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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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追跡 7

 燃え盛る火が甲板に奔り、あちこちに炎をばらまいた。雨で濡れているにも関わらず、積まれていた木箱が、太いマストが、次々と燃え上っていく。船全体を術で燃やし尽くそうというのだ。無論、これはティリーの仕業ではない。炎をばらまいているのは、あの術師の悪魔教徒だった。

「奴は何をするつもりだ!?」

 剣を持った悪魔教徒の一人を船から蹴落としながら、キーネスが言った。あの術師はあろうことか嵐の術を維持したまま、船全体に黒い雷を落として火をつけている。自分達が乗っている船なのにだ。正気の沙汰とは思えない。

「砂嵐を突っ切ったり内海に船出したりしてるから、いまさらか」

 黒い雷は無差別に飛び交って、甲板に落ちてくる。その内の一条が追跡艇へと奔った。追跡艇まで壊されたら脱出できなくなる。リゼは奔る黒い雷めがけて、氷槍を投げつけた。雷は氷槍とぶつかって火花を飛び散らせ、消えていく。

「――やっぱり直接ぶっ飛ばしてやろうかしら」

 一瞬訪れた眩暈を振り払って、リゼは呟いた。風の結界を維持するだけならともかく、別の魔術まで使うのは思いのほか消耗が激しい。いっそ結界を解いて全力で魔術をぶつけてやろうか。その方がすっきりする。

「――とか、考えるのはやめて下さいね」

 不意に、ティリーがこちらを見つめてそう言った。リゼが顔をしかめると、彼女は腰に手を当てた。

「さっき盛大に啖呵切ってましたけど、貴女が結界を解いたら確実に船がひっくり返りますから。そうでなくても雨で前が見えなくなりますわ。我慢して下さいませ」

「私そんなこと言ってないけど」

「言ってないけどやりそうだと思ったので」

 そう言って、ティリーは敵の方へ振り返り、魔術を唱え始めた。広げた掌の上に魔力が集まっていく。やがてそれは魔法陣を取り巻いた一つの球体へと変わっていった。

「あれはわたくしに任せなさい」

 そう言って、ティリーは掌に出現させた灰色の球体を術師の悪魔教徒目掛けて投げ付けた。球体は甲板を滑るように移動し、敵の頭上に到達する。そして、ティリーが右手を振り下ろした、その動作に同調(シンクロ)して球体は落下し、術師を飲み込んだ。

 次の瞬間、球体は内部に強力な重力場を発生させた。それは術師を捕らえ、押し潰し、地面にはいつくばらせる。

「さあ、これで止めですわ!」

 高らかに宣言して、ティリーは水晶の槍を生み出した。槍は炎の光を浴び、きらきらと輝く。そして球体に飲まれた術師目掛けて一斉に切っ先を奔らせた。

 その瞬間、術師の元から黒い閃光が迸しった。

「きゃああああああ!?」

「ティリー!?」

 閃光の直撃を受けたティリーは軽々と吹っ飛んで船縁を越え海を越え、追跡艇の甲板に落下した。どさりという重い音がここまで届く。ティリーは無事だろうか。

 しかし術師の方も無傷ではなかったようだ。結界の外に渦巻く嵐の術に変化を感じて、リゼは空を見上げた。

 術で生み出された嵐が急速に消えていく。雨は止み、風は弱まり、波が収まっていく。それでも凪には程遠い、荒れた状態だったが、これなら風の結界は必要ない。

 魔力を注ぐのをやめると、風の結界は糸がほどけるように消え去っていった。結界が消失した途端、冷たい雨が降り注いでくる。それはリゼの頬を濡らし、身体を濡らしていった。だがそんなことは気にならない。結界を解除したことで、身体が一気に軽くなったのだ。リゼはそのまま間髪入れず、新しい魔術を唱えた。

「キーネス! そこをどいて!」

 そう言った瞬間、剣を持った悪魔教徒と交戦していたキーネスは素早くその場から離れた。

『貫け!』

 氷槍は空を駆け、残っていた悪魔教徒をまとめて氷漬けにした。そのまま悪魔祓いの術を重ねて奴らに取り憑いている悪魔を吹き飛ばす。悪魔教徒達は氷漬けのまま動かなくなった。

