暗躍する影 7
「はーい」
グリフィスの呼びかけに答えたのは、やたら気の抜けた女性の声だった。続いて扉が警戒に開いて、声の主が入ってくる。その人物はグリフィスの机の横まで移動すると、朗らかに挨拶した。
「こんにちわー。あれ?」
「あら? 貴女――」
訪問者の女性とティリーがお互いを見て各々声を上げた。アルベルトも女性が知っている人物であることに気づき、驚く。
「レーナ?」
「お久しぶりです~ティリーさん、アルベルトさん」
茶色の髪を揺らして、メリエ・リドス市長付き秘書官レーナは間延びした呑気な声で言った。たった今この街についたばかりですというような旅装束に身を包み、手には何かの包みを大事そうに抱えている。そんなレーナの様子を見て、ティリーが不思議そうに訊ねた。
「ゴールトン市長の秘書の仕事は?」
「ええ、ですから市長の伝令役をしてます。こちらのリーダーさんに大事な書簡を、ね」
そう言って、抱えた包みから厳重に封をされた封筒を取り出し、ぴらぴらと振る。大事な書簡をそんな風に扱っていいのだろうかと心配になったが、レーナは気にした様子もなくにこにこと笑っているだけだった。
「いつもは郵便屋に任せるんですけど、今回は緊急で。ついでに、普通の郵便物も届けてくれって頼まれちゃいましたけど。というわけで手紙を預かってます。キーネス・ターナーさんという方に」
レーナは包みから封だけされた宛名も何も書かれていない封筒を取り出しながら言った。名前を呼ばれたキーネスは怪訝そうな顔をしていたが、レーナが目の前に来て手紙を差し出した途端、その表情が凍りついた。
どうやらキーネスは何かに酷く驚き、かつ恐れているようだった。理由は分からないが、酷く青い顔をして凍りついている。キーネスは差し出された手紙を受け取ることも忘れてしばしレーナを凝視していたが、「キーネスさん? どうされました?」と問われた瞬間、我に返ったのか手紙を受け取った。
「あ、ああ……ありがとう、ございます」
冷や汗をかきながらたどたどしくお礼を言い、キーネスは手の中の手紙に視線を落とす。何の変哲もない白い封筒だが、キーネスはまるで死刑宣告でもされたかのようにじっと手紙を見つめていた。
「……キーネス? そのー読まないのか?」
微動だにしない親友の様子を見て、ゼノは不思議そうに尋ねた。だが、キーネスの返事はない。ただ突っ立ったまま手紙を見つめ続けている。
「てか誰からの手紙なんだ?」
ゼノの疑問にキーネスはしばし沈黙してから呻くように答えた。
「……ウォードだ」
初めて聞く名前に、ゼノは首を傾げた。他の同様だ。しかしキーネスは説明するつもりはないらしい。沈黙を続けるキーネスの代わりに、横からティリーが口をはさんだ。
「ウォードとは情報屋の元締め。この世のあらゆる情報を知っているといわれる影の情報屋ですわ」
「影の情報屋?」
「ええ。情報料さえ払えば国家機密ですら掴んでくるというとんでもない方です。何でも、ウォードは誰にも姿を見せず、誰にもその正体を明かさない。掟を破った情報屋は誰にも気づかれないうちに処分してしまう。客に嘘を教えて情報料をふんだくっていた情報屋が突然行方不明になったとか、悪徳商人と癒着して甘い汁を啜っていた情報屋が悪徳商人と一緒に簀巻きにされて川に浮かんでいたとか、いろんな噂がありますわね。真偽のほどは分かりませんけど」
それを聞いたゼノはとんでもないことを聞いてしまったというような表情になると、キーネスに視線を移した。彼はまだ手紙を握った状態で固まったままだ。
「あーその、ティリーの話って本当なのか? 情報屋の元締めってそんなに怖いのか……?」
「…………」
ゼノは恐る恐る尋ねたが、キーネスは答えない。その様子を見て、
「え、マジなのか。おまえが怖がる相手なんてカティナさんぐらいだと思ってたのに」
ゼノはますます驚いた様子で呟く。その横では、カティナさんってどなたですか? とシリルに聞かれたオリヴィアが「キーネスのお姉さん」と答えた。
