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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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人喰いの森の守護者 8

「ここはアスクレピア神殿ですわ」

 暗い通路を歩きながら、ティリーが不意にそう言った。アルベルトは告げられた名前を頭の中で反芻する。アスクレピア。確か神殿前の集落の女性が、その名を口にしていた気がする。

「大昔に建てられた神殿ですわ。正確には分かっていませんけど、聖戦が勃発した時期にはすでにあったとか、なかったとか。すでに調べ尽くされていて、今は放置されているのですけど、一つ、この神殿に関して噂があるのです。『この神殿の奥には何かが封印されている』と。その封印されているものを呼び覚まさないために、この神殿がある禁忌の森には立ち入ってはいけないと」

 あくまで噂ですけどね、と言いつつも、ティリーは話を続ける。

「禁忌の森の奥地、この神殿の周りが人喰いの森と呼ばれるようになったのはここ数年のことらしいですわ。新しく魔物が棲みついたのかもしれませんけど、ひょっとしたら――」

「神殿に封印されていたものが目覚めたってこと?」

「かもしれないですわね」

「そう。で、その封印されていたものっていうのは?」

「さあ。知りませんわ」

 しれっとそう返答するティリー。瞳に掛かった髪を払い、腰に手を当てる。

「奥に行って確かめればいいんじゃありません? それか、ここを詳しく知っている人に訊くかですわ」

 ここを詳しく知っている人といっても。そうアルベルトは思ったが、そこでやらなければいけないことを思い出した。危うく忘れたままにするところだった。

「そうだ。オリヴィアの所に戻らないと。ここのことについて詳しく話を聞こう。なにか分かるかもしれない」

 アルベルトはそう言ったものの、幻に飲み込まれた影響で現在位置がどこなのかまた分からなくなってしまっていた。これでは戻るに戻れない。

 オリヴィアって誰ですの、とティリーは首を傾げた。そうだ、彼女は知らないのだ。それに思い至ってティリーに経緯を説明すると、彼女は驚きで目を見開いた。

「生霊!? なんですのその面白そうなものは!? それは! 是非! 話を聞かなければなりませんわ!」

 拳を握り、勇んだ様子でティリーは宣言した。灰色の眼がそれはもうきらきらと輝いている。研究について語る時のあの探究心やら情熱やらに満ちた眼だ。突然のテンションの上がりようにアルベルトは驚き、リゼは渋面を作って一歩引く。だがそんな二人の反応もティリーの目には入っていないらしい。

「ああでもわたくしは幽霊は見えないんでしたわ。アルベルト、通訳をお願いしますわね!」

「あ、ああ。でも」

「で、そのオリヴィアという方はどちらにいらっしゃいますの!?」

 半ば詰問するようにアルベルトに詰め寄るティリー。そういわれても、ここからオリヴィアのいるところまでいくことは難しいのだが、言っても聞かなさそうな雰囲気だ。

「分からないわよ。ここがどこかも分からないんだから」

 呆れたようにリゼが言ったが、

「そこを何とかするんですわよ。歩いていればそのうち見覚えのある場所に着くんじゃありません?」

 速く会いたくてうずうずしているといった様子でティリーは答える。なんというか、ここに来た当初の目的を忘れているんじゃないだろうか。オリヴィアに会いに行くのも神殿のことを詳しく聞きに行くためだが、このままではティリーは自分の好奇心を満たすことを最優先にしそうだ。とりあえずティリーを落ち着けなければと、アルベルトが頭を悩ませた、その時だった。不意にリゼが呟いた。

「――来る」

 そうして、再び、ぐにゃりと空間が歪んだ。

 一瞬で、周囲の景色が塗り替わる。吹き抜ける風は今度は熱くない。突風は薄暗い通路を掻き消し、日の光がさす新しい景色を目の前に描き出した。

 現れたのは、のどかな雰囲気漂う集落だった。

 木で作られた、小さいながらも趣のある家々。敷石はないがきちんと固められ、整備された道。村人達は農具を担いで畑に向かい、ある小屋の前では女性達が和やかに談笑しながら作業している。家々の間からは収穫間近の野菜畑が広がっているのが見え、風に作物が揺れる音がここまで届いた。

「神殿の前にあった集落……じゃないわね」

 周囲を見回したリゼが呟く。確かに、似ているけど違う。神殿前の集落は家も道も即席で作ったもののようで、ちゃんと整備されていなかった。畑には白い花が――今思えばあれはダチュラだ――咲いていたし、村人達は皆旅装束と思しき服を着ていた。彼らは記憶を無くした退治屋なのだから当然だ。一方で今、目の前にいる人達は彼らとは全く違う服を纏い、神殿前の集落では見かけなかった老人や子供の姿もある。

「……変わった衣装ですわね」

 村人達を見ていたティリーが不意にそう呟いた。

「なんというか、古臭いですわ。まるで儀式用みたい。あれほどごちゃごちゃしていませんけど」

 首を傾げながらそう評する。ミガー人の衣装は良く知らないが、アルベルトが知る限り、確かにメリエ・セラスやルルイリエで見た一般民の服装とは異なっていた。

 古臭い、といえば……

「さっきの悪魔祓い師と守護騎士達も衣装が今の物と違う」

 少し前まで毎日見てさらには身につけていたのだからよく知っている。形は似ていた。でも細部が違う。今はあんな意匠の衣服も鎧も使っていないはずだ。そしてアルベルトの記憶が正しければ、あれはずっと昔に使われていたもののはず――

 ならこの幻は、一体なんだ? 何を見せようとしているのだ?

