人喰いの森の守護者 12
「……何?」
フリディスはすでに祓い、浄化した。なら後はオリヴィアの魂を身体に戻すことが必要なのであって、助けるも何も、オリヴィアの生霊をここに連れてくるか身体を運んでいくかするしかない。そうリゼは思ったが、続けてやって来たシリルがゼノの隣に並んで言った。
「オリヴィアさんがわたしから離れて行ったのに、全然目を覚まさないんです! 呼吸もしてないし、まるで――」
「あなたから離れて行った? どういうこと?」
「わたし、オリヴィアさんに身体を貸していたんです。地下でオリヴィアさんの生霊に会って、ここまで来たいから運んでくれって言われて……それでさっきまでずっと一緒にいたんですけど、リゼさんが悪魔祓いをした後、わたしの中からいなくなっちゃったんです! 自分の身体に戻ったんだと思うんですけど、でも――」
「――動かねえんだ。息してないし、脈もないみたいなんだ」
そう言うゼノの顔は焦燥と恐怖で青ざめている。
「だから、助けてくれ。“救世主”なら、死人を蘇らせたりできるんじゃなかったか? お願いだ!」
ゼノが口にしているのは、聖典に記されている救世主――神の子の奇跡の技だ。あまりにも有名で、ミガー人であるゼノすら知っている伝説のうちの一つ。
でも、伝説は――教会は事実だと主張するだろうが――あくまで伝説だ。そんなことをできる人間はこの世にはいない。
「無茶言わないで。癒しの術は万能じゃないし、大体私は救世主じゃない。死者蘇生なんて出来るわけがないでしょう」
それが出来たら苦労しない。それが出来るなら、罪悪感にさいなまれて生きる必要はなくなるのだ。取り返しのつかないことなんてなくなるのだから――
リゼに否定されて、ゼノとシリルは絶望の表情を見せた。リゼに出来ないなら打つ手はもはやない。どうしようもないのだ。
少し距離を置いた先に、オリヴィアが静かに横たわっている。その傍には、彼女を見下ろしながら立つアルベルトと、膝をつくキーネス。少し離れたところにはティリーが立っている。キーネスはじっとオリヴィアを見ていたが、不意に振り返ると、リゼへと視線を移した。
「……オリヴィアを治すことは、無理なんだな?」
「ええ、そうよ。死んでいるなら、私には出来ないわ」
問いかけにそう返すと、キーネスはそうかと呟いて視線を元に戻す。その拳は白くなるまで握りしめられ、何かを必死でこらえているようだった。
「――おい、起きろ」
唐突にキーネスはオリヴィアに向けてそう言った。もちろん、返事はない。目覚める様子もない。けれどキーネスは彼女の肩を掴み、強く揺さぶった。
「起きろオリヴィア! 寝ている場合か! さっさと起きろ!」
半ば叫ぶように呼びかけるも、オリヴィアは目覚めない。指一つ動くこともない。それでも起きろと言い続けるキーネスを、何かに気付いたアルベルトが制止しようとした。
「落ち着けキーネス! オリヴィアは」
「死んでなどいない!」
アルベルトの制止を振り払って、キーネスはそう言った。
「死んでなぞ、いるものかっ……」
再び拳を握り、絞り出すようにそう言うキーネス。けれど、オリヴィアは目覚めない。それを見たゼノはうつむき、シリルは目に涙を浮かべている。誰も、何も言わず、重い沈黙が降りてその場を満たした。そこへ、アルベルトが何か言おうと口を開きかけた、その時だった。
「――っ!」
今まで身動き一つしなかったオリヴィアが、突然飛び起きて盛大に咳き込んだ。突然の事態に何か話そうとしていたアルベルトはそのままの体勢で停止し、少し離れたところで見ていたティリーは驚いて目を瞬かせている。ゼノとシリルもあまりのことに呆けた顔でオリヴィアを見つめていた。
「はあ、マジで死ぬかと思った。う~クラクラする。気持ち悪い」
頭を押さえ、苦しそうにそう呟く。といっても、その口ぶりに死にかけていたという深刻さはない。体調は悪そうだが、重症というわけでもなさそうだった。
「あれ……? 生きてる……?」
呆然と呟くゼノに、オリヴィアは恨めし気な視線を向けた。
「失礼な。死んだ方がよかったかい? ……ってシャレになんないけどさ」
そう言って、オリヴィアはからからと笑う。その様子をみて、ゼノとシリルはようやく事態を飲み込んだらしい。二人してオリヴィアの元に抱き付かんばかりの勢いで駆け寄った。
