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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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利用 7

 ゆっくり逗留を、という言葉通り、アルベルト達は賓客としてのもてなしを受けた。といっても、フロンダリアに来てからの三日間とさして変わることはない。魔物襲撃の後始末で慌ただしかったにも関わらず、もてなしの質が落ちることはなかった。変わったことといえば、オリヴィアが警備について言及したためか、部屋の前に警備兵が配置されるようになったことだった。再び悪魔教徒達が襲撃してきても対処出来るようにするためだろうが、その弊害で外出するのも容易ではなく、逐一許可書を取らなければならなくなったのが難点だ。いっそ外に出なければいいのだがそういう訳にもいかず、その被害を一番に被ることになったのはティリーだった。

「フロンダリアは悪魔研究もしていますのよ」

 出るときに外出先をしつこく聞かれ、出先にもずっと兵士がついてくることになった時、ティリーはうっとうしそうにぼやいた。

「研究家のわたくしが研究所に行くなんて当然のことじゃありませんの」

 まあ魔物襲撃の騒動の最中とはいえ、たくさんの兵士が詰めているグリフィスの館に悪魔教徒が侵入したのだから、警備が厳重になるのも無理はない。けれどそれが過剰気味なのも事実で、よほどの理由がないと外出そのもの自体が許可されなかった。ちなみにティリーが外出できたのは根比べに勝ったからである。

 そうして、二日がたった。

 たった二日だったが、やることのない二日というのは存外長い。シリルが誘拐されているから、ゆっくりしようにも出来ず、魔物の死骸の処理を手伝おうかと申し出てみたものの、客人にそんなことをさせるわけにはいかないと却下されてしまった。最もである。さりとて他にすることはない。ゼノがいる間は(焦りをごまかそうとしているのか)よく喋る彼の話に付き合っていたのだが、ゼノが退治屋同業者組合に仕事のことで呼び出されていってからは、やることといえば旅続きで満足にやれていなかった剣の鍛練と客室の本棚にある本を読むことくらいだった。

 だから、ゼノ不在時に当然兵士が訪ねてきたその時も、アルベルトは本を読んでいた。例のミガー童話集の続きで思った以上に面白く、しばらくノックに気付かないほどだった。一度目よりも大きなノックが響き渡ったところでようやくそれに気付き、アルベルトは慌てて扉を開いた。

 扉を開けると、そこにいたのは、いつもグリフィスの傍に控えている物々しい雰囲気を纏った兵士だった。一昨日、館の前でアルベルト達を注意したのも彼である。正方形を二つ組み合わせた八芒星――ミガーの紋章が織り込まれた軍服を一分の隙もなく着込み、腰には使い込まれているらしい剣。軍人の鏡ともいえる完璧ないでたちだ。彼は眉を寄せ、鋭い目つきでアルベルトを見据えている。

「何でしょうか」

「殿下がお呼びだ。さっさと来い」

 吐き捨てるようにそう言って、兵士は背を向けて歩き出す。呼び出しを伝えに来ただけだというのに、やけに険悪な雰囲気だ。

 しかしグリフィスが呼んでいるとは何だろう。呼び出される理由に見当がつかない。あの神殿の爆破犯についてだろうか。

「王太子殿下は俺に何か用があるのですか?」

 理由を知っているのではないかと、先を行く兵士に尋ねてみる。しかし答えは返ってこない。代わりに、酷く棘のある口調で命令するように言った。

「無駄口を叩くな。黙ってついて来い」

 振り返ることもせず、兵士は足速にグリフィスの執務室へと向かっていく。彼からは話を聞けそうにないので、アルベルトは大人しくその後に続いた。

 やがて今日で三度目となるグリフィスの執務室の前へついた。兵士が扉を叩くと、待機していた別の兵士が扉を開けて中へ招き入れた。入ってすぐ執務室がある訳ではなく、小さな控えの間を通らなければならない。控えの間に入ったところで、待機していた別の兵士から、先客との話が長引いているので少しお待ちください、と告げられた。

