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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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生贄の街 4


「……何だ。アルベルトか」

 振り返りざまアルベルトの首に剣を突き付けたリゼは、驚いた様子もなくそう言った。そうして剣をどけ、何事もなかったかのように向き直る。その淡白な反応にアルベルトは苦笑した。

「心配をかけてすまない。……ほかの皆はどうしたんだ?」

拠点(ベースキャンプ)にいるわ。そういうあなたは今の今までどこにいたの?」

「地下水路へ落とされたんだ。遠くまで流されてしまったからすぐには戻れなくて、別の出口を探して歩き回っていた」

「落とされた? 誰に?」

「それは―――」

 その続きを言おうとした時、ばたばた走る音が聞こえてきた。

「大変だ! レスターとティリーが」

「ってアルベルト!? あんたどこに行ってたの!?」

 グラントとサニアがただならぬ様子で走ってきた。二人ともいなくなったはずのアルベルトの姿を見て驚いている。

「話は後だ。ティリーとレスターがどうしたんだ?」

「そ、それが、あいつらいきなりやってきた黒い靄みたいなのに飲み込まれて消えちまったんだよ!」

「黒い靄?」

 悪魔か。

「よく分かんないけど黒い靄がたくさんやってきて周りが真っ暗になって……明かりがあるのに何にも見えなくなって……」

 怯えながらサニアが話したが、リゼは聞かずに走り出した。アルベルトもそれに続く。拠点(ベースキャンプ)にたどり着くまでそれほど時間は掛からなかった。

「ア、アルベルトさん!? 無事だったんですか!? どうして……」

 拠点(ベースキャンプ)の入り口のところにへたり込んでいたボリスが、アルベルトを見て驚きの声をあげる。しかし二人はそれを無視して、拠点(ベースキャンプ)内を見回した。

 誰もいない。

それを知って、リゼが悔しげに呟いた。

「……ここを離れるんじゃなかった」

 レスターが消えた。

 ティリーも姿を消した。




「もうたくさんよ! ダレンについてきたのが間違いだったわ! あたしは帰る!」

 突如、サニアがヒステリックに叫んだ。案の定というかなんというか、ついに我慢の限界に達したらしい。

「で、でも博士達のことは……」

 ボリスがオロオロしながらそう言ったが、サニアをますます怒らせただけだった。

「あんな人達放っておけばいいわ! 大事なのは安全よ! それともなによ。あんたは消されちゃってもいいの!?」

「よ、よくないけど・・・」

「だいたい調査なんてバカバカしいもの最初から嫌だったのよ! ダレンに雇われたから仕方なく来ただけなのに――」

「うるさい。ぎゃあぎゃあわめかないで」

 サニアのヒステリーをリゼはばっさり切り捨てた。わめいている暇があるなら、とっとと帰るなり何なりすればいいのだ。この狭い上に音が反響する地下道内で騒がれてはうるさいことこの上ない。

「……何よ、済ましちゃって。悪魔祓い師ならこの状況をどうにかしなさいよ」

 叱責されたサニアは不満げに文句を言ったが、リゼは無視した。

「いなくなった、か。なら、やっぱり」

 一方アルベルトはそう呟くと、何かを確信した様子で顔を上げた。彼は一人の人物に視線を向け、そして、

「ボリス。一つ聞きたい。どうして俺を地下水道へ突き落としたんだ?」

 その場が静まり返った。

「は? こいつが?」

 グラントがいぶかしげに呟いた。小柄で気弱なボリスにそんなことが出来るとは思えない。言外にそう言っていた。

「ち、違いますよ! ボクがそんなこと出来るわけないじゃないですか! 第一ボクにはアルベルトさんを地下へ落とす理由なんてありませんよ! 理由、なんて……」

 ボリスの抗弁は次第に小さくなっていった。と思ったら、突然ボリスが飛び出した。それも逃げるのではなく、アルベルトに向かって飛び掛ったのだ。手に銀のナイフを握りしめて。

 しかし、それは空を切っただけだった。落ち着き払ったアルベルトが、ボリスの手を掴んでねじりあげたからだ。その手からナイフが落ちて乾いた音を立てた。

「は、放せ! 放せよ!」

 ボリスはばたばた暴れたが、腕力の差で全く振りほどけない。

「本当にこいつなの?」

「ああ、ボリスで間違いない。それに、俺の記憶が間違いでなければ顔を殴ったはずだしな」

 ボリスの顔には本人曰く壁に激突してできたという大きな青痣がくっきり浮かんでいる。どうやらアルベルトは手加減なしで殴ったようだ。

「もう一度聞く。どうして俺を地下水道へ突き落としたんだ?」

「知らない! 放せ!」

 ボリスは白状する気がないらしい。このままでは埒が明かない。

「こういうのは首謀者に直接聞いたほうが早いと思うわ」

 レスターが消えた。ティリーも姿を消した。

 おそらく行き先は、

「例の地下室に行きましょう」



 地下室の入り口をふさいでいた靄がリゼの魔術であっけなく消し飛んだ。

 吹き抜け状態になった地下室の天井から、朽ちかけた教会が吹き荒ぶ風雨を受けて啼いているのが分かる。そこにリゼとアルベルト。そして(一応)ボリスを見張る役目を引き受けたグラントとサニアが入った。

