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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
アルヴィア帝国編
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生贄の街 2


 マリークレージュはやや縦長の盆地の中にすっぽりおさまっている真円に近い形の街である。中心点は教会でそこを取り巻くように役場や劇場が並び、直径にあたる大通りには宿屋や大きな商店が軒を連ねていたそうだ。

「それにマリークレージュには地方の街にしては珍しく水道設備が完備されていたそうですわ。今通っている地下道もその一部ですの」

 マリークレージュの西側から南側に回り込むように流れる川から水を引いているらしい。使い終わった水は同様に川へ排水しているのだという。

「今は水がないみたいだが、今日のような豪雨では水が溢れたりしないか?」

「大丈夫だと思いますわよ? 水門は閉じてありましたし、所々瓦礫で塞がっていていますから」

 とりあえず地下道で溺れる心配はなさそうだ。

「この通路の先が例の悪魔召喚が行われた場所なのね?」

「その通りですわ。街の中心部。すなわち」

 マリークレージュ教会の真下にある地下室。そこが悪魔召喚の儀式が行われた場所である。出入りには地下水道を通らなければいけない場所だ。どうやら悪魔教信者達は文字通り地下に潜って活動していたらしい。

「すぐ足元で悪魔召喚の準備が進められていたのに気付かないなんて、教会も間抜けですわね。しかもそれを隠そうとしてますし」

「そうね」

「…………」

 二人の会話にアルベルトは複雑な表情を浮かべている。元・悪魔祓い師としては教会の失態と隠蔽がショックなのかもしれない。

「それで、調査のメンバーはあれだけなの?」

 リゼは前のほうを歩く研究家達に視線を移した。かなり距離が開いているので、向こうに声は聞こえない。

「そうですわ。この調査の発案者でリーダーがメリッサ。彼女は悪魔教について研究していて、悪魔召喚の儀に詳しいんですの。ダレンは魔物が専門で、レスターは魔法陣に詳しいのですわ」

「なるほどね。で、あなたは?」

「わたくしの研究テーマは『悪魔の倒し方』ですわ。ですから悪魔に関することなら何でも知りたいですわね」

 なにやら期待に満ちた目で見てくるのでとりあえず目を逸らす。リゼはこの短時間で、知りたがりなティリーに質問させないためにはこちらから質問すればいいことに気付いたが、うっかりすると変化球が返ってくるので注意が必要だった。

 そうこうしているうちに地下室へと着いた。

 地下室はかなり広く薄闇の中に沈んでいた。奇妙なことにほとんど埃が積もっていない。地下室の天井、教会の床にあたる部分はほとんどなくなっていて、吹き抜けのようになっている。教会の天井には穴は開いていなかったが、窓硝子は破壊されていてそこから雨が吹き込んでいた。

「やはり目ぼしい物はなさそうですね」

 地下室内を見回したダレンが淡々と言った。グラントとサニアが置いて回った松明のおかげで部屋の中は少し明るくなっている。地下室はからっぽで、見渡す限りなにもない。

「悪魔召喚に必要なのは、蝋燭、火桶、樟脳(しょうのう)、石炭、ブランデー。血玉髄(ブラッドストーン)に子山羊の皮で作った紐。子供の死体が入った棺から抜き取った釘四本。そして何より重要なのが、生贄と魔法陣」

 部屋の中心に向けて歩を進めながら、メリッサがぶつぶつと呟いた。

「道具類は教会が押収していったでしょうけど、魔法陣の痕跡を完全に消すことは難しいわ。前回の調査では分からなかったけど、今度こそ見つけてみせるわよ。ダレン、レスター、ティリー。あなたたちは向こうの方をお願い。ボリス! ぼうっとしてないで手伝いなさい!」

「は、はい! 博士!」

 鞄を抱えたボリスがメリッサのところへ走っていく。ティリー達は地下室の検分を始め、グラントとサニアは魔物がいないか警戒を始めた。なんだかんだ言ってきちんと仕事はするようである。リゼは入り口から動かず、その様子を眺めていた。

 一方アルベルトはといえば、ティリー達に混ざって地下室の床を観察して回っていた。悪魔祓い師として悪魔召喚の儀式のことが気になるのだろうか。やがて彼は顔を上げ、

「魔法陣ならここにある」

 そう言って床を指差した。そこは入り口から十歩ほど進んだところだ。

「ここに? 何もありませんが……」

 驚いたダレンが床を見回すが、特に何も見当たらない。他の研究家一同もアルベルトの突然の申告に言葉が見つからないようである。唯一レスターがさっと進み出て、アルベルトに質問した。

