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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
悪魔教徒編
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暗躍する影 4

 足元から細かな振動が伝わってくる。

 今いるのは揺れる馬車の中。外装はいたって普通、むしろ貧相と言っていいほどだったが、中はそれなりに広く、柔らかい敷物が敷かれていて快適だった。

 とはいえ、大人数が一度に入るとさすがに狭かった。保護された退治屋達は兵士達が乗って来た大型の馬車にそれぞれ乗せられたのだが、リゼとアルベルト、ティリーとキーネス、それにゼノだけは半ば強制的にこの馬車に乗せられたのだった。オリヴィアは黒服の男達との攻防が終わったところで倒れてしまったので、付き添いのシリルと一緒に別の馬車で手当てを受けている。

 そしてリゼの正面にはあの赤毛の指揮官が座っていた。歳は三十代ぐらいか。知的な印象を受ける顔立ちと、質素ながら品の良い衣服。軽鎧は身につけているが、本職は魔術師なのだろう。人数の関係で狭い馬車内だが、傍らには兵士が一人控えている。男は柔和な微笑みを浮かべているが、兵士の雰囲気は物々しい。指揮官自ら招いた相手であるにも関わらず、リゼ達を警戒しているようだ。それほどの重要人物ということなのか。

「それで、あなたは誰? 私に何か用でもあるの?」

 兵士の威圧的な態度は無視して、リゼは単刀直入にそう訊ねた。敬意も前置きもへったくれもないストレートな質問。その口調に真っ先に反応を示したのは、隣に座ったティリーだった。

「リゼ! この方は、その……偉い方なのですよ!」

 慌てたように手を振りながら、ティリーはそう言った。彼女は最初にグリフィスの姿を目にした時も相当驚いていた。やはり『偉い人』らしいこの男の正体をティリーは知っているらしいが、言っていいのか悪いのか計りかねているらしい。だがどれほど重要人物だろうとリゼには関係ない。『緋色の髪の魔女』などという教会に勝手につけられた呼び名を知っていて、なおかつそれを使ったのだから、一体何を企んでいるのか確かめるのが先だった。

 さて、当の本人はといえば、不躾な質問に気分を害した様子もなく、柔和な微笑みを浮かべたままリゼへと視線を向けている。彼は自己紹介が遅れてしまってすみませんと断ると、リゼの質問に回答した。

「私はグリフィス。ミガー王国第一王太子です」

 男の告白にリゼは少しばかり驚いた。アルベルトも同様らしく、斜め向かいに座るグリフィスを見つめている。ティリーはもちろん、キーネスも気付いていたのか知っていたのか特に変わらなかったが、

「王子様ぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げたゼノは、弾かれたように立ち上ってグリフィスをじろじろと見まわした。よほど驚きだったらしい。呆けた顔でしばらくグリフィスを見ていたが、兵士の威圧感が増したところでさすがに無礼だと悟ったらしい。はっとして小さくすみませんと謝った。

「いいえ、構いませんよ。驚かれるのも無理はない。本来なら、私がこのような場所にいるはずがありませんから」

 グリフィスは微笑んで優しくそう言った。

 リゼは腕を組んで正面のグリフィスを見た。王太子などと言われても、ミガー王家のことなど良く知らないし見たこともないから、目の前のこの男がこの国の権力者の一人である実感は湧かない。ティリーとキーネスの反応を見る限り偽物ということはなさそうだが、

「なら、どうしてこんなところにいるの? 行方不明になっていた退治屋達を探しに来たんだとしても、あなたが王子だというなら、それくらいのことでわざわざ出てきたりしないわよね」

 王太子に対する敬意とか態度とか、そういうことは無視してリゼは質問した。隣でティリーは焦っているような戸惑っているような表情を浮かべ、アルベルトは困ったような顔をしているが、残念ながら、二人の意には沿えない。――一応、助けられたことは感謝しているので、この人には悪いと思っているが。

