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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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利用 8

「おぬしも災難じゃの。王太子の長話に付き合わされるとは」

 控えの間を通り抜けて廊下に出ると、左手からそんな言葉声がかかった。そちらの方を向くと、杖をついたアルネス博士が壁際に佇んでいた。

「まだお帰りになっていなかったのですか。何か、御用でしょうか」

 その姿を目にとめた兵士は憮然としながらも、アルベルトに対するのとは違った丁寧な口調でアルネスに訊ねる。博士はしばしその兵士を見ていたが、やがて、

「用ならあるぞい。そこの若者と話をさせてくれんか」

 そう言って、アルベルトの方を見た。突然のことに驚いていると、兵士の方はますます表情を険しくして、アルネスを見やる。

「私の一存では決められません。殿下に確認を――」

「いらんいらん。そんな大層なものではない。少しの間、世間話をしたいだけじゃ。その間おぬしに席を外して欲しい。なに、迷子の子供ではないのじゃから、案内なぞなくとも部屋まで戻れるじゃろう」

「いやしかし――」

「そういうことで、行くぞ」

 言うなり、アルネスは唖然としている兵士を置いて、さっさと歩きだした。杖をついている割には速い足取りに、アルベルトは慌てて後を追いかける。職務熱心な兵士はそれでも引き留めようとしたが、アルネスは老人とは思えない身軽さで廊下の角を曲がると、何事か呟いてから杖で地面を突いた。

 彼に続いて廊下を曲がった瞬間、薄く輝く壁が二人の前に立ち上った。戸惑うアルベルトに、アルネスは人差し指を口の前に立ててから、壁際に手招きする。指示された通りに壁の近くまで寄ると、後を追ってきた兵士が廊下の角から現れた。

 現れるなり兵士は怪訝そうな顔をして、廊下中のあちこちを見まわした。目の前にいるというのに、アルベルト達の姿に気付く様子もない。周囲を見回し、時に扉を開こうとしたが、鍵がかかっていることを知って首を振る。兵士はしばらく廊下中を捜しまわっていたが、この辺りにはいないと判断したのか廊下の奥の方へ歩いていった。

「ここの兵士はいささか真面目すぎるのが欠点じゃのう。もっと力を抜いてサボっても良いと思うんじゃが」

 兵士が遠ざかって行ったのを確認してから、アルネスは元いた廊下へと足を向けつつ言った。その後について歩きながら、アルベルトは苦笑した。

「真面目なのはいいことだと思いますが……こんな騙すようなことになって、申し訳ないくらいです」

「いいんじゃよ。これくらいしないと好きに出来ない頭の固い連中じゃからの。騙したのはわしじゃしおぬしが気にする必要はない」

 確かにアルネスの言う通りアルベルトが気にする必要はどこにもないのだが、態度は悪かろうとあの兵士が職務熱心なのは確かなので、騙すようなことをするのはやはり申し訳なさが先に立つ。しかも、魔術まで使って。向こうとしてもいい気はしないだろうし、後で会ったら謝っておいた方がいいかもしれない。

 しかしこの老人、廊下を曲がって魔術を使うまでの一連の動作にやけに無駄がなかった。まさかこういうことを何度もやっているのだろうか。

「一人で考え事に没頭したい時は魔術で身を隠すと話しかけられることがなくて便利でのー。たまにやるんじゃ。おかげでこればかり得意になってしまったがな」

 アルベルトの疑問を察したのか、アルネスは秘密を打ち明ける子供のように楽しげにそう言った。やはりあれは魔術だったようだ。目くらましのようなものだろうか。あの手慣れた様子からして、たまにではなくしょっちゅうやっているのだろうけれど。

「しかしすまんの。王太子の次は年寄りに付き合わせる羽目になって」

「いいえ。構いません。――それで、話とは何でしょうか」

 アルネスに合わせてゆっくりと歩きながら、アルベルトは肝心のことを尋ねた。ここまでするのだから、相応に重要な話なのだろう――と思いきや、アルネスは大真面目な口調でさらりととんでもないことを言った。

