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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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追跡 5

「いた」

 船首で前方の海を見つめていたリゼは、内海に浮かぶ小さな漁船の姿を認めてそう呟いた。

 悪魔教徒達が強奪した漁船は、遠目にもかなり老朽化していることが分かる代物だった。帆を全て張っているものの、風を上手く捕らえられないのか船の歩みは遅い。漁船の持ち主が船を取られたことについてはそれほど怒っていなかったのは、取られて困るような船ではなかったからかもしれない。

「この分ならすぐに追い付けそうだな。シリルも子供達も無事だと良いんだが」

 リゼと同じように船首から漁船を眺めながら、アルベルトがそう言った。悪魔教徒はシリルを殺すつもりこそないようだが、それが彼女の安全を保証するわけではない。死ななくても、精神が取り返しのつかない状態になる可能性もある。そしてそれは、他の子供達にも等しく言えることだった。

「ああ……シリルだけじゃなくサーフィスの子供まで誘拐しやがるなんて、ふざけやがって……!」

 激しく憤りながら、ゼノは拳を握り締めた。サーフィスで村人の話を聞いてから、ずっとこの調子である。元々シリルが誘拐されたことで心配と怒りを溜めていたのに、さらにあんな話も聞けばこうなるのは無理からぬことだった。

 サーフィスで悪魔教徒達が強奪していったのは、あろうことか船だけではなかった。港で漁業の手伝いをしていた、あるいは波止場で遊んでいた、数人の少年少女達を誘拐していったのだ。そうした正確な目的は分からないが、まあ大体察しはつく。悪魔教徒が子供を誘拐する理由など、ほとんど決まっているのだ。

 すなわち、悪魔召喚の生贄にするために。

 サーフィスの村人達も察しがついていたが故に、キーネスから誘拐犯は悪魔教徒だと聞いた時には、何人かが卒倒しかねないほどだったという。まさか悪魔教徒に村を襲撃され、我が子を誘拐されるとは思ってもみなかったのだろう。村人達は青を通り越して真っ白な顔色になりながらも、必死でリゼ達に懇願した。

 子供達を助けてくれ、と。

 そのための船を用意するから、と。

 その申し出は、海を移動する手段を持たないリゼ達にとって、文字通り渡りに船だった。かくしてリゼ達はローグレイ商会に礼を言った後、村人達が用意した船に乗って強奪された漁船を追い掛けることになったのだった。

「しかしこの方角……まさか海路でヘレル・ヴェン・サハルに行くつもりか?」

「そんな無茶な。規定航路以外の場所を通るなんて砂嵐の砂漠を通る以上に自殺行為ですわよ」

 信じられない、という風にティリーは言った。

 確かに正気の沙汰ではない。アルヴィアとミガーを隔てる内海は非常に荒れていて、安全に航海できるのはメリエ・リドスとメリエ・セラスを繋ぐ規定航路のみ。航路から外れたら、複雑な潮流と不安定な天候に飲まれ、沈没することになる。アルヴィアにもミガーにも貿易港が一つしかないのは、複数の港が作れないからでもあるのだ。

「まさか彼らは安全にサハル島まで行く方法を知っているんだろうか……?」

 いまだ遠い船影を見ながら、アルベルトが呟く。リゼも同じように先を行く漁船に視線を向けた。

「悪魔教徒なんだから、内海を無事に通れるよう悪魔と契約でもしたんじゃないの」

 ここからでも、漁船を取り巻く邪悪な気配がわかる。規定航路を外れ、波が荒くなってきたこの海を鈍重な漁船で素早く移動できるのは、操船技術が優れているからではあるまい。何らかの術を使っているはずだ。それも、この分ではただの魔術ではないだろう。

 幸いにして、この船は速く、漁船との距離をみるみるうちに詰めていった。子供達の奪還を依頼した村人達数人が、乗組員として船を操ってくれているのもある。追いつくのは時間の問題だ。奴らが邪魔をしてこなければ、だが。

 漁船から風の槍が飛来してきた。

 高波揺れる海面を割って風の刃が飛沫をあげる。波を抉り、大気を裂き、風の槍は船を真正面に捉えて二つに引き裂こうとした。

 そうなる前に、船首の先に現れた氷壁が風の槍を阻んだ。

「また魔術を使える奴がいるのね」

 砕かれて飛び散った氷片が煌めきながら舞い落ちる。魔術の余波で強い追い風が駆け抜けていく。リゼは右手を掲げると、追い風を逆流させ、束ね上げて、そのまま前方に撃ち返した。

 生み出された風の塊は高速で漁船へと迫った。だが船体そのものには当てない。向こうにも術師がいるのだ。漁船を素通りし、船首の前まで風塊が移動した瞬間、その場で弾けさせた。

 大きな水柱が上がり、煽りを受けて漁船が大きく揺れた。波に揉まれ、船首が横を向く。漁船の動きは完全に止まり、ゆらゆらと海上を漂った。

「今よ!」

 動きを止めた漁船に向かって、追跡艇は走る。途中またしても風の槍が飛んできたが、全てリゼとティリーの魔術で防いだ。

 敵は目の前だ。後は、奴らをぶちのめして、シリルと子供達を取り返すだけ。




 リゼ達が漁船に降り立つと、案の定悪魔教徒達が襲い掛かってきた。奴らは揃って黒いローブを身につけ、手に剣を携えている。その姿はまさしくアスクレピアで襲ってきた者達と同じだった。

