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Savior 《セイヴァー》  作者: 紫苑
ミガー王国編
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人喰いの森の守護者 1

 助けは呼べない。誰にも、話すことは出来ない。けれど、自分一人では何も出来ない。

 探さなければ。

 監視の目を欺いて、助けを呼ぶ方法を。

『あんた、あたしが視えるんだね?』

 幻の森を抜けた先、薄闇に包まれた部屋の中に立っていた緑色の髪の女性は、そう言ってアルベルトに一歩詰め寄った。髪と同色の瞳が有無を言わさぬ雰囲気で注視してきて、アルベルトは反射的に首を縦に振る。すると女性は頭を抱え、しくじったという様子で呻いた。

『マジか……それなら速く声を掛ければよかったんじゃん……そりゃああたしが見える人がいるなんて思わなかったけどさ……』

「ああ、その、なんて言うか、俺の方こそもっと速く呼び止めていれば」

『まったくだよ!』

 勢いよく頭をあげ大きな声でそう言われたで、アルベルトは驚いて思わず一歩身を引いた。しかし彼女の方にアルベルトを責めるつもりはなかったらしい。一転、あっけらかんとした様子で言葉を続けた。

『と言いたいところだけど、そんなこと言ってる場合じゃないね。先にあんた達を治さないと』

「治す?」

『ダチュラの毒に掛かってるんだろ? 解毒しないとね。こっちに来て』

 そう言って、女性は身を翻すとすたすたと歩いていく。彼女はダチュラに効く薬草のある場所を知っているというのか。少なくとも女性が向かう先からは水の流れる音が聞こえ、薬草の生育条件である水辺はありそうだ。とにかくついて行ってみようとアルベルトは後を追った。

「誰と喋ってるの」

 すると、完全に蚊帳の外の状態のリゼが、不満げにそう訊いてきた。そうだ。彼女には見えていないのだ。対話があまりにも自然で、相手が普通の人間ではないことを忘れてしまいそうになる。とにかく状況を説明しようと思ったところで、アルベルトは相手の名前を聞いていなかったことを思い出した。

「ああ、そうだ。名前を――」

『オリヴィア。オリヴィア・セロン』

 そう言って、前を行く緑の髪の女性――オリヴィアは振り返った。

『名乗るのを忘れてたね。あんたたちは?』

「俺はアルベルト・スターレン。彼女はリゼだ。君は……幽霊なのか?」

『失敬な。まだ幽霊じゃないよ。……たぶんね』

 オリヴィアは肩をすくめてそう言うと、また前を向いて歩き始めた。足早に歩を進めながら、口調だけは世間話をするような気安さで話を続ける。

『あたしの今の状態を一言で表すとすると、生霊ってところかな。話すと長いんだけど、あたしはまだ死んでない……はず。どちらにせよ生身じゃないから、今まで誰にも気づいてもらえなくてねー。あんたはなんであたしが視えるんだい? そっちの人には見えてないみたいだし、ひょっとして悪魔祓い師には視えるもんなの?』

 一瞬、アルベルトが返答に詰まっていると、オリヴィアは振り向いて付け加えた。

『あんた悪魔祓い師だろ。さっき戦うところを見てたよ』

「そうか。……悪魔祓い師で俺のように幽霊の類が視えるのは、知っている限り俺だけだ」

『ふーん。それが幸いしたってことか』

 何か考え込むようにそう言って、オリヴィアは無言になった。どうして悪魔祓い師がミガーに――メリエ・セラスに来ている以上今いる場所もミガー国内のどこかのはずだ――いるのだとか、そういうことは訊かないらしい。そんなことを気にしていられる状況ではないからだろうが、問い詰められるような事態にならなくてアルベルトは少し安心した。

 会話が途切れたので、オリヴィアの姿が見えないリゼに、彼女の名前と会話の概要を手短に説明する。一通り終わったところで、リゼは驚いたように聞き返してきた。

「生霊? それは本当なの?」

「本人はそう言ってる。幽霊と生霊の見分けは俺にもつかないが、少なくとも悪魔や怨霊の類ではないと思う」

 ちゃんと意志があって、生前――いや、オリヴィアの場合は『生身の時』と言うべきか――と同じように振る舞う幽霊を久しく視ていない。近頃視る霊は、皆、霞のように儚く、明確な姿で現れたり言葉を交わしたりということはほとんどできなかった。子供の頃視ていた幽霊は生きている人と何一つ変わらない姿を取り、会話することができたのに。

 前を歩くオリヴィアの姿は、気を付けて視るとほんの少し透けているのが分かる。だがそれ以外は普通の人間と何ら変わらなくて、子供の頃そうだったように何故自分以外には視えないのか不思議なぐらいだ。

