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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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利用 4

 テウタロスの祭壇は至近距離から爆風を食らったせいか、真っ黒に焼けて原形を留めていなかった。ミガー式の祭祀方法は良く知らないが、おそらく神具や供物が捧げられていたのだろう。そのどれもが炭化して、何が何だか分からない。

 その中で唯一、祭壇の中央に飾られたセピア色の水晶だけが、破壊も炭化も逃れて静かに佇んでいた。鉱物名でいうなら煙水晶というやつだろう。大きさは小さな子供ほど。研磨や裁断はされず、剣の切っ先のような形をしている。うっすらと塵芥を被っているくらいで表面に目立った傷はなかったが、よく見ると内部に無残な亀裂が入っていることが分かった。

「酷いわね」

「ですわね。これじゃ結界が不安定になるのも道理ですわ……」

 依り代である煙水晶は、ルルイリエの湖と同じ、内部に強い力を宿していた。魔力とは少し違う。これが万物に宿るという精霊のエネルギーなのだろうか。しかし依り代の損傷のせいで、そのエネルギーは酷く揺らいでいる様子がアルベルトの瞳に映った。

 さて、あの人影はこれをどうして欲しいのだろう。周囲を見回していたが、あの人影が現れる様子はない。この状態ではアルベルト達の手に余るし、本当に状態を確認することぐらいしか出来なさそうだった。

 周囲を見回して、他に注意すべきものはないか探してみる。ティリーも同じようにして、依り代の周りを観察していた。そんな中、リゼはじっと煙水晶を見つめ、何を思ったのかそれに向けて手を伸ばした。リゼの手が塵を被った煙水晶に触れた。

 その瞬間、水晶と重なるように何かの影が浮かび上がった。

(――!?)

 アルベルトは突如として現れたそれが何であるかに気付き、思わず息をのんだ。

 それは一人の人間だった。紋章が織り込まれた茶色のローブを身に纏い、髭を蓄えた壮年の男性。黒の双眸は疲れたように力なく、額には深い皺が刻まれている。彼は今にも消えてしまいそうなぼんやりとした状態で、何かを訴えるように唇を動かした。声は全く聞こえない。視えるだけだ。なんとかして訴えを汲み取ろうと、アルベルトは集中した。この人は何と言っているのだろう。あの口の動きは――

「“外へ出してくれ”」

 その瞬間、男性の姿は掻き消えた。

「何?」

 煙水晶を検分していたリゼが手を引っ込めて問いかけてきた。唐突な呟きに驚いたのか、怪訝そうな顔をしてアルベルトを見やる。その視線に、アルベルトは夢から覚めたように我に返った。

「また何か視えたの?」

「ああ、そこに人の姿が浮かび上がって……」

 先程とは裏腹に、煙水晶は輝くことも映し出すこともなく、内部の無残な亀裂を晒したまま沈黙している。人の姿などどこにもない。けれど確かにいたのだ。

「男性だった。壮年くらいの、茶色のローブを着た――」

「それってまさか」

 話を聞いていたティリーが何か気付いたように呟く。アルベルトの注目を受けた彼女は、煙水晶の背後、爆発で焼け焦げた壁の上の方を指さした。

「あの方のことですの?」

 そこには、黒く薄汚れた古い壁画があった。半分以上が焼け焦げ、全容が分からないほど消失してしまっている。そのわずかに残された一部分に、男性と思しき人物の絵があった。ここからでは詳細が分からないが、髭を生やし、ローブをまとい、特別な存在であることを表すための光背と紋章が周囲に描かれている。その様子は、手に何かの道具を持っている以外はまさしく先程視た壮年の男性そのものだった。

「技術の神テウタロス」

 そう呟くティリーの声は、少し震えていた。

「まさか、貴方、神の姿が視えたんですの?」




 熱気と死臭満ちる神殿から抜け出すと、入り口付近で突入の準備をしていたらしい兵士達が一斉にアルベルト達に注目した。アルベルト達に近い方から、ざわざわと動揺が広がっていく。中には驚きではなく、好奇の視線を向ける者もいた。

 兵士達が驚いているのは、崩壊した神殿から人が出てきたからだけではない。しんがりのティリーが空中にテウタロスの依り代を浮かばせて、それをアルベルトが支えながら出てきたからである。アルベルトが煙水晶を慎重に下ろすと、ティリーが本当に疲れ切った様子で言った。

「重力魔術はかけるのは簡単ですけど軽減するのは難しいんですのよ……あー疲れた」

 あの茶のローブの男性――おそらくテウタロス――に外へ出してくれと訴えられたのはいいものの、煙水晶は重すぎて運び出すには時間がかかりすぎるのが難点だった。亀裂が入っているから、下手な扱いは出来ない。最初は人を呼ぶことを考えたのだが、「ティリーなら魔術で重力を制御して軽くできるでしょう?」とリゼが指摘したこともあって、そのまま運び出すことになったのだった。

 疲れ切った様子のティリーに礼を言ってから、アルベルトは周囲を見回した。依り代を運び出したのはいいが、これを扱いはやはり祭司に頼むしかない。兵士の誰かでも、爆発を逃れた祭司がいないか知らないだろうか。そう思って、適当な人物を探していると、

「そ、それは!?」

 ざわめく兵士の集団から、ローブを着た男性が飛び出してきた。身につけている装飾品がどことなくテウタロスのものと似ている。あれよりはずっと簡素だが、おそらく祭司なのだろう。探していた人物は思いの外速く見つかったようだった。

「依り代をどうしてここに――?」

 祭司とおぼしき男性は、運び出された煙水晶を見て絶句した。水晶に亀裂が入っているのも驚くことだが、まさか依り代を運び出されるとは思わなかったのだろう。依り代とアルベルト達を交互に見つつ、かける言葉を失っているようだった。

