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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
80/177

追跡 1

 我々は死と契約を結び、陰府(よみ)と協定している。――イザヤ書28:15

「この間は言わなかったんですけど、大事なことですから霊晶石について教えておきますわ」

 フロンダリアのグリフィスの館で、キーネスからの連絡を待っていた時、不意にティリーがそんなことを言った。どうも、先日ミガーについて教えてくれた時は、失念していたらしい。

「霊晶石は一般に普通の鉱石より硬いのですけど、もちろん全く壊れない訳ではありません。霊晶石の魔法陣を一部分だけ破壊すると、制御が失われて精霊力(エネルギー)を放出し、対応する物質を顕現させます。火の魔法陣だったら炎が現れるという風に。そして最悪の場合、爆発を起こします。

 テウタロス様の依り代をよく平気で触れるな、と言ったのはこのためですわ。こういう言い方は恐れ多いことですけど、精霊神の依り代も原理的には霊晶石と同じですから。特に依り代は精霊力(エネルギー)の塊ですから、下手に傷付けると爆発なんて言葉では済まない事態になります。

 危険ですから、霊晶石は絶対に傷付けないで下さいませ。というか、不用意に触らないで下さい。テウタロス様の時は緊急事態でしたから仕方ありませんけど」

 講釈好きなせいか、何かを説明している時のティリーは本当に楽しそうだ。彼女の説明を聞きながら、アルベルトは部屋の暖炉の上にある霊晶石のランプを見た。魔法陣が刻まれた小さな赤い石が、ランプの中に収められている。

 霊晶石。魔力と精霊を多量に含み、様々な魔動具に使われる鉱石。

 点火されていない半透明の石の中で、小さな人影が通り過ぎたような気がした。




「本当に殿下になにも言わず出てきてしまっていいんですの? 協力するって言ったばかりなのに」

 眉間に皺を寄せて、ティリーは咎めるように言った。フロンダリアを出てから何回目になる問いだろう。出発が決まった時から、彼女は数時間置きにこの問いを繰り返していた。

 キーネスから連絡が来てすぐ、手紙の指示に従ってフロンダリアを発つことが決まった。決まったと言ってもリゼが行くと言い、一人を除いて反対意見が出なかっただけなのだが。しかし当然、グリフィスに言えば反対されるし、兵士達も見張っている。そこで、テウタロスの依り代の新しい安置場所が決まり、結界再構築の儀式でグリフィスと兵士の大半が屋敷を留守にした隙に、無理矢理フロンダリアを抜け出してきたのだった。

「自由に動けないのは面倒だからこの方がいいわ。協力はするけど、全部あの人の指示に従うとは言ってない」

「そーかもしれませんけど……」

 ティリーは呆れた様子で呟き、ため息をつく。フロンダリアを出ることに唯一反対したティリーは、こうしてずっとリゼと問答を繰り返しているのだ。反対しつつ、結局彼女もこうしてついて来ているわけだが。

「大体、襲撃者は五人だったみたいですけど、もっと大人数かもしれませんし、たった四人――いやキーネスも入れたら五人ですわね。五人でシリル救出は無謀ではありませんこと?」

「別に正面から総力戦を仕掛ける必要はないでしょう。シリルを助けたらあとは隙をついて叩きのめしてやればいいだけ」

「……全滅させること前提じゃありませんの……」

 リゼの発言にティリーは盛大にため息をつき、頭に手を当てた。相手が全く聞く気がないのだから、頭も抱えたくなるだろう。やがてティリーは勢いよく顔を上げると、貴方も少しは言ってやって下さいませ! と呆れた様子でアルベルトを見遣った。

 とはいえ、視線で訴えられてもアルベルトとしてはどうしようもなかった。現状に大きな不満があるわけでもなかったし、第一に、

「もっと他に良い方法がない限り、止めても聞かないよ」

 肩をすくめながらそう言った。

 無論アルベルトとしても、グリフィスの助力を得る方がより安全で確実だと思っている。しかし一方でゆっくりしていられないのも事実なのだ。シリルの体質上、取り憑かれてすぐ取り返しのつかない変容を起こすことはないとしても、何らかの悪影響を受けることは避けられない。リゼが今更引き返すとは思わないし、シリル救出に向かうこと自体に異論はない。

 とはいえ、ティリーの懸念はもっともだ。オリヴィアの話では襲撃者は五人だったそうだが、フロンダリアを出た後仲間と合流しているのかもしれないし、そもそも相手の実力も未知数である。アスクレピアの時と同じ敵だとしたら、数が多ければ確実に手に余る。

「でも無理に戦う必要はない。シリルを助けたら、すぐに撤退しよう。くれぐれも無茶はしないでくれ」

「努力するわ」

 さらりとそう言って、リゼはすたすたと歩いていく。予想通りの答えに、アルベルトではなくティリーの方がため息をついた。

「はあ、そうなるんですのね。そりゃわたくしだってシリル救出に異存はありませんけど……」

 そう言って、ティリーは渋面を作った。その悩みっぷりがなんだか意外で、アルベルトは首を傾げた。

「君がリゼを引き止めようとするなんて、珍しいな」

 どちらかと言うと、ティリーはリゼの術が見られるならと喜び勇んでついていく方ではなかったか。それとも王太子との約束を反故するのは、いかにティリーといえどまずいと思うのだろうか。

「あら、わたくしだって色々と思うところはありますわよ。何があってもリゼについていくという訳ではありませんし。それより、貴方こそリゼがああいうこと言い出したのに止めないなんて、珍しいじゃありませんの」

「……そうかな」

「そうですわよ」

 怪訝そうな表情でティリーは言う。その様子を見たアルベルトの脳裏に、ある言葉が蘇ってきた。

『あの娘はとんでもない宿命を背負っておる。それを知り、戦おうとしておる』

 あの時、アルネスはそう言った。

『しかし、あの娘は自愛を知らぬ。己を卑下し、自身に価値はなく、他者を救うことでしか存在意義を示せぬと思い込んでおる。もし仮に他者を救うことが出来なくなったとしたら、あの娘は自身を無用な者だと非難するじゃろう。断罪するじゃろう』

 もしリゼが誰かを救うことでしか自分の存在意義を示せないと思い込んでいるのだとしたら、彼女を止めることは賢明なことなのだろうか。戦いに行かなけばならないというなら、自分に出来ることは、アルネスの言う通り彼女を助けることしかないのだろうか。リゼの場合、ただ危険から遠ざけることが、彼女を助けることにはならないのだから。

「――ああでも、人喰いの森の時も行くこと自体は止めてませんでしたわね」

 すると、アルベルトが何か言う前に、ティリーは思い出したように呟いた。そして納得したのか、リゼの方へ視線を移す。

「リゼは言い出したら聞きませんわよね。それは分かってるんですけど……」

 そうして、ティリーは本当に小さな声で、ぽつりと呟いた。

「わたくしにも立場というものがあるんですのよね……」

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