「それで、そのオリヴィアという人は信用して大丈夫なの?」

 当人を目の前にして、リゼは懐疑的にそう問うた。見えないのだから、オリヴィアが目と鼻の先の距離にいることなど彼女は知る由もない。――いや、近くにいることぐらいは分かった上での発言か。ともかく、アルベルトには少々答えづらい質問だった。

『うーん、信用してくれっていう根拠は出せないけど、例えばあんたたちを毒殺したとしても、あたしには何のメリットもないと言っておくよ。そんなことせずとも放っておいたらダチュラの毒か魔物があんたらを始末してくれるだろ?』

 リゼの言葉に聞いていたオリヴィアが返答するが、当然リゼには聞こえない。これは伝えるべきなのかとアルベルトは迷ったが、オリヴィアはといえば別段気分を害した様子もなく、少し楽しそうですらある。

『人を信用させるのって難しいよねえ。まあ、今は状況が状況だから当然だけど、疑り深い奴はとことん疑って来るから、特に一度やらかしてからだと打ち解けるのが大変で大変で。逆にぜんぜん疑わない奴はそれはそれで悪い奴に引っかからないか心配になるけどね。――そういやアルベルト。あんたはあたしを疑ってないの?』

「え? いや、信じるかどうかは、もう少ししてから判断しようと思っているんだが」

『ああ、現物を見てからってこと? それが一番いい方法かもね。やっぱ相手を納得させたかったら証拠を示さないとね。というわけで、悪いけどついてきておくれよ。あたし、物は全然動かせないんだ。生霊だからかな』

 明るくそう言って、オリヴィアはすたすたと歩いていく。妙にハイテンションで、浮かれているような様子だが、害意がある風ではない。生霊と幽霊を全く同じと考えて良いのかは分からないが、アルベルトは害意のある怨霊とそうでない幽霊の見分けが何となくつく。表情や言動ではなく、その人が纏う雰囲気のようなもので。最も子供の頃の話だから、今もつくかどうか分からないが――とにかく悪い人ではなさそうだ、とアルベルトはリゼに説明した。

 リゼは納得したのかは分からないが、拒否する必要もないと思ったのだろう。「なら、とりあえず薬草のある場所まで案内してもらいましょう」と言って、ついていくことを決めたようだった。それを見たオリヴィアが案内を再開して、三人は薄暗い通路を進み始める。その時、オリヴィアが不意に口を開いた。

『そうそう。ところであんたとそっちの、リゼだっけ? どういう関係なの? 兄妹には見えないし、付き合ってんの?』

 突然突拍子のないことを言われて、アルベルトは眼を瞬いた。この場合付き合っている、というのは、旅の連れかとかそういう意味で訊いているのではないだろう。――たぶん。

「まさか。そんなわけないよ。――まあ、色々と事情があって」

 今も同道している理由は思い出せないから分からないが。

『ふーん、複雑そうな事情あり、か。でなきゃ悪魔祓い師と魔術師が一緒にいたりしないよね……ああ気分を悪くしたならごめんよ。さっきのは冗談さ。例えばの話。どうも人と話すの久しぶりだから嬉しくなっちゃって。余計なことまで訊いちゃったね。今はそういう場合じゃなかった』

 そう言って、オリヴィアは立ち止まった。

『というわけで、ついたよ』

 そこにあったのは、へこんだ床に水が溜まってできた小さな池だった。天井近くの壁から細く水が注ぎ、水面に波紋を作っている。水底と岸辺にはヒカリゴケと燐光を放つ草花が咲き、池全体を幻想的に照らし出していた。

『ダチュラの毒に効くのは一つだけ。エゼールって名前のこの豆だけだよ』

 そう言って、オリヴィアは岸辺に生える植物の一つを指さした。その植物の重そうに垂れ下がるさやを指してさっさと取りなよと促すので、アルベルトは手を伸ばして茶色いさやをもぎ取る。筋を取ってさやを開くと、中には大きな豆が収まっていた。

 それは確かに、覚書に記されていたダチュラの毒に効く薬草と同じものだった。正確には草ではなく豆だ。覚書には褐色で扁平な形をしているとあるが、この豆はまさしくそんな形をしている。

『半分くらいから試してみて。食べすぎちゃ駄目だよ。これも毒だからね』

 豆を眺めていたアルベルトに、オリヴィアがそう釘を刺す。確かに、エゼールは大量に食べると中毒を起こすらしい。その一方で、少量ならば解毒剤にもなる。覚書の情報が正確ならばオリヴィアの言は正しく――きっと、信用して大丈夫だろう。

