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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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人喰いの森の守護者 4

 ごう、と生温かい風が吹き抜ける。風が運んできたのは何かが焦げるような臭い。青白く照らされた空間に赤い光が現れて踊る。天井は暗く帳を降ろした星一つない夜空へ。石床は燃える瓦礫と黒い何かに覆われた土の大地へ。空間の歪みが瞬く間に目の前の風景を塗り替えていく。

 炎が爆ぜる音が聞こえる。吹き付ける風は痛いほどの熱気をはらんでいる。その感覚は間違いなく本物だが、同時に今ここで感じるはずのないものだった。

「また幻か!」

 鼻をつく焦げた臭いに顔を顰めながら、リゼは周囲を見回した。先ほどと違ってここは人喰いの森ではない。どこかの村か町だ。燃えているのは樹々と木製の家々。炎に飲まれ、いくつもの家屋が瓦礫と化している。感じる熱も臭いも、目の前の光景が本物だと疑ってしまうほどリアルだ。

 だが、これもあの幻の森と同じ。こちらを惑わすための罠だろう。さっさと抜け出さなくては。

「アルベルト、出られそうな場所は分かる?」

「いや、分からない。前はオリヴィアのおかげで出口が分かったが、今度はそうもいかないだろう」

 気絶したままのティリーを抱え上げて、アルベルトはそう言った。先程の幻の森ではオリヴィアの姿を追うことで脱出できたらしいが、彼女はエゼールの繁る池と幻の森あたりでしか行動できないらしい。だからリゼ達に付いて来なかったし、今も助けを求めることは出来ないのだ。

 リゼは剣を振り上げて、そこに魔力を集中させた。幻術から逃れるためには、術のほころびから外へ出るか、それとも魔力をぶつけて打ち破るしかない。もし、力技で破れるならその方が速い。そう思って、リゼは魔力のこもった剣を思いっきり振り下ろした。

 純粋な魔力の波動が、空間を駆け抜けた。それは燃える家々を砕き、炎を散らし、どこまでも進んでいく。何かにぶつかる気配はない。

 リゼは方向を変えてもう一度魔力を打ち出した。夜空へ向かう波動はまたしてもなににもぶち当たることなく、そのまま消えてしまった。

 幻を破れない。幻を構成する術式に、魔力を当てて壊すことができない。どうやら力技は通用しないようだった。

「リゼ。出口を探そう。どこかに出られる場所があるはずだ」

 そう言うと、アルベルトは適当な方向を決めて走り出した。仕方なく、リゼもその後に続いた。

 出口を探しながら燃える町を駆け抜けると、次第に今の状況が分かってきた。

 悲鳴。叫び声。金属を打ち合う音。漂ってくるのは――焦げた肉の臭い。

「殺せ! 子供一人とて逃がすな!」

 炎の向こうから聞こえてくるのは、命令を下す男の声とそれに答える鬨の声。掲げられた剣が炎を受けてぎらりと光る。誰かがあげた断末魔の悲鳴が耳朶を打った。

 虐殺。その言葉が頭に浮かんだ。これは戦いではない。この村の人々を兵士が一方的に襲っているのだ。

 襲ってきているのは誰だ。襲われているのは誰だ。

「邪悪なものは全て焼き払え!」

 大勢の兵士が炎の向こうで走っている。悲鳴。泣き叫ぶ声。懇願する声。思わず、足を止めて引き返そうになる。違う。これは幻だ。自身にそう言い聞かせる。しかし耳に届く悲痛な声は、ともすればその事実を忘れさせてしまいかねなかった。

 迷いを振り払って歩を進める。兵士達は炎の向こう。こちらを進んでいればまだ見つからずに済むはずだ。幻とはいえ、兵士達がこちらを認識できないとは限らないし、炎の熱や臭気をこれだけ感じるのだから斬られて全く影響がないということはないだろう。強力な幻術は実体のあるものにも影響を与えるという。甘く見て怪我をしては敵わない。