「ローゼンは無事らしいぞ」

 追跡艇の方を見ていたキーネスがリゼにそう言った。乗組員が合図を送ってくれたようだ。姿は見せないけれど無事ということは、吹っ飛ばされて気絶しているのだろう。

 だがあの術師の方はどうだろう。嵐の術は収まった。別の術が唱えられている気配も感じない。奴は死んだのか? いいや。悪魔を祓っていないのに、それはなさそうだ。術師がいるはずの場所はいつの間にか炎にのまれてしまっていて見えない。

 結界を解いたことで雨が降り注いできたが、船を焼く炎が消えることはなかった。まだ一部分だけだが、見る間に甲板に広がって行く。マストの脇に積まれた漁の道具が、炎にのまれて火の粉を吹いた。

「このままでは船が沈没するぞ。ゼノとスターレンはまだか」

 二人とも、まだ船室から戻って来ない。シリルを探すのに手間取っているのか。それとも……

 その時、船室に続く階段に人影が現れた。階段を駆け上がって来る大小のいくつもの影。炎の明かりの中に現れたのは、誘拐された四人の子供達と、アルベルトとゼノだった。

 子供達は燃えている甲板を見て一瞬ためらったようだが、リゼ達の姿を認めると、思い切って走り始めた。その後に一拍遅れて子供を抱えたゼノが走る。アルベルトは最後尾で周囲の様子を窺っていた。

「全員見付けたのか」

 キーネスは呟いて、数歩前に出た。サーフィスの村人の話によれば、誘拐された子供は四人。ということは、ゼノが抱えているのがシリルだろう。なら後はこの漁船から脱出するだけだ。子供達は甲板を半分通り過ぎ、ゼノとアルベルトもその後を続いて、

 その時、甲板に雷が奔った。

 雷は誰にも直撃しなかったが、その代わり甲板に炎をばらまいた。炎は瞬く間に燃え広がり、ゼノとアルベルトの行く手を遮った。

 燃える炎に囲まれて、二人は完全に取り残されてしまった。そこへ黒い雷が奔り、二人に襲いかかる。アルベルトが防いだが、シリルもいるし完全に不利だ。とにかく炎を消さなければとリゼは魔術を唱え始めたが、その前に、シリルを抱えていたゼノが立ちはだかる炎の手間まで近付くと、大声で呼ばわった。

「キーネス! 受け止めてくれ!」

 そう言った瞬間、ゼノは抱えていた子供を勢いよく放り投げた。子供は燃えるマストを飛び越え、黒いローブをなびかせながら宙を舞う。やがて落ちてきたその子を、キーネスは難なく受け止めた。

「なっ、こいつは……!」

 抱きかかえた子供の顔を見て、キーネスは絶句した。フードが外れて露わになったその子は、同じような金髪碧眼をしていたものの、シリルではありえなかったからだ。

「シリルはこの船にはいない! その子は身代わりだ! どこかで入れ替わったんだ!」

 アルベルトの言葉に、リゼは驚いて目を見開いた。つまり、あいつらはどこかでシリルとこの子を入れ替えて、情報屋の目を欺いたということか。こちらはまんまと騙され、ここに誘き出されたのだ。

「どこで入れ替えたんだ。シリル・クロウ(本物)はどこへ――」

「後で必ず調べて。今はその子達をさっさと船に」

「……ああ」

 キーネスは踵を返し、子供達を連れて追跡艇へと戻っていった。

 それからリゼはアルベルトとゼノのいる方向に視線を戻した。二人は燃え盛る炎に囲まれている。あのままでは脱出出来ないだろう。

 リゼは二人のいる場所を見据えて、剣を真っすぐに構えた。切っ先から、風と氷雪が刀身を取り巻いていく。魔術が剣の周りで一本の槍のような形を取った時、リゼは甲板を勢い良く蹴った。

 次の瞬間、リゼは放たれた矢のように船上を駆け抜けた。炎を蹴散らし、一直線に空を奔る。そして炎の中にたたずむ雷を操る術師の胴体に、剣の切っ先を突き立てた。

 火花が爆ぜる音がした。雷が奔り剣を押し戻していく。一際強い雷が閃いた瞬間、リゼと術師はそれぞれ弾き飛ばされた。

「リゼ! すまない。助かった」

 体勢を立て直して着地すると、アルベルトがそう言った。リゼは敵を見据えたまま、

「礼はいいわ。炎が消えているうちに速く――」

 その瞬間、黒い雷がリゼ達のいる場所に落ちて来た。三人は各々避け、雷が飛来した方向を見る。果たしてそこには、あの術師の悪魔教徒がいた。

「しぶといわね」

 そもそもティリーが止めをさしたはずなのに、まだ生きているなんて。さすがに無傷という訳ではなく、動きはぎごちないが、術の鋭さは変わらない。雷は絶え間無く繰り出され、リゼが放った氷槍は砕かれて消滅させられてしまった。

