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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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生贄の街 5

 かなりの広さを持つはずの地下室は無数の悪魔によって半ば埋もれていた。さすがに蟲が渦巻く魔法陣内を突っ切る気にはなれないので、陣の外側をぐるっと回っていく。やがて陣の反対側に辿り着いたティリーは、魔法陣をじっと見つめるメリッサの姿を発見した。その周りにはたくさんの蟲が飛び交っている。

(あれが邪魔ですわね……)

 進行方向の障害物は排除すべし。ティリーは本を開くと集中し始めた。

 熱風が服の裾をはためかせた。それは一瞬の後に紅の炎となり蟲達を飲み込んでいく。薙ぐように手を振ると、蟲は炎を一緒に弾き飛ばされた。

「悪魔を操るってどんな気分なんですの? メリッサ」

 炎でさらに蟲を蹴散らしながらメリッサに問いかける。術者を守るための小さな魔法陣の中で、メリッサは少し驚いたような顔をした。

「ティリー、あなた魔術が使えたのね? それ程の魔術の才を持っていたなんて、何故隠していたの?」

「能ある鷹は爪を隠すものですわよ。手の内を全てさらしてしまったらつまらないじゃありませんの。それにここはアルヴィア。教会に見つかったら大変なことになりますわ」

 喋りながらじりじりとメリッサに近付く。その間にも散らせた悪魔がどんどん集まってくる。視線はメリッサに向けたまま、周囲に炎を巡らせて蟲の侵入を阻んだ。

「それで? 何が分かったというんですの?」

 そう問いかけると、メリッサは狂気じみた笑みを浮かべた。それは魔術の炎に照らされて、暗闇の中で不気味に浮かび上がる。

「これは素晴らしい力だわ。悪魔教信者達が縋りたがるのも分かる。これさえあれば、誰にも邪魔されず研究ができる!」

悪魔との取引は単純明快だ。払った犠牲の分だけ返りが来る。身も蓋もないことを言ってしまえば、神に祈っていつ来るかわからない救いを待つよりも悪魔の力に頼る方が手っ取り早いのだ。

今のメリッサのように。

「こんなことをしてでも研究したいというんですのね」

「あなたにだってあるでしょう? どんな犠牲を払ってでもやりたいことが」

「もちろんありますわ。だからここで死にたくありませんわね。というわけで、悪魔召喚、止めていただけません?」

「無理ね。いまさら止められないわ。それにさっきも言ったでしょう? 悪魔達はまだまだ生贄を求めてる。だからあなたに生贄になってもらわないと」

 そこで、気付いた。

蟲達が陣の中のメリッサをじぃっと見つめている。そこには忠誠も服従の意志もない。

 腹をすかせた獣が、獲物を見る目と一緒だった。

「メリッサ。時間切れですわ」

 メリッサの周りに蟲が集まり始めていた。

「ご存じかしら。分を超えた術の行使は自らの破滅を招く。貴女ほどの方がそれを理解していないなんて意外ですわ」

 メリッサはそこでようやく己の身の危険に気づいたようだった。周りを見回し、集結する蟲達に向かって叫ぶ。

「待って、待ちなさい。生贄ならあいつらがいるでしょう!? わたしはあなた達の主よ。喚びだしたのはわたし――」

 メリッサの命令も空しく、蟲達は次々と集まってくる。それらは徐々に包囲網を縮めると一気に襲い掛かった。

 その時、一筋の炎が蟲の群れを切り裂き、強烈な重力が飛散する蟲達を押しつぶした。その隙間を駆け抜けて、ティリーは腰を抜かしたメリッサの胸倉をつかんで締め上げた。

「答えなさい。この悪魔達を止めるにはどうしたらいいんですの!?」

「そ、それは魔法陣を破壊して……」

「それくらい分かっていますわ。わたくしが聞いているのは、どこをどう破壊するのが一番効果的かということですわよ! 答えなかったら……分かっていますわよね?」

 にっこり微笑みながらそう言うと、メリッサは半泣きになりながら答えた。

「あの魔法陣の(かなめ)は逆五芒星よ。それを破壊して最後に中心を叩けばいいわ! この悪魔達はまだ魔法陣とつながっているから、陣を破壊すれば悪魔達も消えるはずよ!」

「嘘じゃありませんわよね?」

「本当よ! 本当だから助けて!」

 嘘ではなさそうだと判断したティリーは、メリッサの腕を掴んで強引に引っ張ると蟲の壁を吹き飛ばして囲みから脱出した。群がる悪魔を炎で巻き上げ、地下室の出口へと向かう。

「邪魔ですわ!」

 襲い掛かる蟲を重力で地面に縫いとめる。だがどんなに魔術を放っても、蟲達は数を増やしながら追ってくる。

「……これは本当に身を守るだけで精一杯ですわね」

 普通の魔術では足止めぐらいしか出来ない。そうすればリゼのように悪魔を倒せる? 彼女はどうして魔術で悪魔を倒せるのだろう? どうすれば……

 その時、メリッサが立ち止まった。ティリーは反動で転びかけ、掴んでいた手が離れる。驚いて振り返ると、メリッサは恍惚とした表情でふらふらと悪魔のほうへ歩いていくところだった。ティリーが立ち上がり止めようと手を伸ばしたのと、メリッサは悪魔の渦の中へ入り込むのはほぼ同時だった。

