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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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暗躍する影 5

 グリフィスに連れられ、アスクレピアを離れて二日経った。

 アルベルト達は森と砂漠を隔てる山脈の中の忘れられていた山道を通り抜け、人喰いの森から南東の方角、ルゼリ砂漠にある魔術工学の街フロンダリアへとやって来た。

 フロンダリアは砂漠の中にぽっかりと空いた谷の中にある街だ。崖に張り付くように道が作られ、岩盤をくりぬいて作られた家の煙突からは細く煙がたなびいている。谷底には川が流れ、街の端の少し進んだところで蛇行しているため流れていく先は見えない。

 魔術の研究のための街。多数の魔術師と悪魔研究家が集う街。

 そしてフロンダリアには、街全体を覆うように、半球状の透明な障壁が張り巡らされていた。




「ここにも結界があるんだな」

 案内された部屋の窓から空を眺めながら、アルベルトは呟いた。

 フロンダリアに到着した後、アルベルト達は事後処理が終わるまでゆっくり休息を取って欲しいと来客用の部屋に案内された。

 部屋の中にいるのはアルベルトとゼノの二人だけ。リゼ達女性は別室で、キーネスはどこかへ出掛けたので今はいない。

「おまえ、結界があるの分かるのか? 魔術師か勘のいいやつには分かるって言われるんだけど、オレにはさっぱり」

 手持ち無沙汰で暇そうにしていたゼノが、同じように窓から空を見上げた。しばらく目を細めたり首の角度を変えたりしていたが、うーんやっぱりわかんねえなと言って首を振る。ゼノが椅子に戻ったところで、アルベルトは尋ねた。

「こういう街にはどこも結界があるのか?」

「ああ、そうだぜ。フロンダリアは何だっけ……あ、そうそう。技術の神テウタロスと地の精霊のおかげで丈夫な結界があるんだよ」

 得意げに説明するゼノ。つまり、ルルイリエが湖の神セクアナの力で守られていたのに対し、フロンダリアはテウタロスという神に守られているらしい。ただ、ひとつ気になるのは、

「すまないが『精霊』というのは何か教えてくれないか?」

 フリディスもその単語を使っていた。ゼノも知っているということは、ミガーでは当たり前に知られている言葉なのだろう。今まで耳にしなかったのはたまたまなのか、あるいは専門用語か何かなのだろうか?

「あ、そうか。おまえアルヴィア人だもんな。精霊のこと、知らなくて当然か。よーし! ならオレがおまえに精霊ってのが何か教えてやるよ! 精霊っていうのは……」

 勇んで説明を始めたところでゼノは唐突に固まった。やる気は十分だったものの、いざ説明しようとした途端言葉に詰まったらしい。アルベルトは急かしたりせずじと待ったが、なかなか続きがこない。たっぷり数十秒待ったところでゼノはようやく言った。

「火とか水とかにある不思議パワーのことだ!」

「不思議パワー……?」

「つまり……その……」

 アルベルトが首をかしげたので、ゼノはさらに説明しようと必死に言葉を探しているようだ。少しの間ゼノは考え込んでから、何かひらめいたように言った。

「あーあれだ。でかい湖とか海とか見て強そうって思ったり、嵐に会うとこいつら怒ってんなーって思ったり、古くてでっかい木を見ると偉い人だからちゃんとしねえとって思ったりする感じ」

「……いや、すまない。よくわからない……」

 説明してくれるのはありがたいのだが、いかんせん感覚的すぎた。残念ながら海を見て強そうと思ったり嵐が怒っていると感じたりした経験はないので、ゼノの説明ではよくわからない。ただ自然の雄大さを感じることはあるので、そういうものと思っていいのだろうか。

「わ、悪ぃ。オレそんなに頭良くねえから……そうだ。ティリーならちゃんと教えてくれるんじゃねえかな……?」

 ゼノはすっかりしょげかえった様子で、ぼそぼそと言う。どうも、そうした方がよさそうだ。ティリーが教えてくれるかどうかは別だが――

「そうだな。後で聞いてみるよ。でも、なんとなくは分かった。ありがとう」

 アルベルトが礼を言うと、ゼノは顔を上げて、

「そ、そうか? ならよかったぜ!」

 沈んでいた様子から一転、ちょっと嬉しそうに言う。どうもゼノは素直に感情を表すタイプらしい。裏表のなさそうな、真っ直ぐな人物だ。

「あーそれとさ。暇すぎるからなんか話でもしねえか?」

 そう尋ねてきたゼノに、アルベルトは「構わないよ」と言って頷いた。するとゼノはまた嬉しそうな顔をして、じゃあオレがとっておきの面白い話をしてやるぜ! と前置きして話し始める。話したくてうずうずしていたらしいゼノの『とっておきの面白い話』を、アルベルトは静かに聞くことにした。




 グリフィスから二度目の会談の申し入れがあったのは、フロンダリアに着いて三日と少し経ってからだった。

 グリフィスの部屋に集められたのは、馬車内で話を聞いた五人に、オリヴィアと、何故かシリルも加わっていた。オリヴィアはアスクレピア神殿で起こったことの当事者でそれについての話があるとのことだったが、シリルは事件に大きく関わっているとはいえず、話を聞くならオリヴィアだけで十分なはずである。何故よばれたのか本人にも分からないらしく、不思議そうな顔をしていた。

 招かれた側七人と招いた側一人が居並ぶ部屋の中をアルベルトはぐるりと見回した。質の良い内装、壁に飾られた女性が描かれた絵画。入り口の扉の横には兵士が控えている。品の良い部屋だったが、その中の空気は緊張を孕んでいた。