「先客?」

 確かに耳を澄ますと、扉の向こうからわずかに声が漏れ聞こえてくる。この声は――若者ではない、老人のものだ。ひょっとしてアルネス博士だろうか。覗き聞きする趣味はないが、何を話しているか少し気になる。

『アルネ――力の正体――判明し――』

『いいや――見当――つかん』

『――し、彼女は――では』

『分からん――失われている――――オルセインが――』

『それならばやはり――』

 案外この壁は薄いのか、聞き耳を立てていると切れ切れながら会話が聞こえてくる。力がどうかと言っているが、まさか話の主題はリゼのことについてだろうか。気になったが、さすがに扉へ張り付く訳にもいかず、じっと聞こえてくる会話の断片を拾い上げようとした。しかし、

「おい。聞いているのか」

 兵士の不機嫌な声が集中を打ち破った。振り返ると、ここまで案内してくれたあの兵士が、剣呑な目つきでアルベルトを見ている。どうやら何か言っていたようだが、扉の向こうの会話に集中しすぎて聞き流していたようだ。申し訳なく思って、アルベルトは謝罪しようとした。が、

「殿下の恩情で牢にいれられずに済んでいるというのに、態度が大きいな。もっと自分の立場をわきまえたらどうだ」

 こちらが口を開く前に、兵士はもはや苛立ちを隠そうともせずそう言った。そんなつもりはないと弁明する暇もない。兵士は戸惑うアルベルトに向かって、吐き捨てるように言った。

「ここはミガー王国だ。悪魔祓い師だからといって、好き勝手出来ると思うなよ」

 その言葉に、アルベルトは思わず出しかけていた言葉を飲み込んだ。遅まきながら、兵士が抱いているものがなにか気付いたからだった。

 兵士が向けているのは明確な敵意だ。それも、ミガー王国に来て初めてと言っていいほどの。

 ミガーに来てからキーネスに会うまでは悪魔祓い師であることをずっと隠していたから、おそらく誰にも気づかれることはなかった。キーネスはきっと最初からアルベルトが悪魔祓い師であることを知っていただろうし、オリヴィアは出会った時点で気付いていたが、非常事態であったこともあって、悪魔祓い師であることをとやかく言ったりしなかった。そして、非常事態が収束した今も、普通に接してくれている。ゼノに関してははっきり言わないから分からないが、目の前で悪魔祓い師の術を使ったのだから、気付いているが言わないだけだろう。アルヴィア人であるシリルとあれほど仲が良いのだから、国籍に頓着しない性格なのかもしれない。

 故に、ここまでティリー以外のミガー人に敵意を向けられることはなかった。普通のミガー人ならこういう反応をされてもおかしくないと頭では分かっていたのに、一度、ティリーに憎しみを向けられたこともあったのに、実際にこうして敵意を見せられると辛いものがある。こちらはミガー人のことを蔑む気などないと言うのに。

 その時、執務室への扉が開いて控えの間へと人が出てきた。案の定、それはアルネス博士で、彼は杖をつきながら、ゆっくりと控えの間を横切っていく。

「む、おぬしも呼び出されたのか?」

 不意にアルネスは足を止めて、アルベルトの方を一瞥した。首を縦に振って肯定すると、博士は髭をなでながら、アルベルトと、その後ろの兵士を交互に見た。

「待たせてしまったようじゃな。わしの話は終わったから、入って良いと思うぞ」

 執務室へ続く扉の方を指してから、アルネスは杖をつき、ゆっくりと控えの間を横切っていく。アルベルトは兵士に促され、アルネスと入れ違うように執務室へと足を踏み入れた。

「いいか」

 中へ入る瞬間、背後で兵士が囁いた。

「今までは大人しくしていたようだが、殿下の前で不遜な態度を取ることは許さん。殿下の意に背くこともな」

 バタンと大きな音を立てて扉が閉まった。兵士は扉の脇に移動し、直立不動の体勢を取る。アルベルトがゆっくりと執務室の中央に進み出ると、執務机の向こうで少し疲れたような顔をしたグリフィスが出迎えた。

