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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
82/177

追跡 3

 実際の乗り心地は“そんなに”どころではなかった。

 砂馬(カメル)は確かに速かった。普通に歩くと足を取られそうになる砂の上をものともせず駆けていく。平地での全速力の馬車に勝るとも劣らない速さだ。だが、

 揺れる。如何せん揺れる。

 橇だし引っ掛かるような石もないのだからさほど揺れないだろうと思いきや、波の模様を描く砂の凹凸に引っかかり、速度も相まってよく跳ねる。身体を固定しておくためのベルトはあるのだが、肘掛けをしっかりつかんでおかなければ座席からすっ飛んで行きそうだ。

「ここのに、乗るの、初めてなんですけど、ゆ、揺れますわね! もっと、遅いところは、ここまで、揺れないんですけど! いたっ!」

「舌噛みそうだから大人しくしておいた方が良いんじゃないの」

 ティリーが舌の痛みに涙目になっていると、リゼにそう冷たく言われてしまった。こちらは怪我をしたのだから、もう少し優しく言ってくれても良いのにとふて腐れてみたが、リゼの反応はつれなかった。まあリゼがノリ良く反応してくれるはずもないのだが。やたら不機嫌そうなのは暑いせいだろう。

「しかし、こんなに飛ばしたら、馬がすぐつぶれてしまうのでは?」

 肘掛けにしっかり掴まって身体を固定していたアルベルトが疑問を口にする。確かに普通の馬車なら徒歩より速い程度のスピードで走るのが普通で、駆足を続ければすぐに馬が使い物にならなくなってしまう。しかし、それは普通の馬の話だ。

「大丈夫よ。砂馬(カメル)は普通の馬よりもずっとスタミナがあるの。速駆けしてもそう簡単にはつぶれないわ」

 そう語るカティナはこの揺れの中だというのに平然と座っている。何かにしっかり掴まっているわけでも身体を固定しているわけでもない。ごく普通に座っているだけだ。見た目は華奢だが体幹が強いのか。それとも慣れか。慣れが重要なのか。

「夫から聞いていると思うけど、うちは他の商会の二倍は速く目的地に着くから、それまでゆっくりしてね。この中は狭いから大したことは出来ないけど」

 狭さよりもこの揺れのせいでゆっくりできません、とティリーは内心思ったが、喋ったら今度こそ舌を噛みそうだったから口に出すのはやめておいた。なんにせよ揺れを抑えるにはスピードを落とすしかなく、無論そんなことは出来ないので揺れのことをどうこう言っても仕方ない。二日間我慢すれば済む話だ、ティリーは自分を納得させた。

 馬車の窓から外を見ると、道の脇の棒状の距離標がものすごいスピードで過ぎ去っていくのが見えた。ルゼリ砂漠にも一応街道――といっても道路が整備されているわけではないが――が存在して、目印を兼ねた距離標が立っているのだが、一つ一つの間がそれなりに離れているはずなのに次々と過ぎ去っていくので、馬車の速度がどれほど速いかが良く分かった。この揺れは困るが、これだけ速いとなんだか爽快だ、とティリーは考え直しはじめた。きっと御者は風圧と砂で大変だろうけれど、乗る分には悪くないかもしれない。ただ、この速度だとブレーキをかけた時には大変なことになるだろうけど。そのことは、あまり考えないようにした。

 その後、途中でいくつかのオアシスで休憩を挟みつつ、砂馬車は順調に街道を疾走し続けた。揺れで身体の節々が痛くなったが、それは我慢だ。そして、出発したころには中天近くあった日が西の地平線に近づき始めた頃、

 それは現れた。

「エドワードさん! 馬車を止めて下さい!」

 突然、アルベルトが御者台に向かって叫んだ。

「進路方向! 砂の下に大きな魔物がいます!」

 アルベルトがそう叫んだのと同時に、エドワードは手綱を引いてブレーキを掛けた。カティナはすかさず旗を立て、並走する馬車に停止の合図をする。馬車の速度が急激に落ち、反動で前方に吹っ飛ばされそうになりながらも、座席にしがみ付いて必死に耐えた。

 そうして三台の馬車が止まりかけた瞬間、突如として足元の砂がすり鉢状にへこんだ。へこみはみるみる内に深くなり、中心に砂が吸い込まれていく。まるで巨大な蟻地獄だ。舞う砂塵で穴の中心は見えない。エドワードを始め三台の馬車はすぐさま方向転換したが、砂が流れ落ちるスピードの方が速いようだった。