 兵士達から隠れるように、炎に飲まれる村を駆け抜ける。途中何人かの兵士と遭遇したが、声を上げられる前に魔術を叩き込んだ。これで兵士がこちらを認識できること、そして兵士達はやはり幻の産物であること――魔術を受けた兵士達は木の葉となって消えた――が判明したが、幻をほころびは見つからない。時折現れる兵士達を蹴散らしながら、リゼ達は燃える町の中を進んだ。出られそうな場所。幻のほころびを探して。

 だが、その時、炎が爆ぜる音にまぎれるように軍馬の足音が近づいてきた。

 音が向かって来るのは、リゼ達の進行方向。そして今いるところはどこにも隠れられそうなところはない。引き返す時間もない。避けることも出来ず、場合によっては彼らと交戦するしか道はなかった。

 リゼ達が立ち止まると、やってくる兵士達に備えて身構えた。金属がぶつかり合う音。軍馬の嘶く声がすぐそこまで迫っている。そして、

 燃える家の影から現れたのは“兵士”ではなかった。

 銀に光る鎧。血に濡れた銀の剣。炎を受けてギラギラと煌めいている。掲げる旗に描かれているのは五芒星。それと同じ印章が皆一様に剣と鎧に刻まれている。だが彼らを率いている者だけは銀の鎧も銀の剣も持っていない。指揮官が身にまとうのは、胸元に五芒星が描かれた白いローブ。手に携えているのは、十字架を模した大きな燭台。

「異教徒は全て神の炎で殲滅する」

 悪魔祓い師は燭台を掲げ、そこから生み出した白い炎をリゼ達に向けた。




『凍れ!』

 目の前に築き上げた氷壁に白い炎がぶち当たって四散する。炎と一緒に、砕かれた氷が飛び散って煌めいた。飛散した氷片を集め一本の槍に変えると、炎を操る悪魔祓い師めがけて投げつける。だがそれは、白い炎に飲まれて容易に弾かれてしまった。

「悪魔祓い師に教会の守護騎士達か!? どうしてこんなところに――」

 アルベルトの台詞は騎士達の鬨の声にかき消された。「悪魔の手先を滅ぼせ!」「異教徒を殺せ!」「全て浄化せよ! 神に栄光あれ!」。騎士達は口々にそう叫ぶ。馬上で炎を操る悪魔祓い師は、リゼ達を冷徹な瞳で見下ろしていた。

 騎士のぎらつく刃がリゼを襲う。避けて風の衝撃波を食らわせれば、騎士達は吹き飛び、あるいはたたらを踏んで後退する。すかさず氷霧を奔らせると、鎧ごと凍結して騎士達は身動きが取れなくなった。もう一度風の衝撃波で蹴散らしてやろうと思ったが、術が完成する前に襲ってきたのは白い炎。直撃をさけるべく、リゼは後ろに飛びのいた。

 白い炎が目の前を滝のように流れ落ちる。一個の生き物のように動きこちらを追って来る炎を防ぎ、隙間から氷刃を奔らせたが、悪魔祓い師には届かなかった。

「燭台を破壊しなければ。あれがなくなれば炎も弱まる」

 アルベルトが剣を抜いてそう言った。踊る炎の隙間から悪魔祓い師を見、何やら思案している。彼なら悪魔祓い師の戦い方をよく知っているし対処もできるだろうが、如何せん今は片手で気絶したティリーを抱えている状態だった。身動きがとりづらいのだろうが、かといってその辺りに放っておくわけにもいかない。

「それが出来たら苦労しないわ。でも、私一人で十分よ。あなたはティリーの面倒を――」

「ティリーを頼む」

 力技で炎を突破しようと考えていたリゼが言い終わる前に、アルベルトは抱えていたティリーを問答無用で押し付けてきた。妙に重いティリーを抱えることになって、リゼは少しよろける。その間にも、アルベルトは白い炎の中に分け入っていた。

