人喰いの森の守護者 10
「待ちやがれ!」
そう言って広場の入り口から走り出してきたのは、人喰いの森とは反対の方向へ行ったはずのゼノだった。それだけではない。ゼノの後から遅れて登場したのは、あろうことかシリルだった。“憑依体質”である彼女を人喰いの森に近付けないためにゼノもシリルも別行動をとったはずなのに、なぜここにいるのだろう。
「シリル!? どうしてここにいるんですの!? というより、ゼノは一体何をしているんですのよ」
「ごめんなさい! これには色々事情があって……」
そう言ってシリルは頭を下げる。とはいうものの、悪魔避けを渡してあるとはいえ、悪魔に取り憑かれやすい彼女をどうしてここに連れてきたのだと、さしものアルベルトもゼノを咎めたくなった。今の所、無事のようだから良かったが……
そこで、アルベルトはあることに気付いた。
シリルの中に、彼女じゃない別の何かがいる――。
一方、飛び出したゼノは広場を横切ると、キーネスの前に立ち塞がった。現れた親友の姿を見て、キーネスは驚愕の表情を浮かべる。
「ゼノ!? お前何故ここに来た!?」
「うっせー! 来るに決まってんだろ! てめーを見捨てるほどオレは冷血じゃねーんだよ! お前が半年間なにしてたか、全部分かってんだからな!」
「思い……出したのか……」
「いくら毒のせいだからって、忘れていた自分が恥ずかしいくらいだぜ」
悔しげにそう語るゼノ。事情は分からないが、彼もダチュラの毒を受けていたらしい。一方、フリディスは突然の乱入者を目に止めると、嬉しそうに笑いかけた。
「おかえりなさい。ゼノ・ラシュディ。あんたのお友達が涙を呑んで突き放したのに、自分から戻ってくるなんて」
「うっせーよ、てめえ! さっさとオリヴィアの身体から離れやがれ! それと、キーネスを解放しろ!」
ゼノの怒号も、フリディスは意に介した様子はない。むしろ笑みを浮かべたまま、静かにゼノを見下ろしている。その反応にゼノは苛立ちをつのらせたようだったが、如何せん、敵は彼の手の届かない場所にいた。
「嘘でオレ達を嵌めやがった上に人質なんて取りやがって。キーネス! お前もこんな奴の言いなりになんてなるんじゃねえ! そんなことしなくたって、オリヴィアを助ける方法はあるだろ!」
キーネスは何も言わない。ただ俯いて、じっとその場に佇んでいる。
「おまえのやったことは退治屋に対する裏切りなんだぜ! 分かってんのか!?」
ゼノにそう非難されて、キーネスはついに顔を上げた。苦しげな表情で、彼は叫ぶ。
「自分が何をしているかなんて分ってる! だが俺は決めたんだ。例えそれが裏切りであっても、お前と、オリヴィアを救うためにこうすると! だから!」
キーネスは右手に握っていた剣を捨てた。剣は鈍い音を立てて、花の咲く地面に転がる。何のつもりだとゼノが驚いた、その時だった。
キーネスは何かを取り出すと、大樹の根元の赤黒い妖花めがけて投げつけた。
投擲されたそれは、妖花の中心に落ちると割れて中身が飛び散った。その途端、着弾した場所から赤い炎が燃え上がる。炎は瞬く間に広まって花弁を燃やし、あっという間に炭化させていく。キーネスが投げつけたのは導火線に火をつけた硝子瓶。中身はおそらく油だったのだろう。花が燃えるさまを見て、フリディスが悲痛な叫び声を上げた。
「ランフォード! 頼みがある! 俺のことは好きにしていい。勝手なのは承知している。だが、どうしても治して欲しい人間がいる!」
キーネスはそうリゼに呼ばわった。彼は必死だった。必死に懇願していた。
「頼む! オリヴィアを救ってくれ!」
その言葉を聞いたフリディスは、顔を上げてキーネスを見た。その瞳には怒りではなく、苦しみではなく、深い深い憐みが浮かんでいた。
「――やっぱり、あたしの頼みを聞いてくれないのね」
それは先程の悲痛な叫び声とは違う、とても静かな声だった。苦しむ様子もなく、平然と立っているフリディスを見て、キーネスが目を見開く。