砂蚯蚓(スナミミズ)だ!」

 ゼノが叫んだ。

「何でこんなにでっかいんだよ! おかしいだろ!」

 穴の中心を見据えて、ゼノはやけくそ気味に叫ぶ。砂蚯蚓はその名の通り蚯蚓のような細長い形をした魔物だ。砂に潜って獲物を待ち、蟻地獄を作って獲物を引きずり込む。しかし、

「普通は馬車一個引きずり込める程度だろ! デカすぎ!」

 砂の中に隠れて本体そのものは見えないが、馬車三つを引きずり込んでなお余りある蟻地獄を形成するほどだ。砂蚯蚓自体も相当な大きさであろう。しかし何にせよ、この蟻地獄から脱出するには本体を叩かねばならない。

「ウダウダ言ってないで対策なさい! 貴方専門家でしょう!」

「分かってるよ!」

 ティリーが叱咤すると、ゼノはそう言いながら荷物から何かを取り出した。翠色の、二の腕ほどの長さの石棒だ。それを見てアルベルトが呟いた。

「あれは?」

「霊晶石ですわ。砂蚯蚓撃退のために、文言さえ唱えれば誰でも超音波を起こせるようにしたものなんですけど」

 魔物というのは元の生物の性質をある程度引きずるらしい。砂の中の砂蚯蚓を追い出すには元の砂漠ミミズと同じように、超音波が有効なのだ。石棒はそのための道具で、やたら高価な品なのだが、ゼノはちゃんと常備していたようだ。それを持ってゼノは馬車の後方に行くと、流れる砂の斜面に突き刺した。

『風よ謡え! 大気よ震え! 流れ行きて彼の者を撃て!』

 ゼノが文言を唱え終わった瞬間、頭に響く甲高い音がした。石棒が生み出した音波は砂中を伝い、波状に砂蚯蚓へ迫っていく。そして、

 何も起こらなかった。

「駄目だ、相手がデカすぎる! これじゃあ威力が足んねぇ!」

 変わらず砂を吸い込み続ける穴の中心を見て、ゼノは顔をしかめた。あの道具は通常サイズの砂蚯蚓を想定して作られているものだから、あの巨大な砂蚯蚓には効かないようだ。

「砂蚯蚓を追い出すのに有効なのは超音波以外は水責め――オリヴィアなら! おいオリヴィア……っていないんだった!」

 自分で自分につっこみを入れてから、ゼノは真剣な目で思案しはじめた。その表情はまさしく専門家のそれだ。普段抜けている彼も、仕事の時は多少真剣になるらしい。

 するとその時、左手の方から悲鳴が聞こえた。外を見ると、馬車が一台、穴の中心近くまで引きずり込まれ、砂中から伸びる触手のようなものに捕われていた。あのままでは彼らは喰われてしまう。

「助けなければ!」

 ティリーは馬車の方を向いて立ち上がった。しかしどうする。この距離で上手く触手だけ焼き払えるだろうか。積み荷に火をつけたら大惨事になるし、重力魔術はこういうことには向かない――。ティリーがそう思案していた時、すぐ横を誰かが風を起こしながら通り過ぎ、さらには馬車を飛び出して行った。

 リゼだ。




「リゼ!? 何してるんですの無茶ですわよ!」

 ティリーが叫んだが、そんなこと気にしてなどいられない。リゼは風の魔術を纏い空へと駆け上がり、砂塵舞い上がる穴の中心真上まで飛び上がった。砂蚯蚓の触手もここまでは届かない。上昇が止まり、落下へと切り替わり始めた時、リゼは真下目掛けて剣を振り下ろした。

『貫け』

 斬撃から生まれた無数の氷槍が穴の中心へと降り注いだ。槍は地中から伸びる触手を断ち切り、砂の渦へ次々に突き刺さる。囚われていた馬車も、触手が断ち切られ、あるいは氷漬けになって、自由になっていた。

 リゼが馬車の天井に着地するころには、蟻地獄の中心はすっかり氷で覆われていた。砂蚯蚓は沈黙し、動く気配はない。リゼはそれを確認すると、御者台に集まっていたローグレイ商会の従業員達に話し掛けた。

「動ける?」

「へ、へぇ」

「ならさっさとそれを切って」

 馬車を切り離せば脱出は楽になる。積み荷に未練はありそうだったが、従業員達は手分けしてテキパキとハーネスを切り始めた。

 砂蚯蚓を氷漬けにしたのが効いたのか、砂の流れは大分緩やかになった。魔物本体も大人しくしている。魔術を打ち込んだだけで倒したわけではないから、今のうちに止めをさせればいいのだが、生憎砂蚯蚓は砂の下。果たしてどうしたものか。

 砂漠の熱に、氷が白い霧を立ち上らせていく。砂が風に舞い上がる。氷上にぱらぱらと砂が散った。

 その時、氷が砕けるような音がした。

 次の瞬間、背後の氷が割れて砂の塊が吹き出してきた。避ける間はない。熱い砂粒の直撃を受けて身体が宙に投げ出された。

(しまった! こっちの方向は……)

 氷にヒビが入り、隙間から触手が這い出している。氷が次々に割れていく。このままでは、砂蚯蚓の口の中に、

(――落ちる!)

