生贄の街 3
底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り、太陽も空も穴からの煙のために暗くなった。そして、煙の中から、いなごの群れが地上へ出てきた。いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名はアポリオンという。―――黙示録9:2~3、11
アルベルトが姿を消した。
間抜けなことにミイラ取りがミイラになるを体現してしまったのだ。しかも取りに行ったミイラはといえば、キャンプに程近く、アルベルトが探しに行ったのとはちょうど真逆の方向の通路で、目を回して倒れていた。どうやら暗い中を慌てて逃げていたせいで壁と正面衝突したらしい。顔面を強く打ったらしく、青痣ができ鼻血をだらだら流していたが、同情する者はいなかった。
「ったくなんなの!? 何で次々人が消えていくのよ!?」
「うるさい。少しぐらい静かにして」
口を開くたびに同じ事を言うサニアにリゼはいい加減うんざりしていた。アルベルト達が失踪した理由が分かればこんなに苦労はしていない。
「もう一度聞きますけど、本当にアルベルトの行き先を知らないんですのね?」
「こいつを探すために二手に分かれてそれっきりだ。何度も言わせんな」
膝を抱えてうなだれるボリスを指差し、グラントはそう吐き捨てた。ボリスの方も、ぼくも見てませんと消え入りそうな声で言うだけである。情報収集を諦めたティリーは、リゼの隣に腰を下ろすと、
「どうします? 探しに行きますの?」
と問いかけた。
「探したければどうぞ」
そう言い放ったリゼに、ティリーは首をかしげた。
「彼のこと、心配じゃないんですの?」
「別に。心配する理由がない」
「でも一応旅の連れでしょう?」
「そうなったのも成り行きよ。好きで一緒にいるわけじゃない」
騎士達を振り切るために一時的に手を組んで、その協力体制を今も維持しているだけだ。それもリゼにしてみれば一人でも平気だし、むしろその方が気が楽でいいのだが、『一人では危険だ』と主張するアルベルトが勝手についてくるのである。果たしてそれが全て彼のお人よしな性格からきているのかは疑問だが。
「……そんなに仲がいいというわけじゃないんですのね」
リゼの態度を見て、ティリーはそう結論付けたようだった。
それからしばらく、静寂が辺りを支配した。時折ティリーやサニアが喋ったが、長くは続かなかった。
そうしていたある時、グラントが不意に口を開いた。
「さっきから何か聞こえねえか? 人の声のような気がするんだが……」
耳を澄ますと、薪が爆ぜる音に混ざって不気味な声のようなものが聞こえてくる。呻き声か、叫び声か、あるいは誰かを呼んでいるような声が―――
「あ、あんなのただの風の音よ! そうじゃなきゃ魔物の声! 人の声なんかじゃないわ!」
怯えたサニアが全力で否定するが、同意するものはいない。その間も何者かの声は大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら断続的に聞こえてくる。方向からして、音源は地下にいるようだ。
「……いなくなった誰かが助けを求めているのかも」
レスターがぼそりと言った。
「みんな地下へ落ちたのかもしれない・・・・古くなってるから崩れやすくなっているところもあるだろうし……」
「そうですわね。地下へ行く道は探していませんし……」
「探してみればいいじゃないの」
そう言ってリゼは立ち上がった。松明を一本出して焚火で火をつける。その動作を見たティリーがあわてた様子で言った。
「ま、待ってくださいリゼ! 一人で行動するのは危険ですわ」
「私はアルベルトほど間抜けじゃない。地下に落ちたりしないわよ」
「落ちなくても魔物に襲われたりするかもしれませんわ。魔物に限らず……」
「魔物が出ようが悪魔が出ようが一人で十分よ」
「……わかりました。そこまで言うなら」
どうやらティリーは諦めたらしい。そう思ったリゼが拠点を出ようとしたが、ティリーは手を上げて元気よく言った。
「私も付いていきますわ!」
かすかに水の匂いがする。空気は重く湿っていて、快適空間には程遠い。連日の大雨の影響で地下道は元の機能を取り戻しつつあるのかもれない。