 オリヴィアに言われた通り、豆を半分に割って片方をリゼに渡した。少しずつ食べてみてくれと説明してから、アルベルトは思い切って豆を口に入れた。

 豆は相当に苦く、酷く食べづらかった。だが味を気にしている場合ではないので、どうにか飲み込む。苦みはすぐ気にならなくなったが、あまり好んで食べたいものではない。

 そして飲み込んで数秒後、変化は突然訪れた。

 霧がかかったような脳裏に、次々と記憶が蘇ってきた。過去から今へ、時を進めるかのように。ミガーに来たこと。ルルイリエ。禁忌の森。“憑依体質(ヴァス)”。森の中の集落。神殿。そして――

「……思い出した」

 神殿に入った時、キーネスに閉じ込められたこと。ティリーが突如アルベルト達のことを忘れて戦いを挑んできたこと。魔術で崩落した床から地下に落ちて幻の森にたどり着いてから、今に至るまで――記憶に空白はなく、ちゃんと繋がっている。エゼールの効果は絶大なようだった。アルベルトの様子を見て、エゼールを不審そうに見ていたリゼもとにかく毒ではないと判断したらしい。掌に乗せたまま豆をようやく口に入れた。

 リゼの記憶が戻るまで、それほど時間はかからなかった。彼女も問題なく記憶が戻ったようで、エゼールの効果は確かということだ。となれば、あとはこれを必要としているもう一人に届けなくてはならないだろう。

 ティリーだ。彼女もダチュラの種を植え付けられたせいで記憶を失ったのだ。

「ティリーを探さなくては。放っておいたら、彼女もダチュラの苗床にされてしまう。エゼールがあれば毒を中和できる」

 アルベルトはそう言って小さな布袋を出し、豆をいくつか取ってそこにしまう。そうしているうちに、エゼールが効いたことを確認したオリヴィアが先程とは打って変わって真剣な表情で尋ねてきた。

『一つだけ、訊いていいかい? あんたたち、ここのことはどうやって知ったの? 誰かに案内してもらったのかい?』

 エゼールを仕舞い終わったアルベルトは、そう問うオリヴィアを見返した。戻ったばかりの記憶をたどり、どうしてここに来たのかを思い出す。

「俺達はキーネスという人物に魔物退治の協力を依頼されてここに来た。そしてこの神殿に入った時、キーネスは入り口を閉じてしまった」

 それを聞いて、オリヴィアは深々とため息をついた。酷く悲しそうに、そして悔しげに。それに加えて、わずかに怒りも交じっている。彼女は前髪をかきあげ、くしゃりと握りこんで、

『――ありがとう。やっぱり、そうか』

 思い詰めたような表情で考え込むように空を見つめる。その様子からして、オリヴィアは何か知っているらしい。いや、ここに生霊として存在しているのだから、何か知っていて当然か。

「キーネスのことを知っているのか?」

 そう問いただしてみると、

『知っているも何も、あいつは……』

 怒りをこらえるかのように目を閉じて、オリヴィアはまた深くため息をつく。それから目を開けて、彼女は決心したように話し始めた。

『あいつはここに人を連れてきて、神殿内に閉じ込めてるんだ。そうすると、この中の魔物に襲われて、ダチュラの種を植え付けられて記憶喪失になる。表に集落があったろ? あそこにいた奴らがそうさ。記憶を失ってあの集落の住人になって働いて、毒が回りすぎて働けなくなったら、たぶんダチュラの苗床にされてしまう。完全にそうなるには時間がかかるみたいだけど』

「それって――」

 人間はダチュラの苗床に。そのダチュラに、悪魔が取り憑いて魔物となる。悪魔はダチュラに取り込まれた人間の魂を喰らうのだろう。

 キーネスはその手伝いをしているということなのか……?

『この神殿の奥に悪魔の親玉がいて、そいつが指示してるんだ。そいつを倒さなきゃならない。あたし達もそのためにここに来たんだけど――』

 オリヴィアはそこで言葉を切ると、何かを思い出したのか、

『色々説明したいことがあるけど、あんたたち、他に仲間がいるんでしょ? なら速く行ってやって。毒の作用も発芽のスピードも個人差があるみたいだから、もし速い奴だったら下手すると手遅れになる。ただでさえ神殿の中にいたら発芽のスピードが速まるみたいなんだ。これ以上、犠牲者が増えるのはごめんだよ』

 オリヴィアは強い口調で言って、上へ行けそうな道があっちにあるよ、と来た道とは違う方向の通路を指す。

『ついてって案内したいところだけど、あんまり遠くへはいけないみたいなんだ。仲間を助けたら、一度ここに戻ってきて。あたしの知ってること、もっと詳しく話すから』

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