「こいつら、やっぱりあの時の奴らと同じか!」

 斬りつけてきた悪魔教徒の一人を、ゼノは弾き飛ばした。その隣でキーネスが双剣を抜き、追撃を食らわせる。リゼは風の魔術を唱え、近づいてきた一人を吹き飛ばした。

「上にもいるぞ!」

 アルベルトの警告に、リゼは上を見上げた。マスト上、いつの間にか集まってきた雨雲を背景に、黒ローブの人物が佇んでいる。何のつもりなのか、そこからじっと甲板を眺めているだけだ。風が吹き抜けて、悪魔教徒のローブを揺らした。

 すると突然、奴は右手を上げた。邪悪な力が、悪魔教徒の元に集まっていく。そして、マストの上から黒い塊が打ち上げられた。塊は空へ達し、渦を巻きながら広がっていく。それは黒い雲となって空を覆い尽くし、水気を孕んだ風と不吉な雷鳴を生み出した。

 次の瞬間、凄まじい雨と突風が天から降り落ちてきた。滝のような雨にあっという間にずぶ濡れになり、風で船が大きく揺れ始める。高波が甲板近くまで押し寄せ、雨水だけでなく海水も甲板を濡らし始めた。雨で視界が閉ざされ、揺れでまともに身動きが取れない。打ちつける雨音はすぐ近くにいるはずの人の声さえかき消してしまうほどだった。

 これは嵐を起こす魔術――いや、これは悪魔の力か? 魔術ではない、禍々しい力を感じる。それにかなり強力だ。この規模でこの強さの嵐を長時間維持するには相当な魔力が必要になる。マストの上にいる術師はただ者ではないらしい。

 まずはこの術を止めなければ。流れ込む雨水を払い、リゼは目をしばたいた。しかし、視界は雨で白く煙り、あの術師がいる位置もよく分からない。そのリゼの前に、ゆらりと黒い人影が現れた。それを認識した瞬間、悪魔教徒の黒い刃が襲いかかって来た。奴らはこの雨と揺れの中でまともに動けるのか。刃はかろうじてかわしたが、同時に襲いかかってきた横揺れでリゼはたたらを踏んだ。

 だが、悪魔教徒はそれ以上追撃することはできなかった。体勢を崩したリゼの元へ向かう前に、アルベルトの一閃のよって剣を吹き飛ばされたのだ。武器をなくした悪魔教徒は反撃する間も逃げる間もなく斬られ、後退する。そのまま雨の中に消えてしまったためどうなったか分からなくなったが、アルベルトは追わず、視線だけ振り向いた。

「無事か?」

「無事よ。それよりあいつら、この雨の中で動けるなんて。こっちの位置が分かるの?」

「いや、真っ直ぐこちらに来たわけじゃない。多分、目につく者を無差別に襲っているだけだ」

 そう言って、アルベルトは前方に視線を戻す。そう言えば、アルベルトは相手の動きが分かるのだろうか。今はギリギリ判別出来る距離にいるからリゼにもアルベルトだと分かるが、これ以上になると何も見えない。ましてや、奴らが真っ直ぐこちらに向かって来ているなんて。

「気をつけてくれ」

 不意に、アルベルトが言った。

「奴らはただの悪魔教徒じゃない。特にマストの上の術師は」

 ただの悪魔教徒じゃない。

 あの強すぎる嵐の術。

 アルベルトが断言するほどのこと。

 ――そうか。そういうことか。

「とにかく、この嵐をどうにかするわ。時間稼ぎをお願い」

「分かった」

 そう言って、アルベルトは雨の向こうへ消えていった。それほど遠い場所にはいないのだろうけれど、滝のような雨はそれすらも覆い隠してしまう。視界を遮るこのうっとうしい雨と風を消してしまわなければ。

『悠久の時を過ぎ行く風よ。翠の流れとたゆたいし、勝利を奏でる精霊よ。我が魂が結ぶ盟約。我が意志が紡ぐ力。其に従い、其を対価として、我に力を与え給え』

 激しい雨音の中、詠唱の文言が響いていく。嵐が生み出したものではない風が足元から巻き起こり、リゼを取り巻いた。

『我が願うは平穏齎す清風。空と大地を巡り行き、無限の空間を奔り行き、ここに集いて真に目覚めよ!』

 詠唱の終了とともに、涼やかな旋風が創り上げられた。風はリゼの周りをゆっくりと巡り、何層にも積み重なっていく。薄く翠に輝くそれが限界まで集まった瞬間、リゼは一気に解き放った。

 解き放たれた翠の風は降りしきる雨のみを吹き飛ばしていった。閉ざされていた視界が瞬く間に開け、暴風は消え去り、高波をも打ち消していく。風は二つの船を護るように包み込み、嵐を完全に遮断した。