 その時、突然左の方から衝撃がきた。反射的に目をつぶり、衝撃をやり過ごす。そして再び目を開いた時、思いの外近くにアルベルトの顔があった。




「奴が砂の中にいる以上、氷の魔術は効かないみたいだ。砂に潜って直撃を避けてる」

 這い出してくる触手を見ながら、アルベルトは言った。砂蚯蚓は砂中にいるがために、砂を盾にして容易に攻撃が届かないようになっている。氷漬けにして一時的に動きを封じることは出来るが、それも砂を吹き出して破壊してしまうようだ。

「砂の上からじゃ魔術は効かないか。その上、触手から砂を吹き出すみたいね。強力だし、やっかいだわ」

 アルベルトが抱えた体勢のまま、リゼは砂蚯蚓を見て言った。砂蚯蚓は触手の先端から砂を噴射して、氷を壊している。リゼもそれを受けてしまったが、氷の破壊で威力が減じていたためか怪我はないようだ。魔術の氷を砕く程の威力。直接食らっていたら、いくらリゼでも危なかっただろう。ただ、弾き飛ばされて砂蚯蚓の口の中に落ちるところだったのだから、危ないところではあったのだが。

 そうしている間にも、アルベルトの足元の氷にヒビが入った。完全に壊される前に、別の氷塊に飛び乗って穴の中心から遠ざかる。砂蚯蚓の触手は短く、穴の中心近くでないと届かないから、離れてしまえばある程度安心だった。

「とにかく、奴を砂から追い出さないと。リゼ、魔術で音波を出すことは?」

「そういうのは得意じゃない。たぶん威力が足りないわ。残念ながら」

「そうか。なら他の手は――」

 音波も水責めも出来ないなら、他の方法を探すしかない。砂の中の魔物に攻撃を当てられればいいのだ。とすると、奴と接触出来るのは……

「それよりいつまでこうしてるつもりなの? さっさと下ろして」

 リゼの不機嫌そうな声が飛んできて、アルベルトは我に返った。そういえば吹き飛ばされたリゼを助けてそのまま抱えたままだ。最初に降り立った氷塊は狭く下ろすスペースはなかったが、今いる場所なら十分である。それに気付いて、アルベルトは慌ててリゼを下ろした。

 リゼは立ち上がって服の砂を払い落とすと、すぐさま露出した地面から伸びてくる触手の根元めがけて氷槍を打ち込んだ。触手は砂を跳ね上げながら引っ込んでいき、先端を凍らせたのみに留まった。

「やっぱりこの程度じゃ無理ね」

 氷が砕かれるにつれ砂の勢いはますます速くなり、氷塊は蟻地獄の中心へのまれていく。砂を吸い込み続ける砂蚯蚓はそこから動こうとしない。奴を追いだすのに水責めも超音波も駄目なら、残る手は、

 アルベルトは流されている馬車を一瞥した。馬車は氷の隙間から這い出してきた触手に再び囚われつつある。従業員達はすでにハーネスを断ち切り、砂馬(カメル)に乗って脱出済みだ。無人になった馬車は積み荷を乗せたまま、蟻地獄の中心に向かって流されていく。その馬車に、アルベルトはぽっかり開いた御者台から飛び込んだ。

 馬車の中にはいくつもの樽が積まれていた。走行時の振動で崩れないように、ロープでしっかり固定されている。エドワードは大事な商品だと言っていたが、馬車は触手で搦め捕られていて、運び出すのは無理だろう。後でエドワードに謝らなければ。

 アルベルトが剣を一閃させると、樽は綺麗に真っ二つになった。零れ落ちた液体が下の樽を濡らしていく。他のいくつかの樽も同じように破壊すると、独特の香りが馬車の中に充満した。