「ねえリゼ。さっきから誰かに見られている気がしません?」
半歩後ろを行くティリーが口を開いた。
「魔物でしょうか? それとも悪魔? なんにせよ用心すべきですわね」
声は地下道内をわずかに反響して消える。沈黙が数瞬続いた後、再びティリーが口を開いた。
「アルベルト達が失踪した原因ですけど、やっぱり亡霊の仕業ではないでしょうか?」
ティリーは手を組み、雰囲気たっぷりに、そしてどことなく楽しそうに語る。
「生贄となったマリークレージュの人々の亡霊が、生きているわたくし達を羨んで地獄へ引きずり込もうとしているんですわ。そう、今も暗闇の向こうから恨みのこもった目でわたくし達を見つめて……」
「少しは静かにしたらどうなの」
喋り続けるティリーに手厳しくそう言うと、彼女は不満げに言い返した。
「だって静かだと寂しいじゃありませんの」
「……」
おまえは子供か。そう思っていると、
「とまあ冗談はさておき、本題に入ってよろしくて?」
と言って、ティリーは不満顔をさっと引っ込めた。相変わらずどこまで本気なのか分からない。
「それで、どうして探しに行くなんて言い出したんですの? さっきまで全然乗り気じゃありませんでしたのに」
「ただの実験よ」
「実験?」
「でもそれはいい。それより、悪魔召喚の事を聞きたいんだけど」
そう言うと、ティリーは目を輝かせた。
「アルベルトは言っていましたわよね。あの魔法陣は動いてるって」
「……やっぱりあの話、聞いていたのね」
「はい。もちろん」
にこやかな笑顔で答えるティリー。突っ込みたいことは色々あったが、とりあえず話を進めることにした。
「あの魔法陣を動かす理由はただ一つ。悪魔を召喚するため。そしてそれには、生贄がいる。それにアルベルトが魔法陣の事を言及したのはダレンが失踪した後だった。魔法陣を見つけた時は何も言っていなかったのに」
「それが三人が失踪した理由だって言うんですの? ではまさか三人とも生贄に……」
「そこで質問があるわ。悪魔を呼び出すためには一体何人の生贄がいる?」
そう問いかけると、ティリーは顎に手を当てて考え込んだ。
「その方面に詳しいのはメリッサなんですけど……多分、召喚するだけなら一人でもいいのではないかしら。確か数十年前、少女一人を生贄に悪魔を呼び出した罪で悪魔教信者が処刑されたという事件があったはずですわ」
「でも生贄は多いほうがいいはずよね」
「そうでしょうね……ということはまた誰か失踪すると言いたいんですの?」
「だから試してみようと思ったんだけどね」
一人になれなかったので出来なかったが。
「でもそうだとしたら、誰かが悪魔召喚の儀式を行おうとしているってことに……」
「その『誰か』は、儀式に必要な数の生贄を集めようとするでしょうね。無理矢理にでも」
「…………」
ティリーは沈黙した。じっと何かを考え込んでいる。やがて彼女は顔を上げた。
「ひょっとして―――」
その時、嫌な感覚が身体を駆け抜けた。ねっとりと絡みつくような不快な感覚。それと共に暗闇が這いよってきた。松明は燃えているのにどんどん暗くなっていく。
「何? なんですの?」
「これは……悪魔が」
悪魔が近寄ってくる時の感覚だ。それも一匹や二匹ではない。アルベルトでなくとも薄い靄程度になら知覚出来るぐらい数が多いか強力な悪魔か、どちらかの。
「ティリー、戻るわよ」
「……悪魔、なのですわね?」
「そうよ」
急ぎ足で来た道を逆戻りする。もともと拠点からそれ程離れていない。すぐに着くはずだった。
しかし、最後の角を曲がったところで二人は足を止めた。グラントが明かりももたず、狭い地下道を塞ぐように立っていたからだった。
「グラント? なにをしているんですの?」
何か様子がおかしい。これは、この気配は―――
「待ってティリー! そいつ、悪魔に取り憑かれてる!」
そう言ったのと同時に、グラントが襲い掛かってきた。リゼはとっさにかわしたが、ティリーは反応しきれない。激しい一撃をくらったティリーは、壁際まで吹き飛ばされてぐったりと動かなくなった。
グラントは気絶したティリーに特に関心はないようだった。それよりも真正面に立つリゼに敵意をむき出しにしている。