「親が早くに亡くなったから、お姉さんが親代わりになってキーネスを育ててたとか聞いたよ。それで頭が上がらないらしいね。ゼノによるとものすごく優しい人らしいけどね。あたしは会ったことはないからわかんないけど。
まー掟破りの部下を自ら処刑するようなボスは親代わりの姉とは別の意味で怖いだろうねぇ」
オリヴィアはキーネスの方をちらちら見ながらどこか同情するようにそう言う。一方、ゼノはといえば日頃舌鋒鋭い親友が毒舌一つ吐かず素直に恐怖を認めたことに動揺を隠せないらしい。手紙を持ったままこわばった顔をしているキーネスを、目を丸くして見つめていた。
しばらく凍結していたキーネスだったが、やがて覚悟を決めたのか手紙の封を切った。中から封筒と同じ白い紙を取り出し、思い切って開く。入っていたのは一枚だけだったらしい。しばし無言で手紙に書かれた文章を読んでいたキーネスは、最後まで行き着いたところで深々とため息をついた。
「ど、どうだった?」
肩を落としたキーネスに、当人以上に動揺した様子のゼノが恐る恐る尋ねる。するとキーネスは、
「とりあえず、処刑は免れた。処分は情報屋の資格返上だ。失業というわけだな。だが、それで許されるなら安いものだ」
心底安堵したという様子でそう答えた。その口調と表情から察するに、処刑がよほど怖かったらしい。いや、『ウォードに』処刑されることが怖かったというべきか。もし退治屋同業者組合の判決が死刑だったとしても、ここまで怖がらなかっただろうと思うぐらいである。
「ということは、特に刑罰とかはないんだな? 資格剥奪だけ? よかったじゃねえか」
思ったより軽い判決に、ゼノが嬉しそうに言う。それを見たキーネスは再び手紙に視線を落とした。
「その代わり直属の部下になれと言われた」
「へえ、そうなのか。すげえな……って、は!? 直属の部下!? なんなんだよそれ!?」
資格剥奪なのになんで昇進してるんだ、とゼノは疑問符を大量に飛ばしている。それに対し、キーネスは仏頂面に戻って淡々と説明した。
「情報屋とウォードの部下は全く違う。情報屋は掟さえ守っていればウォードに干渉されることはまずない。だがウォード直属の部下は命令されたらどんな事情があろうと命を懸けてそれを遂行する義務がある。異論は聞かない。反論はもってのほか。命令には絶対服従。逆らったら今度こそ処刑。――ちなみに給料はない」
「あはは……それって要するに奴隷じゃないか。あんたんところのボス、えげつないね」
苦笑いを浮かべながら、オリヴィアはそう言った。それにキーネスは遠い目をして、
「それでも処刑されるよりはマシだ」
と返す。ゼノはひきつった顔でそれを見ていたが、やがて無理やり笑顔を浮かべて慰めるように言った。
「そ、そうか。これからすごく大変ってことだな。そういうことならオレも手伝えることがあったら手伝うよ。シリルの護衛があるから、いつもってわけにはいかねえけど――」
「そのことですが、」
その時、唐突にグリフィスが口をはさんだ。全員の視線が再びグリフィスの方へ向く。
「シリルさんはこちらで保護させていただきます」
グリフィスの宣言にゼノは目を見開いた。当事者であるシリルもたった今知ったようで、目を瞬かせながらグリフィスの方を見ている。驚く二人をそのままに、グリフィスは話を続けた。
「シリルさんは“憑依体質”であるとお聞きしました。悪魔に憑かれやすいその体質は、貴女自身だけでなく周囲にも被害を及ぼす危険なものです。
フロンダリアの魔術師にもその体質を治すことはできませんが、封じ込めることは出来ます。そのための施術をこちらで行います」
そう言われては、反対する理由もないのだろう。
「……分かりました。よろしくお願いします」
「そっか。その方がいいよな……」
少し寂しそうに、シリルとゼノはそう言った。今度こそゼノは落ち込んだらしい。すっかり静かになって、がっくりと肩を落としていた。
それを最後に、グリフィスとの会談は終わりを告げた。