「オリヴィアああああああああああ! いぎててよがったぜえええええええ!」
「お、オリヴィアさん……生きててよかったです……!」
子供の様に泣きじゃくるゼノと、涙をこぼしながら呟くシリル。二人の様子を見たオリヴィアは、
「あーもう、そんな豪快に泣くんじゃないよゼノ……。シリル、ありがとう。あんたのおかげで助かったよ。あんたがいなきゃ、あの場所を動けなかった」
それからオリヴィアは顔を上げて、ちょうど傍まで近付いたところだったリゼを見た。
「リゼ、あたしの身体を取り戻してくれてありがとうね。やっぱり自分の身体が一番だよ」
「そう、良かったわね」
「アルベルトも。あんたがあたしに気付いてくれなかったら全滅してたかもしれない。それとティリー、だっけ? あんたもあいつを倒してくれてありがとう」
「お互い様だよ。俺達も君がいなければ全滅してただろう」
「わたくしの方こそお礼を言わなければなりませんわ。ダチュラの苗床にならずに済んだのは、貴女がエゼールを渡してくれたおかげでもあるんですもの」
アルベルトとティリーがそれぞれそう言うと、オリヴィアは穏やかに微笑んた。そうしてから、彼女は視線を移して、一人だけ押し黙ったままの人物に声をかけた。
「で、キーネス。どうしたんだい? そんなアホ面で」
そう言うオリヴィアの口元には、意地の悪い笑みが浮かんでいる。もしキーネスが答えなくても、追及の手を緩めるつもりはなさそうだった。
それが分かっていたのだろう。顔を上げたキーネスは、ほんの一瞬だけ泣き笑いのような表情を見せた後、すぐに元の仏頂面に戻って答えた。
「なんでもない」
その声は、少しだけ掠れていた。
「ただ、安心しただけだ……」
「あー神殿の外なんて久しぶり。風が気持ちいいねぇ」
全員そろって神殿の外へ出たところで、オリヴィアが軽く伸びをして嬉しそうにそう言った。話を聞くところによると、元の身体に戻ったのは半年ぶりだということらしい。それでよくそんなに明るくいられるものだと、アルベルトは感心してしまったぐらいだった。
「能天気な。まったく、心配するだけ時間の無駄だったな」
オリヴィアの言葉にそう返したのは、彼女を背負ったキーネスだ。仲間の毒舌にオリヴィアは怒るかと思いきや、また意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「ふーん、心配してたんだ。あたしが捕まってる間、心配で夜も寝られなかった、とか?」
「そこまで心配していない。大体、そんなことのために貴重な睡眠時間を無駄にできるか」
「なっ、この馬鹿! アホ! 唐変木! すっとこどっこい! こっちはねぇ、あんたがバカやってるのを見ていることしかできなくて、心労で死にそうだったんだよ!」
「図太いお前がそれくらいで死ぬわけがないだろう」
「あたしのような繊細な人間をつかまえてなんだい、その言い草は」
「ほう。俺の知らない間に繊細の意味は変わったらしいな」
「なんだって。もういっぺん言ってみな!」
「うるさい、耳元で騒ぐな。捨ててくぞ」
「ふん。そういえば、あたしが死んだと思って血相変えてたの、どこの誰だっけ?」
「ゼノだろう。それとクロウもだ」
「あたしの記憶によると、もう一人、涙声で必死にあたしの名前を呼んでいた人がいたはずだけど? アルベルトとリゼとティリー以外で」
「誰の話だ? 記憶にないな」
「そんなこと言って。あたしが生きててすっごく嬉しいくせに」
「阿呆か。俺はお前のような騒がしい女は嫌いだ」
「な!? あたしだってあんたみたいな冷血漢は嫌いだよ!」
「元気だなぁ、アイツら」
口論を始めた二人を見て、ゼノは呆れながら、けれどどことなく嬉しさを滲ませて言った。喧嘩とはいえ、その姿を見るのは半年ぶりだからだろうか。
「仲がよろしいんですね」
シリルがそう言うと、ゼノは首を傾げて、
「そうかぁ? あいつら今もさっそく喧嘩してるし、いつも大体あんな感じだぜ? あいつも、ようやくオリヴィアが戻ってきたんだから、もっと優しくしてやりゃあいいのに」
仲間が元気なのは嬉しいが、やはり口論はよくないと思ったのだろう。ゼノは呆れたようにそう言ったが、キーネスとオリヴィアは言葉の応酬をやめる気はなさそうだ。最終的に堪忍袋の緒が切れたのか、オリヴィアはゼノの方を見て、手招きをした。