「それと、あの花を燃やしても無駄なことよ。確かにあの花はあたしの依り代の一つだけど、あれを燃やしただけではあたしを無力化することは出来ない」
フリディスは静かに、けれどどこか悲しげに言った。
「さよなら、キーネス・ターナー。あんたはあたしのアスクレピアにはいらないわ。人を欺く裏切り者」
フリディスがそう言った瞬間、キーネスは苦痛に顔をゆがめてその場に崩れ落ちた。左肩を抑え、苦しげに呻く。ゼノは苦しむ親友の姿を見て、顔色を変えて彼の元へ駆け寄った。その後ろにシリルが付いていく。
「お、おい! 何をされたんだ!? しっかりしろ!」
キーネスの顔を覗き込んで、ゼノは狼狽する。その様子を視ていたアルベルトはキーネスの左肩に巣食っているものに気付いた。今まではただの植物だったから視えなかった。今はフリディスの力が注がれて、急激に成長しているからはっきりと視える。
花だ。キーネスの肩に巣食って、心臓めがけて根を伸ばそうとしている。
それを目に止めたアルベルトは、すぐさま走り出してキーネスの元へ向かった。途中、魔術の水流が襲い掛かってきたが、突如出現した重力の壁に防がれる。ティリーが援護してくれたのだ。彼女のおかげで、邪魔されることなく何とかキーネスの元にたどり着く。
「すまない。どいてくれ」
狼狽するゼノを押しのけて、キーネスの肩に巣食う花を見る。ダチュラとは違う、青く小さい花だ。しかしその根は肉に食い込み、心臓まで伸びようとしている。
「アルベルト、キーネスは……」
「大丈夫だ。何とかする」
これが魔術か何かで成長を促されているなら、それを打ち破ればいい。術を破る方法はある。力が足りるかどうかは分からないが、やるしかない。
アルベルトは成長を続ける青い花に手を当てると、意識を集中させた。
「神の名の下に、ここに蔓延る魔の力を打ち破り給え。消し去り給え。一切を無に帰し清め給え!」
祈りの言葉と共に、かざした掌に光が集う。その光は青い花へと移り、戒めるように取り巻いた。その瞬間、花の根が動きを止める。光に拘束された花が身じろぎするように震えた途端、何かが弾けるような音がして花の成長を促していた術が壊れた。
術の崩壊と共に、花はみるみるうちに枯れ果てて崩れるように消え去った。深く、抉れたような傷が残ったが、これは後でリゼに癒しの術を掛けてもらうしかないだろう。苦痛から解放され、驚きの表情を見せるキーネスに、アルベルトは「もう大丈夫だ」と声をかけた。
奴は俺を見ていると、キーネスは言っていた。あの青い花は、おそらくキーネスの監視のために植えていたのだろう。どういう仕組みなのかアルベルトには分からない。ダチュラが人を苗床としその記憶を消すように、ミガーにしかない特殊な作用を持つ植物なのかもしれない。
「よかったぁ~! ホントによかった! おまえが死ぬんじゃねえかって冷や冷やしたぜ全く!」
泣き笑いのような顔をして、ゼノはキーネスの背中を(傷に響かない程度に)バンバン叩く。キーネスは戸惑うような表情でそれを見ていたが、やがて沈んだ顔をして呟いた。
「ゼノ。俺はお前に何も言わずに……」
「いいんだよそんなこと! いや良くはねえけど、でもおまえが助かったことの方が重要だぜ!」
屈託のない笑みを浮かべてゼノは言う。キーネスはそれを見て呆れたような安堵したような表情を浮かべた。
「いいや、全然よくないね。この馬鹿のせいで関係ない人まで巻き込むことになったんだから」
その時、そう語る厳しい声がゼノとキーネスの間に割り込んだ。二人はそろって声の主の方を見、驚いたように目を見開いている。
「あんたってホント、思い詰めやすくて真面目だね。誰もそんなことしろなんて頼んでないのに」
唖然とするキーネスに向けてそう言ったのは、腕を組んで仁王立ちするシリルだった。いや、正確にはシリルではない。アルベルトの眼は、彼女の中にいて彼女の言葉を借りて話す、別の人物を捉えていた。