「……どんな魔法陣なんだ?」

「円に五芒星、それに文字のようなものが……書いた方が速そうだな」

 レスターがすかさず紙とペンを差し出した。受け取ったアルベルトはそれを図形と記号で埋めていく。曲線に直線、それに奇妙な文字。これが遥か遠く、部屋の向こう側にまで広がっているらしい。部屋を歩き回ってようやく図を完成させたアルベルトに、メリッサは驚愕の面持ちで問いかけた。

「どうしてこんなことが分かるの? あなた何者?」

「いや、他人には視えないものが少しばかり視えるというだけで……」

 そうだった。アルベルトは変わった眼の持ち主で、悪魔やら幽霊やらとにかく色々なものが視えるらしいのだ。アルベルトにとっては魔法陣の跡を見つけることなど造作もないのだろう。

「少しばかりって……驚いたわ。そんな能力があるなんて。ティリー、あなた一体どこでこんなのを調達してきたの?」

「ふふ。ひ・み・つ、ですわ」

 どこでって、ここマリークレージュでつい数時間前に、なのだが、ティリーはそんなことおくびにも出さない。ティリーだってアルベルトの眼のことは今初めて知っただろうに。

「とにかくこれで魔法陣のことが分かりましたし、想定していたよりも早く終わりそうですわね」

「そうね。これがあれば悪魔研究家(われわれ)の研究はさらに進む……教会に知識を独占させはしないわ」

「そうです。教会の奴らに市井の研究家の意地というものを見せてやりましょう」

「……賛成」

 妙な対抗意識と盛り上がりを見せる研究家達。メラメラ燃える闘志の炎に周りの人間が(ボリスを除いて)若干引いたのは言うまでもない。

 その後、研究家達は夜を徹してでも調査を続けんとする雰囲気だったが、あまりに魔法陣が巨大で調べきれないため、その日はいったん休むこととなった。焦らなくても時間はたっぷりある。十分に休息を取った方が頭も冴えるとメリッサが提案したからだ。研究家達は興奮冷めやらぬ様子だったが(リゼ達にとってはありがたいことに)それに同意し、例の地下室から少し離れた場所に作った拠点(ベースキャンプ)で大人しく床についた。ティリーなど、まるでお出かけを待ちきれない子供のように調査を待ちきれない様子であったが。

 ところが次の日の朝になって、調査どころではなくなってしまう出来事が起こった。

 ダレンが姿を消してしまったのである。




「もおーどこ行ったのよあいつ」

 一通り探し回った後、サニアが不機嫌そうに言った。

 例の地下室にもいない。途中の通路にもいない。道に迷ったのかもということで枝分かれした通路を全て探したが、誰かが通った形跡すらない。荷物が丸々残っているので街の外へ出たということはないだろう。第一、外は今だ凄まじい豪雨である。差し迫った用でもない限り、外に出ようとは思わない。

「あるいは魔物に喰われたのか」

 アルベルトがそう言うと、グラントが反論した。

「だとしても死体は残るだろ。ここの魔物、蝙蝠みたいな奴ばかりだぜ」

 確かにここには蝙蝠の魔物が多い。少なくとも人を丸呑みするほど大きな魔物がいる気配はない。

「ならやはりどこかで迷っているんだろうな。ここの地下水道はかなり複雑なようだし」

 地道に探すしかないのか。とにかく無事だと良いのだが。

 芳しい結果を得られなかった三人は拠点(ベースキャンプ)ではなく、例の地下室に戻ることにした。ダレンはいないのだが三人の研究家達とボリスが調査を続けているからだった。

「その様子だと、ダレンはいなかったのね」

相変わらず入り口のところで調査を眺めていたリゼが、帰還したアルベルト達にそう言った。その声に研究家達も顔を上げ、

「ダレン……いなかったのか……」

「全く人騒がせですわね。一体どこへ行ったのかしら」

 それぞれの反応を返す。心配しているようではあるが、調査を止めるつもりはないらしい。メリッサもしばし考え込んだが、結局調査を進めることにした。

「仕方ないわね。ダレンがいないけど、あの魔法陣に関する考察を始めましょう。レスター、図版を出してくれる?」

 レスターは鞄の中から紙の束を取り出した。紙にはあの魔法陣が正確に写し取られている。

「アルベルト君、この地下室にあるには本当にこの魔法陣で間違いないのね?」

「はい」

広げられた紙には円と逆さになった星が描かれている。その隙間や円の周りに書かれているのはたくさんの文字。それもただの文字ではなく、聖典や悪魔祓いの祈祷に使われる神の神聖文字である。ただし、上下左右が逆になっているが。

