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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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真に救われるべき者は 5

 カーテンで遮られていない窓から、朝日が差し込んでくる。

 その強烈な日差しを避けようと、リゼは寝返りを打って窓に背を向けた。瞼を刺激する光量が減って、再び眠りが深くなる。

 耳を澄ますと遠くから何かを訴えるような声が聞こえてくるが、部屋どころか建物の外の音のようで、無視して眠ることにした。

 遠くの声を除けば程よい静寂で、とても心地がよい。日差しの強さから考えるにテオかアンが朝食を持ってきてもおかしくないだろうが、二人とも訪れる気配がないので構わず寝続けることにした。決して上等なベッドではないが、疲労が溜まっている今は寝具があるだけで十分だ。誰も来ないのをいいことに、とにかく睡眠を取ろうとした。

 しかし突然、静寂を打ち破るように扉が大きな音を立てて開いた。

「ソフィア殿! 大変です!」

 続いて飛び込んできたのは、酷く慌てたアンの声だった。朝っぱらから大きな声を出され大きな物音を立てられ、完全に睡眠を邪魔されてしまった。

「……なによ、朝から」

 昨晩のあれでかなり疲れた。日の出までになんとか間に合わせたが、おかげで眠くてだるい。少しは寝させて欲しい。そう思うのだが、アンは構わずベッドの近くまで来て、大いに慌てた様子で言う。

「大変なことが起こりました! 町中の悪魔憑きが一人残らず癒されていたんです!」

「そう。凄いわね」

 適当にあしらってリゼは布団を被った。そんなことは知っている。自分がやったことを忘れるわけがない。アンがこういう反応を取るのは分かる。何も知らない人間にとっては『大変なこと』だろう。しかし、リゼはそれに合わせて驚く演技をする気力は今のところなかった。とにかく疲れているのだから寝させて欲しい。今は寝ぼけていたことにして、後で驚くなり何なりしやるから。

 そう思って布団の中でじっとしていたが、アンが引く様子はなかった。起きないリゼを見て一瞬どうしようか悩んだようだったが、結局は話を続けることにしたらしい。慌てた様子は変わらなかったが、それに深刻さも加えて、彼女はこう呟いた。

「それも驚くべきことですが、そのせいで一つ問題が起きてしまったんです。間が悪いというか、何というか……」

「……問題?」

 何やら只事ではない様子に、リゼは起き上がってアンを見た。問題? 何か問題があるのか? 悪魔憑きが癒されて問題が起こるなんて……

「とにかく来て下さい!」

 アンは引きずっていかんばかりの勢いで腕を掴む。そのまま手を引かれて、リゼは部屋を後にした。




「お願いです! 助けて下さい!」

 礼拝堂の前に出来た人だかりの中心で、襤褸を纏った痩せた男がそう叫んだ。

 礼拝堂はリゼとアンが借りている家から少し進んだところにある。最短距離を取るとちょうど礼拝堂の横手に出るため、入り口前にいるクリストフと痩せた男の姿が人だかりに遮られることなく見ることが出来た。

 男に縋られ、クリストフはすっかり当惑している。あれは誰なんだと呟くと、すぐさまアンが教えてくれた。

 あの男は悪魔憑きで、今朝早く、たった一人でこの町に辿り着いたのだという。ただ徒歩ではなく、どこで手に入れたのか馬に乗って来たらしい。少しやつれているぐらいでおかしなところが見受けられないから、悪魔の浸蝕はさほど進んでいないようだ。

 しかしそれでも、男にとっては耐え難いことだろう。彼は恐怖にゆがんだ顔で、切々とクリストフに訴えた。

「毎夜、恐ろしい悪魔の声が聞こえてきて気が狂いそうだ! 神父様には、不思議な力があると聞きました。どうか救いを、この悪魔を追い出してください……!」

 男は町の住人から一夜にして悪魔憑きが癒されたことを聞いたのだろう。そしてそれが、神父であるクリストフの力であると考えたのだろう。クリストフに縋り付くようにして救いを懇願している。しかし、クリストフは戸惑い、掛ける言葉にも迷っているようだった。無理もない。町中の悪魔憑きが癒されて驚いているのは彼も同じだからだ。決して、ここの神父である彼の力によるものではない。悪魔祓いを請われても、クリストフには出来ないのだ。

 だが、助け船を出すことは出来なかった。ここで正体がばれたら面倒なことになる。それに、この男はまだ悪魔の浸蝕が浅い。今、悪魔祓いをしなくても大丈夫だろう。剣を取り返した後、メリエ・リドスに向かう前に彼を癒せばいい。それまで悪魔憑きの男に悪魔祓いを要求されるクリストフは気の毒だが・……

「落ち着いてください。あなたのお気持ちはよくわかります。しかし、今すぐ悪魔を祓えるという訳では……」

「どうしてですか。俺がよそ者だからですか!」

「いいえ、そういう訳でないのですが……」

 クリストフが戸惑いながらも悪魔憑きの男を落ち着かせようとしていた時、人だかりの中から、一人の人物が進み出た。

 テオだ。

「我らが神の教えは勤労と祈りだ。祈りが聞き届けられた時、神による救済が与えられる。神父様は祈りの道筋を示すだけ。悪魔を祓う力は与えられていない」

 テオはそう言うと、クリストフから悪魔憑きの男を引き剥がした。へたり込む男に、テオは屈んで視線を合わせる。

「あれは彼らの祈りが聞き届けられたから起こった奇跡だ。奇跡は神の手によって行われるもの。人の手では起こせない」

 淡々と語るテオを、悪魔憑きの男は呆然と見つめる。だが、すぐに彼は泣きそうな顔になって言った。

「俺は罪人の子だ。貧しくて祈りの日も教会に行けなかった。行こうとしても、門衛は俺達を街の中へ入れてくれない。こんな汚らしい恰好で、神の御前に詣でるのは不敬だと……教会で祈らなければ罪人だと言われ、悪魔に取り憑かれても救われない。教会に行かず祈っても、救済されない。これ以上、どうしたらいいと言うんです?」

