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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
92/177

真に救われるべき者は 6

「本当に、神父様の御力ではないのでしょうか。あんな不思議な力を持っておられるのに」

 部屋に戻った後、何故かついてきたアンがそう言った。結局、立ち聞きはよくないと言っていた彼女も、最後まで話を聞いていたのだ。

「テオが言っていたでしょう。これはきっと神の気まぐれな奇跡よ。ここの人達の祈りが通じた。すごいことじゃない」

 適当にそう返すと、アンは何か考え込むように押し黙った。我ながら棒読みな言い方だったとは思うが、アンは気が付かなかったらしい。彼女はそのまま考え込み、しばらくして口を開いた。

「……もし本当に祈りによって救われるなら、それは悪魔祓い師の存在を否定することになりませんか?」

 不意に、アンはそんなことを言った。

「悪魔祓い師は神より祓魔の力を授けられた存在。神に代わって悪魔と戦う役目があります。救済が神の御意思によるものなら、必ず悪魔祓い師を通じて行われるはず……」

「だから何? この辺りに悪魔祓い師がいて、こっそり悪魔憑きを癒していったとか? それとも神父が実は悪魔祓い師だとか?」

 馬鹿馬鹿しいと思いながら、リゼはそう言った。悪魔祓いをしたのが誰が分かっているのもあるが、悪魔祓い師がこんな場所まで来て、異端の宗派を信じる悪魔憑き達を助ける訳がないからだ。そんな奇特な悪魔祓い師、そうそういないだろう。

「……ソフィア殿はどうしてそんなに落ち着いていらっしゃるの? 悪魔憑きが癒されていたこと、驚かないのですか?」

 何を言っても取り合わないリゼに、アンは不思議そうに尋ねる。リゼは彼女に背を向けたまま、答えた。

「驚いてるけどそれより気になることがあるだけ」

「というと?」

「言ったでしょう。速くここを離れて知り合いの無事を確かめたいって。そっちの方が気にかかって、落ち着かないだけ」

 半分本当で、半分嘘だった。いや、嘘の割合の方がもっと多い。シリルやアルベルト達のことは気になっている。けれど、それ以上に気にかかっているのは、先程あの悪魔憑きの男が言ったことについてだった。

 悪魔憑きの男は、この町の人達が癒されたのはクリストフの力のおかげだとみんな言っていたと話した。祈っても救われないことは誰でも知っている、とも。ここの誰も、あれが祈りが報われた結果だとは思っていない。“不思議な力”を持つクリストフが起こした奇跡だと思っている。バノッサの歴史上、悪魔憑きが癒されたのは今回が初めてなのだろうから、当代神父であり、元々不思議な力を持つクリストフのことをそう思うのは無理からぬことだろう。だが、

 だが、彼に悪魔祓いの力はないのだ。あの不思議な力も、神のものではなく魔術の片鱗に過ぎない。町の人達が思うような力は、クリストフにはない。

 けれど、彼は今度ずっと悪魔祓いの力を持つ神父と思われ続けるだろう。少なくとも、本当にそんな力はないと、町人達が気づくまで。それまで、クリストフは悪魔祓いをして欲しいと悪魔憑き達にすがられることになる。

 ――俺は救いたいんだ。あの人達を。なのになぜ神は俺にもっと力を与えて下さらないのだろう。こんな中途半端な力しかないなんて……

 おそらく、そんな力はないのにと、無力感にさいなまれながら――

「ソフィア殿。あの噂をご存知ですか? “救世主”が現れたという噂を」

 突然、アンがそんなことを言った。リゼは考え事をやめて、彼女の方を見る。いきなり何のつもりだろう。

「知ってるけど、それがどうしたの?」

「噂の“救世主”は、ラオディキアの貧民街や辺境の町や村に現れては、悪魔憑きを癒していったと聞きます。私達の元にも“救世主”が訪れてくれることを待ち望んでいました。――結局、訪れてくださいませんでしたが」

 アンはそこで一息つくと、

「千年前、この国が魔王(サタン)によって脅かされた時、人々の祈りに答えて一人の聖騎士が遣わされました。神の子であり、“救世主”である聖騎士様によって、魔王は倒され世に平和が訪れた……しかし長い時を経て魔王のしもべの国は復活し、魔王復活の時も近付きつつあるといいます。悪魔の数も増えていると聞きますし……千年前と同じように、救世主は現れる時が迫っているのかもしれない。そう思いませんか?」