「あーもういいっ。ゼノ、ちょっとこっち来な!」
「え、オレ?」
「こんな冷血漢よりあんたに背負われるほうがマシだね。そういうわけでキーネス、下ろしな!」
「望む所だ」
と言いながらも、キーネスに今すぐ下ろそうという様子はない。オリヴィアと揃って、ゼノに速く来いと無言の圧力をかけている。これはどうしたものかとゼノはおろおろしていたが、やがていい加減にしてくれとばかり頭を抱えた。
「あーもうおまえら! 休めそうなとこまであと少しなんだから喧嘩するなよ!」
「あたしは喧嘩するつもりなんて毛頭なかったよ。この冷血漢が悪いんだよ」
「ぎゃーぎゃー騒いでるのはお前だろう。少しは静かにしろ」
「あんたが一言多いからだろ。こっちは半年生霊状態だったんだからちょっとは労わりなよ!」
「労わられたいなら大人しくしてろ。悪化するぞ」
そう言うキーネスの声音は、先程までの軽口の応酬とは違う、どこか気遣わしげなものだった。突然変わったキーネスの口調に、オリヴィアはしばし沈黙すると、糸が切れたようにぐったりとキーネスに寄り掛かる。そのままキーネスはオリヴィアを背負い直すと、対応に悩んでいるゼノを置いてまた歩き出した。
「……熱が出てるぞ。自力で歩けない程なんだから、調子に乗って大声で喋るな」
「うるさい。あんたが一言多いせいだろ」
「そうだな。悪かった」
「なんだよ素直に謝るなんて。いつもは嫌みばっかり言うくせに。今回のことだってそうだよ。自分も他人も犠牲にしてあたしたちを助けようとするなんて馬鹿だよ馬鹿」
「……ああ、俺は馬鹿だった。すまなかった」
「あたしに謝るな。あんたが巻き込んだ人みんなに謝れ」
「そうだな。その通りだ」
その言葉に納得したのか、オリヴィアは言われた通り大人しくなった。それを見て、ようやく仲直りしたと安堵するゼノ。シリルはその三人の様子を少し羨ましそうに見ている。彼らが大人しく歩き出したところで、やり取りの一部始終を見ていたティリーがポツリとつぶやいた。
「賑やかですわね」
それを受けて、リゼが呆れたように言った。
「呑気なものね。死にかけたのに。こっちも迷惑をこうむったわ」
「まあな。でも、助けられてよかったじゃないか」
フリディスに取り憑かれた状態のオリヴィアを治せるのはリゼぐらいしかいないだろう。巻き込まれて迷惑をこうむったのは確かだが、人を助けることができたのは良かったとアルベルトは思った。しかし、リゼは渋面を作ると、
「あいつがオリヴィアを助けようとしたせいで何人もの退治屋がここに連れてこられた。記憶を失って、挙句の果てにはダチュラの苗床。何人ぐらい犠牲が出たのかは分からないけど、褒められたことじゃない」
もちろん、とリゼは続けた。
「オリヴィアを犠牲にすれば良かったとは思わない。でも、何もかも救う方法なんてないんでしょうね。きっと」
そう語るリゼは無表情で、けれど虚空を見つめる瞳にだけは憂いが浮かんでいるように見えた。
リゼの呟きに、アルベルトは考える。
何もかも救う方法を。片方を犠牲にしなくても。誰かに何かを強いなくても。
救えるものの境界線を引かれたら、どうしたらいいのか。
片方を選ばなくてはならなくなったら、どうしたらいいのか。
例えば敬虔な信者も、教えを守れない罪人も、あるいは異教徒も、苦しんでいる人は分け隔てなく救いたいと思ったらどうしたらいいのか。
全て救う方法はどこにもないのだろうか?
「それでも、俺なら誰も犠牲にせずに相手を救う方法を探すよ。それが一番だろう?」
夢見がちだの理想論だのと言われそうだなとは思ったけれども、それでも偽りない本心をアルベルトは呟くように話した。どちらかを見捨てるなんて、自分には出来そうもない。たとえどれほど無理だと言われようとも全てを救う方法を探して、それが出来なければ己の無力さを悔やむのだろう。そうなることは、分かっている。
「……そうね」
リゼは感情を見せることなく、淡々と言った。アルベルトの考えを否定するのでもなく賛同するのでもなく、ただ頷く。
「そんな方法があるといいわね」
その言葉はどことなく、そうなることを祈っているようにも思えた。