「さて、リゼ殿。返事はお決まりになりましたか?」

 部屋の奥で椅子に座り、執務机の上で腕を組んだグリフィスは、机を挟んで目の前に立つリゼにそう問いかける。彼女は臆する様子もなく、王太子をまっすぐ見つめ返していた。

 馬車の中でグリフィスから悪魔教徒殲滅の協力を持ちかけられたリゼは、承諾するわけでもなく拒否するわけでもなく、あっさりとこう答えた。

「何を頼むかと思ったらそんなこと? そんなの言われなくてもやるわ」

 さすがにそんなことを言われるとは思わなかったのか、それを訊いた瞬間グリフィスはあっけにとられたような顔で沈黙してしまった。リゼはといえば、そんなことを意に介する様子もない。

「悪魔教徒を放っておくつもりは元からなかったわ。あいつらは悪魔召喚の儀式とかいうものを行って、この世に悪魔を喚び出し続けているそうね。だから、いずれ叩き潰してやろうと思ってた。だから、誰かに言われなくても悪魔教はぶっ潰す。でも、効率良くできるならその方が良い。利用されるのはごめんだけど、協力というなら、やるわ」

 淡々とそう言って頷いた。アルベルトもあの時はさすがにもう少し良い言い方があるんじゃないかと心配になったものの、グリフィスは承諾が得られたことが重要だったらしい。

「よかった。そう言ってくれると思いました」

 と、素直に喜んでいた。

 ただ、問題はそこからだった。

「では、ついでと言っては何ですが、一つお願いがあります。あなたのその力を、今から行くフロンダリアの研究者達に見せて欲しいのです」

「……どうして?」

 グリフィスの新しい申し出に、リゼは顔をしかめて問いかけた。それに構わず、グリフィスは続ける。

「フロンダリアの悪魔研究家達は長年悪魔と戦う方法を研究してきました。しかし、良い手段は未だ見つかっていません。ですがあなたの力の謎を解明できれば、その一助になるのではないかと――」

「嫌よ」

 今度ははっきりと、リゼは拒絶の意を示した。彼女は今まで、研究家に術を見せることを拒否してきた。何か理由があってのことなのか、単に研究に付き合うのが嫌なのか、なんにせよリゼにグリフィスの提案に従う気は全くなさそうだった。

 しかし、拒否されたのにグリフィスは引き下がる様子はない。むしろたしなめるように、言葉を重ねる。

「ですが強いとはいえ、貴女は一人。悪魔を殲滅するにはいささか時間がかかるでしょう。少しでも悪魔と戦える者を増やすことができれば、より速く悪魔を滅ぼすことができるのでは?」

「……」

「フロンダリアの研究家は優秀です。多くの時間を取らせることはしませんし、優先したいことがあるなら可能な限りお聞きします。私は、一刻でも早く悪魔教徒を捕え、悪魔を殲滅し、ミガーに安寧を齎したいのです。そのために、現状では貴女の力に頼るしかありませんが、貴女一人に責を負わせることはしたくない。貴女の能力の研究は貴女自身のためでもあるのです」

「……」

「今すぐ決められないと言うなら考える時間を差し上げます。フロンダリアに着くまで時間がありますし、着いた後でも構いません。返事が決まったら、いつでもおっしゃってください。お待ちしています――」

 そうして、今日この会談に至ったのだった。

 なおフロンダリアに着いて三日後の今になったのは、リゼが返事を渋ったせいではなく、グリフィスの方が忙しかったからのようだった。アスクレピアでの事件の後処理が色々あったようだから致し方ないことだ。

「フロンダリアの研究家に術を見せろって話だけど、」

 リゼの声が、静かな部屋の中に響き渡った。

「あなたの言う通り、この力を他の人達も使うことができたらもっと多くの人を助けることができると思う。だからこの話、受けるわ」

 リゼがそう言うと、グリフィスは満足げに微笑んだ。リゼの隣に立つティリーが嬉しそうな表情をしているのは、術が見られるかもしれないからだろうか。アルベルトはといえば、前回は嫌だと即答したのに、今回は素直に(といっても大分時間が経っているが)受け入れたのが少々意外だった。何か思うところがあるのだろう。

 と考えていたら、リゼはグリフィスに向けて、「ただし」と付け加えた。

「ただし、その代わり条件がある。大勢の研究家に質問責めにされるのはまっぴらごめんだわ。術を見せるのは一人だけよ」

 要求を突き付けられて、グリフィスは考え込むように目を閉じた。しばらくそうしてから、目を開けてなるほどと頷く。

「お気持ちはわかりました。では希望はありますか?」

 要求が受け入れられたことが分かって、リゼは少し安堵したような様子を見せた。希望を問われて誰を上げるのかは分からないが、一人を除いてリゼに研究家の知り合いがいるわけでもないだろう。どうするのかと思っていると、彼女はある一つの名前を告げた。

「なら、この人を頼むわ。フランク・アルネス博士を」

 その瞬間、講義の声を上げたのはティリーだった。

「そ、そんな。わたくしじゃないんですのっ!?」

「あなたはうるさいから却下」

「そんな。酷いですわ! 出会って早数ヶ月。苦楽を共にしながらここまで来たというのに!」

 両手で顔を覆って大袈裟に泣き崩れるティリー。だが、リゼは気にした様子はない。ティリーを無視したまま、グリフィスの方を見る。

「で、アルネス博士を連れて来れるの?」

「その方になら、あなたの力を見せるのですか?」

「ええ」

「必ず?」

「そうよ」

 はっきりした肯定に、グリフィスは思案するように目を瞑った。しかしそれも短い間のこと。再び目を開けた時、グリフィスは優しく微笑んでいた。

「分かりました。お呼びしましょう。フランク・アルネス博士を」

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