 迫り来る白い炎。そのわずかな間隙をぬって、アルベルトは悪魔祓い師に近付いていく。まるで白い炎の挙動が全て分かっているかのように。

 だがアルベルトが悪魔祓い師に肉薄した瞬間、白い炎が彼の背後に迫った。避けられる位置ではない。これでは燭台に辿りつく前に炎に飲まれてしまう。咄嗟にリゼは氷槍を生み出して炎めがけて投げつけた。氷槍は炎を散らし、アルベルトには届かない。その隙に、アルベルトの剣が燭台の芯を捉えて叩き折った。意外と脆いものだったらしい。石の欠片が飛び散り、先端の灯火が弱まっていく。やがてそれは掻き消え、周囲の白い炎は動きを鈍らせていった。

「まだだ! 燭台を壊しただけでは炎は消えない!」

 アルベルトが鋭い警告と共に剣を振るった。剣は炎を蹴散らし、正面から迫った刃を受け止める。燭台を捨て抜刀した悪魔祓い師は、馬上から飛び降りてアルベルトへと剣を向けた。

 対峙する二人の周りに白い炎が踊っている。動きは鈍っているが火勢はほとんど衰えていない。完全に消すには術者を殺すしかない。異教徒を飲み込もうと襲って来る炎を凍りつかせながら、リゼは刃を交える二人を目で追った。放っておいてもアルベルトが何とかするだろうが、そんなに悠長に待っていられない。時折炎の向こうから現れる騎士達を適当に蹴散らしながら、リゼは悪魔祓い師の隙を窺った。悪魔祓い師の術がアルベルトを襲う。銀色の剣閃が宙を舞う。二人は互角、いやアルベルトがやや優勢か。悪魔祓い師が放った鎌のような光の刃を避け、アルベルトは距離を取った。その時、

「悪……祓い師……」

 聞こえた低い呟き声にリゼは振り返ると、ティリーが起き上ったところだった。重いので抱えるのをやめて地面に寝かせていたのだが、ようやく眼を覚ましたらしい。記憶は元に戻ったのだろうか。無言で、じっと交戦する二人の悪魔祓い師を見つめている。考え込むように、何かを確かめているかのように。すると突然、ティリーは右手を上げた。

『燃え滾る炎よ』

 小さく紡がれた詠唱は一抱えはある火球を右手の先に生み出した。それはリゼが制止する前に空を駆け抜け、二人の悪魔祓い師の元へ向かう。気付いたアルベルトが距離を取った瞬間、火球は悪魔祓い師の背中に着弾した。

 燃え上がる赤い炎は悪魔祓い師を包み込み、焼き尽くそうと燃え盛る。しかし悪魔祓い師が焦った様子も見せず何か呟くと、赤い炎は四散して消え去った。焦げたローブが熱風で翻る。悪魔祓い師は標的をアルベルトからティリーに変えると、祈りの言葉と共に光の刃を放った。

 その光刃をティリーは重力の壁を創り出して受け止めた。刃は標的を逸れ、別の方向へと飛んでいく。二撃目を放とうとする悪魔祓い師。それに向けて、ティリーは新しい術を放った。

『偉大なる大地に秘められし力。彼の者に戒めを。傲慢なる愚者を捕らえ地に臥させ給え!』

 ティリーの詠唱と共に悪魔祓い師の周囲に重力場が発生した。襲いかかるか重力にさしもの悪魔祓い師も膝をつき、苦しげに呻く。踊る白い炎がティリーに向かうが、それでも彼女は逃げなかった。

 重力魔術の魔法陣が一際強く輝いた瞬間、中心で膝をつく悪魔祓い師の姿がぐにゃりと歪んだ。その隙を狙ってリゼは氷槍を生み出し、悪魔祓い師へ奔らせる。避けることも出来ず、氷槍に貫かれた悪魔祓い師は無数の木の葉となって渦を巻きながら崩れた。同時に白い炎も掻き消えて、ティリーに届くことはなかった。

 悪魔祓い師が消え失せた途端、全ての物が突如として静止した。将を失った騎士達は剣を構えたまま動きを止め、家々を飲み込む炎は揺らぐこともなくなった。悪魔祓い師を構成していた木の葉は飛び散ったまま動かない。音も熱風もない静止した空間。数瞬の沈黙ののちに空間は木の葉へと変わり、さらさらと崩れて消えて行った。

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