「来ましたね」

 周囲を見回すと、昨日より多くの兵士達が壁際に並んで待機している。王太子の警護のためだろうか。随分と物々しい。

「私に何かご用でしょうか」

 一礼してからそう訊ねると、グリフィスは卓上で指を組み、

「昨日、貴方が捕まえた爆破犯について一つお話がありまして。昨日のうちに訊きたかったのですが、時間が取れず――あの悪魔教徒がリゼ殿を狙ったというのは本当ですか?」

 時間が惜しいのか、前置きもそこそこに出されたグリフィスの問いに、アルベルトは頷いた。あの爆破犯の奇妙な行動は、アルベルトもひっかかっていたのだ。あの時、あのまま立ち去れば誰にも見つからずフロンダリアを出ることも出来ただろうに、あの爆破犯はそれをしなかった。わざわざリゼを狙い、爆弾を投げつけてきた。あんな大勢の人に囲まれているところでは、仮に成功したとしても逃げるのは難しいだろうに。

「やはりそうですか……」

 グリフィスは深くため息をついた。ここ数日、立て続けに色々なことが起こったせいか、心労が溜まっているようだ。彼は長く何かを考えこんでいたが、やがて顔をあげて静かに言った。

「以前から懸念していましたが、これでかなり可能性が高くなってきました。――悪魔教徒はリゼ殿の排除に乗り出そうとしているのかもしれません」

 その言葉に、アルベルトははっとした。

 その可能性はアルベルトも考えていた。というより、それしか考えられなかった。余計なことをしなければあの悪魔教徒は捕まらなかったのに、あんなことをしたのだ。どうやら通常の精神状態ではなかったようだから理屈は通用しないのかもしれないが、あんな行動を取る理由があるとすれば、

 悪魔を祓う“救世主”を、そのままにしておくはずがない。

「彼女の力は希少なものです。その上、良くも悪くも多くの人にその存在が知れ渡りつつある」

 グリフィスは重々しく言い、疲れたように息をつく。アルヴィアでもミガーでも悪魔憑きを癒してまわり、手配書まで出ているのだから、それは当然のことだ。リゼは研究者に術を見せるのを嫌がる割に、必要とあらば誰の前でも構わず術を使う。最近は多少気をつけてはいるようだが、一昨日も注目を集めている自覚がなかったから、目立たないのは難しい。

「リゼは余り自分がどれくらい周囲に影響を与えているか自覚がないようですから――」

「そうですね。今後、彼女を排除しようとする者だけでなく、利用しようとする者も出てくるでしょう。――いや、もう現れているか」

 呟くようにグリフィスはそう言った。

 室内にはたくさんの人がいるのに、居並ぶ兵士達は一言も発することなく、物音一つ立てない。そのためか威圧感が凄まじく、まるで裁判にかけられているかのように居心地が悪い。剣呑な雰囲気の中、アルベルトはじっとグリフィスの発言を待った。

 そういえば、

 これはリゼに関わることなのに、なぜ当人である彼女を呼ばないのだろうか?

「回りくどいのはやめましょう」

 芽生えた疑問に内心首をかしげていた時、グリフィスは不意にそう言った。彼は常に纏っていた柔和な雰囲気を消し、疲れさえも感じさせない厳しい態度に変わっていく。そうして、彼は戸惑うアルベルトに問いかけた。

「単刀直入に訊きます。貴方は一体どういうつもりでここにいるのですか?」

「どういうつもり、とは……」

「質問を変えましょうか。何故貴方は、貴方がたの価値観で言うところの“悪魔のしもべ”と行動し、あまつさえその国に足を踏み入れたのですか?」

 グリフィスの瞳は、今までと違う冷たく剣呑な光を帯び、咎人を尋問する裁判官のように鋭い。いや、『ように』ではない。彼は尋問しているのだ。アルベルト・スターレンという、ミガー王国に入り込んだ悪魔祓い師に対して。

「私は、リゼのこともミガー人のことも“悪魔のしもべ”だとは思っていません」

 リゼの味方をするのは、彼女を“魔女”だと言い火刑にしようとした教会の方が間違っていると思ったからで、ミガーに来たのは教会の追っ手から逃れるためだ。いささか行き過ぎたマラーク教徒の中には異教徒たるミガー人全てを蛇蝎の如く嫌う者もいるが、アルベルトはそこまでの感情を抱くことはない。考え方の違いを痛感することはあるが、嫌悪の対象となるほどではないのだ。