「逆五芒星――悪魔の象徴(シンボル)に、反転した神聖文字。これが悪魔召喚のものであることは間違いないわ。」

 五芒星は神と天使の印。ひっくり返すと悪魔の印に変わる。神聖文字も同様だ。魔法陣を巡る考察はそういった基礎事項から始まってどんどん発展していった。

「円は呼び出した悪魔を閉じ込めるための作用があって―――」

「この文字の意味は分かりますの?」

「ちょっと待って。今解読するわ」

 議論は次第に白熱し、他のことなど目に入らなくなっていくようだった。全く熱中を絵に描いたような人達である。アルベルトはそんな彼女達から離れ、入り口に立つリゼのところに戻った。

「……一つ意見を聞きたいんだが、いいか?」

「何?」

「昨日から気になっていたんだが、この魔法陣、動いているような気がするんだ」

「動いてる? これが?」

 リゼは怪訝そうに言った。

「特に何も感じないけど。というよりこの街に入ってからずっと悪魔の気配を感じてるせいでそれ以外のものはよく分からなくなってるから……動いてるってどういうことなの?」

何分感覚による話なのでアルベルトにも説明は難しい。彼は少し考え込むと、

「なんというか……まだ停止しきっていないという感じなんだ。何かあればすぐにでも動き出しそうな、それぐらいの……」

「何の話ですの?」

 突然、ティリーが二人の間に割って入った。いつの間に近寄ったのか、瞬間移動でもしたのではないかと思ったほどの唐突な登場である。

「びっくりした。魔法陣について話してたんじゃないのか?」

「ああ、メリッサとレスターが話を続けてますわ。貴方達が何か面白そうなことを言っているような気がしたので、聞きに来てみたんですの」

「どんな気よ。別に大したことは話していないわ。この魔法陣は動くのかっていう話よ」

 議論に巻き込まれてはかなわないと、リゼが適当な事を言ってティリーを追い払おうとする。しかしそれを聞いたティリーは言った。

「そうですわね。出来れはこれで本当に悪魔が喚べるのか試してみたいのですわ」

「……まさか本当にやる気じゃないでしょうね」

「あら、わたくしがそんな血も涙もない人間に見えまして?」

「そういう風に笑いながら言われるとなお信じられないわね」

「酷いですわ。わたくしは虫一匹殺せない心優しい人間ですのに……」

 沈痛な面持ちを浮かべるティリー。しかしあまりに嘘っぽい言葉に、リゼが冷ややかな目を向ける。なんともいえない沈黙が流れたところへ、メリッサが声をかけてきた。

「ティリー。別の資料を取りに行きたいからいったん拠点(ベースキャンプ)に戻るわよ。ほらあなたたちも手伝って!」

 本と紙束の山を押し付けられたリゼとアルベルトは、仕方なくメリッサについて地下室を出る。グラントとサニアも同様らしく、レスターにボリスと一緒に紙束を運んでいた。皆が地下室を出て一人になったティリーはがらんとした地下室内を見回した。

「……でもまあ、研究には理論の実践も必要ですわよね」

 沈黙する魔法陣を見、ティリーは誰にも聞こえない声でそう呟くと、皆に続いて地下室を後にした。

 そして、その日の夕刻のことである。

今度はメリッサがいなくなった。




「うう……博士ぇ、どこ行っちゃったんですかぁ?」

 情けない声をあげながらボリスはすすり泣いた。師匠がいなくなったのがショックなのは分かるが、小さな子供よろしくずびずび泣いているさまはかなりみっともない。耐えかねたグラントが苦言を呈した。

「うるせーな。ちっとは黙れよ」

「ううっ、博士ぇ」

 効果なし。役に立ちそうもないので放置することにした。

「きっと何か重大な発見をしたんですわ。それを二人で独占にする気なんですのよ!」

 ダレンとメリッサの失踪に関して、ティリーは開口一番そう断言した。

「ティリー……それならボリスを連れて行くはずだよ……」

 というレスターの言葉も、彼女の考えを改めさせるには至らない。

「そうとは限りませんわよ。ダレンがいればボリスなんていなくても問題ないと考えたかもしれません。なんにせよ重要な情報を隠すなんて言語道断ですわ。こうしてはいられない。もう一度探しに行きますわよ!」

