表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
70/177

暗躍する影 8

「あーあ、今頃なんのお話してるんでしょう。気になりますわ……」

 アルベルトが静かに本を読んでいると、少し離れたところに座っていたティリーが、天井を仰いで切なげにそう言った。

 グリフィスとの会談が終わった後、アルベルト達は自室に戻ってきた。部屋の割り当ては男女別だったが、退治屋三人とシリルで話があるらしく(シリルと話があるのはゼノだけだが)、アルベルトは彼らに部屋を譲って、こちら側の部屋に来たのである。そして会談が終わってから長い時間がたつが、リゼは一向に戻ってこない。

「わたくしも術を見たいのにー博士とのお話も聞きたいのにー」

「後で聞いてみたらいいんじゃないか」

 本から視線を外してそう言うと、ティリーは不機嫌そうな表情になる。

「馬鹿言わないでくださいませ。リゼが教えてくれると思いますの?」

「いや、博士の方に。リゼは見せる相手を限定しただけで、力の謎を他の人に教えてはならないと言ったわけではないだろう?」

 そう言うと、ティリーはそのことに思い至っていなかったのか、ぽかんとした表情で二、三度瞬きした。

 アルベルトが見る限り、どうやらリゼは研究家や魔術師達によってたかって質問されるのが嫌なようで、何がどうあっても人に見せたくないというわけではないように思える。実際、リゼは必要ならばティリーの前でも術を使っているし、悪魔憑きを前にしたらむしろこちらが止めない限り、隠すことも考えず悪魔を祓おうとする。仮に術の謎を解明することによってより多くの人を救えるかもしれないと確信できるなら、リゼはためらうことなく研究に協力するだろう。

「ならやっぱりわたくしに見せてくれてもいいじゃありませんか……別に秘密にしろと言われたら守りますわよ。こう見えても口は堅いんですのよ……」

 そう言うと、ティリーは肩を落としうなだれる。ティリーの場合、術の秘密を解明した後どうするのかが問題なのではなく、研究の段階でうるさいのが問題ではないのかとアルベルトは思ったが、さすがにそれを指摘するのはやめておいた。

「……ところで、なんで童話なんて読んでるんですの?」

 アルベルトの手の本を見て、ティリーは不思議そうに言った。客間の本棚にあった革張りの立派な本だか、中身は至って普通の童話とお伽話を集めたものである。だが、ミガーの童話やお伽話を一つも知らないアルベルトには、なかなか新鮮だった。

「なんとなく読んでみたら面白くて。やはり、アルヴィアの童話とは話の雰囲気が違うな」

「あら、そうですの? やっぱりミガーの童話の方が面白いのかしら。以前アルヴィアの童話を読みましたけど、聖典を読まないと分からないことがあったり結末にイマイチ納得できなかったりして全然面白くなかったですものね」

「そ、そうか?」

「そうですわ。大体ワンパターンなんです。最後幸せになるのは神に従順ないい子。清く正しく生きていれば誰かが助けてくれるって話ばかりじゃありませんか。受動的すぎて冒険が足りませんわ」

 腰に手を当て胸を張って主張するティリー。まあ確かにアルヴィアの童話はそういうものが多いが、ワンパターンかどうかでいえばミガーの童話も変わらないような気がする。少なくともこの本に載っている童話では、賢く勇気ある主人公が悪者を倒す話が多いのだ。心優しい青年が女神から剣を授かり、悪い王を倒して王になる話。捨てられた兄妹が悪い魔術師を倒す話。呪いを掛けられた少年を助けるために旅に出る少女の話。主人公が知恵で悪者を倒すことが多いのは、ミガーが知識を貴ぶ魔術師の国であるからだろうか。文化の違い。そのせいで理解できないことも多い。例えば――

「――ティリー、一つ聞きたいんだが」

「なんですの?」

 そう言って、ティリーは怪訝そうに首を傾げる。アルベルトは開いた本に目を落とし、そこに記された物語を見た。タイトルは、『少年と花の精霊』。人間の少年と花の精霊の恋物語。数少ない冒険譚ではない物語だ。