鋭い悲鳴が響き渡った。先ほどまでの満足げな表情は消え、代わりに恐怖が浮かぶ。渦を抜け出そうともがくメリッサの身体に蟲が次々と取りついた。やがて肉を食む嫌な音がして、同時に悲鳴はふっつりと止んだ。

「……やっぱり悪いことはするもんじゃありませんわね」

 哀れとは思わなかった。むしろ当然の報いだ。研究のために人の命を奪うなんてこと、許される筈もないのだから。




 蟲の悪魔達はどんどん数を増しているようだった。

 斬っても斬っても浄化しても浄化しても一向に数が減らない。どうするべきか考えていると、背後から声をかけられた。

「何とか出来てないじゃない」

 振り向くと、そこに立っていたのはリゼだった。

「何してるんだ!? 怪我は!?」

「治した」

 確かに右腕は元に戻っているが、リゼの顔色は良くない。というか悪い。救世主としての力で怪我は治したが、万全というわけではないのだろう。

「こういうのは魔法陣を破壊すればいいんじゃないの」

「ああ、だがそもそも近付けない」

 アルベルトだって何も闇雲に悪魔を倒していた訳ではない。隙を見て魔法陣に近付こうとした。しかし、蟲の悪魔達は集合と分散を繰り返しながらまるで一体の生き物のように動き、アルベルトの侵入をことごとく阻んだのだ。それに、

「それにあの中に入った後、どうやって魔法陣を破壊すればいいのか……」

 魔法陣を破壊するということは、底無しの淵に足を踏み入れなければならないということだ。あの泥のような闇の中に入っては、身動きがとれなくなること必至である。

「でも、あれの下に魔法陣が……」

「ちょっと失礼」

 そう言って現れたのはティリーだった。何をしているのかと思ったら、挙げた両手のさらに上に大きな瓦礫が浮かべている。そして、

「それっ」

 ボールでも投げるかのような気楽な掛け声と一緒に、瓦礫が魔法陣の中に突っ込んだ。異物の侵入に蟲達がざわめく。瓦礫はしばし泥のような闇を漂ったあと、ゆっくりと沈んでいった。

「どうやらこの中に踏み込むのはやめたほうが良さそうですわね。底なし沼状態ですもの」

 ティリーは腕を組んでそう言った。しかし、やめたほうが良さそうなのはなんとなく分かっている訳で、問題なのは、

「じゃあどうやって破壊するのよ」

 その点なのだった。

「逆五芒星。そして中心を叩けば魔法陣も悪魔も完全に破壊できるんですけど……」

「中心に逆五芒星、か」

 直接足を踏み入れるのは危険。どうすればいい。

 なにげなくアルベルトは天を見上げた。崩れた天井。その上に立つ教会の礼拝堂。窓の向こうには吹き荒ぶ雷雨。そして教会の天井には―――

「あれを使おう」

 アルベルトは真っ直ぐ上を指差した。リゼとティリーも揃って上を見る。指差す先にあるものを見てリゼが怪訝そうに言った。

「あれって……あれをどうやって?」

「下へ落とす。つまり魔法陣の上に」

 そこでティリーはアルベルトの意図に気付いたらしい。

「でも、あれが悪魔に効くんですの? 二十年放置されてきたものですし……」

(かなめ)にするだけだ。少しぐらいは効くはず」

「一体何の話なの」

 やはりリゼは知らなかった。礼拝堂を利用したことが無いのかもしれない。普通知らない人はいないのだが。

「礼拝堂の天井には、聖印が描かれているんだ」

「……ということは」

 上手くいけば魔法陣の一部、逆五芒星を相殺できる。

「そう。正五芒星を利用するんだ」




 地上に上がったティリーが、教会の天井に向けて魔術で重力場を作り出した。

 朽ちた教会が強烈な重力に耐えかねて崩れ始めた。やがて轟音と共に天井の一部が崩れて底無しの穴へ落ちていく。着地の衝撃で蟲達が四方へと飛び散った。

「神よ。我に祝福を。汝を現すこの印に力を与え、聖なるものと為し給え!」

 アルベルトの朗誦と共に光が立ち上った。穴の上に正五芒星が浮かび上がり、魔法陣の力を相殺する。天井の瓦礫自体は穴の中へ飲み込まれていったが、浮かんだ正五芒星は消えず、悪魔の出現を抑制した。

「神よ、我に祝福を。汝は我が盾、我が剣なり。その栄光は世々に限りなく、あまねく地を照らす。至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」