「でもどこを探す?」

「そんなの決まってるじゃありませんか」

 ティリーは腰に手を当て、堂々とした態度で言った。

「まだ探してないところ、ですわ!」

 ティリーの要請に応えて本日二度目の捜索が始まった。

 探していないところというが、マリークレージュは広く探していない場所など山のようにある。アルベルト達はまず地下室とは真逆の方向に伸びる通路を探すことにした。人が通った形跡がないので今朝探さなかった場所である。長い直線の通路を進んだ一行が辿り着いたのは、マリークレージュの中でも一際大きな建物の中、そこのだだっ広いホールだった。

 割れた窓から吹き込む風雨がわずかに残されたカーテンの残骸を揺らしている。階段の手すりは錆びてぼろぼろ。壁もすっかり塗装が剥げて黒く腐蝕している。相当数の蝋燭を必要とするであろう巨大なシャンデリアは錆びた鎖で支えられるはずもなくとうに落ち、落下の衝撃で床に食い込みひしゃげていた。

おそらくここはマリークレージュでも高級な宿屋の一つで、このホールでは舞踏会でも行われていたのだろう。三十年前までは連日盛況だったのだろうが、今ではすっかり朽ち果ててその片鱗すら見られない。虫食いだらけの絨毯を踏むたびに埃とカビの臭いが鼻をついた。

 侵入者に気付いたのか、数匹の蝙蝠が飛んでいく。天井を見上げると落下を免れたシャンデリアが一つだけ残っていた。とはいえあれもいつ落ちるか分からない。あんなものが直撃したら確実に即死だし、出口が塞がれて戻るのに一苦労するはめになる。長居しないほうがよさそうだ。

「外は相変わらずの雨みたいね。しかもあたしたちがここに到着してすぐくらいに降り出したじゃない。まるで嫌がらせみたい」

「しかも昨日より酷くなってるわね」

 窓の外を眺めたサニアとリゼが言った。拠点(ベースキャンプ)が地下にあるので気付かなかったが、雨はさらに激しく、強くなっているようだ。時折、雷光が閃き稲妻が轟音を立てて落ちる。

「……悪魔召喚の影響かも」

 レスターがぼそりとそう言った。すかさずティリーが補足する。

「街一つ生贄にしたということは発生するエネルギーも相当なものになりますわ。自然環境になんらかの影響を与えてもおかしくありません」

「……それに二十年前からこの辺り一帯の天候がおかしくなってると言われてる」

「そうなのか?」

 アルベルトの問いにレスターは頷いた。そういえばそんなことを聞いたことがあるような気もするが……

「あれ、博士の本だ!」

 不意にボリスがそう叫んで、部屋の中央へ走った。蝙蝠の糞が散乱する床の上に、埃をかぶっていない分厚い本が落ちている。

「本当ですわ。確かにメリッサが使っていた物ですわね」

「こんなものもあったわよ」

 リゼが差し出したのはヒビが入った黒縁の眼鏡だ。受け取ったサニアが松明の明かりを頼りに検分する。

「……ダレン? ダレンだよね? これ」

 バサバサと羽音を立ててまた蝙蝠が飛んでいく。

「ダレンの奴、眼鏡もなしに何してるんだ?メリッサも何のためにここへ来て、今どこにいるんだよ?」

 グラントの疑問はもっともだが答える者は誰もいない。なんとなく想像はつくが。

 その時、考え込むアルベルトの耳に一際大きな羽音が聞こえてきた。

 バサァ。

「……今の音は何だ?」

「蝙蝠だろ? さっきからたくさん飛んでるぜ」

 バサァ、バサァと羽音が響く。

「蝙蝠にしては大きすぎるだろう。それにさっきまであんな音はしなかった」

 バサァバサァバサァ。

「蝙蝠じゃなかったら何の音なのよ」

「……あれ」

 レスターが指差す先はホールにせり出したバルコニー、その錆びた手摺の上に立つだるま型のシルエットだった。皆の視線が集中する中、そいつは翼を広げた。

 ギャァァァ――ッ!