「ボリス。しくじったわね」

 魔法陣の中心にはメリッサが立っていた。足元には気を失ったティリーとレスターが倒れている。

「ごめんなさい博士!」

 泣きそうな顔で謝罪するボリス。それを冷たく一瞥したメリッサは、アルベルトに目を移した。

「地下は悪魔の巣窟よ。ダレンは半日もしないうちに悪魔に取り憑かれたのに、よく出られたわね」

「暗い所は得意なんだ。……何故俺を地下に落としたんだ?」

「邪魔だったからよ。あなたは魔法陣が動いていることに気付いた。悪魔召喚を行う事を知られたくなかったの」

「じゃ、じゃあダレンは―――」

 サニアが恐る恐る問いかける。するとメリッサはうっすらと笑った。

「ダレンはわたしと同じ事を考えていた。実物を使っての悪魔召喚の実験をね。だからわたしは協力しようと話を持ちかけた。彼は賛同して、生贄を二人も連れてきた。でも、土壇場で弱気になった。

ダレンはわたしに悪魔召喚をやめるようにと言ったわ。やめないなら他の皆に計画をばらすとも。冗談じゃなかったわ。一度は賛成したくせに、今さらやめるだなんて。だから、落とした」

 地下に。光なき闇の中、恐怖が悪魔を呼び寄せる。そんな場所に。

「おかげで助かったわ。悪魔憑きになった途端、言うことを聞いてくれるようになったもの」

「悪魔憑きだと!? じゃあダレンは―――」

「安心して。まだ生きてるわ。でもそれもあと少しね。そう、あなた達も」

 そう言ってメリッサは足元の陣を見つめる。

「なにしろ生贄が二人も増えた。ティリーに感謝しないとね」

「―――感謝なんて」

 突如、メリッサの後ろに倒れていたティリーが立ち上がった。

「いりませんわ!」

 分厚い本の角がメリッサの頭にヒットした。ドンッと鈍い音が響く。倒れたメリッサを飛び越えて、ティリーはレスターを助け起こそうとした。

「邪魔はさせないわ!」

 頭を押さえて立ち上がったメリッサが叫んだ。右手を上げ、何かぶつぶつ呟きながら空中に印を描こうとする。しかしそれが完成する前に、リゼはいくつも氷槍を放った。轟音がしてメリッサのいた場所が一瞬で氷漬けになる。その隙にティリーは意識のないレスターの肩に腕を回した。しかし、何とか持ち上げたものの、体格差のせいでほとんど引きずる恰好になった。

 その時、どこからともなく蝙蝠の魔物の集団が現れた。先日遭遇したものほど大きくはないが、それでも子供くらいの大きさはある。それらがティリーめがけて一斉に飛び掛った。

 そこへアルベルトが剣を一閃させた。蝙蝠の翼を切り裂き、祈りの言葉で浄化する。魔物達は甲高い声で啼きながら、あるものは倒れ、あるものは逃げていった。

魔物の群れを退けたアルベルトはティリーのほうに振り返った。背の高いレスターに苦戦する彼女に手を貸そうと近寄ろうとする。その時、魔物の群れの間からダレンが現れた。

 悪魔に取り憑かれたダレンは、ティリーに襲い掛かると彼女の首を締め上げた。ティリーは必死で抵抗したが、全く振りほどけない。ダレンの中の悪魔は、新たな生贄を前に勝ち誇ったような声をあげた。

 だがそれもほんの少しの間だった。アルベルトがダレンの腕を剣の柄で折ったのだ。腕が使えなくなったダレンはティリーを放り出し、後ろに飛びのいて距離を離す。その隙に思いのほか遠くへ弾き飛ばされていたレスターを助けようとした。が―――

「地上の支配者。悪魔の王。我らが神たる魔王(サタン)よ。ここに捧げられし贄を喰らいて地獄の門を開き給え!」

 メリッサの声が地下室中に響き渡った。

 いつのまにか、彼女は氷の拘束を解いて地下室の奥の祭壇前へと移動していた。召喚の文言が魔法陣に力を与える。

 魔法陣が脈動した。血のような赤い光が立ち上り、周囲を照らし出す。やがて赤い光が収まると、魔法陣の中心から真っ黒な泥のようなものが湧き出した。それはダレンを飲み込み、レスターをも巻き込んで拡大していく。