「“精霊”とは何か教えてくれないか」

「……そんなこと知ってどうするんですの」

 ティリーは目を細め、そっけない口調でそう言った。本をテーブルに置き、彼女を向きあったアルベルトは、ゆっくりと答えた。

「この間ゼノに訊いたんだが、よく分からなくて。俺はミガーのことをよく知らない。アルヴィアではあまり正確な知識は手に入らないからな。出来るなら、この国のことをよく知っておきたい。偏った知識は誤った判断の元になりかねないし――」

「なんて言ったんですの」

 アルベルトの台詞をさえぎって、ティリーがそう言った。アルベルトが言葉に詰まっていると、彼女はさらに問いかける。

「ですから、ゼノはなんて説明したんですの」

「あ、ああ、『火や水にある不思議パワー』だとか、『大きな湖や海を見て強そうと思う感じ』と言っていた」

 そう答えた途端、ティリーはあきれ返ったように深々とため息をついた。言うこと欠いて不思議パワーだなんて……と頭を抱え呻くように言う。彼女はしばらくそうしていたが、アルベルトが反応に困っていると、突然勢いよく顔を上げた。

「――精霊とは、万物に宿っているエネルギーのことですわ」

 真剣な顔で説明し始めたのを見て、アルベルトは驚いてティリーを見た。今まで、ティリーに何かを訊いた時は大抵どこかとげとげしい態度で、かつあしらうように返されてきた(一応説明はしてくれたが)。悪魔祓い師である自分に詳しいことを教えたくない、という考えがあるのだろうとは思う。だから今度も普通に答えてくれないだろうと思って、駄目元で訊いてみたのだが、

「魔術の元でありあらゆる事象の根源となるもの。“不思議パワー”という表現は、まあある意味間違っていませんけど、精霊はそんな軽いものじゃありませんわ。森羅万象に宿り、事象の流れを支え、魂の循環を整えるもの。無形にして始原たる存在。均衡と秩序を司るこの世の意志の顕現。人とは異なる概念を生きるもの。それが精霊ですわ」

 そこでティリーは言葉を切り、一息ついてからまた話し始める。

「この世の全ての物には精霊という力が宿っている。普段は当たり前すぎて気にも留めませんけど、時に自然の――精霊の意志というものを感じ取ることがある。それがゼノが言う――もっと良い表現があったと思うんですけど――『大きな湖や海を見て強そうと思う感じ』ですわ。精霊はただのエネルギー体というだけでなく、時に明確な意志を持つのです」

 思った以上に丁寧で詳しい説明を、ティリーはさらに続ける。

「そして意志ある強力な精霊が祀られ、崇められるようになったらそれは“神”と呼ばれるようになりますわ。セクアナや火女神イリフレアがそう。精霊は神であり神は精霊である。わたくしたちにとって神は“そこに存在し、恵みを与えてくれるもの”ですわ。――フリディスも本人の言を信じるなら精霊神なのでしょう」

 ティリーは最後にそう付け加えて、説明を締めくくった。

 以前、ティリーは「魔術は大自然のエネルギーを借りて使う」と言っていた。今の説明を聞く限り、その「大自然のエネルギー」を“精霊”と呼ぶということだろう。万物に宿るエネルギー。時に意志を持つ存在。“神”が自然に宿るものだというのはまだ実感が湧かないが、理屈としては理解できる。

「なるほど、それがミガー人の神の概念か」

「そうです。アルヴィア人――マラーク教徒とは全然違いますわ。神の概念だけじゃなくて、この世の認識そのものから、ね」

 どこか皮肉めいた口調でティリーは言った。やっぱり何か訊くととげとげしい態度になるのは変わらないらしい。リゼと接する時と違って、彼女が(表層こそいつもと同じでも)冷淡な態度を取るのは、やはり自分が悪魔祓い師だからだろうか。そう考えて、アルベルトは少し残念に思った。

