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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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人喰いの森の守護者 7

 取り戻すためならば、道化にも詐欺師にも、殺戮者にすらなってやろう

 あの日の出来事は、今でも鮮明に思い出せる。

 半年前の出来事を、キーネス・ターナーはゆっくりと反芻した。




 オリヴィアは逃げろと言った。

 血に染まった胸に手を当てて、酷く苦しそうに言った。

 奴が自分に取り憑こうとしていると。

 失った前の身体の代わりに、自分を入れ物にしようとしていると。

 でも今なら、奴は根も枝も蔓も操れない。奴が自分に取り憑こうとしている、今この隙に逃げろと。

 確かに、樹々は沈黙していた。木の根も枝も蔓も、みな動きを止めていた。逃げるなら今しかなかった。

 だから、俺達は逃げた。負傷し、悪魔に取り憑かれた仲間を置いて。

 動けないゼノを連れて、逃げるしかなかった。

 逃げた俺達は、神殿も半ばを過ぎた頃で一度足を止めた。最もゼノはろくに動けなかったから、俺が止まればゼノも止まらざるを得なかっただけだった。

『戻らなければ。オリヴィアを助けないと』

『待てよキーネス。焦ったってどうしようもねえ、よ……』

 戻ろうとする俺をゼノは息も絶え絶えになりながら引き留めた。傷口を抑え、必死で言葉を紡ぐ。

『悔しいけど、この怪我じゃ、オレは役に立たねえ。でも一人では奴に勝てねえし、大体、悪魔に取り憑かれてんのに、どうやってオリヴィアを助けるんだよ……? 悪魔を祓えるやつを連れてくるかしねえと……』

『悪魔を祓う? そんなことができる奴が悪魔祓い師の他にいると思うか? それとも悪魔祓い師を連れて来いとでも? ミガー人を救ってくれる酔狂な悪魔祓い師がいるものか』

『分かん、ねえ……でもオレ達には無理だ……だから、今は退くしか……』

 いつも能天気で馬鹿で直情型なのに、この時のゼノは酷く冷静だった。そんな親友に、俺はどうしようもなく腹が立った。いつもなら、真っ先に助けに行こうというくせに。馬鹿みたいに突っ込んで、むしろ危険な目に合うくせに。今になって怖気づいたのか? 今までにない危機だから? 対処できないような相手だから、オリヴィアを見捨てるというのか。

 そんな俺の非難を、ゼノは察していたようだった。

『何も悪魔祓い師を連れてくるってだけじゃ、ねえ……探せば何か方法があるかもしれねえ、だろ。悪魔を祓う方法が……そのために今は、退くんだよ。オリヴィアは絶対に助ける』

 俺を見据えて、ゼノはきっぱりとそう言った。分かっていた。ゼノは仲間を見捨てるような奴じゃない。むしろ俺よりも冷静に、オリヴィアを助ける方法を考えていた。

『せめてコノラトで援軍を呼んで、それ、から――』

 血を流しすぎたのか、ゼノはそこで意識を失った。応急処置はしたし、生命力の強いやつだから、すぐに町へ戻って医者に見せれば大丈夫だろう。だが、ここから出られるのか? 町へ戻れるのか? 戻れたとしても、オリヴィアは――

 援軍を呼ばなければいけないのは分かっている。俺達だけでは手に負えない。だが頭では理解していても、すぐ行動に移せなかった。オリヴィアは本当に悪魔に取り憑かれたのか? もし取り憑かれていなかったら? 悪魔は心の弱った人間に取り憑くという。オリヴィア・セロンは容易に悪魔に取り憑かれるような人間だろうか? むしろ怪我をしたまま置いていく方が、あいつを危険にさらすのではないか――

『ここを出るの? それは困るわ』

 その時、良く知っている声が聞こえた。

 振り返ると、そこにはオリヴィアが立っていた。胸は血に染まったままで、足取りはどこかぎこちない。けれど緑の目はぎらぎらと狂気に燃えていて、口元にはオリヴィアであれば有り得ない笑みが浮かんでいた。

『大切なものを取り戻すためには、もっとたくさんの人が必要なの。だから、あんたたちもここにいて。大丈夫。ここは良い所だから』

 俺の期待は、浅はかな希望は、裏切られた。オリヴィアは確かに悪魔に取り憑かれていた。彼女の身体を彼女ではないものが動かしていた。

『ふざけるな。悪魔め。オリヴィアを解放しろ』

『あんたが前の身体を殺してしまったから駄目。あたしには存在を維持するための器が必要なの。この娘は、あたしが必要としてる力を持ってる』

 自分で自分を抱きしめるような恰好をして、女は嬉しそうに語る。そして名案を思い付いたとばかりに、弾んだ声で言った。

『そう。そうだ。あんたがあたしの願いを聞いてくれるなら、あんたたちを解放してあげる』

『そんな話、誰が聞くものか!』

 それは悪魔の甘言だ。聞いてはいけない。人間の心を捉えて、陥れようとする罠。だが、身構える俺に、女は憐れみのこもった視線を投げかける。

『聞く前から耳を塞ぐのはやめなさい。簡単なことなんだから。あたしの代わりに、あんたがここに人を連れてきて欲しいの』

『なんだと……!』

『ここに、もっと人を集めたいの。もっと昔のように大勢の人を住まわせたいの。でもあたし一人では呼べる人数に限界がある。でもあんたなら、出来るでしょう? 情報屋なんだから。それに、あたしはもっと強い力を持つ器が欲しい。器を用意してくれるなら、この娘はいらない。返すわ』