「さあ」

 神学談義は面倒だ。付き合っていられない。そもそもマラーク教の神様が救世主を遣わして悪魔を滅ぼすことができるなら、とっととやればいい話だ。なのに、あの神はそうしない。救世主が現れるのか現れないのかと心配する以前に、ただの怠慢だろうとしか思えない。少なくともアルヴィアのマラーク教徒は大事な信者だろうに。

「大体、噂の救世主は本当の救世主ではなかったんじゃないの? 教会が手配書まで出したじゃない。――救世主の名を騙る魔女だと」

「そうですね。でも、噂の方が悪魔祓いの力を持っているのは本当だと聞きました。神の力なのか、それとも悪魔の力なのかは分かりませんが、たとえ悪魔の力でも、それで救われるなら構わないと思う悪魔憑きはたくさんいるでしょう。そして悪魔の力でも、誰かを救えるなら構わないと、迷わずその力を振るう者も」

 アンはそう言って、じっとリゼを見た。何かを探ろうとするかのように、何かを見透かそうとするかのように。無言で。

 そして、静かに言った。

「ソフィア殿。あなたは悪魔祓い師ではないのですか?」

 唐突にそんなことを言われて、リゼは驚いてアンを見た。

「いきなり何よ」

「奇跡は、あなたが目を覚ましてすぐに起きましたから。少し気になって」

「そんなの偶然でしょう。第一、私が悪魔祓い師に見える?」

 否定すると、アンは何も言わず、意図の分からない笑みを浮かべた。彼女は何を言いたいのだろう。まさか、リゼが悪魔祓いをしたことに気付いている。ひょっとして、見られていたのか。だが、そうだとしても何も知らないふりをするだけだ。認めたら面倒なことになる。それに、悪魔祓い師でないことには間違いないのだから。

「そうですよね。まさか、ソフィア殿が悪魔祓い師な訳ありませんよね」

 しばらくして、アンは何気ない口調でそう言った。よくわからないが、彼女は納得したらしい。そのことに、リゼは安堵した。が、

 彼女の追及はそこで終わらなかった。

「でも、悪魔祓い師以外の何かである可能性はありますよね。例えば……」

 彼女はまだ疑いを晴らしていなかったらしい。そう言って、リゼを見た。正確には、リゼの髪を。

「例えば、あなたの髪は緋色ですよね」

「……そうだけど、それがどうしたの? 赤毛なんて、珍しいものじゃないでしょう?」

 そう、赤毛なんて珍しいものではない。そして、手配書に名前は書かれていない。似顔絵もない。書かれているのは簡単な人相書きと罪状だけ。名前も人相書きも詳細に書かれているアルベルトとは違う。あれで個人は特定できない、はずだ。

 アンが何故こんなことを言い出したのかは分からない。だが、こちらとしては白を切るだけだ。

 それから、リゼは何も言わなかった。アンも、沈黙したままだった。無言の睨み合いはほんの短い間のこと。しかしやけに長く感じられた。しばらくして、リゼは何も言わないのも不自然だろうと、さらに否定の言葉を発しようとした。が、

 不意に、ぞっとするような気配を覚えた。悪魔か。剣を持っていないのに、右手が腰に伸びる。振り返って扉の方を見ると、いつの間に来たのか、そこにはテオが立っていた。隣には薬湯の椀を乗せた盆を持ったララが付き添っている。

「あの……薬湯を持ってきました。勝手に入ってすみません」

 テオはきちんとノックはしたのだろう。しかし、リゼもアンも、話をしていて気が付かなかった。仕方なく無断で入ったのだろう、テオは申し訳なさそうだった。

 それを見て、リゼは構えをといた。悪魔憑きの姿はない。悪魔がいる様子もない。気配も、いつの間にか消えている。気のせいか? それとも、どこかに隠れているのか。アルベルトなら何か分かったかもしれないが……

「――ソフィアさん、さっき話していたことは、やっぱり違うんですよね」

「え……?」

「あなたが悪魔祓い師だという話です」

 唐突に何を言うのかと思ったら、テオは二人の会話を聞いていたらしい。大して防音効果の高い壁ではないから嫌でも聞こえたのだろうが、まさかそんなことを訊かれるとは思わなくて、リゼは一瞬、言葉に詰まった。