 そう思った瞬間、不意に周囲の空気が変わった。穏やかに日常を営んでいた村人達が、突然動きを止めて、アルベルト達に注目したのだ。

「私達の守り神を讃えます」

「森に恵みをもたらす方だ」

「我らを守って下さる」

「精霊の力に溢れたこの森は我々の大切な故郷だ」

「わたし達は祈り、神はわたし達に恵みを与える」

「そうやって生きてきた。だから、これからもそうして生きていく」

 村人達は口々にそう言って、アルベルト達の周りに集まってくる。敵意はない。悪意もない。ただ、“守り神”のことを滔々と語るだけ。

 その目はアルベルト達に向けられているようで、その実、なにも映していなかった。

「な、なんですの。気持ち悪いですわね」

 何かに操られる人形のように同じ言葉を繰り返す村人達。その様子にティリーは少し怯えて隣にいたリゼの後ろに回る。盾にされたリゼは軽くため息をつくと、自分達を取り囲む村人達を見て、

「守り神、ね。そんなものが本当にいるのかしら」

 そう言った。聞こえていたはずだが、村人達はなにも言わない。それを見たリゼは彼らを無視して颯爽と歩き出した。

「リゼ! どこに」

「幻の中とはいえ、進めばどこかへ出るでしょう。オリヴィアの所には戻れそうもないし、あの神殿の中にいるのが悪魔なのか魔物なのか、大昔から封印されていた〝何か〟なのか、それとも〝守り神〟とかいうものなのか。行って確かめればいいわ」

 そう言って、リゼは集落の奥――あの神殿がある場所めがけてさっさと歩いていく。村人達は誰一人として引き止める様子もなく、ただ繰り返し同じことを語っているだけ。慌てて歩いていくリゼの後を追うと、進む先にあの神殿の入り口が見えてきたところだった。

 もはや合唱のようになった村人達の声を背にしながら、アルベルト達は神殿へと向かう。本物の神殿とは異なり、幻の神殿は苔にも蔦にも覆われていない。風化している様子もない。造られたばかり、というわけではないが、きちんと手入れされ、整備され、圧倒的な存在感と共にそこに建っていた。

 ただ、そこから漂ってくるのは、濃い悪魔の気配だ。

 神殿の入り口近くまで辿りついたところで、前を行くリゼは唐突に立ち止まった。入り口の前に立ち塞がる者がいたからだ。それとも、アルベルト達を待っていたのだろうか。

 そこに立っていたのはキーネスだった。

「またあなたなの。諦めが悪いわね」

 立ちふさがるキーネスの姿を見て、リゼは嘆息する。今はまだ剣を抜いていない。ただ神殿の入り口の前に立って、無言でアルベルト達を見つめている。キーネスは酷く疲れたような表情で口を開いた。

「ここまで来たな」

「誰かさんの邪魔がなければもっと速く来れてたと思うわ。それで、何の用? かかってくるなら受けて立つわ」

 リゼが皮肉気にそう言うも、キーネスは何も言わない。何を考えているのか、今のところ交戦する様子は見られない。

「俺はお前達の記憶を消さなければならない。でも、それは難しいようだな」

 キーネスはそう言って、ちらりと神殿の入り口を見た。内部は闇に満たされていて、中の様子は分からない。

「この奥に悪魔がいる。記憶を消すことは叶わなかったが、仲間を助けるために、魔術師を新しい器として差し出さなくてはならない。大人しく来てもらおう」

 それを聞いたティリーが一歩引いて「そんなのごめんですわ」と呟く。リゼは憮然とした表情でキーネスを見ている。そんな中、アルベルトは一歩前へ出ると、無表情のキーネスに呼び掛けた。

「キーネス。君の言う悪魔に取り憑かれた仲間というのは、オリヴィア・セロンのことか?」

 その名前を聞いて、キーネスは顔色を変えた。「何故知っている?」と、言葉よりも表情の方が雄弁に語っている。

「俺はオリヴィアに会った。この神殿の地下で。生霊の状態でそこにいた」

「生霊……?」

「オリヴィアが君のことを話してくれた。君を心配していたようだった」

 キーネスのことを語る彼女は悲しそうであり悔しそうでもあった。同時に、酷く怒ってもいた。オリヴィアは仲間が自分のために動いていると分かっているのだろう。だからあんなに悲しそうだったのだ。そしてきっと、心からキーネスのことを案じていたのだ。

 キーネスは何も言わなかった。何も言わずに、身を翻し神殿の中へ入っていく。咄嗟にアルベルト達もその後を追った。

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