けれど、キーネスはそんなこと、知る由もない。
「クロウ……?」
「残念だけど違う。この身体は間違いなくシリルのだけどね。馬鹿の横っ面はたくために、やもなく借りたんだよ」
いつもと全く違う声音で話す少女を見つめて、キーネスは目を見開いた。信じられないという風にシリルをまじまじと見つめて、呆然と呟く。
「まさか、お前、オリヴィア……? そんな、何故クロウの身体に――」
「話は後でじっくりしてあげるよ。それより」
シリル――もとい、オリヴィアは組んでいた腕をほどくと、キーネスの元につかつかと歩み寄った。さらに膝をつくキーネスに合わせて、少しだけ身をかがめる。オリヴィアは体勢を整えると、華奢な右手で拳を作り、
「くらえっ!」
「っ!?」
キーネスに容赦のない打撃をくらわせた。頬に予想外の一撃を喰らってよろけるキーネス。目を白黒させながらも、目の前の小柄な影を見た。
「いきなり何をする!」
「だから、この身体を借りたのは馬鹿の横っ面をはたくためってさっき言っただろ」
「誰がそんなこと聞いて――」
「言わなきゃわからないかい?」
声も姿もシリルのもの。だがその言葉は間違いなくオリヴィアのものだ。有無を言わせぬ迫力に、キーネスは黙り込んだ。
「あんた、あたしとゼノを救うためって言ったよね。馬鹿げてるよ。あたしもゼノも、助けられるのを待ってるお姫様じゃないんだよ。戦える限り、死なない限り、全力で戦うよ。それが退治屋だろ」
その叱責に俯くキーネス。ゼノはオリヴィアに任せる気なのか、何も言わずに見守っている。立ち上がったオリヴィアは無言のままのキーネスを見下ろして、
「……わかってるよ。あたしだってあんたの立場だったら同じことをするだろうさ。でもね」
きっぱりと、言い放った。
「あんたはあたしたちを助けたいかもしれないが、あたしもあんたを救いたいんだよ。きっとゼノもね。だから一人で突っ走るなんてやめなよ。キーネス・ターナー。これ以上馬鹿やったら許さない」
一息にそう言って、オリヴィアは背を向けた。
「あーあ、興奮したら涙出てきたじゃないか、全く」
その声は少しだけ揺れていた。
「……すまない。オリヴィア、ゼノ。俺が馬鹿だった」
静かに、キーネスが謝罪の言葉を述べる。それから、彼はアルベルトを見て、
「スターレン。お前達にも迷惑をかけた。すまない」
ふらつきながらも立ち上がり、頭を下げる。そのキーネスに対して、アルベルトは謝罪は後でいい、と言った。
「それよりもフリディスを倒さなければ」
「そのことだけど、アルベルト」
そう言ったのはオリヴィアだ。彼女は振り返ると、先程までとは違う戦う者の眼で、アルベルトに問いかけた。
「ゼノに聞いたんだけど、リゼって悪魔祓いの術が使えるんだって? なら、あたしの身体からあいつを追い出せる?」
おそらくは、と注釈をつけて、アルベルトはオリヴィアの言葉を肯定する。というか、リゼなら無理やりにでもなんとかしそうだ。
オリヴィアは何か考えこんでいたが、しばらくして何か決めたのか、顔を上げてアルベルトを見た。
「アルベルト。悪いけど、この身体じゃ戦うのは無理そうなんだ。試してはみたけど魔術が使えない。だから、手伝って欲しい」
「もちろんだ」
「ありがとう」
オリヴィアは少し微笑んで、それからまた真剣な表情に戻った。
「フリディスは今あたしの身体に取り憑いているけど、あれは自由に動くために必要なだけみたいで、本体は別にあるんだ。そっちを叩かないといけない」
「本体?」
「この馬鹿はあの赤い花が本体だと思ったみたいだけど、本当はそっちじゃない。あたしは取り憑かれる瞬間にあいつを通じて感じたから分かる。リゼがあたしの身体からあいつを追い出してくれるなら、その瞬間にあいつの本体を叩く必要があるんだ――」