「祈って救われないのは、祈りが足りないからだ」

 男の訴えを、テオは冷徹とも言える口調で切り捨てた。

「救われるか否かは神が決めること。祈りが足りなければ、神は救ってくださらない。あなたが救われるかは、今後の祈り方次第だ」

「祈りならいままでずっと捧げてきた! だが俺も俺以外も、みんな救われてない! 祈ったって救われないんだ! そんなこと誰でも知ってることだ! だが、ここの人達は救われた。それは神父様の不思議な力のおかげなんだろ!? 神父様は不思議な光で悪魔憑きを癒してくれると、ついに悪魔を祓うこともできるようになったのだと! みんなそう言っているのに!」

 同意を求めるように、男は町の住人達を見る。同意するように頷く者。首を傾げる者。当惑している者。好奇の眼差しをしている者――町人達の反応は様々だった。だが一つ言えるのは、町人達の中でクリストフが悪魔祓いをしたとは思っていないものは少ないということだ。

 だがその中でも、一番兄が悪魔祓いをしたとは思っていないテオは、悪魔憑きの男に言い聞かせるように、言った。

「神父様にそんなことは出来ない。出来ないんだ」

 ごめんなさい、とテオは呟いた。

 悪魔憑きの男はそれ以上何も言わなかった。彼は納得したのだろうか。いいや、していないだろう。他の者は救われたのに、自分だけ救われないなんて理不尽でしかないから。

 その証拠に、悪魔憑きの男はテオを睨みつけていた。

 怒りと恨みに満ちた目で。




「テオ! 何もあんなふうに言わなくてもいいじゃないか! あれでは教会の言っていることと変わらない!」

 礼拝堂に戻って扉を閉めた後、クリストフは弟にそう言った。中で待っていたらしいララは、少し離れたところで怒り出した兄を不安げに見つめている。しかし兄弟は妹の様子など目もくれていないようだった。

 その様子を、リゼは礼拝堂の窓の外から覗いていた。「立ち聞きはよくないですよ」とアンが耳打ちしたが、無視して礼拝堂の外壁にもたれかかる。窓が開いているから、ここにいれば嫌でも声が聞こえてしまう。立ち聞きと言えばその通りだが、今はどうしても彼らの話を聞きたかった。

「言葉選びが悪かったのは謝る……でも、他に言うことが見つからなかった。あの人は兄貴が悪魔祓いをしたと思っていたみたいだし、下手な希望を持たせるよりは、今まで通り祈るしかないし祈りが報われるかは分からないと理解した方がマシだと思って……」

 落ちこんた様子でそう言うテオ。自分でもきつい言い方をしてしまったと自覚しているのだろう。だが、クリストフは厳しい口調で言い返した。

「そうかもしれない。でも、あの人の希望を砕くようなことは言うな。あれは、悪魔に取り憑かれたあの人の最後の希望なんだ」

「でも、兄貴は悪魔祓いなんて出来ないじゃないか。朝、町の悪魔憑きがみんな癒されているのを知って一番驚いていたのは兄貴だろう? またあの人に悪魔祓いをしてくれって頼まれたら、兄貴はどうするつもりなんだ?」

「……」

「ずっと誤魔化し続ける訳にはいかないだろう? 誤解されたままじゃ、あの人はいつか兄貴を恨むようになるよ。どうして悪魔祓いをしてくれないのかって」

「……いいんだ」

「でも――」

「いいんだ! 必要があれば説明でもなんでもする! それにまだ奇跡が起きないと決まった訳じゃない。祈れば、祈りが神に届けば、もう一度……」

 そう言って、クリストフは礼拝堂の祭壇を見た。天窓から差し込む光が、古びた十字架を照らしている。

「俺は救いたいんだ。悪魔に取り憑かれた人を。なのになぜ神は俺にもっと力を与えて下さらないのだろう。こんな中途半端な力しかないなんて……」

 悔しげにそう言うクリストフ。テオは何かためらうように沈黙していたが、やがて意を決したように言った。

「兄貴、現実を認識してくれ。兄貴に悪魔を祓う力はない。出来るのはあの不思議な光で、苦痛を和らげることだけだ。今までも、どれほど祈ろうと救われず死んでいった人間が何人いた? 祈ったからといって救われるとは限らない。今回はたまたま奇跡が起こっただけだ」

 テオはそこで一息おいてから続けた。

「今夜の礼拝で、町の人達にちゃんと説明した方がいい。あれは兄貴の力じゃなく、神の気まぐれな奇跡だって。出来ないことを安請け合いしないで、兄貴は兄貴が出来ることをすればいい。ここは悪魔憑きが死を迎える場所だ。そして、奇跡はそう何度も起きない」

「……お前は平気なのか。目の前で悪魔憑きが苦しんでいても。助けを求めているのに、何も出来ない。無力な自分を、情けないと思わないのか」

「思わない。思っても仕方がない。僕に出来るのは、薬で病気や怪我を治すぐらいだから」

 静かに言うテオを、クリストフは鋭い目で睨むように見た。

 あの悪魔憑きの男と、似たような眼差しだった。

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