『――なら俺を器にしろ』

『駄目よ。あたしに必要なのは魔術師なの。あんたはそうじゃない』

 女はにべもなくそう言って、やけに真剣な目をする。そして乞うように、他の誰にも頼めないという風に、切々と訴えた。

『あたしが望みをかなえるのを手伝ってくれる人が欲しい。手伝ってくれるなら、一人や二人、見逃しても構わない』

『……断ったらどうなる?』

 俺はそう言った。そう言って、しまった。悪魔の言うことを訊こうとしてしまったのだ。

 女は嬉しそうに笑った。

『あんたたちは死ぬ。手負いのその子を連れてここから出るのは無理でしょ? その子を置いて、あんた一人で逃げるなら話は別かもしれないけど。そして、代わりがないならこの器は死ぬまでずっとあたしのもの。どうするの? この話を受けて三人とも生き延びるか。断って三人とも死ぬか。あんたの決断次第』

 俺の決断次第。その言葉が、頭の中でぐるぐると回った。決めなければならない。こいつに従うか。それとも死ぬか。

 俺は武器を下ろした。下ろさざるを得なかった。

『……分かった』

 オリヴィアを死なせたくなかった。ゼノも死なせたくなかった。他の誰かを犠牲にしても良いというわけではない。自分だって死にたいとは思わない。けれど、

 ゼノもオリヴィアも、何があっても見捨てることは出来ない、大切な仲間なのだ。

『お前の言う通りにする。その代わりお前が約束を守ることを証明しろ』

 悔しさを押し殺しながら、オリヴィアに取り憑く悪魔にそう言った。誰かを犠牲にしたいとは思わない。でも、二人を助けるためならそうしよう。そのために生じる罪も責任も、全て逃げずに受け入れよう。それでゼノが助かるなら。それでオリヴィアが救えるなら。そして生きているならば、いつかきっと――

『分かったわ。証明してあげる』

 キーネスの返答を聞いて、悪魔は満足そうに微笑んだ。




『イテテ……悪ぃな。こんな怪我しちまって。しかも記憶ぶっ飛ぶほど頭打つなんて、このオレとしたことがドジっちまったぜ』

 あははははとゼノは笑う。怪我をしているというのに酷く能天気な、いつもの親友。まるで仲間が一人、自分達を庇って悪魔に取り憑かれてしまったことなど知らないような。

 そう。こいつは覚えていない。怪我をした時に種が傷口に入り、ダチュラの毒を受けてしまったこいつは、神殿であったことを全て忘れてしまった。いつものように魔物退治をしていて、へまをして大怪我を負ってしまったと、その時に頭を打って記憶が吹っ飛んでしまったと、そう思っている。

 そして……

『ゼノ、オリヴィアのことなんだが……』

『オリヴィアって誰だ? 一緒に魔物倒した退治屋か?』

 ゼノはオリヴィアのことを知らないと言った。

 ダチュラの毒は新しい記憶から古い記憶へ、さかのぼるように記憶を消していく。俺達がオリヴィアに会ったのは三年前。その三年間分の記憶を、ダチュラの毒は消し去っていた。キーネスのことは子供の頃からの付き合いだから覚えているが、ここ三年分の記憶がないゼノは、もう一人の仲間のことをすっかり忘れてしまっている。いや、そもそも、ゼノにとってもう一人の仲間はまだ出会っていないのだ。

 だが、これは好都合じゃないか。ゼノがオリヴィアのことを覚えていたら、絶対に助けようとするに決まっている。でも無理だ。魔物なら何とかなるが、悪魔は倒せない。悪魔祓い師でなければ悪魔は祓えないが、ミガーに悪魔祓い師はいない。オリヴィアを助けるには、悪魔が望む器を用意しなければならない。もっと優秀な魔術師を。

 それを知ったらきっと、ゼノは反対するだろう。誰かを巻き込むことなど、こいつは絶対に承知しない。

 でも、やらなければならない。俺はもう逃げられない。あの悪魔は、俺達をすぐさま神殿の外へ出す代わりに、俺に監視を付けた。俺の言動を奴に伝えるという青い花を。俺が誰かに助けを求めたり、あの女のことを話したりすれば分かるように。

 だから、俺一人でオリヴィアを救い出す。いつか、必ず。

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