めてシリルの行方を追わなくてはならない。それに下手に長居したら、あのリリスとかいう奴が仕返しをしてくるかもしれない。そうなる前に、バノッサを離れた方が良いだろう。リゼは礼拝堂の扉に手をかけて、少し考えてから振り返った。

「噂を聞き付けて、今後この町に悪魔憑きが大勢やってくるかもしれない。でもずっとここに留まって、悪魔憑きを癒し続けることは出来ない。勝手なことをして、勝手に出ていくことになるのはごめんなさい」

 クリストフは静かにリゼの言葉を聞いていた。リゼが悪魔祓いの術を使ったことを彼がどう思っているのかは知らない。恐れているのか当惑しているのか、それは分からないが、説明を求められないのをいいことに、リゼはクリストフに背を向けた。

「でも、きっといつか、私がこの世の全ての悪魔を滅ぼすから」

 そうすれば、悪魔に取り憑かれる者はいなくなるから。

 リゼが礼拝堂の扉を開いた時、クリストフが静かに問いかけた。

「あなたは一体何者だ?」

 リゼは扉から手を放して振り返った。

 礼拝堂の中は暗く、蝋燭の明かりが頼りなく揺れている。月明かりはなく、かすかな星明りだけが窓から降り注ぎ、祭壇を照らしている。光に照らされて浮かび上がる十字架。その背後には、誰が描いたものなのか、天から下る神の子が悪魔を光の槍で討つ絵。

 現実では何の役にも立たない神の子と、それに滅ぼされる悪魔の姿。

 リゼはクリストフの方を向き、そして答えた。

 自嘲するように。

「魔女よ」

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