 魔物の啼き声とボリスの悲鳴が重なった。

「ま、魔物!」

「叫ぶな! 見りゃあ分かる!」

 グラントの叱責がほとんど耳に入っていないのか、ボリスは回れ右して一目散にホールから出て行った。

 バサァバサァと羽音を立てて魔物がホールの中を飛びまわる。人間より二、三回りほど大きなそいつは、見た目以上の俊敏さで飛び掛ってきた。

「やっぱり蝙蝠じゃない! 魔物だけど!」

 魔物の突進をかわしたサニアが腰から小剣を抜きながら叫んだ。

「もう最悪! あたしがこの二人逃がすからこいつら任せた!」

 研究家二人を庇いながらサニアは出口へと走った。

「ダレンもメリッサもあれに喰われちゃったんじゃないの!? でかいわよ、あの魔物!」

「となったらどこかに死体の一部(食べ残し)があるかもしれませんわ。さすがに丸飲みは出来ないでしょうし」

「……蝙蝠だから血を吸われてミイラ状態になってると思う」

「あんたたちこの状況でそんなグロいことよく平然と言えるわねっ」

 出口に向かって逃げながら、サニアは冷静な学者二人に八つ当たり気味に突っ込みを入れた。

 一方、残ったアルベルト、リゼ、グラントの三人は蝙蝠魔物と対峙していた。

 バルコニーの後ろにある通路から、巨大蝙蝠がまだ何匹か飛んでくる。リゼが蝙蝠の翼を斬り裂き、グラントが頭を叩き潰す。アルベルトが蝙蝠を一刀両断にする。剣を振るうたび、蝙蝠が悲鳴のような声をあげるので頭が痛くなりそうだった。

 蝙蝠が一匹滑空してくる。アルベルトはその場から動くことなく、向かってくる蝙蝠の眉間に剣を突き刺した。巨体がずどんと音を立てて床に転がる。振り返って首に噛み付こうとした一匹を仕留めたアルベルトは、天井に一つ残ったシャンデリアが不吉な音を立てて揺れている事に気付いた。錆びた鎖は切れる寸前だ。

「リゼ! グラント! 俺達も戻ろう!」

 あのシャンデリアが落ちたら通路が塞がってしまう。いつまでも蝙蝠の相手をしているわけにもいかず、三人はすぐに通路へと向かった。その後を蝙蝠達が追いかける。

「リゼ! 速く!」

 リゼがいた場所は通路から一番遠い。すぐ後ろにまで蝙蝠が迫っているのを見た彼女は、何を思ったのか通路に入る直前で足を止め、振り返った。

「鬱陶しい! さっさと消えろ!」

 飛び交う大小さまざまな蝙蝠に向けて、リゼは大声で呼ばわった。

 ホールの中を冷気が駆け抜ける。羽音と啼き声が止み、氷塊がぼたぼたと地面に落ちた。氷漬けを免れた何匹かが遠くの方でぎゃあぎゃあと啼いている。

 一瞬の静寂の後に、ついにシャンデリアの鎖が切れた。内臓にまで響く重い音が地面を揺らし、床をえぐって石の破片を飛び散らせる。ついさっきまでリゼが立っていた場所にはシャンデリアの一部が食い込んでいた。

「……助かった」

 間一髪でアルベルトに救い出されたリゼはむすっとした様子ながらも礼を言った。

「どういたしまして。グラントも無事か?」

「ま、まあな。なんつーか、すごかったな」

 リゼの魔術のことを言っているのかシャンデリアの事を言っているのかは知らないが、グラントはそれ以上何も言わなかった。




「何故、ダレンとメリッサはいなくなったんだろうな」

 キャンプに戻ってティリー達と合流し、発見されたダレンの眼鏡とメリッサの本から二人は蝙蝠の魔物に喰われたのだという結論に達した後、アルベルトはそう言った。

「そりゃあの魔物に喰われたんだろ。ダレンの奴、自衛も出来ねえくせに一人でのこのこ行動するからこうなるんだ」

「それだよ。なぜ皆に黙って拠点(ベースキャンプ)を離れたんだ? メリッサも何のためにあの場所へ行った? それもわざわざ一人で」

「……確かに一人で行動した理由があるはずよね」

 ろくに身を守れもしないのに一人で行動したということは、それ相応の理由があったはずである。研究家二人が動く相応の理由ということとなると、研究絡みのことだとは思うのだが……

「……呼ばれたのかもしれませんわ」

 焚き火を見つめたティリーが唐突にそう言った。

「ここは生贄の町ですもの。悪魔召喚のために命を奪われた人達の怨念が残っているんですわ。彼らは生きているわたくしたちを羨んで、地獄へ引きずり込もうとしているのかもしれません。ダレンもメリッサも、彼らの呼び声に答えてしまったばかりに姿を消してしまった。地獄へ連れて行かれてしまったのかも……」