「そうさな。男同士で恋バナでも」

「……は!?」

「冗談じゃ」

「あ、はい……」

 真顔で言われたのでおかしいと思いつつも一瞬本気にしてしまった。どうやらアルネス博士は相当クセのある人物のようである。ティリー並み、いやそれ以上に冗談なのか本気なのか分かりにくい。

「おおすまんすまん。そんなに身構えんともう少し気楽にしてほしいと思ってな。あの兵士や王太子に悪魔祓い師だからとチクチク言われて気が立っていたんじゃなかろうかと。この国にいると何かと大変じゃろう」

「あ、いえ……そうでもありません。俺はたぶん、相当恵まれていますから」

 唐突に真面目な話に移って戸惑いつつも、アルベルトはそう言った。実際、今まで悪魔祓い師だとばれることはなかったし、少なくともゼノ達は悪魔祓い師と知っても普通に接してくれている。もっと恨まれてもおかしくないはずなのに。おそらく幸運だったのだ。

「ふむ。それは良かったの。肩書に囚われて本質が見えなくなるのはよくない。真実の探求の妨げじゃ。そう思わんか」

「……そうですね」

「わしは真実を見つけるための努力は惜しまんつもりでな。肩書なんぞ気にしてられん。というわけでじゃ」

 滔々と持論を語ってから、アルネスは老人の物とは思えない、期待に満ち溢れた子供のような目でアルベルトを見た。どこか既視感あふれる眼差し。その眼はまさしくティリーと同じそれだ。悪魔研究家特有の、研究対象を見つけた時の眼。

「小耳にはさんだんじゃが、おぬし、神殿でテウタロスが視えたとは本当かな?」

「はい。おそらくは……誰から聞いたんですか?」

 聞き返したものの、誰であるかなんて明白である。あの時、あの場にいなかった者には誰にも話していないから、そもそも知っているのはアルベルト以外では二人だけなのだ。その内で博士に話しそうなのは一人しかいない。しかしもう伝わっているとは。

「察しの通りの人物からじゃ。なるほど。ではおぬしは不可視なるものは全て。悪魔も結界も、幻術も魔術の痕跡をも見抜くというのは本当ということじゃな」

「ええまあ……それもティリーから聞かれたんですか?」

 訊ね返すと、アルネスは首を横に振った。意外な返答に驚いていると、アルネスは、

「その話はリゼから聞いた。一昨日、話の流れでな。ふむ。面白いのう。是非とも詳しく調べてみたいところじゃ」

 好奇心に瞳を煌めかせながら楽しそうに言う。神学校にいた時も教会にいた時も言われたが、この能力はそれほどまでに珍しいものなのだろうか。ティリーも相当興味を持っているようだったが、彼女の興味の大部分はリゼに向いていたため、問い詰められることはほとんどなかった。しかしアルネスは今にも研究所に引っ張って行って研究を始めかねない熱意が感じられる。今になって、リゼが研究家達に術を見せるのをあれほど嫌がる理由が実感を伴って理解できた気がした。

「あーその……俺に出来ることがあるなら協力いたしますが……」

「本当かの!?」

 協力すると言った瞬間、アルネスの瞳が歓喜に輝いたのを見て、さすがのアルベルトも今の発言は失敗だったかと少し後悔した。これでは今更断るのも無理だろう。しかし――アルネスに話があると言われた時に思いついた、どうしても聞きたいことがあるのだ。

「代わりと言っては何ですが、もしよろしければ、博士にお願いがあるのですが」

「なんじゃ」

「リゼの能力について何か分かったことがあるなら、教えていただけませんか? 可能ならばで構いません。無理だと言うなら諦めます」

 その質問にアルネスは足を止め、考え込む様にゆっくりと髭をしごいた。瞳に宿る好奇心の光は消さぬまま、ゆっくりと訊ね返す。

「ふむ。おぬしはあの娘の力の謎を知ってどうする? おぬしは悪魔祓い師。悪魔を祓う力はすでに持ち合わせておるじゃろう」

「……俺はまだ未熟者です。彼女ほどの力はありません」

 いやというほど痛感し、自覚している事実だが、やはり言葉に表すと、悔しさが増した。

「それに、祓魔の秘跡は多くの道具と時間、それに人手を要します。彼女ほど短い時間で、道具も何もなしに悪魔を祓うことは出来ないんです。俺は多くの人を救えるようになりたい。罪人のような教会が見捨てた人達も。そのためには、彼女のような力が必要です。もし叶うなら、俺も同じことが出来るようになりたい。――彼女だけに悪魔祓いを押し付けなくて済むように」