「どうするんだ? 近寄れねぇぞ!」

 雷を避けながらゼノが嘆いたが、良い策があるならとっくに実行している。さりとて炎に囲まれたこの狭い範囲を逃げ続ける訳にもいかない。さて、どうするか――

「リゼ、頼みがある」

 その時、隣に立ったアルベルトが小声で言った。術師に視線を据えたまま、彼は言う。

「一瞬でいい。奴の気を逸らしてくれ」

「――わかった」

 落ちてきた雷を避けて、リゼは魔術を唱えた。術師はそれに気付き、同じように雷を生み出し始める。やがて組み上がった魔術は空を走り、 氷槍と雷が激突した。

 相殺された魔術は四散して白い霧を生み出した。霧は見る間に広がり、視界を覆っていく。けれどそれも短時間のこと。吹きつけてきた風が白い霧を押し流していく。

 視界が晴れる前の一瞬の隙を狙って、アルベルトが鋭い銛を投擲した。

 白い霧に吸い込まれるように、銛は空を駆けていった。柔らかいものに突き刺さる鈍い音と、何かがぶつかり合う重い音。白い霧が嵐の風で晴れていく。そして、開けた視界の先には、マストに磔になった術師がいた。銛が奴の喉を貫き、背後のマストに縫い止めていたのだ。

 それでも奴は生きていた。最期の足掻きか弱々しく手を動かし、銛を引き抜こうとする。けれど銛はびくともしない。術師はしばらくもがいていたが、やがて力尽き、動かなくなった。

「やった……のか?」

 磔になった術師を見て、ゼノがおずおずと言った。普通なら喉を貫かれて生きていられるはずがない。普通なら、だが。あいにく奴は普通ではない。例え悪魔教徒自身は死んだとしても、奴に取り憑いた悪魔は滅びていないのだ。すぐにでも、あの悪魔を消さなければ。

 火勢が強くなり、燃える帆の焼け滓がばらばらと降ってくる。それを払いのけ、リゼは術師の悪魔教徒のいる方へ近付くと、浄化の術を唱え始めた。手の内に、浄化の光が集まってくる。絶対に逃がさない。あの悪魔を、消してやる。

「危ない!」

 アルベルトの鋭い警告と、右方に勢いよく突き飛ばされたのはほぼ同時だった。状況が分からないまま湿った甲板の上を転がり、途中でなんとか体勢を立て直して起き上がる。そして顔を上げ、立ち上がったその瞬間、目の前に燃えるマストが倒れてきた。

 爆風にあおられ、後ろに吹き飛ばされそうになりながらも、リゼはかろうじて踏みとどまった。ごうごうと燃える炎が視界一杯に広がっている。燃えるマスト以外、炎ではないものが見当たらない。いったいどこへ行ったのだ。アルベルトとゼノは?

 燃え盛る炎に阻まれて、二人の姿は見当たらない。炎の向こう側にいるのか、それとも飲まれたのか。どちらにせよこの炎に阻まれていて確かめようがない。氷霧で炎を薙ぎ払うか。そう思って、術を唱えようとした瞬間だった。

 爆発音と共に船が火を噴いて崩壊した。わずかに漂ってくるのは魔術の気配。爆弾ではない。悪魔教徒の一人が魔術を使ったのだ。おそらく風の魔術を。

 魔術によって引き起こされた爆風は炎を巻き上げ、船を破壊し、リゼを吹き飛ばした。咄嗟に身を守ったため怪我は免れたが、空中に放り出され、浮遊感が身体を襲う。巻き上がる爆風に体勢を立て直す間もなく、リゼは荒波渦巻く海に落下した。

(しまった……!)

 ただでさえ潮の流れが複雑な内海。それに魔術の嵐が加わり、海は荒れに荒れている。浮かび上がれない。波に押し流されるばかりだ。

 ルルイリエの時のように魔術を使う間もなかった。重い水に纏わりつかれ、ただ流されていく。水面へ伸ばした腕を掴む者もなく、リゼは暗い水の底へ沈んでいった。

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