「ありがとう。よくわかっ――」

「ついでに! 何か訊きたいことはありますの?」

 いきなりこちらの言葉をさえぎって、ティリーはそう質問した。突然のことに、アルベルトはあっけにとられて言葉に詰まる。そこへ畳みかけるようにティリーが言った。

「ないなら、教えておきたいことがありますわ。ミガーの地理と気候について。地図は持っているみたいですけど、例えば砂漠での過ごし方なんてろくろく知らないでしょう? リゼにも大体教えましたけど、知らないでぶっ倒れられたりしたら困りますから。あとミガー人の生活習慣についても少し教えて起きますわ。知らないで何か粗相をされたら迷惑です」

 そこから、ティリーのミガー王国に関する講釈が始まった。

 講釈の内容は地理・気候に生活習慣――という話だったが、そこから外れないまでも大変多岐に渡った。本当に大切なことは話していないが、それほど重要でない細かい事、薀蓄めいたことまで全部事細かに話すのだ。結局、全ての話が終わったのは、話し始めてから相当な時間がたってからだった。

「――以上が、ミガーの地理と気候の概要ですわ。ご理解頂けまして?」

「ありがとう。おかげで色んな事が分かったよ」

 少々疲労感を覚えながらも、アルベルトは礼を言った。詳しく話してくれたのは有り難いのだが、ティリーの話は長い上に時折専門的になりすぎるので、情報がとんでもない量になったのだ。アルベルトとて知識欲はある方だし、有用かつ興味深い話だったが、如何せん長すぎて疲れてしまった。一方で、話し続けていたはずのティリーが何故平気そうなのか、不思議である。

「なら、これで貸し借りはなしですわね」

 不意に聞こえたティリーの台詞にアルベルトは首を傾げた。何か貸したりしただろうか。むしろ貰ったくらいなのに。そう思っていると、ティリーは腕を組んで答える。

「アスクレピア神殿のことですわよ。貴方達を殺そうとしたのに、エゼールで助けてくれたこと。ちゃんと覚えてますわ。それの礼をしないといけないと思っただけです」

「ああそのことか。別に気にしなくていいのに。あれはダチュラのせいだから仕方のないことだし」

「いいえわたくしは気にします。借りを作ったままは嫌ですもの。だから……貴方もわざわざ礼を言うことないんですのよ。これは親切心じゃなくて借りを返しただけなんですから」

 憮然として反論するティリー。しかし、大切なことを嫌な顔せず教えてくれたのは事実で、そのことにアルベルトは少しだけ安堵した。神殿で見た、彼女の悪魔祓い師への憎しみを考えたら、もっと拒絶するような態度を取られてもおかしくないのだから。

「あと、その、神殿でのわたくしのあれは本当に忘れてくださいね。あれは――」

 ティリーがさらに何か言いつのろうとした時だった。

 突然、大きな爆発音がフロンダリアの谷間に轟いた。衝撃で窓がびりびりと震える。

「何だ!?」

 部屋を飛び出して道の端から谷底を見下ろすと、下方から黒い煙が立ち上ってきているのが分かった。発生源は反対側の壁面に作られた石室の入口。それもただの部屋ではない。壁面を削り出して作られた見事な文様が飾る、フロンダリアでも最も特別な場所。

「あれは!?」

 手摺りから身を乗り出して、ティリーは谷底を覗き込んだ。

「テウタロス様の神殿じゃありませんの! 誰だか知りませんけど、なんてことしてくれてるんですの!? あんなことしたら――」

 その台詞を遮るように、二度三度と爆発音が続く。神殿から炎と、大量の煙が吐き出された。

 はっとしてアルベルトは空を見上げた。そこにあるのは、谷に細長く切り取られた砂のけぶる空。その手前に張られた、フロンダリアを守る透明な結界。空をはい回る悪魔や魔物の侵入を阻む不可視の障壁。それが、弱々しく明滅している。

「テウタロス様の結界がぶっ壊れてしまいますわ!」

 驚きと苛立ちを滲ませながら、ティリーはそう叫んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