 一息にそれだけ話し終えると、アルネスは沈黙したまま、目の前の青年を値踏みするように見回した。その瞳の好奇心の光は少し弱まり、代わりに真実を見抜こうとするかようのな鋭いものに変わりつつある。

「それが、おぬしがあの娘と共におる理由か?」

「それだけではないですが、一番大きな理由はそれです」

 無論もう一つ、彼女の能力を教会に認めさせ、“魔女”という汚名を返上させたい、ということもある。人を救う力を持っているのに、人を害する者だときめつけて処刑するのは不当な行いだ。それは正さなくてはならない。そのためには証明が必要で、今のところ良い案は浮かばないが、リゼが悪魔を滅ぼせば、証明の一つにはなるだろうと思っている。

 ただ単純に、彼女を手伝いたいということもあるのだけど。

「――あの娘の力は人を救うものじゃ。だが強い力は災いを呼ぶ。往々にしてな。それはあの娘の責ではない。あれを利用しようとする愚か者がいる故じゃ。力も知識も、人を幸せにするとは限らぬ」

 不意に、アルネスは重々しくそう語った。

「善意から行ったことが、結果として不幸を招くこともあるの。おぬしは不幸を招かない自信があるか? 真実を知る覚悟はあるか? 己の願いのために、誰かを道具のように利用したりしないと言い切れるか?」

「俺は――」

 リゼを利用するつもりなんてない。そんなつもりは微塵もない。グリフィスにも同じことを訊かれたが、自信を持ってそう答えられる。……と思っていた。さっきまでは。

 こうして改めてアルネスに問われると、自分は本当にリゼを利用するつもりはないのかという疑念が浮かんできた。さすがに、道具のように利用するということはない。しかし、悪魔祓いが出来ないと言い訳して、押し付けなくて済むようになりたいと言いながらも、悪魔祓いが出来るようになるための努力を怠っていたのではないだろうか。自分は彼女の優しさに付け込んで、それに頼りすぎていないだろうか。そうやって、出来ない自分の代わりをさせていないか。そのために利用しているのではないかと――

「ま、わしも真実の探求のために嘘をつくことが結構あるから人のことは言えんがのー。ふぉっふぉっふぉ」

 突然、先程までとは打って変わった軽い口調でアルネスはさらりと言った。思わず気が抜けてしまうほど飄々と笑い、ぽかんとしているアルベルトを再び観察するように見回す。どうやら面白がっているらしい。こちらは真剣に考えていたというのに。ひょっとして自分は遊ばれているのかと、アルベルトは本気で悩み出す羽目になった。

「しかしまあ、不思議な巡り合わせじゃのう。悪魔祓い師と魔女か。そうかそうか」

 アルベルトが頭を悩ませていると、アルネスは面白がっていた名残を残しつつも、何かを再確認するかのようにそう言った。和やかな雰囲気は徐々に消え、代わりに別の色を帯び始める。

「わしゃ見る目はあるつもりじゃ。おぬしとは会ってまだ数刻もないが、頼れる我が双眸よると、おぬしは邪な人間ではない。なにしろ神が視えるんじゃからな。――まあ、それは今後のおぬしの行動次第で変わるかもしれんがな」

「……はあ。ありがとうございます」

「そこでじゃ。わしの鑑定眼が間違っていないという可能性に賭けて、おぬしに一つ頼んでおこう」

 その瞬間、アルネスが纏う気配が別のものへと変わった。

 好々爺然とした雰囲気から、全く別の真剣なものへ。

 まるで、孫を案じる祖父のような表情へと。

「リゼ・ランフォードを助けてやってくれ」

 アルネスの口調は先程までの気さくなものから、齢を重ねた者特有の威厳に満ちた、真剣なものへと変わっていた。

「あの娘はとんでもない宿命を背負っておる。それを知り、戦おうとしておる。しかし、あの娘は自愛を知らぬ。己を卑下し、自身に価値はなく、他者を救うことでしか存在意義を示せぬと思い込んでおる。もし仮に他者を救うことが出来なくなったとしたら、あの娘は自身を無用な者だと非難するじゃろう。断罪するじゃろう。だがそれではいかん。それは間違いじゃということを、誰かが教えてやらねばならん」