 祈りの言葉と共に、周囲の悪魔達が浄化されて消えていく。残った悪魔もティリーの魔術によって動きを封じられた。

 その蟲の悪魔達の前に立って、リゼは剣を振り上げた。群がる蟲達に向けて剣を振り下ろすと、そこから冷気が放たれる。それは蟲を蹴散らし、穴に満ちる泥のような闇を凍りつかせた。

 その上を走って、リゼは魔法陣の中心に向かった。数匹の蟲を払い除け、急ぐ。しかし、氷を突き破って真っ黒な闇が触手を伸ばし、リゼを穴の中へ引きずり込んだ。

 底なしの淵の闇は生温く、身体にべったりと纏わり付いた。抜け出そうとしても捕まるものがなにもない。少しずつ、少しずつ、闇の中へ沈んでいく。

「冗談じゃない!」

 魔法陣に喰われるのはごめんだ。リゼは魔術を発動して、自分の周りの闇を弾き飛ばした。しかし、闇はすぐさま流れ込んでリゼを絡め取る。抜け出せない。そう思った時、アルベルトの声がした。

「リゼ、そこが中心だ!」

 それを聞いて、リゼは魔力を剣に集中させた。それを逆手に持ち替えて、両手でしっかりと握りしめる。そして、魔法陣の中心に思いっ切り突き立てた。

穴を満たす泥のような闇が波打つのをやめた。剣の周りの闇が弾け飛び、石造りの床が剥き出しになる。赤い魔法陣が血管のように浮き出ていた。

 そこへアルベルトが駆け寄って、リゼと同じように魔法陣の中心に剣を突き立てた。周囲の蟲達が危機を察して叫び声を上げる。そして、

「神の名の下に正し清めよ。穢れなく歪みなく、無垢なるものと為らんことを!」

『我が意志に答え地獄の門を閉ざせ!』

 二人分の浄化の力が魔法陣へと注がれた。

 魔法陣は一瞬赤い光を発した後、中心から切り裂かれて崩壊した。それと共に、真っ黒な泥の海が、そして蟲の悪魔達が、蒸発し塵と化して消えていく。全てが消えゆく間際、地獄の門は断末魔の叫びをあげた。

そうして、悪魔を生み出す底無しの淵は、跡形もなく消え去った。




 静かだ。少し前まで聞こえていたはずの雷鳴も、雨音すら聞こえない。

 それもそのはずだ。連日降り続いていた大雨は、なぜかすっかり収まっていた。空はいまだ厚い雲に覆われているが、時折申し訳程度に小さな雨粒を降らせるだけである。悪魔召喚が自然環境に悪い影響を与えるのなら、それがなくなれば正常に戻るということかもしれない。

「メリッサは」

 ティリーがふいに口を開いた。

「地獄の門を開くと言っていましたわね。ということは、あれを通れば地獄へ行けるんでしょうか? ――行きたいとは思いませんけど」

「無理ね。仮に行けたとしても、人間は地獄で生きられない。いや、地獄へ行くということはすなわち死ぬということ。そうでしょう?」

「……そうですわね」

 沈痛な面持ちでティリーは言う。

「でもとんでもないことに巻き込んでしまいましたわね。申し訳ないですわ。まさかこんなことになるなんて……メリッサはとんでもないことをしてくれたし、レスターは助けられなかったし。それに……」

 ティリーはアルベルトに視線を移した。

「アルヴィアにいる間は人前で魔術を使わないようにしてきましたのに、よりによって悪魔祓い師の真ん前で使うことになるなんて。……ということは、貴方の口を封じてしまえば問題ありませんわね」

 なにやら物騒なことを言い出すので、アルベルトは苦笑して言った。

「心配しなくても君を教会に突き出したりはしないよ」

「そうしてもらいたいですわね。なにしろ」

そこでティリーはリゼの方にずいっと詰め寄った。またしても神業的なスピードでリゼの右手を掴み、両手でしっかりと握り締める。その体勢でティリーは真剣に言った。

「これから長い付き合いになりそうですし。という訳でよろしくお願いしますわ」

「……はあ!?」

 突然のことにリゼは一瞬なんのことか分からなかった。ティリーはといえば、さっきまでの沈んだ表情はどこへやら。握った手にさらに力をこめて、不敵に微笑んでいる。

「あら、先日申し上げたでしょう? 調査が終わったら、貴女の能力について調べさせて頂くと」

 探究心とか情熱とか、そういったものでティリーの瞳はきらきらと輝いている。リゼは一歩引こうとしたが、やっぱりそれは叶わなかった。

「……だから、あなたに付き合う義理はない!」

「まあ。そんなケチなことおっしゃらないで!」

「いくらでも言うわよ」

「そうだとしても、わたくしは諦めませんわ」

「……二人とも、落ち着いてくれ」

 見兼ねたアルベルトが止めに入ったが、ティリーに引き下がる様子はない。むしろ気迫は初めて会ったときよりも増しているようだった。

 厄介なものに捕まってしまった。そう思って、リゼは深々とため息をついたのだった。

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