(低級な悪魔ね、こいつは)
視界に入るものしか気に留めない、かなり本能的な悪魔だ。もっとも悪魔の半分くらいはそうなのだが。
虚ろな眼をしたグラントがふらふらと近づいてきて、リゼに掴みかかろうとした。しかし悪魔憑きの例にもれず、力は恐ろしく強いが動きはぎこちない。グラントの攻撃を避けたリゼは、がら空きになった鳩尾に剣の柄で強烈な一撃をお見舞いした。衝撃でよろめいたところを、足払いをかけて転ばせる。そこへ悪魔祓いの術を使おうとした時だった。拠点のほうからサニアとボリスが、それもグラントの視界に入る場所に現れたのだ。
「グラント! あんた何やって――」
「グラントさん―――」
「サニア、ボリス、止まれ!」
リゼの忠告よりも、目を血走らせ異様な雰囲気をまとって迫るグラントの姿を見て、二人は足を止めた。驚きと恐怖で目を見開き、棒立ちになる。今にも斬られそうになったところへ、リゼの魔術が発動した。グラントの四肢が凍りつき、行動の自由を奪う。そこへ悪魔祓いの術を重ねた。
グラントの口から呻き声と一緒に黒い靄が飛び出した。吐き出されたそれを不可視の鎖で拘束する。悪魔は抵抗したが、リゼは容赦なくそいつを締め上げた。
『消えろ』
細い筋を残して悪魔が消滅する。同時に氷の拘束が融けてグラントはその場にどうと倒れた。
「……あんた、今何したの?」
サニアが問いかけてきた。
「今の、魔法でしょ。グラントに何したの!?」
サニアは怖がっていた。普通のアルヴィア人がそうであるように、魔術を恐れているようだった。
面倒なことになった。
「あんた、魔女なんでしょ? ミガー王国から来た魔女なんでしょ!? あんたがみんなを消したんだ!」
自分で言って自分で怯えるサニア。いい加減うっとうしいのでどうしようかと考えていると、拠点のほうから声がした。
「その人は魔女じゃないよ、サニア……」
レスターが壁に手を付いてよろよろと歩いてきた。腹にあてた指の間から血が滴って、地面に赤い線を描く。それを見たリゼは、サニアを無視して彼に近寄った。
「グラントに斬られたの?」
そう聞くとレスターは頷いた。傷口は小さいが、出血のせいか顔色が悪い。放っておける怪我ではなさそうだ。
傷口に手をかざし、リゼは集中を始めた。淡い光に照らされて、流れる血の量が減っていく。やがて傷口は赤い跡を残して完全に塞がった。
「君……やっぱり悪魔祓い師なのか? だからグラントに取り憑いた悪魔を祓った……」
傷が治ったことを確かめたレスターは、驚いた様子でそう言った。
「でも……違う。どっちかというと魔術に近いような・・・・君はどうしてそんなことが出来るんだ……?」
リゼは答えなかった。そうしているうちに、
「な、何だ? 何があったんだ?」
今度はグラントが目を覚まし、戸惑いの声をあげた。
「悪魔に取り憑かれてた。さっきまでね」
「悪魔に!? じゃなんでオレ助かったんだ?」
「私が祓った」
「祓った……? お前、まさか悪魔祓い師なのかよ?」
「……そうよ」
とりあえずそういうことにしておく。
「悪魔祓い師……なんですか?」
ボリスが恐る恐るといった体で聞いてくる。リゼが渋々頷くと、ボリスは何かを思い出したのか、こう言った。
「ダレンさんが! ダレンさんが今さっきそこにいたんです!」
「ダレンが?」
「はい。あっちに……」
ボリスは奥の通路を指差した。しかし、暗くてよく見えないとはいえ、人がいるようには見えない。
「本当にいたの?」
「嘘じゃないですよ! 確かにダレンさんが……」
ボリスは必死に主張する。しかたなく、リゼはダレンがいたという通路へ歩を進めた。
拠点からそれほど離れるつもりもなかったので、一つ目の角を曲がった所で立ち止まった。やはり誰もいない。もし本当にダレンがいたとしても、とっくの昔に逃げてしまったのだろう。リゼは戻ろうと踵を返した。その時、
ギャァァァ――ッ!
リゼは剣を抜くと、背後から襲いかかってきた蝙蝠の脳天を貫いた。やってきたもう一羽も氷刃で打ち落とす。さらに襲い掛かってきた数匹も全て斬り伏せた。
「魔物か……」
やはりダレンはいそうにない。戻ろう。そう思った時だった。
リゼの背後に人影が迫った。
そして、