「貴女方は、ダチュラという植物をご存知ですか」

 グリフィスは質問に答えることなく、逆に質問を返してきた。当然、ダチュラのことは知っている。というより知っているも何も、それで大変な目にあったのだから。

「種には記憶喪失となる毒が含まれ、人を苗床として成長する植物、ですね」

 アルベルトがそう答えると、グリフィスは頷いた。

「その通りです。ダチュラはこのミガーに生育する植物の中でも、最も危険なものの一つです。人に根付き、その種は記憶を奪う毒が含まれている。その危険性から、この国では研究用を除いて栽培も所持も禁止されています。

 しかしここ数年、禁止されているはずのダチュラを原料としたものがある場所で大量に出回っていることが分かりました」

「……それは、麻薬のことですか?」

 アルベルトの指摘に、グリフィスはやはりご存知でしたかと再び頷く。リゼ達が麻薬のことを知っている(ゼノは不思議そうな顔をしていたが)と理解したグリフィスはさらに話を続けた。

「今、アルヴィアの貿易港メリエ・リドスで強烈な中毒症状を引き起こす麻薬が出回っています。効果的な治療法もなく、何人もの死者が出ているそうです。そして、その麻薬の元となる植物が、三つあります」

 アルベルトが持っていた覚書に記されていた植物。ベラドンナ、ヴァレリアン。そして、

「そのうちの一つが、ダチュラです。麻薬の原料は全て、この国でしか入手できない物。誰かが国内で麻薬を作っているとしか考えられません。ベラドンナ、ヴァレリアンは栽培が制限されている植物ですが、薬の原料としても用いられるためその気になれば入手は難しくありません。問題はダチュラです。人間を苗床とするダチュラを、一体どこで栽培しているのか? 我々はずっとダチュラの栽培地を探していました。栽培地が分かれば、麻薬を製造している者達の尻尾を掴むことも出来ますから」

 つまり、グリフィスは麻薬のことを調査しているうちにダチュラの栽培地――人喰いの森の奥地・アスクレピア――のことを知り、兵を率いてやって来たということか。現時点で直接被害にあっているのはアルヴィアだけとはいえ、法律違反の危険物が国内で製造されているのは看過できないだろう。

 それにしたって、ダチュラの栽培地を特定するだけなら、王太子ともあろう人が直接出向くほどのことではないと思うが。

「なら、あの黒服の男達は麻薬を作っている奴らの手先で間違いないんですね。しかし、彼らは何故麻薬を作っているのですか? 高く売れるかもしれませんが、いくらなんでも手間がかかりすぎるような……」

 リゼが先の疑問を問う前に、アルベルトがそう言った。

 メリエ・リドスで麻薬を密売していたラウルという悪魔研究家は、麻薬を売るのは商売だからだと言っていた。すなわち金のためだ。しかし、そもそも儲けたいだけなら何故アルヴィアで売るのだろう。輸送のコストとリスクを考えたらミガー国内で売る方が利益が高くなるに決まっている。何か理由があってアルヴィアで売っているのか。アルベルトはそう考えたのだろう。

「奴らの目的は金を得ることではありませんよ。それは副産物でしかない」

 その疑問に答えるように、グリフィスはそう言った。

「麻薬を製造し、アルヴィアにばらまいているのは、悪魔教徒なのです」




 悪魔教徒。それは、己の欲望を叶えるために悪魔を崇め、生贄を捧げて契約を交わす者達のことだ。

 この生贄というシステムと背徳を是と教義から、長らく悪魔教徒は誘拐・強盗・殺人といった混乱の種をこの世に落とし続けてきた。犯罪者であり、背徳者である人に害を為す者達。

 グリフィスの話によると、麻薬をばらまいているのはその悪魔教徒達だという。ミガー王国の治安維持を担う国軍の指揮の一部を任されているという彼は、麻薬の調査を始めてすぐそのことに気付いた。悪魔召喚を行おうとしたという容疑で逮捕された商人が、ベラドンナを買い占めていたことが判明したからだという。