 しかし風の結界が完成した瞬間、リゼは身体に重しをつけられたような感覚を覚え、思わず顔をしかめた。敵の嵐の術は想像以上に強力だ。小さいとはいえ、船二隻分の範囲を安定させるには相当な魔力がいるらしい。

「大丈夫か?」

 油断なく剣を構えながら、立ちはだかる悪魔教徒達を注視していたアルベルトが、気遣うように問いかけてくる。一瞬しか見ていないのに、どうして分かったんだ。そう思いつつも、

「問題ないわ。それより、シリルと子供達は?」

 見える範囲にいる悪魔教徒は三人。それぞれ刃物を手にしている。内一人は、先程アルベルトに斬られた奴だろうか。フードが外れ、素顔を晒している。その顔立ちに特徴はないが、首には目立つ火傷があった。オリヴィアにつけられた傷だろう。シリルや子供達の姿はない。悪魔教徒達はフロンダリアの時点では五人、後で合流して七人になったという話だが、それなら後三人いるはずだ。どこかに隠れているのか。

「ここにはいない。いるとしたら下の船室だろう」

 アルベルトの視線は、三人の悪魔教徒達の背後にある階段に向いている。確かに大事な人質を甲板に放り出してはおかないだろう。悪魔教徒の数も足りないし、下の船室に立て篭もっているのか。

「なら、さっさとあいつらを片付けて下に行こうぜ」

 そう言って、剣を抜いたゼノが前へ進み出た。いつもの陽気な雰囲気は消え失せ、真剣な表情で剣を構えている。その横に続いて、キーネスも双剣を構えた。

「この海域に長く留まっているのは危険だ。速くクロウと子供達を探し出すぞ」

 その時、悪魔教徒の一人がナイフを投擲した。鋭いナイフは空を裂き、真っ直ぐリゼの元へ飛ぶ。しかしそれは誰かが動く前に、ティリーの魔術によって弾かれた。

「どうやら奴らはリゼを狙いたいみたいですわね」

 ティリーはそう言って、腕を組んだ。三人の内二人はフードを被っているから分かりにくいが、確かに奴らの視線はリゼに向いている。顔の見えている一人など、まるで親の仇でも見るような目だ。「なるほど、私が風の結界を張っているから、先に排除したい訳ね」

 風の結界の外を、雨水が滝のように流れ落ちている。さながら水の円蓋の下にいるようだ。結界を張る前のように、あれほどの雨水を被ることになるのは願い下げだ。

「ならばこうしよう。俺とローゼンで奴らを足止めとランフォードの護衛をする。ゼノとスターレンはクロウと子供達を探せ」

 キーネスが指示を出すと、全員が頷いた。

 真っ先に動いたのはティリーだった。

『大地に平伏せ!』

 ティリーが高らかに唱えた瞬間、発生した重力魔術が悪魔教徒達を捕え、身動きを封じた。動けなくなった悪魔教徒達の横を、ゼノとアルベルトがすばやく走り抜け、船室へと続く階段を下りていく。その間にも悪魔教徒達は重力場から逃げ出そうともがいていたが、その程度のことでティリーの魔術から逃れられるはずもなかった。

「無駄ですわよ。わたくしの魔術からは逃れられません。諦めて大人しくしておいてくださらないこと?」

 不敵に笑って、ティリーはさらに重力を強くした。悪魔教徒達は声もなく重力に押し潰されていく。しかしその時、上空から降り落ちた黒い閃光が重力魔術の力場に直撃した。力場は閃光によって破壊され、四散して消滅する。自由を得た悪魔教徒達の幾人かはアルベルト達を追って船室へ向かおうとしたが、その前にキーネスが立ち塞がった。

「悪いがあいつらの邪魔してもらっては困る」

 だが悪魔教徒達が制止を聞くはずもない。一斉に斬りかかってきた彼らに対して、キーネスは双剣で応戦した。

 悪魔教徒達はキーネスに任せて、リゼは上を見上げた。そこは黒い閃光が落ちてきた方向だ。

「あいつを止めないとね」

 風の結界の外。マスト上で風雨を浴びながらも静かに佇んでいる黒ローブの人物。奴の足元には禍々しく光る魔法陣らしきものが展開されている。そこから立ち上る風は天まで立ち昇り、渦巻く烈風を創り出していた。術師を止めなければ、この嵐は止まらない。

 なら、やることは一つだ。

「ティリー。あいつを撃ち落として」

「お任せあれ!」

 そう言うなり、ティリーは掌に火球を創り出した。それは見る間に大きくなり、大の大人を飲み込むほどになる。燃え盛るそれを、ティリーはボールを投げるような動作でマスト上の悪魔教徒めがけて投げつけた。

 放たれた炎はマスト上の見張り台を包み込み、瞬く間に燃やし尽くしていった。熱気は立ち昇る風をも飲み込み、嵐の術そのものも破壊しようとする。しかしティリーの火炎魔術が猛威を振るう中、突如として燃えるマスト上から炎に包まれたものが落下していった。

 それは真っ直ぐに甲板へ落ち、鈍い音を立てた。

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