「――そんな訳ないでしょう。アンといいあなたといい、そんなに私を悪魔祓い師にしたいの?」

 ようやく口を開いて呆れた風に言うと、テオは黙って目を伏せた。悪魔祓いをしたことはともかく、悪魔祓い師ではないことは事実なのだ。

 リゼに否定されて、テオはそれ以上聞く気はなかったらしい。彼は下を向くと、ゆっくりと話し出した。

「……町の人の何人かが言っていた。悪魔祓いをしたのは、フードをかぶった見知らぬ人だって。誰かは分からないけど、神父様には見えなかったと」

 テオは静かに話を続ける。

「もしその人がまだこの町にいるなら、名乗り出て欲しい。自分がやったんだと。そして、あの人を治して欲しいんだ」

 リゼがその悪魔祓いをした人物だとは思っていないはずなのに、テオは真摯に訴えるようにそう言った。思わずリゼは目をそらしたが、テオはその動作に特に疑問は抱かなかったようだ。

「……奇跡なんて起きないで欲しかったんだ」

 テオはうつむいて、ぽつりと呟いた。

「悪魔に取り憑かれた人達が助かってほしくないわけじゃない。でも、ここは悪魔憑きが死を迎える場所だ。みんなそれを理解していた。祈っても無駄だと。祈るのは気休めにしかならないと。それよりもみんなで助け合って、少しでも心安らかに逝けるようにするべきだと。でも、奇跡は起きてしまった。

 今までは教会を恨めばよかった。教会が間違っていて、自分達の教えの方が正しいと信じておけばよかった。もしくは、祈っても救ってくれない神を恨めばよかった。でもこれからは違う。町の人達のほとんどは兄のおかげだと思ってる。もし今後悪魔憑きが出て、その時奇跡が起きなかったら――恨まれるのは、兄だ」

 独白するようにそう言ってから、テオははっとしたような顔をした。こんなことを言っても仕方ないと我に返ったのかもしれない。それからテオは、

「……変なことを言ってすみません」

 頭を下げてから、ララの持つ盆から木の椀を取り上げた。

「薬湯を。今朝の分です」

 差し出された椀には緑色の液体がなみなみと入っている。その苦さを思い出して思わず顔をしかめたが、飲まないとまたうるさいだろう。それに身体にいいことは間違いない。速く出発するためにも、リゼは大人しく薬湯を飲み干すことにした。

 相変わらず、薬湯は凄まじく不味かった。この味だけは何とかならないのかと思うが、強烈過ぎて何を混ぜてもこの味は誤魔化せないだろう。何度飲んでも慣れない味だが、なんとか我慢して飲み込もうとして、

 異変を感じて、リゼは薬湯を吐き出した。

 喉の奥で生じた異変に、リゼは何度も咳込んだ。喉が、内臓が焼けるように熱い。何だ。何が入っていたんだ。薬湯は不味いだけで、こんなことは起こらないはずなのに。

「ソフィア殿!? どうしたのです!? 何があったの!?」

 アンの叫ぶような声が頭に響く。うるさい。叫ばないで。生理的な涙で滲む視界の中、アンを無視して手探りでベッドサイドの水差しを引ったくる。そして、中になみなみと水がくまれているのを確かめると、こぼれるのも構わず水を口に含んだ。薬湯の椀の中に吐き出すと、わずかに血の混じった液体が椀の中で揺れる。薬湯の味がなくなるまで繰り返したが、喉の痛みはほとんど治まらなかった。

 やがて、水差しの中身は空っぽになった。ひっくり返しても一滴も出てこない。空の水差しを放り出し顔を上げると、硬直したテオの姿が目に入った。

 リゼは手を伸ばし、テオの胸倉を掴んだ。

「何を入れた」

 擦れた声を必死に絞り出すと、テオはびくりと震えた。声もなく、おろおろと瞳を泳がせている。答えようとしないテオに、リゼはさらに怒気を込めて問いかけた。

「答えろ! 何を入れた!」

 胸倉をつかんだまま揺さぶると、テオはようやく口を開いた。

「違う。入れてない。何も入れてない。昨日と同じものだ。身体に悪いようなものは何も……」

 青白い顔をして首を振り、必死に否定する。テオも混乱し、おびえているのだ。自分が作った薬湯の中に、毒が混ぜられていることに。

 ああたぶん、こいつは嘘を言ってない。なんとなくそう思った。

 身体が熱い。テオの胸倉をつかんでいた右手から、すっと力が抜けて行く。リゼはベッドの上に力なく崩れ落ちた。

 そしてそのまま、ふっつりと意識が途切れた。

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