「あんた何言い出すのよっ! お、怨念なんてあるわけないじゃない!」

 顔を真っ青にしたサニアがそう反論する。しかしティリーは真面目な顔で答える。

「あらサニア。悪魔が存在するのに、死者の怨念が存在しないはずがないでしょう?」

「ないわよ! ないない! いてたまるものですか!」

 全力で否定したものの、やっぱり怖いのか隣のグラントにしがみつくサニア。その様子を見たアルベルトは苦笑すると、ティリーに言った。

「残念ながら、死者の怨念が犯人ということはなさそうだ。ここに幽霊はいない」

「そうなんですの? 残念。そうだと面白いと思いましたのに」

 二人の失踪に面白みを求めてどうすると思ったが、ティリーは冗談のつもりだったらしく悪びれた様子はない。続いて発言するものがいなかったので、ふと何気なく辺りを見回したアルベルトは、人数が一人足りないことに気がついた。

「そういえばボリスはどこへ?」

「それがここに戻ってきてないみたいで、どこにも姿がありませんの。慌てていて道に迷ったのかもしれませんわね」

 世話の焼ける奴よね、とサニアが苛立たしげに呟いた。

「探してみよう」

 アルベルトはそう言って松明を手に取った。

「仕方ねぇな」

 やれやれとグラントが腰を上げる。その隣に座っていたレスターも手を上げて捜索を志願した。

「……俺も行こうか?」

「いや、そんなに遠くへは行っていないだろうから二人で十分だ。皆はここで待っていてくれ」

 踵を返し、通路へと歩を進める。その背中にリゼが声をかけた。

「探しに行った挙句行方不明になるなんていう間抜けなことはないようにね」




 ボリスが迷いそうな場所と言えばあの長い直線通路に一つだけある枝道しかない。そう思ったアルベルトとグラントはその枝道を捜索することにした。入ってしばらくすると道が二股に分かれていたので、二手に分かれることとなった。

 地下道の中は静かだ。足音と松明がはぜる音だけが聞こえる。生き物の気配はなく、生きていない物の気配もまた、なかった。

 自我を持たない影のような幽霊なら、どんな場所にも大概いる。しかしマリークレージュにはその程度の幽霊すらいない。一度に大勢の人間が殺されているのだから、ティリーが言うように怨念の一つや二つ残っていてもおかしくなさそうなのに。

(悪魔召喚の生贄にされると、怨念すら残さず喰い尽くされるのかもしれないな……)

 だからこの街には悪魔と魔物以外、何もいないのだ。いや、存在出来ないのかもしれない。

とにかく速くボリスを見つけよう。そう思ってアルベルトは足を速めた。

 十字路を直進してしばらくすると、突然通路が途切れた。

そこは大きな水路があった。かなり深く、底からざあざあと水の音がする。思えば今通っているこの通路も地下水道の一部なのだ。この大きな水路は細い地下水道がいくつか合流したものなのだろう。

「まさかここに落ちたりしてないだろうな」

 水路の壁は垂直な上、石材がしっかり組まれていて取っ掛かりになりそうなものがない。一度この水路に落ちたら戻るのは難しいだろう。助けるのもまた然りだ。

 いったん十字路まで戻って、別の方向を探すか。そう思って踵を返そうとした時だった。背後から殺気が襲いかかってきた。

 それが何者であるか確かめる前に、殺気はアルベルトに突進してその手から松明をもぎ取った。松明はくるくる回りながら縦穴を落ちていく。光源を絶たれ暗闇が押し寄せてきたところへ、再び何者かが体当たりを仕掛けてきた。気配と直感を頼りに右に避け、そいつに向かって拳を突き出す。確かな手ごたえがして、そいつは呻き声を上げた。

「誰だ!?」

 返事の代わりにそいつはまた飛び掛ってきた。アルベルトはかがんで避け、腹の辺りに肘を入れる。手加減はしなかったのにそいつは引くつもりはないらしい。むしろ反撃されたことに焦ったのか、死に物狂いの突進を仕掛けてきた。直撃はしなかったが、穴の縁から足を踏み外すには充分な衝撃に見舞われた。

 重力に引かれてアルベルトは落下し始めた。水の音が見る見るうちに大きくなる。水面がすぐそこまで迫っていた。

 水路の水はアルベルトを飲み込むと、さらに勢いを増しながら彼を容赦なく押し流していった。

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