 その時、馬車の外壁がみしりと音を立てた。魔物の触手が届く位置まで来たらしい。小窓の外でぬめぬめとした赤黒いものが蠢いている。アルベルトはすぐに馬車から飛び出ると、まだ僅かに残っていた氷塊の上に着地した。

「アルベルト! あれをどうするつもりなの?」

 魔術で足場を作りながら、リゼが隣までやってきた。アルベルトは飲み込まれつつある馬車に視線を据えたまま、質問答える。

「大きいものは内側からだ。あとは火が必要だ」

「火? ティリーは忙しいみたいだけど、どうするの」

 エドワードの馬車を見ると、触手が届くギリギリの所まで落ちてきているらしく、ティリーとゼノは応戦に追われている。着火を頼むのは無理そうだ。ならば、

「これが上手くいってくれたらいいが」

 そう言って、アルベルトは手に持っていたものを足元に叩きつけた。馬車から拝借してきた霊晶石のランプだ。壊れたランプの中で、ひびの入った霊晶石がバチバチと音を立てた。

 ティリーによると、霊晶石は魔法陣の部分を破壊すると暴走するらしい。火花を散らし、赤い光を放ちながら明滅する。アルベルトはそれを、蟻地獄の中心に飲まれつつある馬車目掛けて投げ付けた。

 陽光を受けて輝くそれは、弧を描いて飛び、上向きになった扉の隙間から馬車の中へ落下した。砂蚯蚓は落ちてきたランプのことなど歯牙にもかけず、馬車を引き込んでいく。そして次の瞬間、砂の中から現れた牙の並ぶ口が馬車を真っ二つに噛み砕いた。

 途端、青白い炎が砂蚯蚓の口から吹き上がった。炎は砂蚯蚓の口腔を焼き、焦げ臭いにおいを漂わせる。空気を震わせるような、甲高い叫び声が上がった。

 蟻地獄の砂の流れが止まった。一瞬の沈黙ののち、穴の中心の砂がぼこりと盛り上がる。次の瞬間、砂が噴水のように吹き上がり、砂蚯蚓が姿を現した。

 砂蚯蚓は苦しげに身をよじりながら口を開き、馬車の残骸を吐き出した。焦げた木片が砂の上に散らばっていく。異物を排除して満足したのか、再び砂の方に引っ込もうとしたが、その前にリゼの魔術がそれを阻んだ。

 身動きが封じられ、のた打ち回る砂蚯蚓の頭部めがけて、アルベルトは剣をふるった。切っ先が砂蚯蚓の皮膚をとらえ、わずかに傷を作る。だが、斬り裂くには至らない。砂蚯蚓の皮膚は岩のように硬く、ここでは剣が通らないのだ。

「砂蚯蚓の弱点は口の中か眼だぜ! アルベルト!」

 氷上に登ってきたゼノが、剣を構えながら言った。その横にティリーが降り立って、魔導書を開く。

「眼というか眼点ですわね。でもこれではどこにあるか分からないですわね。完全に埋もれてますわ」

 眼点は小さいのか閉じているのか、砂蚯蚓の皮膚表面はどこも同じで、目のようなものは見当たらない。

 ――いいや、ある。

 ゴツゴツした皮膚の隙間に、細い切れ目のようなものがある。眼点にしろそうでないにしろ、あそこなら剣が通るかもしれない。

「援護を頼む」

 そう言って、アルベルトは隆起した氷を足場に、砂蚯蚓の口元まで飛び上がった。魔物の口から伸びる触手が、アルベルトを搦め捕ろうと鞭のように飛んでくる。それを斬り払い、あるいは避けていると、一部の触手が深紅の炎に包まれた。さらには同じように駆け上がってきたゼノが剣を振るい、砂蚯蚓の注意を引き付けようとする。それでもなお残った触手を避け、アルベルトは砂蚯蚓の急所へと迫った。

 その時、急所の少し上の方に氷槍が突き刺さった。それは大きく、アルベルトがすっぽり隠れてしまうほどだ。突然のことで一瞬戸惑ったが、次の瞬間、上方にあった触手が吐き出した砂が、氷槍に当たって飛び散った時、アルベルトはリゼの意図を理解した。

 眼点の細い皮膚の隙間はもはや目の前にあった。アルベルトは剣を引くと、硬い皮膚の細い隙間に剣を差し込んだ。

「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を」

 剣を伝って、浄化の力が砂蚯蚓の中で炸裂した。それは砂蚯蚓に憑く大量の悪魔を焼きつくし、一つ残らず消滅させていく。

 やがて全ての悪魔が浄化され、砂蚯蚓はただの肉の塊となって穴の底に横たわった。

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