「彼らの目的は、おそらく悪魔憑きを増やすためでしょう。ご存じかと思いますが、悪魔教徒の最終目的はこの世に魔王(サタン)を降臨させること。そのためには悪魔憑きを増やし、世を乱れさせる必要があります。混乱から生じる負の感情が、魔王(サタン)召喚の助けになるという話ですから。麻薬はそのための手段の一つかと」

 悪魔教徒は召喚した悪魔と契約し、その力で我欲を満たそうと考えている。召喚する悪魔が強力であればあるほど、より大きな願いを叶えられるようになるのだろう。

 例えば、全ての悪魔を統べるもの、唯一絶対の神の最大の敵、あらゆる悪徳と背徳の主である魔王(サタン)。それを喚び出すことができたなら、地上の支配権すら手に入れられるという――

「それに、悪魔教徒にとって教会はなによりも邪魔なもの。アルヴィアで優先的に麻薬をまいているのは、先に教会を弱体化させたいからでしょう。ですが、メリエ・リドスで広まっている以上、いつミガーに広まるか分かりません。それに――」

 そこでグリフィスは言葉を切り、悲しげな表情をした。

「麻薬はミガーで採れる植物を原料としています。また免罪符という形で売られているため、現時点では被害者のほとんどがアルヴィア人です。このまま麻薬の流布を放置しておけば、争いの火種になりかねません」

「――麻薬密売をミガーの仕業だとして、アルヴィアが侵略してくるってことですわね」

 ティリーがそう言うと、グリフィスは頷いて肯定の意を示した。

「残念ながら、アルヴィアは長年我が国を侵略するチャンスを狙っています。麻薬が広まり続ければ、彼の国は近いうちに我が国に宣戦布告するでしょう。それだけは避けなければ」

 戦争。アルヴィアとミガーの間での。

 有り得ない話ではない。アルヴィアにとってミガーは魔術師――悪魔のしもべ達が住む悪の国だ。戦争は長らく起こっていないが、きっかけさえあればすぐにでも勃発してしまうだろう。

 それだけは避けなければ、とアルベルトも思う。国土の広さでいえばアルヴィアはミガーの二倍以上あるが、国力でいうならほぼ互角といって良い。いや、長期戦になった時は食糧面で有利なミガーの方が優勢だろう。アルヴィアはミガーから輸入される食料品がなければ多くの人が飢え死にする可能性があるし、教会の騎士達も帝国軍も優秀だが、ミガーの魔術を見る限りすぐに決着がつくということは考えにくい。戦争は長引き、両国とも疲弊する。

 それが悪魔教徒の狙いなのか。

「そこで、貴女の力を借りたいのです」

 唐突に、グリフィスはそう言って、静かに話を聞いていたリゼへと視線を向けた。アルベルトも不思議に思ってリゼの方を見る。当の本人も、何故ここで自分の話になるのかと怪訝そうな顔をしていた。そんなリゼに、グリフィスは微笑みかける。

「貴女の力のことはすでに知っています。悪魔にさえ通じる強力な浄化の魔術。重傷をも癒す治癒の術。悪魔を祓い、跡形もなく滅ぼす悪魔祓いの術。貴女は偉大なる力を持つ、この世で唯一の人物だ。

 貴女の悪魔を滅ぼすことの出来るその力を、是非とも我々に貸してほしい。悪魔教徒を打ち倒すことに協力して欲しいのです」

 リゼは沈黙したまま、じっとグリフィスを見つめている。返事がないことを見てとったグリフィスはさらに話を続けた。

「手を尽くせば麻薬の流布を止めることは出来るでしょう。しかし麻薬が駄目になったら悪魔教徒はすぐに次の手を打つでしょう。彼らは魔王(サタン)を降臨させるためならどんな手でも使います。それを止めるためには、元を絶つ他ありません」

「……」

「ですが、彼らは悪魔を味方につけているため、悪魔と戦う術を持たない我々では歯が立ちません。魔物と戦うことは出来ても、悪魔に取り憑かれれば終わりです。ですがあなたなら、悪魔と戦える。悪魔教徒を打ち倒し、騒乱の種を除くことができる。そのために、協力していただけませんか?」

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