「レスター!」

 仲間を助けようとしたティリーは、すぐ近くまで迫った真っ黒い泥を見て、それ以上進むことをためらった。その間にも、レスターは泥に飲み込まれ、見えなくなる。

「ティリー」

「……逃げましょう。ここにいては巻き込まれますわ」

 そう言って、ティリーは踵を返して走り出した。アルベルトもそれに続く。二人が陣の外に出てリゼのいる所に戻った時、中心から湧き出た闇が魔法陣いっぱいに広がった。深い深い闇を湛えた底無しの穴。吸い込まれそうな闇の中から、無数の蟲が溢れ出して来た。

「あれが、地獄から召喚された悪魔……」

 ティリーは呆然として呟いた。

 その蟲は握りこぶし大ほどの大きさの悪魔だった。真っ黒な身体に人のような顔を持ち、口腔には鋭い歯が並んでいる。頭が痛くなるほど大きく不快な羽音をさせながら、蟲の悪魔は地下室の中を飛び回った。

「あはっ、あははははっ! やった! 成功だ!」

 歓喜の声をあげたのはボリスだった。手を縛っていたはずの縄がいつの間にか切られている。それに、ボリスを見張っていたはずのグラントとサニアがいない。おそらく逃げたのだろう。こんな光景を見て逃げるなというほうが無理だ。

「すごい。やっぱり博士はすごいよ!」

「……すごい? どこがよ」

 師を褒め称えるボリスの姿を見て、リゼがそう呟いた。そうして彼女は前に出ると、魔法陣の向こうのメリッサに問いかける。

「こんな下らないものを喚び出して一体どうするの? この世の支配者にでもなるつもり?」

「そんなものに興味はないわ。全ては研究のためよ。ティリーも言っていたでしょう。『本当に悪魔を召喚出来るのか試してみたい』と。私はそれを実行しただけ」

「実行するのとしないのとでは大きな差がありますわよ。一緒にしてほしくないですわね」

 ティリーが苦々しげに言った。だが、メリッサは意に介した様子もなく、

「あなた達も生贄になるのよ。悪魔達はまだまだ贄を求めてる。残念ながらここでお別れね」

 そうして右手を上げて、リゼ達を真っ直ぐ指差した。

「行け」

 蟲達が群れを成して突進して来た。

『消えろ!』

「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」

 リゼとアルベルトの前で、蟲の悪魔は浄化されて消え失せる。その様子を見てメリッサが表情を変えた。

「悪魔を消した? そんな―――」

「博士、そいつら悪魔祓い師です! 気をつけて!」

「そいうことははやく教えなさい! この役立たず!」

 ボリスの遅い報告にメリッサは苛立ちを見せた。

「メリッサ。悪魔召喚を止めてくれ。いつまでも悪魔を制御しきれるとは思えない」

 アルベルトがメリッサに警告する。しかしメリッサは聞く耳を持たない。むしろ何かを思いついたのか、ぶつぶつと呟いた。

「そうよ。悪魔にもっと力を与えればいいんだわ。そうすれば」

「悪あがきしたところで無駄だって分からないの。収拾がつかなくなるだけ――」

「無駄じゃない!」

 リゼの言葉を遮って、メリッサは叫んだ。蟲達を集め、次なる標的へと差し向ける。それは、

「え? 博士? 何を……」

 それはボリスだった。戸惑う彼の周りを蟲達が包囲していく。

「博士! やめてください! ボクもっと役に立つようになりますから! だからお願い―――」

 メリッサは何も言わない。蟲達がボリスを取り囲み、己が出した命令を実行するのを静かに見ているだけだった。

 反射的にリゼはボリスの元へと走った。群がる悪魔達を蹴散らそうと魔術を唱える。しかしそれが届く前に、ボリスは蟲の群れに取り込まれた。

「く、くるな! やめて! やめ――」

 懇願は悲鳴に変わり、ボリスの身体と共に悪魔の渦へと消えていく。咀嚼音と赤い液体が悪魔の口から滴った。

「――っ」

 骨が噛み砕かれる音。肉が噛み裂かれる音。頭の中にその音だけが鳴り響く。思考が麻痺して、何も考えられなくなった。

(やめろ)