「外へ出す方が良いと判断しました。勝手なことをしてすみません」

 頭を下げると、祭司は大いに慌てた様子で「あ、いえ、お構いなく……?」と呟く。彼は反応に困ったのかしばらくまごまごしていたが、煙水晶を見て自分の職分を思いだしたらしい。依り代の前に跪いて短く祈りの言葉と思われるものを呟くと、立ち上がって背後の兵士達に言った。

「新しい安置場所へ移して、結界再構築のための儀式を行います。人手が必要です。ご協力をお願いします――」

 その一声で、ほとんど野次馬と化していた兵士達はテキパキと動き始めた。何人かは祭司の指示を聞き、他の兵士達は予定通り神殿へ向けて突入を始める。おそらく、調査のついでに中の遺体を回収しに行くのだろう。たくさんの兵士が行き交い、込み合う中で、アルベルトはリゼの姿が見えなくなっていることに気付いた。

「リゼ?」

 いつの間にか彼女はいなくなっていた。そんなに神殿から離れたかったのだろうか。辺りを見回して姿を探すと、リゼは遠く離れたところでじっと空を見上げていた。

 人混みを掻き分けて彼女のところへ向かう。どうやら魔物は全て討伐されたらしく、死骸以外に姿が見当たらない。引き上げていく退治屋達の話し声以外、すっかり静かになったフロンダリアの谷底。そこに流れる川の岸辺に佇んでいたリゼは、アルベルトが近付くとゆっくりと振り返った。

「結界が安定してるみたい」

 そう言われて、アルベルトも空を見上げた。フロンダリアの細長く切り取られた空。そこに半透明の薄い障壁が張り巡らされている。神殿に入る前まで不安定に揺らいでいたはずが、今は弱々しいながらも消滅する気配はなく、悪魔を阻むには十分な力があるようだった。フロンダリアに降りて来ようとしていた黒い影が、結界の前で右往左往している。最も、結界強度がこのままだと強行突破される可能性も十分あるが。

「良かったわね。わざわざ中に入って外に運び出したかいがあって」

 何気ない口調でそう言われて、アルベルトは少し驚きながらも頷いた。

「――ああ」

 少なくともこれで悪魔侵入してくることはない。結界も、もうしばらくしたら元の強度を取り戻すだろう。

「ありがとう。リゼ」

「……何が?」

「君が手伝ってくれなかったら神殿の奥までいけなかった」

 心からそう言うと、リゼは怪訝そうな顔をして、「手伝ったもなにも、ついて行っただけなんだけど」と呆れたように言う。風の守りで助けてもらったのは事実なのだが、どうやらそれは彼女の中で手伝いにカウントされていないらしい。そのことを言おうと思ったが、その前に、横から別の声が割り込んできた。

「祭司でもないのに依り代を運び出すなんて大それたこと、よくやるな」

 いつの間にか現れたのか、そう言ったのはキーネスだった。魔物退治のためか、服の袖に黒い血が飛んでいる。その後ろで、追いついたらしいティリーが手を膝について息を切らせていた。

「だから――置いて行かないで――くださいます?」

 息も絶え絶えなあたり、重力魔術を使って疲れたというのは誇張でもなんでもないらしい。疲れ切って今にもその場に座り込みそうなほどだったが、すぐ前にいるキーネスや、彼の方を向いたリゼにティリーを気にかける様子は微塵もなかった。

「キーネス、魔物はどうなったの」

 リゼが質問に、キーネスは淡々と答えた。

「とっくの昔に全て討伐済みだ――と言いたいところだが、実際は倒し切る前に残った魔物は逃げ帰っていった」

「逃げ帰った?」

「突然啼き喚いてフロンダリアから出て行った。魔術師の連中が口をそろえて『結界が安定した』と言うし、何があったのかと思ったら神殿からお前達が現れたというわけだ。依り代を持ってな」

 そこで、キーネスは少し呆れたようい肩をすくめた。

「ミガー人なら普通は罰当たりにならないか心配する。俺もそこまで信心深い方じゃないが、祟りは怖いからな。そうでなくても――」

「依り代なんてエネルギーの塊みたいな物なのに、よく平気で触れますわね。こっちは術を使っている間中、ヒヤヒヤしてましたのに」

 息切れから回復したティリーが、キーネスの後を引き継ぐように言った。その瞳には若干の非難が含まれている。

「そ、それは済まない。そんなに危険な物だとは思っていなくて」

 出してくれ、とテウタロス当人に頼まれた以上、無視は出来ないし、依り代をどうにかすれば結界を復活させられるかもしれない。本人の希望なのだから害はないだろうと踏んだのだが、他の人間にとっては冷や汗ものだったようだ。思えば、神が宿るものを勝手に動かしたのだから、当然かもしれない。全く同質のものではないが、教会の神の像を勝手に動かされたら、自分だって驚くし冷や汗の一つもかくだろう。

「ま、そんなことはどうでもいい。おかげで結界も安定したしな。それより、さっさと殿下の館にでも戻った方が良い。ランフォード。お前は特にな」

 不意にそう言われて、リゼは怪訝そうな顔をした。そんなことをしなければならない心当たりがない、といった様子だったが、アルベルトには何となく理由が分かる。というか、あれだけ派手にやっていて注目を集めない訳がないのだ。

「前線で派手に魔物退治をしたせいで、大勢の退治屋がおまえに注目している。忘れたか? ここは魔術工学の街だぞ。当然、退治屋にも魔術師が多い。捕まって質問攻めにされたくなければ、速く館に戻るんだな」

 そう言って、キーネスは小さくため息をついた。

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