 そこでアルネスは言葉を切って、一呼吸おいてから最後に独り言のように呟いた。

「――と、ダニエルなら言うじゃろうな」

 アルネスは杖をつきながら、ゆっくりと歩みを再開する。軟らかい絨毯にすり減った杖の先端が規則正しく打ちつけられる。鈍い打撃音が廊下に響いた。

「ダニエル……?」

「ああ、わしの古い友人じゃ。気にせんでくれ。それよりもその前に言ったことが重要じゃ。まあ、ひょっとしたらおぬしは『はっきり言えよクソジジイ』と思っているかもしれんがの。訳あって話せんのじゃ。特に今のおぬしには……じゃが、おぬしが真にリゼのことを思っているのなら、あの娘を助けてやってくれ」

 この人は何を知っているのだろう。

 リゼが術を見せる相手にアルネスを選んだのは、おそらく高名な悪魔研究家だからではない。この老人が何かを知っているからだ。悪魔祓いの術について。リゼについて。何か大事なことを。

 けれどその内容は明かせない。信用されてないからなのか、口外できない理由があるのか。ともかく、おそらくはリゼの悪魔祓いの術のことも含めて、今現在知ることは出来ない。

 知ることは出来ないが、アルネスの頼みを拒む理由など、どこにもなかった。

 リゼは悪魔に家族を殺されたと言っていた。母親を目の前で喰い殺されたと。今もその時のトラウマを抱え、時に鬼気迫るほど必死に悪魔と戦い、大怪我を負っても、倒れるほど術を使っても、「心配するほどのことじゃない」と言って、自身を労わる様子すら見せず戦おうとする。

 それら全て、自愛を知らぬゆえ、己の価値を認めていないがゆえだとしたら。

「――ええ、もちろんです。俺の力が及ぶ限り、いいえ、力が及ばなくても、必ずリゼを助けます」

 助けなければ、と思う。彼女を守ってやらなければ、と思う。

 本当に今更で、今まできちんと認識していなかったことを恥じなければならないぐらいだが、

 リゼは“救世主”や“魔女”である前に、悪魔に家族を奪われ、今もそのことに囚われた、一人の女性にすぎないのだから。




「遅かったわね」

 アルネスと別れ、部屋まで戻ってくると、そこには一人の人物が待ちかまえていた。扉の脇の壁にもたれかかっていたリゼは、アルベルトの姿を見とめてこちらの方へと数歩近づいてくる。アルベルトはというと、先程のアルネスの頼みを思い出して余計なことを考えてしまい、かける言葉に迷ってしまっていた。そんなアルベルトの心境など知る由もないリゼは、返事を待たず何か取り出そうと懐に手を入れる。

「まあいいわ。それよりキーネスから連絡が来たの。思ったよりも速く」

 リゼが持っているのは細長く折り目のついた一通の手紙だった。どういう手段で送って来たのかは分からないが、一見するとぐちゃぐちゃに折ってから広げただけの汚い紙に見える。

「キーネスから? まだ二日しか経っていないが」

「全力を尽くすと言っていたから、その通り頑張ったんじゃないの。と言っても、これに書いてあったのはシリルの行方じゃない。呼び出しだった」

 そう言って、リゼは紙を裏返した。そこ書かれていたのはほんの数行足らずの文章で、彼女の言う通りシリルの行方に関したものではない。シリル救出のために、始めに向かうべき場所についての記述だった。

「今すぐにこの場所へ来いと言うことか。――それで、君はどうするつもりなんだ?」

 手紙から視線を上げ、再びリゼの方を見てそう訊ねる。それは訊くまでもない、愚問と言っていい質問だ。案の定、リゼは眉を寄せ、当然、と言った。

「シリルと悪魔教徒を追いかけに行くのよ」

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