「この国にいるのは、アルヴィアにいることが出来なくなってしまったからです。私は結果的に教会に背き、“悪魔堕ちした悪魔祓い師”になってしまいましたから」

「貴方が指名手配されることとなった経緯については、こちらでも情報を掴んでいます。ですが、やはり不可解です。悪魔祓い師が“魔女”と行動を共にするなど」

 グリフィスは厳しい態度を崩す様子もなく、さらに疑念を浴びせてくる。

「――あの力で、罪人も分け隔てなく救おうとするリゼが“魔女”だとは思えなかったんです。悪魔憑きを救うことよりも、魔女を裁くことを優先するのは間違っていると――」

「それだけですか?」

 鋭い声音でグリフィスはアルベルトの言葉をさえぎった。思わぬ言葉に怪訝に思っていると、彼はさらに問いかけてきた。

「貴方はリゼ殿に味方する理由は、本当にそれだけなのですか?」

「――どういう意味ですか?」

「貴方は悪魔祓い師でしょう」

 それが全てを物語っていると言わんばかりに、グリフィスは言う。

「教会はリゼ殿を“魔女”だと言った。だが、悪魔祓い師の貴方は危険を冒してまでその“魔女”に味方した。悪魔憑きを助けていたから。それだけですか? 本当はもっと他に理由があるのではないですか? 悪魔を祓う力を持ち、“救世主”と讃えられるリゼ殿は、たとえ異教徒であっても利用価値の高いと考えるアルヴィア人がいてもおかしくないと思っています」

 グリフィスの言葉に、アルベルトは驚いて目を見開いた。それはつまり、

「俺がリゼを利用しようとしているというんですか?」

 何故リゼを助けたのかはティリーにも問われたが、利用するつもりなのかとまでは言われなかった。いや、ティリーもそう思っていたが訊かなかっただけなのかもしれない。どちらにせよ、アルベルトにリゼを利用するつもりなぞこれっぽっちもあるはずがなく、そんなことを言われても戸惑うだけだった。

 しかし、否定してもグリフィスは納得しない。

「貴方はそうかもしれませんが、教会にそう考える人間がいる可能性は十分にあります。そのために、貴方を間者代わりに送り込んだのかもしれない」

「違います」

「あるいは、リゼ殿を終始監視しておくためか。いずれ利用するにしても処刑するにしても、監視をつけておけば後々楽に――」

「違います!」

 強く否定すると、グリフィスは口を閉ざしてアルベルトをじっと見た。その瞳は、悪魔祓い師は信用しないと言っている。どんなことを言っても、それが素直に受け取ることはない。そう主張している。

 ただ悪魔祓い師だというだけで、ここまで疑われるものなのか。アルベルトはそのことにぞっとした。グリフィスは決して悪い人物ではない。むしろ良い人だと思う。だが肩書一つで、ここまで話を聞いてもらえないものなのか。魔女が、魔女であるというだけで、火刑に処せられるように。

「どうやら、これ以上話しても無駄なようですね」

 しばらくしてから、グリフィスは静かにそう言った。

「貴方個人に恨みはありませんが、私としては悪魔祓い師(貴方)のような不穏分子を野放しにしておく訳にはいきません。ですが、このようなことは初めてですし、手荒な真似はしたくない。――貴方が大人しくしている限りは」

 一息ついてから、グリフィスは話を続けた。

「貴方のことは、我々以外誰も知りません。ですが身の安全のために、勝手に出歩かないことをおすすめします。今日のあれは仕方がないですが、何かの弾みに貴方の身元がばれてしまったら、大変なことになりますよ。むしろ、今までよくばれなかったものです」

 グリフィスは少し呆れたようにそう言うと、話は終わりとばかり、入り口に控えていた兵士にアルベルトを部屋まで送るようにと命じた。釈然としないものを感じながらも、アルベルトは兵士に促されるまま、一礼して執務室を後にした。

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