 頭が痛い。吐き気がする。肉を食む音以外何も聞こえない。なんにも――

「リゼ、危ない!」

アルベルトとティリーの声が聞こえた途端、現実が戻ってきた。

 リゼは瞬く間に蟲の渦に飲み込まれた。足が地面を離れ、身体が宙に浮く。それを認識したリゼは我に返ると、噛み付いてきた蟲を振り払い、剣と魔術で薙ぎ払った。斬られ凍りついてぼたぼたと地に落ちる。しかし悪魔達はそれをものともせず、数に任せてリゼを壁に叩きつけた。

衝撃で壁の一部が崩れた。リゼは右半身を強く打ち、一瞬意識が飛ぶ。蟲達が勝ち誇ったような啼き声を上げた。

 その時、瞼の裏が真っ白に染まった。纏わり付いていた蟲が離れ、耳障りな羽音が消える。目を開けるとすぐそこにアルベルトとティリーがいた。

「リゼ! 大丈夫か!?」

起き上がろうとした瞬間、右腕を激痛が襲った。ゆっくりと目をやると、腕があらぬ方向へ曲がっている。それに肋骨にヒビでも入っているのか、呼吸をするたびに胸が痛む。

「……ちょっと腕が折れたけど無事よ」

「どこが無事なんですの! 大怪我じゃありませんか!」

 ティリーが心配そうに言った。アルベルトも曲がった腕を見て首を横に振る。

「その怪我じゃ戦うのは無理だ。君は休んでいてくれ」

「あなたがあれを何とかできるならそうするけど」

「何とかする。だから無茶するな」

 そう言ってアルベルトは魔法陣のほうへと走っていった。

「とにかく、安全なところへ行きましょう。せめてこの地下室を出て」

 ティリーがそう言って、リゼに手を貸そうとした。

「逃げてる場合じゃない。早くあれを何とかしないと、止められなくなる」

 ティリーの手を払い除けて立ち上がろうとすると、彼女は驚いてリゼを押し留めた。

「な、何を言っているんですの!? 腕が折れているのに!」

「別に、これぐらい……」

 呼吸を整え、折れた腕を掴む。リゼがしようとしていることを悟ったのか、ティリーがはっと息をのんだ。

 次の瞬間、リゼは折れた右腕を力任せに元に戻した。痛みで頭が真っ白になる。悲鳴を飲み込み、折れた腕に魔力を注いだ。激痛が痺れるような痛みに変わっていく。

「な、何したんですの……?」

 ティリーが恐る恐る問い掛けてくる。その顔には見ているだけで痛いと書いてあった。

「魔術で骨をつないだ」

「そんなことが出来るんですの!?」

 頷くと、ティリーはあっけに取られてしばし沈黙した。やがて何か思い当たることでもあったのか、空中に視線を泳がせ、何やらぶつぶつ呟いた。

「やはり癒しの術……? でも、とっくの昔に失われたはず……」

「ティリー、後ろ」

 振り返ったティリーは目と鼻の先に蟲が迫っているのに気付き、やたら大きな悲鳴を上げた。

「キャー! 気持ち悪い!」

 手にした分厚い本を振り回し、群がる蟲を叩き落とす。しかし実体化しているとはいえその程度の物理攻撃が効くはずもない。地面に落ちた蟲は再度浮上すると、奇妙な羽音を立ててティリーに襲いかかろうとした。

『凍れ』

 その一言で周囲に冷気が渦巻く。それに触れた蟲達は凍りついて地面に落ちた。

「ふう。ありがとうございます。さすが救世主と呼ばれるだけありますわね。わたくし一人だったら危ない所でしたわ」

 とため息をついて安堵するティリー。その大げさな仕草にリゼはため息をついた。

「そんなこと言ってないで本気出したらどう?」

「あら。悪魔は貴女か悪魔祓い師にしか倒せませんでしょ。一介の研究者に過ぎないわたくしに出来ることなんてありませんわ」

「よく言うわ。倒せなくても身を守ることぐらい出来るはずよ」

「……余り使いたくないのですけど。特にあの人の前で」

ティリーの視線の先には蟲の悪魔と対峙する青年の姿がある。しかし、平常時ならともかくいまは非常時だ。そんなことも言っていられない。それに、

「今更隠しても無駄よ。多分最初に会った時点で気付かれてるから」

 目には見えないものが視えるアルベルトが気付かないはずがない。そう言うと、ティリーは観念したのかため息をついた。

「……緊急事態ですものね。仕方ありません」

ティリーは立ち上がって服の汚れを払うと、先ほど悪魔を叩くのに使った分厚い本を取り上げた。ひどく使い込まれ角が磨り減った古めかしい本。それを小脇に抱え、彼女は悪魔達と対峙した。

「さて、本気を出すからには目一杯暴れてやらなくては。とりあえず魔法陣の発動者を何とかしてきますわ」

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